森戸先生とhamachan先生の不思議な議論

ゴールデンウィークだというのにここぞとばかりブログを書いているのはいかがなものなのか(笑)←あ、使ってしまった。どっか出かけて消費して経済活性化に寄与しろよと自分でも思わなくはないのですが、まあ明日からは学校も休みなのでどこぞに外出しようかなと。
さて本日は久々に高年齢者雇用に関する話題です。今日の日経朝刊の記事から延々と発展してしまって非常に長文なのですが途中まではほぼネタであって標題にある大切な話は終わりのほうにありますのでそのようにお願いします。

日経新聞の悪癖

日経新聞に若年雇用問題の連載記事が掲載されているのですが、今日は改正高齢法との関係が取り上げられていました。お題は「<提言>企業内の新陳代謝 促そう シニア偏重 成長力そぐ」となっておりますな。

 65歳まで希望者全員が働き続けられるようになる改正高年齢者雇用安定法。同法が施行された今春に大学を卒業し2度目の就職活動に入った夏川高志(23、仮名)はうらめしそうに話す。「新卒の枠がどんどん減るじゃないか」
 年金の受給開始年齢の引き上げで無収入の人が増えるのを防ぐなど事情は分かっている。それでも「シニア支援もいいけど僕らへの支援は?」が正直な気持ちだ。夏川にまだ朗報は来ない。
 帝国データバンクによると高齢社員の増加にあわせて11%の企業が新卒採用を抑制するという。
(平成25年5月2日付日本経済新聞朝刊から)

おや、11%ですか。これに関しては経団連が会員企業を対象にしたアンケート調査の結果では4割近くが新卒採用を減らすとしていましたので、ずいぶん違うなという感じです。考えられる理由としては、そもそも調査時点間で景況感がかなり違うので企業が新卒採用に積極的になっているということと、対象企業が異なるので帝国データバンク調べでは大企業に較べて採用意欲の高い中堅・中小企業が多く含まれているということがあると思うのですが、ここが大切なところだと思います
というのは、日経の記事はこのあと(まあ日経らしいといえば日経らしいのですが)こういう展開になっているのですが…

…首相の安倍晋三を座長とする政府の産業競争力会議では当初、企業経営者ら民間議員が過剰な正社員保護を諸外国並みに緩めるよう提案。ローソン社長の新浪剛史は「若者を採用すれば、その半数のシニアを解雇することを認めよ」とも主張した。
 ところが「解雇規制の緩和で失業者があふれる。アベノリスクだ」と労組を背にした議員からの批判が噴出。参院選前に既得権層の票を逃すわけにもいかず、最終段階ではごっそりペーパーから落ちた。

 シニア保護だけでは成長できない企業にとって問題は切実だ。

 漫然と人がとどまるのを防ぎ、組織の新陳代謝を進めるためにも実力主義の浸透が欠かせない。IHIや三菱重工業は雇用延長後も働きや能力に応じて賃金が変わる仕組みの導入を進める。
 職に就けないリスクを抱える若者。この現状をどう是正し、既得権者と雇用機会を分かち合うか。社会全体で工夫する時だ。
(上と同じ)

いやはや新浪氏はこんな思い切った提案もしておられたんですねえ。産業競争力会議で「整理解雇を一定の条件にて行うことを可能とする。例えば、解雇人数分の半分以上を20代-40 代の外部から採用することを要件付与する」という大胆極まりない意見書を提出したりしておられたのは存じておりましたが(これらはすでにhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130323#p1http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130408#p2で取り上げました)、それとはまた異なるご提案ですね。とりあえず産業競争力会議の議事要旨にはそれらしい発言はみあたりませんでしたが、テーマ別会合のほうは最近のものはまだ議事要旨がウェブに上がっていませんので、そのあたりで言われたのかもしれません。まあローソンさんが低賃金・低技能な若年労働力を常時一定程度必要としておられて、それこそ「新陳代謝」が必要ですという人材ニーズをお持ちなのであれば、若年100人雇ったら中高年50人首切り可、というのは便利だろうとは思いますが。
さてそれはそれとしてこの記事が根本的にダメだと思うのは雇用機会の増加という観点が完全に欠落していることです。いや何度も書いていますが雇用機会の分かち合いより雇用機会の増加のほうがよほど重要だし効果的でしょ?もちろん今回の高齢法改正については若年者に較べて高年齢者に手厚すぎるとは私も思いますし(これは過去さんざん書いた)、高年齢者雇用と若年雇用は質が異なるから高齢法改正による若年雇用への影響はないという行政の説明は嘘っぱちだとも思いますが(もちろん100%そのままタマツキで影響するとも思いませんが)、しかし若年雇用を進めたいのであれば高年齢者の仕事を取り上げるよりは雇用機会を増やしたほうがよほど効果的だし筋がいいはずです。とりわけ大切なのは良好な雇用機会、当初は労働条件があまり高くなくても、スキルやノウハウが身につき、やがて産業・企業も成長して雇用も安定し労働条件も改善するような雇用機会を増やしていくことでしょう。
実際、最初に戻れば、景気が改善すれば雇用機会も増えて高年齢者を雇い続けなくてはいけないから新卒採用を絞りますという企業も減るわけですし、これから成長するぞという中小企業においては高年齢者も雇い続けますが新卒も採りますという企業も多いわけですから。しかし日経さんはこの「なんとしても「既得権者」をひどいめにあわせたい」という悪癖が直りませんね。これでずいぶん論説の質を落としていると思うのですが。
でまあさもありなんという感じなのですがこの記事には「若者の雇用に関する著作を持つ人事コンサルタント城繁幸(39)は「正社員の保護が強すぎる。正社員の既得権を削らないと若者の雇用は増えない」と話す。」という一文も登場しておりまして、まあ記事は都合のいいところだけ抜いているでしょうからここで城氏についてどうこういうのも野暮でしょうが、しかし相性はいいんでしょうねと思ったことでした。いやはや。

城繁幸氏の「65歳雇用義務化についてのまとめ」

ということで記事についてあれこれいうのもなにかなと思ったこともあり久々に城繁幸氏のブログを見てみたところ期待を裏切らないというかなんというか(笑)ちょっと前になりますがこんなエントリがみつかりました。
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/6420409.html

なぜか65歳雇用義務化についての取材が多いので、以下に論点をまとめておこう。
一々同じこと話すのはめんどくさいので、これ読んでまとめちゃってください。
(話聞きに来る場合でも最低限読んでおいて下さい)

・65歳までの雇用が義務化される影響は何がありますか?
 企業の人件費原資は一定なので、5年分の雇用が増えた分を誰かの人件費を削ることで対応しないといけません。
 2011年経団連調査によると、38.4%の企業が新卒採用の削減で対応。
 また、派遣社員契約社員といった正社員以外を雇い止めし、高齢者に置き換えることで対応する企業も多いです。
 それから、全体的にこれから企業に入ろうとする人も採用されにくくなります。
 たとえば新卒学生の場合、従来は「こいつは60歳まで雇う価値があるか」を人事が判断していましたが、これからは「こいつは65歳まで〜」となるわけで、それだけの価値のある人間だけが雇われることになります。
 そして、人材がロックされることで、企業活動も制約されます。
 今、政府の有識者会議で、人材の移動を活発化させ経済の新陳代謝を促進することが議論されていますが、新陳代謝どころか麻痺させるようなもんです。
 要するに、世代間、男女間、雇用形態、能力といったすべての面で格差を拡大させる政策といえます。
 ILOOECD勧告に真っ向から歯向かう政策です。
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/6420409.htmlから、以下同じ

「影響は何がありますか?」という設問なので、まずは個別企業の対応がどうなるかが書かれた部分はそのとおりだろうと思います(まあ経団連のアンケートの紹介ですしね)。新卒の正社員採用で60歳までと65歳までとでどれほど扱いが変わるのかは見当がつきませんが、あまり関係ないんじゃないかなあ。現状でも相当割合は65歳まで雇用されているわけで。
「人材がロックされることで、企業活動も制約されます。」というのも、まあそういう面もあるだろうと思うのですが、「人材の移動を活発化させ経済の新陳代謝を促進することが議論されていますが、新陳代謝どころか麻痺させるようなもんです」というのはややピントはずれの感はあり、まあ60歳を超えた人を放出して新規産業で就労させることが経済の新陳代謝の促進になるかというとまあそんな感じもしないわけで。
ILOOECD勧告に真っ向から歯向かう政策です」というのは、この部分のリンク先をみるとILOOECDが日本の労働市場の二極化を指摘していることを表面的に捉えて印象を述べたということのようです。ただまあ、ILO勧告といえば通常この世界ではILO総会で採択されたRecommendationのことなので専門家を任ずるのであれば用語は正確にお願いしたいところではありますが、しかしILOの権威を利用したい向きには条約違反に関する理事会の勧告などもあたかも総会で採択されたかのように「ILO勧告」と称する例は多々あるようなのでそんなものなのでしょう。まあ同じ穴の狢だよな
ちなみに余談ながらILO勧告には1980年の高齢労働者勧告というのもあって(第162号)、実は今回の法改正のある部分はこの「勧告に真っ向から歯向かう政策」だと言えなくもありません。ただそれはこの勧告が均等待遇を求めているといった点についてなので、城氏の想定とはまったく異なるわけですが。

・でも「高齢者のやる仕事と若者のやる仕事はかぶらない」という意見もありますが
 仕事はかぶらないけど、人件費は同じ財布から出ているので、誰かを雇えば誰かを切るしかないです。
 「パパのお小遣いと子供の塾の費用は全然関係ないじゃないか」というロジックは恐らくママには通じまい。

気の利いたことを言っているつもりなんだろうけど、こういうことを言うから労働塊の誤謬を担ぎ出されて揚げ足を取られるわけですよ。個別企業の話と労働市場全体の話を混同してはだめで、労働市場全体をみれば新たに生まれている雇用はもっぱら若者を吸収するし、高年齢者は保有する技能を生かして従来の職場で継続就労するということで「かぶらない」ということになるわけです。ただし、この理屈が成り立つには若年を吸収しうる新規産業が存在して労働市場が拡大している必要があるわけですし、そうなっていない現状(というか法改正当時)ではやはり労働市場全体でも(100%置換ではないとしても)一定の影響は避けられないわけです。それにもかかわらず行政があたかも問題は起こらないかのような説明をしたことが悪辣なわけです。
もちろん、個別企業のレベルにおいてもこれから就職する若者としては「私が入社したいあの企業に入社できるチャンスが縮小する」という弊害は出てくるわけなので、それはそれで問題点として指摘できると思いますが、繰り返しになりますがそれは個別企業レベルの話であって、労働市場全体では「かぶらない」という説明に対する反論にはなりません。

・新卒求人倍率は1.27なんだから若者は贅沢言わなきゃ就職口はあるんじゃないですか?
 じゃ高齢者も贅沢言わずに自分で再就職活動すればいいんじゃないですかね。

うんそうですよね高年齢者の求人倍率も1.27だったら高齢者も贅沢言わずに自分で再就職活動すればいいですよね。でも厚生労働省職業安定局「職業安定業務統計」によれば平成23年の60-64歳の有効求人倍率は0.59倍なんですが。これも気の利いたことを言ってるつもりなんでしょうが逆噴射と申し上げざるを得ません。まあ若年層でも0.7倍台前半なのでこの層と較べてどの程度のレベルの支援が必要なのか、希望者全員雇用延長義務化まで必要とするのかは私も繰り返し疑問を呈しているところではありますが。

・日本は人口減少が続くので、これからは65歳まで働ける社会をつくるべきでは?
 65歳まで働ける社会と、特定の人間だけ65歳まで雇わせる社会はまったく別物ですね。
 ついでに言うと、労働力不足対策としては「女性や高齢者も働きやすい流動的な労働市場を作ること」であって、一律で正社員65歳雇用義務化なんてやったら(現状では女性と若者ががはじき出されるわけだから)いっそう少子化が進んで逆効果でしょう。

人口減少が続くから高年齢者の労働参加を促すべきである、したがって企業は60歳定年を迎えた労働者が希望したら65歳まで雇用しなければならない、というのはたしかに理屈があっていませんが、誰かそんなこと言っている人がいるのかな。とりあえず今回の議論は無年金・無職・無収入の回避が主たる関心事で労働力不足だからやれという話ではなかったと思いますが、まあ中長期の一般論の中にはあったような気もしなくもない。なお「ついでに言うと」以下は言葉が躍ってるだけなのでなんともコメントできません。

・65歳雇用義務化に賛成の論者が見当たらないのでどなたか推薦してください。
 いないんだったら別に取り上げなくていいんじゃないですかね。
 これだけ無料メディアが発達している昨今、うちは両論併記で中身には一切コミットしないというスタンスだと商売上がったりになるんじゃないですかね。
 まああえて言えば、厚生労働省OBか慶應義塾長がおススメです。他に本件に賛成する識者はまずいないはず。

エントリの記載とは関係ないのですがここは上の記事との関係で抱腹絶倒したところで、いや雇用を増やさずに高年齢者を失業させて若年を雇用させろとか主張する論者はそれこそ城氏くらいしか見当たらないのではないでしょうか(あ、日経もそうかも)。もちろんだから売れるのだということでニッチ戦略としては十分「あり」だと思うし経済活動としては立派なもんだと評価してもいるわけですが。新浪氏や三木谷氏も基本的には「雇用は増やす、増えた雇用で若年を吸収する」と言っている(と思う)わけですし、中高年についても大企業が解雇してくれれば私たち成長産業が雇用します賃金はぐっと低くするけどさあというご意見なわけですし。
脱線しましたがエントリの記載に戻るとまああれかな、「厚生労働省OBか慶應義塾長」を除けば本件に賛成する人は「識者」ではないという定義をお持ちなのかな。65歳継続雇用の研究会の委員の皆様も審議会の部会の委員の皆様も、相当程度これに賛成しておられましたが、私は皆様たいへん尊敬すべき識者であると思っておりますが。

・じゃ、なんでそんなむちゃくちゃな法改正が通ったんですか?
年金財政が破たん寸前→ 〇支給開始年齢の引き上げ → 〇企業は65歳まで雇え
                 ×年金支給額カット         ×高齢者は自分で職探せ
                 ×増税or保険料引き上げ    

要はシルバー民主主義。

シルバー民主主義であるという点はその通りと思いますが、しかし「×増税or保険料引き上げ」は端的に誤りではないでしょうかね。まあ消費増税はまだ決まっただけで実現はしていませんが、保険料は毎年着実に引き上げられているわけで。というか、保険料を負担していない高齢者にとってはその引き上げは現役負担による受給の確保拡大につながるわけなのでむしろ歓迎のはずです。

・なぜ急に複数の政府の有識者会議で解雇規制の緩和が取り上げられ始めたんでしょうか?
 それくらい、希望者全員65歳まで雇わせる法律は常軌を逸したものだから。さすがに委員の皆さんも危機感抱いたんでしょう。

えーとですね、「政府の有識者会議」と思しき会議体での解雇規制緩和論は、産業の新陳代謝を促進するために不採算分野から撤退しやすくなるよう整理解雇をやりやすくしろというのが議論の中心じゃないでしょうかね。で、上でも書きましたがそこに退蔵されている(本来能力のある)労働力が労働市場に放出されれば彼らのいわゆる「成長産業」に吸収されて新陳代謝が促進されるという皮算用寸法で。以前書きましたがこれ自体いかにもうさんくさい議論ですが、いずれにしても定年後の継続雇用をどうするかという話とはほとんど無関係ではないかと思います。いやまあ政策の方向性がとかいう話かもしれませんけどね。
ということで、「これ読んでまとめちゃってください」で本当にいいのかなあと余計な心配をするわけですが、まあいいのかな。要はネタであって面白きゃいいってニーズもあるんでしょうから。

森戸先生とhamachan先生の不思議な議論

さてようやく本題に入りますが、上記日経の記事にhamachan先生から一言ないかと思って先生のブログを拝見したところこんなエントリを発見しました。「ジュリスト」の当該記事を読んでいないので的外れな話になる危険性は多々あるのですが、とりあえず先生のエントリにある範囲でコメントしてみたいと思います。まずは引用から。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/5-9922.html

『ジュリスト』5月号は「高齢者雇用の時代と実務の対応――高年齢者雇用安定法の改正」という特集です。
http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/018853
〔鼎談〕高年齢者雇用安定法改正の評価と高年齢者雇用のこれから●森戸英幸●清家 篤●水町勇一郎……12

 やはり、森戸、清家、水町という何とも言えない取り合わせの鼎談が読み応えがあります。
 それぞれに、自分の本来の考え方と、今回の改正の妥協の距離感を感じつつ、より良き現実への第一歩として論じているあたりがなんとも。
 本来定年廃止論の清家さん、年齢差別禁止論の水町さんとの対比で面白いのは、森戸さんが「思い切って解雇してみろよ」論になっている点で、これは労政審での審議がかなり影響しているのでしょうか。

森戸 私は、企業が今回の改正に本当にちゃんと対応しようとするのであれば、場合によっては60歳前でも解雇する、という覚悟を決めなければいけないと思っています。・・・

森戸 企業はこれまで、60歳になったので辞めて下さい。あなたはまだまだできるけれども、60歳定年なんですいませんと言えばよかった。今後はそうではなくて、あなたは定年まで仕方なくつないであげたけど、もう能力的にはゼロなんですよ、と言わなければいけなくなるわけです。私が思うに、経営側が今回の改正案に強く抵抗したのは、本音のところで、「おまえは能力がないから辞めろ」とは言いたくないというのがあったのではないかと。

これは、まさに私も改正の経緯の中で強く感じたことです。その趣旨は、例の海老原さん主催の場でもちょいとしゃべりましたね。
ただ、そういう議論自体が、実は日本型システムにどっぷり浸かった感覚から出てくるものであって、本当にゼロベースで考えて、「もう能力的にはゼロなんですよ」なんて馬鹿なことはほんとはないわけです。そういう風にしてしまったのは、本人の本当の能力とは別に年功的に昇進させて管理職にしてしまってきたからなので、就職したときから「もう能力的にはゼロなんですよ」だったはずはないのですね。
会社の命令であれこれ回されてきたあげくに「もう能力的にはゼロなんですよ」が通用するかという話になると、それはなかなか難しかろうとも思われるわけです。この手の話は全部つながってくるわけですが、日本で能力に基づく解雇も結構難しい最大の理由は、具体的なジョブの遂行能力でもって人事管理をやってないからですから、これは覚悟だけの問題じゃないのですよね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/5-9922.htmlから

まず前段の森戸先生のご発言ですが、これは現に労政審(の部会)での審議に森戸先生とともに参加していた私にとってはかなり違和感のある議論です。
たしかに、部会でも申し上げたと思いますが、定年制が60歳までの雇用に対する労使双方の努力を促し、結果的に50代後半の雇用の安定に大きく寄与してきたことは事実だと思います。本当にゼロかどうかはともかくとして森戸先生の表現を借りれば50代後半にしてすでに「もう能力的にはゼロなんですよ」の人も60歳まではとにかく何らかの形で働いていただく。もちろんその人件費原資は他の従業員が広く薄く負担するわけですが、それは長期勤続の中で誰にも発生しうるリスクに対する事実上の互助的な保険機能として結果的に労使が選択してきたものだ、ということも繰り返し書いてきたと思います。いっぽうで、現実には能力的にはゼロどころか十分なんだけれど、しかし組織を長期的に継続するためには後進育成のために道を譲っていただかなければならないというケースも出てくる。こうした中では、往々にしてあいまいで恣意的な判断がはいりやすい「具体的なジョブの遂行能力」ではなく、年齢というきわめて客観的、かつ出自やカネなどに左右されないという意味で公平であり、生き延びる限り誰しも20歳、40歳、60歳を1年経験するという意味で機会均等な指標を用いることは、従業員の納得を得るという意味できわめて有効だったわけです。
ですから、たしかに森戸先生ご指摘のとおり「おまえは能力がないから辞めろ」とは言いたくないのは誰だってそうだろうと思いますし、そんなこと言わずに「定年だから」と言って感謝状と花束を渡してハッピーリタイヤメントを演出しているという面も確かにあって人事管理上それはそれで重要ですが、しかし副次的なものであるともいえると思います。
しかし、ここからが重要なところですが、2004年の改正高齢法施行以来、そうした性格もかなり大きく変化しています。つまり、原則65歳まで継続雇用とはなったものの、労使協定で継続雇用しない人の基準を設けることができるようになったわけです。しかも、その基準については極力明確で恣意を排するものとされました。もう一度森戸先生の表現を借りれば、基準に該当しない「もう能力的にはゼロなんですよ」という人が継続雇用を希望してきた際には(労使で)「おまえは能力がないから辞めろ」と言うようになったわけです。それが2004年に導入され今回存続をめぐって議論が分かれた基準制度の本質ではないかと思います。逆にいえば労組がこれに加担することを忍びなく思うのもわからないではないということも以前書いたと思います。

  • さらにいえば、この希望したけど「おまえは能力がないから辞めろ」と言われた人が全体の2%いたわけで、2%の話だから基準制度廃止の影響はほとんどないと行政は宣伝していたわけですが、当然ながら希望しなかった人の中には相当程度「自分は基準に該当しそうにない、能力がないから辞めろと言われるくらいなら希望しないでおこう」と考えた人がいたはずで(審議会の部会でも労働者代表委員から「だから基準を廃止すべき」という趣旨の発言がありました)、それを考えれば「2%だから影響ない」という主張は失当だと思いますし、ましてやそれを「賃金が下がるから希望しないのだ」という議論にすりかえるのは悪質だと思います(いやそれで希望しない人もいたとは思いますが)。上で取り上げた若年雇用への影響も含め、こうした行政の詭弁がまかり通ったのが今回の高齢法改正の特徴のひとつだったように思います。

同時に、多くの企業では、60歳でみんな感謝状と花束と退職金をもらうけれど、ある人はそのまま去って行き、別の人は「給料半分ですが明日からもここで働きます」と残ったわけで、まあ建前は崩れていないにしてもハッピーリタイヤメント演出度もやや低下している感は免れません。
そこで今回の改正ですが、基準制度は廃止されるものの、継続雇用しないに値する理由があれば継続雇用することを要しないとされたわけで、結局は労使で決めた基準という比較的明確な尺度がある状態から、従来から解雇権濫用法理などで指摘されているのと類似の予見可能性の低い状態への移行を余儀なくされた、というのが経営サイドの受け止めではなかろうかと思います。ですから、おそらくは企業は従来の労使協定した基準と同じような「おまえは能力がないから辞めろ」基準のようなものを示しつつ、それに該当しそうな人は継続雇用を希望しないでね、それなりに再就職支援や生活支援はしますから、といった対応をしていくのではないでしょうか。ただ、それはあくまで定年退職ですから、森戸先生の言われる「60歳前でも解雇する、という覚悟」とはかなり距離があるように思われます。ということで森戸先生の議論をまとめれば「10年前の話」というのが率直な感想です。
さて続くhamachan先生の議論ですが、「本当にゼロベースで考えて、「もう能力的にはゼロなんですよ」なんて馬鹿なことはほんとはないわけです。」というのは、本当/ほんとが2回出てきて思いの強さが伺われますが、たしかにそのとおりで、いくらなんでも定年まで勤め上げてきた人が能力的にゼロということはないだろうと思います(もちろん森戸先生もご承知のうえで誇張されているのだと思います)。賃金水準に見合わない、というのはもちろんあると思いますが、そこは60歳定年でそれまでの分は清算して、継続雇用時は賃金は2分の1とか3分の1とか、賞与は金一封とかにできるわけなので、まあ健康面で問題があるとか組織運営上難しいとかいう事情があれば格別、そうでなければマッチする仕事がプロバイドできるか、という問題になるのだと思います。そこに企業の苦心があるわけですが。
さてそれに続けてhamachan先生は「そういう風にしてしまったのは、本人の本当の能力とは別に年功的に昇進させて管理職にしてしまってきたからなので、就職したときから「もう能力的にはゼロなんですよ」だったはずはないのですね。」と苦言を呈されるわけですが、どういう意味なのでしょうか。まず後段、「就職したときから「もう能力的にはゼロなんですよ」だったはずはない」と言われますが、しかしわが国の新卒採用・長期雇用においては就職したときが最も「能力的にゼロ」に近いことは明々白々ではないかと思います。
前段の「そういう風にしてしまったのは、本人の本当の能力とは別に年功的に昇進させて管理職にしてしまってきたから」というのも、まずそういう風がどういう風なのかがよくわからないのですが、とりあえず「本人の本当の能力とは別に年功的に昇進させて管理職にしてしまっ」たという人がいたとして(いまどきそんな人も滅多にいなかろうと思いますが、などと書くと貴様がそうだろうという声が聞こえてきそうですが)、それこそ定年後は上に書いたように「本当の能力」に応じた適度な労働条件と職務で再就労していただけばいいわけで。まあ同じ賃金で管理職として雇い続けることができないのは「年功的に昇進させて管理職にしてしまってきたから」というのはそのとおりというケースもあるでしょうが(場合による)。もっとも、企業組織が拡大しにくい昨今、管理職ポストというのは企業の人材育成上かなり希少な資源なので、上でも書きましたが定年前に(能力的には十分でも)返上していただくことのほうが多いのではないかと思いますが。
続く「会社の命令であれこれ回されてきたあげくに「もう能力的にはゼロなんですよ」が通用するかという話になると、それはなかなか難しかろうとも思われる」に関しては、定年前は格別定年後については私は十分通用するし当然に通用すると考えています。「会社の命令であれこれ回されてきたあげく」定年を迎えるわけであって、それまでの分はそこで退職金も受け取っていったん清算して「会社の命令であれこれ回され」たことの落とし前がついたうえで退職するわけです。そして、希望すれば新たな労働条件、新たな職務で再雇用され、65歳まで継続雇用される。もちろん、この新たな労働条件、新たな職務の提示まで「もう能力的にはゼロなんですよ」だからしませんというのは、それは(企業としては苦心するところですが)「なかなか難しかろうと」私も思います。しかし、定年後再雇用の新たな雇用契約は多くの場合hamachan先生のいわゆるジョブ型の有期契約であり、当該ジョブを遂行する能力を喪失する/事業縮小などで当該ジョブが消失するといった場合には当然に雇い止めもありうるものでしょう。定年前までの人事管理を定年後再雇用においても引きずるのだとすれば、それはまさに審議会の部会でも繰り返し議論された「定年延長となにが違うんだ」という根幹の部分にかかわってくるわけですし、再雇用後は定年前とは切れたジョブ型雇用になるからこそ「代替は主に非正規雇用との間で発生し若年正社員就職への影響は軽微」という議論もされていたわけですし。まあこのあたり人事制度や再雇用制度がどういう設計になっているかによりますので、企業もそれを慎重に検討する必要があると思います。
最後の「覚悟だけの問題じゃない」については、60歳以前に解雇する覚悟という話とはかなり距離があるだろうなと思うのは上で書いたとおりですが、定年時についてはすでに清算が済んでいるので別問題です。もちろん難しかろうと思いますが、「能力的にゼロ」だから、あるいは別の理由もあるでしょうが、再就労を提示しないことはできるし、それが合理的で相当な場合もあるはずです。争いになるかならないか、なった場合にどういう結論になるかということも考えたうえで再就労を提示しないというチョイスは当然ありうるもので、ここは覚悟といえば覚悟の問題かもしれません。
その観点から今回の法改正を評価すれば、改正前は労使の覚悟の問題だったのに対し、改正後は使用者だけの覚悟が問われるようになったということではないでしょうか。そう考えると、以前は企業が労組を一種の「共犯関係」に巻き込んでいたところ労組がそれを解消したというのが今回の法改正だったのかもしれません。上で書いたようにその気持ちはわかりますし、いっぽうで私などはそれをとらえて逃げるのかなどと申し上げて各方面の顰蹙を買ったわけですが、しかし労組として制度的な関与の保障を捨てて使用者のフリーハンドに任せることが本当によかったのかということは私は今も疑問に思っています。