格差論争かみあわず

本日の日経新聞朝刊で、昨日の衆院予算委員会のもようが報じられています。政治向きの話はよくわからない部分が多いのですが、ちょっとした感想を。

 民主党は同日の質問者に菅直人岡田克也前原誠司の三氏という代表経験のある「オールスターキャスト」(同党幹部)をそろえた。個人や企業、地域間で大きな格差がすでに存在すると主張し、是正に向けた政府の「無策ぶり」を浮き彫りにする作戦だ。
 一方、首相は「一生懸命頑張った人とそうでない人にある程度の差が付くのは当然だ。しかし不公平や不公正な競争の結果であってはならない」と反論。機会の平等に重きを置く姿勢を鮮明にし「成長しないと果実が生まれてこない。全体として成長しながら誰も後ろに置いていかないことが大切だ」と力説した。
 まず日本経済の成長力を底上げし、その果実を正規雇用の増加、最低賃金の引き上げ、中小企業の競争力向上などにつなげるのが安倍政権の基本戦略だ。
 こうした首相の答弁に岡田氏は「底上げというがバケツの底が抜けている。『底上げ戦略』ではなく『上げ底戦略』だ。数字だけあって中身がない」と痛烈に批判。菅氏も「首相の認識は甘い。格差問題に真正面から取り組もうとしていない」と追及した。
 「一九六〇年代初頭にも成長か格差是正かという議論があった。成長することで、その果実を広めていく政策が正しかったことが証明されている」。首相は半世紀前の「所得倍増計画」を巡る経済学の「下村治・都留重人論争」まで引き合いに出し、主張の正当性を強調。与野党の論戦は最後までかみ合わなかった。
(平成19年2月14日付日本経済新聞朝刊から)

安倍首相と菅氏の議論はもともとの理念というか、議論の前提が異なっているので、かみあわないのも当然でしょうが、岡田氏の批判は一応首相の前提に乗った上での批判とも取れますので、民主党内でも必ずしも議論は整理されていないのかもしれません。
極端な例え話でごく簡略化した整理をしてみます。我が家は平凡なサラリーマン家庭で年収600万円、隣家はIT産業のベンチャー経営者で年収1,000万円だとしましょう。我が家は隣家の猛烈な働きぶりやITスキルの高さに一定の評価をしつつも、年収の格差が大きいなあという思いも持っています。
これに対して、安倍首相の路線は「隣家は経済成長に寄与する力を持っているから、その発揮が促進されるよう、ビジネスが拡大したらさらに所得が増えるようにします。そうすれば、雇用や仕事が増えるなどの波及効果が出てきて、あなたの家の年収も増えますよ」ということで、結果的には隣家の年収が1,200万円、我が家の年収は700万円にそれぞれ増えて、格差は拡大したかもしれないけれど両家とも年収が増えてよかったでしょ、というものだろうと思います。
いっぽう、菅氏の路線は「いかに働き方やスキルの違いがあるとはいっても、400万円、67%もの格差は社会正義に反し、600万円の世帯としてはやってられませんよね。だから、まずは経済成長を犠牲にしても再分配を拡大し、格差を縮小しましょう」ということで、結果的には隣家の年収が800万円、我が家の年収は700万円になり、格差が縮小してよかったね、というものでしょうか。
まあ、これはどちらが正解というものではなく、まさにものの考え方の違いというところでしょう。「隣家」にとっては当然ながら首相の路線が好ましいでしょうが、「我が家」にとっては結果として年収700万円は同じだから同じこと、というわけにはいかないのが人間というもののようです。心理学研究の成果の中には、もっと極端なケース、たとえば「1,000万円−600万円」が「1,200万円−700万円」になるくらいなら、「1,000万円−600万円」のままのほうがまだマシ、と感じる人が実は多数派だ、という結果もあるのだとか(あらためてウラをとってはいないので自信なし)。となれば、当然ながら年収1,000万円より600万円のほうが圧倒的に多数派なのだから、多数の望む結果をめざすのが民主主義の正義であり、「市民のための政治」だ、というのが菅氏の主張ということになりましょうか。首相の立場は、足元ではそれで喜ぶ人が多くても、中長期的には全体の生活水準がずるずる低下していってしまい、結局はみんな喜べないことになってしまいますよ、というものでしょうが、これは当然ながら菅氏などが批判している(と思うのですが)「金持ち優遇」施策でもあるわけです(で、金持ち優遇であることは認めるが、誰にも金持ちになれる機会は均等に確保する、ということをエクスキューズにしようというわけです)。菅氏が格差そのものを問題にしているのに対し、首相は貧困や「格差の固定化」を問題にしているわけで、これはお互い譲れない政治信条に関わる問題でしょうから、議論がかみあうわけもありません。
それはそれとして、首相の主張に対しては、「そんなこと言ったって、絵に描いたようにうまくいくわけはないじゃないか」という批判も十分に成り立つ可能性があるわけで、岡田氏の批判はこの路線ではないかと思います。そう捉えたほうが、これまでの言動で示されてきた岡田氏の政治信条とも整合的なのではないでしょうか。隣家を優遇すればビジネスが拡大して年収1,200万円になるといいますが、本当にそんなにうまく行きますか、とか、あるいはそこがうまくいったとしても、我が家が年収700万円になるように、うまく波及効果が拡大しますか、とかいった疑問はたしかにあるわけで、そこには首相としても具体的な政策論で説明していくことが必要でしょう(実際、先日発足した官房長官をヘッドにした政策チームで検討もされていると聞きますし)。民主党としてみれば、内部の路線の違いには目をつぶって、両面作戦で内閣を攻撃するのが現時点では効果的な作戦だという判断をしたのでしょうか。たしかに、ありうる戦術のような気はしますが、岡田氏の批判については議論が成立する余地は大きいことを考えると、菅氏の路線をうまく取り下げて具体的な政策論に移ったほうが建設的なような気はしますが…やり方次第では与党にも乗り目はあるのでは。
ちなみに、「下村治・都留重人論争」とはこういうものです。

 安定か成長か。実は半世紀前にもこんな論争があった。後に首相になる池田勇人が唱えた「月給二倍論」が発端で、これに理論的裏付けを与えたのが大蔵官僚だった下村治だった。下村は「技術革新などで潜在力を引き出せば飛躍的経済成長が可能」とし、その主張は政府の「所得倍増計画」の源流になった。
 反対したのが経済学の重鎮、都留重人。「インフレを招く無理な成長より所得格差を縮めることが課題」と主張した。世に有名な都留・下村論争だ。現実にはその後の日本は池田・下村が唱えた高度成長に突入、所得格差も縮まった。
(平成18年10月30日付日本経済新聞朝刊から)

まあ、現在の日本では成長と格差縮小が同時自動的に実現するような高水準の成長は難しいのでしょうが、それにしてもどれだけの成長が実現可能かというのは政策決定の最重要の要素のひとつでしょう。そこの具体的な議論、検討が必要なようには感じます。