ビジネスガイド2月号

 (株)日本法令様から、『ビジネスガイド』2月号(通巻882号)をお送りいただきました。ありがとうございます。

ビジネスガイド 2020年 02 月号 [雑誌]

ビジネスガイド 2020年 02 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本法令
  • 発売日: 2020/01/10
  • メディア: 雑誌
 今号は特集が3つあり、特集1が”派遣労働者の「同一労働同一賃金」”、特集3が”今知っておきたい障害者雇用”と、今現在の現場のホットイシューがまとめられていますが、中でも特集2の”2020年1月6日からハローワークの利用方法が変わります”が実務家向け雑誌らしく目をひきました。大きな変更点としては企業がインターネット経由でオンラインで求人の申し込み等ができるようになったことと求人票の様式が変わったことで、前者はまあ働き方改革の一環?で実務家にとっては効率化につながるものでしょう。求人票のほうは…まあ手間はかかるようになりますが情報量が増えることはいいことなのだろうとは思います。その他の記事も、例によってさまざまなターゲット、いろいろな担当者にとってそれぞれに読みどころの多いものになっています。
www.horei.co.jp

産政研フォーラム2019年冬号

 ブログ閉鎖中のいただきもの御礼の続きです。遅れましてまことに申し訳ありません。


 (公財)中部産業・労働政策研究会様から、機関誌『産政研フォーラム』2019冬号(通巻124号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。
http://www.sanseiken.or.jp/forum/
 特集は「イキイキと働くシニアを考える」の第3回です。学芸大の内田賢先生が論考を寄せられているのですが、なるほど65歳定年や65歳以降の高年齢者雇用というのも時間外労働の上限規制と同様に労使双方ともに積極的には持ち出しにくい事情のあるテーマかも知れず、だとすれば政策的にトップダウンで進めることも必要なのかもしれないなどとの感想を持ちました(もちろん労使自治に期待する私としてはたいへん残念なことなのですが)。
 呼び物の連載、大竹文雄先生の「社会を見る眼」は「ラグビー日本代表と外国人雇用」です。外国人を多数含むラグビー日本代表の活躍を、代替材と補完材という経済学の考え方で分析し、外国人雇用の活用における留意点をいつもながら読みやすく、わかりやすく解説しておられます。
www.sanseiken.or.jp

日本労働研究雑誌1月号

 ブログ一時閉鎖中のいただきもの御礼、遅くなっており申し訳ありません。
 (独)労働政策研究・研修機構様から、日本労働研究雑誌1月号(通巻714号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

日本労働研究雑誌 2020年 01 月号 [雑誌]

日本労働研究雑誌 2020年 01 月号 [雑誌]

 今年の色はライトブルーですね。
 さて今号の特集は「行動経済学と労働研究」「AIは働き方をどのように変えるのか」のふたつで、ともに近年注目を集めている分野であり、たいへん意欲的な編集といえそうです。
 行動経済学の知見はキャリア管理の改善にもかなり有用そうに思われ、スキルが陳腐化したらサンクコストにこだわらずに職種転換したほうがいいのになかなかそうできない、というのはいかにもありそうですし、就職先や転職先を考慮するときにカリスマ経営者の存在や就職人気ランキングや身近な人(アスレチッククラブの会員とか)の評判とかに引っ張られて判断してしまうとか、転職先の倒産の危険性を過大に見積もってしまうとか、いろいろありそうな気がします。本号の論考は賃金や労働時間といったものが中心ですがキャリアに関係する調査も探して勉強してみたいと思います。
 AIについては論考ではなく、実務家の実践報告の講演を研究者が聴取し、その後全員で座談会を実施するという形式になっていて非常に読みやすいものでした。まだまだ発展途上で未成熟な技術分野であり、その技術的インパクトについてもかなり大きく見積もった(そして時期も相当に早く見積もった)議論が先行している感があり、それだけに(いなば先生のご著書のような歴史に立ち返った議論とともに)こうした実践にもとづいた丁寧な議論が必要なのだろうと思います。
 まあ私のような人には先々どうなるかはわかりませんとしか言えないわけではあるのですが、正直座談会参加者に較べるとやや楽観的になれない感は残りました。ひとつはAIは評価者にはなれても上司にはなれないという話で、これは参加者の間ではコンセンサスだったようですが、どこまで一般化が可能なのか。参加者のみなさまの上司になるようなAIはなるほどなかなか出てこないでしょうが、私の上司なら務まるAIが出てくるのではないか。そのときにAI上司に使える人とそうでない人の分断が発生するのではないかと、これはいなば先生のご著書の主要な問題意識の一つではなかったかと思います。
 もうひとつはより実務よりの話で、上司の技能もそうですし、後段ではベテランの技能も置き換えられないという話も出てくるわけですが、それではその「置き換えられない技能」がこれまで同様に形成できますかという問題です。もし、これらの技能の形成に「それに較べれば高度でない仕事」の経験の積み上げが必要であるとすれば-現状ではOJTを通じて形成される部分が相当あることを考えるとそのようにも思えるわけですが-そこがAIに置き換わってしまっていたらそれを超えた技能の形成はできなくなってしまうことになるのではないか、という懸念です。このとき、高度技能の形成のために一部の仕事はAIでなく選ばれた高度技能人材候補のために(当座は非効率となっても)割り当てるということになるのか、それとも不便にはなるけれど高度技能はなしで済ませるのか、あるいはやはり高度技能を学習できるAIを開発することになるのか。これはけっこう悩ましい問題のように思えるのですが、まあこれは私の考え過ぎなのかなあ。そうかもしれませんというかそうであってくれるといいのですが。

妖精さん特集

 昨日で本年度も無事中央大学ビジネススクールでの授業を終了いたしました。やれやれ。まあ2年めということでだいぶ勝手がわかってきたところもあって昨年よりは多少はマシだったかな。おつきあいいただいた受講者のみなさんありがとうございました。
 なおブログを暫時非公開にしていたのも授業の都合であり、なにかというとレポートの課題を出したのですが、ネットで情報を探した場合に万一そうとは知らずに担当教員のブログをコピペして提出してしまうという事態が起きるとお互い調子が悪い(笑)ので締め切りまでは見えないようにしておいたという話です。ということで今回は代理人弁護士がどうこうといった話ではありませんのでご安心ください(謎)。
 という仕儀で本年初エントリとなります。いまさらながら(笑)今年もよろしくお願い申し上げます。
 さて表題の件ですがまさにその昨日付の朝日新聞が組織的プラトーに達した中高年を「妖精さん」とネーミングした特集記事を掲載しており、うーんあれだな授業の前に読んでいたら格好の材料になったのに残念だったなあ(いや来年度使うかも)。そもそも「妖精さん」というのがなにものかよくわからないわけですが朝日のウェブサイトで探してみると思い切り有料記事であり(笑)、さすがに課金して読む気にはならないのでネーミングについてはスルーします(日曜の記事もウェブ上では有料ですが会社の広報部で紙の新聞を読みました)。ということで以下は「組織的プラトーに到達した中高年」を念頭に書きますのでそのようにお願いします。まあ昨日の特集の冒頭にこう書いてあるので大きくは違わなかろうと思う。

 年を取っても働き続ける――日本はそんな社会に近づいています。一方で、産業構造の変化などから、企業でベテラン社員が築いてきたスキルと業務がかみ合わず、やる気を失っている現実もあります。こうした「働かない」中高年を「妖精さん」と名付けた若手社員の記事を掲載したところ、様々な反響を呼びました。
(令和2年1月19日付朝日新聞朝刊から、以下同じ)

 いきなり「産業構造の変化などから」と書かれていてここだけで8割方はダメ箱行きかなあと残念な気持ちになりました。まあ「など」と書かれているので間違いではないのですが、産業構造の問題というよりはるかに人事管理の問題ですよねえこれ。いや立大の中原先生とJILPTの濱口先生(われらのhamachan先生ですね)のまとまった談話があり、後払い賃金の模式図などもあって、けっこうがんばってるなとは思うのですよ。がんばってるなと思うだけに残念なわけでしてね。
 いくつかコメントしますと、まずその日本型雇用の後払い賃金の図が残念このうえない。この図のいちばん大切なポイントは左上のおじさんと右下の青年が同一人物だというところなのですが、この図は残念ながらそうは見えない、というか絵の配置やそれぞれの説明文(「賃金安すぎる!」とか)を見ると「そう見えないように書かれている」ようにすら思えてしまいます(邪推なので朝日の人は怒っていいです)。世代間の分断をあおるような図だと申し上げてもいいんじゃないでしょうかね、これは。
 その点立大の中原淳先生はさすがに「30代を過ぎれば、割と50代は近い存在です」と、1人の人間のキャリアとして正しくとらえておられますね。若手が将来的に現在の中高年ほどの厚遇が期待できなくなっているというのもそのとおりだと思います。ただまあ「上の世代はいいよな」という不満は、程度の差はあれ現在の中高年も若い頃には感じていたのではないかとは思います。まあ程度が強くなってきてそろそろ限界というところでしょうか。
 さてこうした問題意識の明快さに対して、解決策にはかなり苦慮しておられるようです。まあこれは編集の問題(35歳の記者さんらしい)だと思いますが、「多様な働き方ができるように、人事や労働政策、子育て制度を整えることはもちろん重要です」と書かれていて、いやもちろんそれはそれで極めて重要ですが、しかしそれがどうこの問題(中高年の組織的プラトー)の解決につながるのかは、まあかなり追加的にご説明いただかないと不明ですよね。「どうお金を稼ぐかをしっかり学べる教育も必要でしょう」となると端的に何を言っているかわからない。「年金など社会保障制度の改革も急がれます」も、まあそりゃ大事だということに異論はありませんが具体的にどうすることでこの問題を解決するのさとは思うなあ。
 続けて中高年個人にあれこれ押し付ける対策が続きますが、個別に見ればもっともな話ではあるのですが人事管理の根本的な問題には踏み込めていないという感は禁じえません。
 なにかというと、特集では賃金と生産性を比較して低いとか高いとか議論しているわけで、それはもっともな考え方だと思いますが、ではその生産性はどうやって決まっているのかというところに踏み込んでいないわけですね。というか、どうやらそこは「産業構造の変化」といったところに理由を求めようとしているように思われ、まあそれもなくはないでしょうがかなり方向がずれているようにも感じるわけです。
 というか、記事中でも「会社が適切な仕事を与えるべきだ、との意見もわかりますが」と、かなり核心に迫ってはいるわけですよ。もちろんそんなことできっこない(だから賃金は下げずに不適切な仕事に甘んじせしめる)というのは当然ですが、そこで止まってしまっては問題の解決にはならないでしょう。生産性というのはかなりの程度組織の事情で決まっているのであり、たとえば中間管理職が役職定年でポストを外れてスタッフ職になることで生産性が低下するというのは、まさに組織の事情による生産性変動にほかなりません。もちろん一方では新たにそのポストを得て生産性が上がる人というのもいるので組織としての生産性はイーブンであり、そこで個人の生産性が低下したことをその個人に帰責するのは不合理なように思われます。
 もちろん、中高年になっても、必要とされる新しいスキルを身につけ、伸ばしていく努力はとても大事だとは思いますが、しかし個人の生産性の停滞・低下をもたらすような人事管理の問題点を解決していかなければ事態の大幅な改善は見込みにくいように思われます。まあこのあたり記者の方もいろいろ組織の事情などもある中ではあろうと推測しますが、もう少しがんばってほしかったかなあ。質問すれば聞き出せた話だと思いますのでね。
 われらがhamachan先生(濱口桂一郎JILPT研究所長)はさすがというべきか、最初に「世代間の対立をあおるのは非生産的」と指摘しておられます。そのうえで、企業の人事管理に踏み込んだ対策を提案しておられます。

…私が提案するのは「ジョブ型正社員」。…職務や職場、労働時間が「限定」された「無期雇用」の労働者です。欧米の普通の労働者と同じです。職務がある限りは解雇されません。非正規社員のように、…雇い止めのプレッシャーにさらされることはなくなります。…ただし、仕事がなくなれば整理解雇されるという点で、これまでの「正社員」とは違います。
…これまでの延長線上の対応では難しい。…一部のエリートを除き、40歳ごろからジョブ型正社員として専門性を高めるキャリア軌道に移しておくのです。
 日本の大卒が「社長を目指せ」とエリートの期待を背負って必死に働かされ、モチベーションを維持できるのは、30代くらいまででしょう。それ以降は出世にしばられない「ホワイトなノンエリートの働き方」を考えた方が幸せでしょう。
 欧州では公的な制度が支えている子育てや教育費、住宅費などは、日本では年功賃金でまかなわれています。ジョブ型正社員の普及を目指すなら、社会保障制度の強化が必要です。雇用の改革に向けて、社会保障を含めた「システム全とっかえ」の議論を、慎重かつ大胆に行うべきでしょう。

 ということで、中原先生の談話の中のわかりにくい部分も、これでかなり推測はつきますね。これはかなり有力な提案だろうと私も思います。ただ、ご提案の方向性はそのとおりとしても、具体的な制度設計をどうするのかの技術論はかなり難しいものがありそうです(具体的な課題はこれまでも何度か書いたので繰り返しません)。それ以上に難しいのはどのように実現していくのかという方法論で、たとえば賃金制度ひとつをとってみても企業はかなりの期間「中高年の後払い賃金」と「若年の生産性に見合った賃金」のいわば「二重の支払」が必要になるでしょう(若年については後払いをやめるということであれば当然支払うべきものではありますが)。「システム全とっかえ」をある日突然一気にやるのは無理なので(すさまじい混乱を招くでしょう)、かなり計画的な線図を作って漸進的に取り組む必要があるでしょう。もちろん国民的なコンセンサスが必要になりますので、相当に高度な政治的手腕が要請されるように思います。いや本当に国民の大半が「システム全とっかえ」を望むのかどうか、例によって私はあまり強気にはなれません。
 さて「アンケートに寄せられた声」についてはまあそういう人もいらっしゃるでしょうねえという話なのでスキップしますが、続けてとりあえずの(来週もう一回続くらしいので)結論らしき「70歳まで働ける社会へ」というまとめがくるのですが、勤労意欲の高さに続けて「61歳の賃金は60歳の79%」「定年後再雇用で処遇低下」「65歳以降の処遇でも同様の課題」と書いていて、いやそれこれまでの議論とあまり関係ないだろ…?中高年の賃金が生産性より高くなるような後払い賃金を定年までで払い終わって、あとは生産性に見合った賃金水準に近づけているってことなんだから問題ないよね…?もちろん、hamachan先生のご提案のような施策が実現すれば60歳、65歳でがっくりと賃金を下げる必要もなくなりそうなので、まあそれが大事だというならそういう話かもしれませんが…。
 まあ、そもそもの発端の「妖精さん」の話がまったくわかってないので最初からずれている可能性はあります。だったらご容赦くださいということでよろしくお願いします。もっかいつづくとは書いてあるのですがこの調子だとあまり期待はできないかなあ。

今年の10冊

 5冊とか3冊とかに絞ったほうが精選感があっていいのだろうか(笑)。まあ毎年のことですので今年も10冊並べてみたいと思います。例によって著者名50音順で1著者1冊としています。

石浦章一『王家の遺伝子』

王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎 (ブルーバックス)

王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎 (ブルーバックス)

 英国と古代エジプトの王室のDNA解析結果と歴史通説との異同を整理した読み物。ミステリ的な面白さもあり楽しく読みました。

稲葉振一郎『AI時代の労働の哲学』

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

 書評はこちらです。
https://roumuya.hatenablog.com/entry/2019/12/27/144334

江間有沙『AI社会の歩き方』

AI社会の歩き方―人工知能とどう付き合うか (DOJIN選書)

AI社会の歩き方―人工知能とどう付き合うか (DOJIN選書)

 昨年来AIと労働の関係に関心を持ってあれこれ読んでいるのですが、これはとても読みやすくアタマが整理される良書です。

大竹文雄行動経済学の使い方』

行動経済学の使い方 (岩波新書)

行動経済学の使い方 (岩波新書)

 大竹先生の新書は期待にたがわず楽しく読めて勉強になります。
https://roumuya.hatenablog.com/entry/2019/10/08/170319

田中恒行『日経連の賃金政策』

日経連の賃金政策―定期昇給の系譜―

日経連の賃金政策―定期昇給の系譜―

 旧日経連職員の方がまとめられた博士論文を書籍化した本です。決して読みやすい本ではありませんが一気読みしました。まさに大河ドラマのおもむき…少なくとも私にとっては。

鶴光太郎『雇用システムの再構築に向けて』

 鶴先生のRIETIでのプロジェクトの完結版とのこと。
https://roumuya.hatenablog.com/entry/2019/10/09/161711

J.フェファー『ブラック職場があなたを殺す』

ブラック職場があなたを殺す

ブラック職場があなたを殺す

 フェファーの邦訳は3年ぶりかな?訳題は相変わらずですが(笑)これまで同様に従業員重視の経営を訴える本です。

本田一成『三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議』

 近江絹糸人権争議を振り返る本ですが、当時を伝える多くの写真が掲載されていて見ごたえがあります。

H.ロスリングほか『FACTFULNESS』

 フェイク世にはばかるこんにち、事実の大切さを再認識させてくれました。

渡部潤一・岡本典明『138億光年宇宙の旅』

138億光年 宇宙の旅

138億光年 宇宙の旅

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: クレヴィス
  • 発売日: 2018/06/21
  • メディア: 大型本
 この本だけ刊行は昨年なのですが、今年に入って書店で一目ぼれして買いました。眺めているだけで幸せになれます。

 来年もよい本との出会いがありますように。
 本年もお世話になりました。よいお年をどうぞ。

稲葉振一郎『AI時代の労働の哲学』

 『キャリアデザインマガジン』12月号(通巻145号)に寄稿した書評を転載します。内閣府の「人間中心のAI社会原則」は(タイトルどおり)「AIは道具」と断言していますし、最近人工知能学会などが発表した「機械学習と公平性に関する声明」も「機械学習は道具にすぎません」と言い切っているわけですが、しかし現実には「人でも物でもないAI」といったものが登場しないという保証もありません。想像をたくましくすれば、選挙以外の方法で指導者が選ばれている一党独裁国家なんかだと一定以上の国家指導者層が軒並みAIになってもあまり違和感なく世間は動くのではないかなどと妄想しなくもない(本当に人間並みAIができて選挙権を持つようになれば選挙で選んでもそうなるかも?)。
 なお本書では「人でも物でもないAI」を考える補助線として動物倫理学が参照されており、私は動物倫理学については「まあクジラやイルカは人間と同じだと考える人というのは世界にたくさんいるわけでその範囲が動物全体に広がったようなもんか」などと乱暴にも想定していたわけですが、逆の方向に広がって一部の人間はクジラ並みでいいだろうという話にもなりかねないのだとしたらたしかに怖いなあと思いました。
 まあ、まるっきりのこなみかんですが。

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

 なお私はなぜかヘナヘナっと終わるスタイルの書評が好きで、かつて「書評は堂々と終わりなさい」とのご指導もいただいたのですが、まあ好きなものは仕方ないということでご容赦ください(なんのこっちゃ)。

『AI時代の労働の哲学』 稲葉振一郎著 講談社 2019.9.10

 米オックスフォード大学のフレイとオズボーンは、2013年に発表した論文の中で「米国の702職種の雇用のうち47%が、10年~20年でAIに置き換わる」と予想し、わが国でも野村総研が2015年に「日本の労働人口の49%が今後20年以内にAI・ロボットに代替される可能性が高い」との予測を発表した。経済学者の井上智洋氏は将来的に人口の1割しか就労しない「純粋機械化経済」の可能性を指摘している。
 これに対し、OECDが2016年に発表したレポートでは、1人の人の仕事の中に「代替されうる部分」と「代替されにくい部分」とが共存していることに着目して分析し、「代替されうる部分」が仕事の7割を超える人は働く人全体の約1割にとどまることから、今後の新産業創出による新規雇用増も考えあわせれば雇用総量の問題は大きくないと結論付けている。今のところ、AI時代の労働の姿を見通すことはなかなか難しいようだ。とはいえ、これが社会のありように大きな影響を及ぼす可能性を持つ技術であることもまた確からしく思われる。
 この本は、人工知能技術が労働や社会、生活に及ぼすインパクトについて直接考察するのではなく、それを考える際にどのような「知的道具立て」を既に持っているか?を点検する本だという。まず「1」では、スミス、ヘーゲルマルクスらにさかのぼって「労働」の概念が整理される。「2」ではローマ法に源流を求めつつ、近代における雇用と労働、そして産業社会(論)の変遷がまとめられる。続く「3」からは技術と労働に関する論点へと移る。まずは昨今のAI技術と、労働をめぐる議論について概観したあと、産業革命以来「新技術と労働・雇用」という「古くて新しい問題」がどう論じられてきたのか、そして経済と産業社会は実際にどのように変容してきたのかが振り返られる。さらに「4」ではマルクスの「疎外」ををふまえて、産業社会にとどまらない「社会」全体に対して技術革新がどう影響してきたかが確認される。ここまでの暫定的な結論は「これまでも技術革新はわれわれの社会を大きく変化させてきたし、今回の人工知能技術においても、それが便利な道具にとどまるかぎりはこれまでの技術革新と大きく異なるものではない」ということになるようだ。
 「5」では、近代において一般的とされている「人/物の二分法」、人は人間であるゆえに平等な権利を持ち、物は人が使うもの、という二分法を人工知能技術が揺るがしていく可能性について論じられている。自律的に意思を持って動き、感情も有するような人工知能機械が仮に実現したとしたら、それには単なる「物」とは異なる(法的な)権利や義務、責任などが想定されるべきであるかもしれない。そのとき「人/物の二分法」はどうなるのか、動物倫理学のアナロジーなどを通じて議論され、「近代的な「人権」理念はどこまで守り切れるか」「人間社会はふたたび身分制的なものに変化していかざるを得ないのではないか」と懸念が示される。
 最後の「エピローグ」は、しかし「1」から「5」のどれよりも長い。ここでは「AIと資本主義」について「予備的に」論じられる。なるほど、産業革命が本格的な資本主義社会を成立させたことを思えば、人工知能技術がこんにちの資本主義に変化をもたらすことは十分に想定されるだろう。ここでもまた「資本主義とは何か」に立ち返っての議論が展開され、格差拡大などへの懸念は繰り返し表明されている。
 書名は「哲学」となっているが、経済学や法学、社会学などを統合した議論が展開されている。未来像に対する言及もあるし、多くはあまり明るい記述でもないのだが、しかし「懸念」の表明にとどまっていて予測・予想といった踏み込み方はされていないように思える。まことに謙抑的な姿勢が一貫しているように思われ、なるほど「知的道具立て」の概観整理という感を受ける(それが物足りないという読者もいるのだろうが、これはそういう本なのだろう)。AIと労働に関する議論はあちこちで行われており、今後、技術進歩にしたがって好むと好まざるにかかわらずそれに(たとえば政治的に)「巻き込まれる」、参加を余儀なくされることも十分に想定されるだろう。そうしたときに、根拠のはっきりしない将来予測を並べるよりは、本書にまとめられたような過去の歴史、そこから生まれた概念や思想といった「知的道具立て」≒「哲学」(?)で理論武装するほうが有意義ではないだろうか。マルクスが頻繁に参照されていることもあり、多くの読者にとっては決して読みやすい・親しみを覚える本ではないはずだが、しかし読む価値の大きい本ではないかと思う。
 仕事の必要があって(なぜだ)トム・ミッチェルやマックス・テグマークといったAI研究のスーパースターの講演を聴講したことがあるが、私には彼らは自分たちが開発している技術は社会を破壊するものではなく、よりよいものにするために役立つものなのだと楽観的に確信しているように思えた―――おそらくそうなのだろう。産業革命の際に、それで生活のすべを奪われると感じた人たちによる打ちこわし活動が起きたこと、そしてそれが結局無為に終わったことは、こんにちまた繰り返し指摘されている。技術の進歩に逆らうことは最終的にはできないのだ、ということだろう。たしかにそのとおりだろうが、しかし速度をコントロールすることは大切なことのように思える。社会の変化の速度についていけない人々からは、変化への抵抗が起きるだろう。それを通じて速度を調整することは、案外変化の向かう行き先の如何と同じくらいに重要なのではないだろうか。そんなことも考える今日この頃ではある。

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

日経新聞の不満と恫喝

 まあ恫喝はちと失礼でしたかね、といきなり逃げを打つ私(笑)。このところ日経新聞はまたぞろ日本的雇用叩きにご熱心なようで、本日の朝刊では定期的に実施している「社長100人アンケート」の結果を材料にあれこれ書いています。いわく、

 企業経営者の間で年功型賃金を変える意向が高まっている。「社長100人アンケート」で、見直すと回答した企業は72.2%に上った。優秀な若手やデジタル人材など高度な技術を持つ社員を確保するには、旧来の日本型雇用システムでは対応できないとの危機感を持つ経営者が多い。ただ、終身雇用制度は当面維持するとの回答も多く、抜本的な改革にはほど遠い。
 社員の勤続年数や年齢によって賃金が上がる年功序列型の賃金について「抜本的に見直すべきだ」と回答した経営者は27.1%、「一部見直すべきだ」と回答した45.1%を加えると7割を超える。類似の質問をした6月時点の51.3%から大幅に増えた。
(令和元年12月26日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

 「大幅に増えた」ということなのですが、過去の「社長100人アンケート」の結果を見ると2001年1月に実施されたアンケート結果では「年功序列を存続する」との回答はなんと0%(平成13年1月25日付日経産業新聞)。1994年9月実施の調査でも「給与体系を年功序列重視から能力重視に変える動きについては、全体の七割が「能力重視の給与体系に変更しつつあり、今後も一段と推し進める」と答えた。「現在、検討中」や「すでに能力重視型に転換した」という回答も多い。「年功序列型の従来の体系を変えるつもりはない」は二人にとどまった」(平成6年1月25日付日経産業新聞)ということなので、要するに年功制は昔から評判が悪かったというだけの話であって別段なんら目新しい話ではありません。なお6月の51.3%は「賃金カーブの見直しに取り組んでいますか」という質問に対して「すでに見直した」31.9%、「見直す予定」19.4%ということなので(令和元年7月3日付日経産業新聞)、類似といえば類似かもしれませんが比較は難しいでしょう。
 その理由についても

 年功賃金を見直す理由を複数回答で聞いたところ「優秀な若手や高度な技術者などを処遇できない」が76.9%と最多だった。「経営環境の激しい変化に対応できない」(40.4%)、「組織が沈滞化してイノベーションが生まれない」(27.9%)が続く。SOMPOホールディングス桜田謙悟社長は「日本型雇用慣行を打破し、多様な人材を活躍させる必要がある」と指摘する。

 ということであるらしく、日経新聞としては桜田社長を担ぎ出してなんとか「日本型雇用慣行を打破し」たい意向のようですが、しかし日本的雇用を打破しなくても多様な人材は活躍できますよねえ。多様な人材には多様な処遇を準備すればいいだけの話で、記事が実例として紹介しているNECソニーについても一部の人を対象としているだけで長期雇用をすべてやめるつもりはないでしょう。記事はコニカミノルタの山名昌衛社長の「グローバルレベルでの競争がますます激しくなる中、日本型雇用の強みを残しながらも、大きく変革する時期にきている」というコメントも紹介していますが、これも日本型雇用の強みを残しながらですからねえ。
 でまあ日経はこれにいたくご不満であるらしく、

 …終身雇用制度は当面維持するとの回答は63.2%に達した。デジタル人材の初任給も他の人材と差をつけないとの回答が55.6%もある。デジタル人材の賃金を高く設定するとの回答は2.1%にとどまった。年功賃金を見直したいものの、中高年社員の反発は大きく旧来型の制度の抜本的な見直しまでは踏み込めない苦しさもにじむ。

 ということで、まあ終身でもなければ制度でもない長期雇用慣行を相変わらず「終身雇用制度」と書いているのはもう治療の見込みはないのでしょうが、長期雇用慣行はその規模が変化しつつ続いていくのだろうというのは大方の経営者の共通認識だということではないでしょうか。デジタル人材についても、デジタル人材と一言で括ってもその内実は多様なわけなので、初任給で差をつけるのはNECソニーもかなり優れた例外にとどまるのではないかなあ。なお「旧来型の制度の抜本的な見直し」を実施が「これまで約束してきた賃金が支払われません」ということであれば「中高年社員の反発は大きく」なるのも当然で、それでも2000年前後には経営が傾いて背に腹はかえられず「約束は守れません」となりましたというのが成果主義賃金騒ぎの一つの側面だったわけですね。「旧来型の制度の抜本的な見直し」が悪いたあいいませんし中身によっては大いに結構だろうとも思いますが、やるなら新たに入社する人からで、今いる人たちについては調整給などを設けて段階的にやっていく必要があるだろうと思います。
 さらに今朝の日経には「本社コメンテーター 村山恵一」氏の「さらば我が社ファースト しがみつくのはリスク」というオピニオンも掲載されていて、まあこのお方は日経の社内的にはITとスタートアップがご担当ということなのでそのごく限られた範囲内においてはこういう話になるのかなという記事ではあります。ただまあ

 オープンイノベーション、副業、テレワーク。働き方に関わる3大ビジネス潮流は今年、社会の共通認識となり、新旧企業のコラボレーションや時短、柔軟な勤務形態などに結びついたように思う。だが、ほっとしてはいけない。
 新しい市場や事業モデルを創出してこそ会社だ。そういう果実を伴う働き方の変化でなければ改革も道半ばと言わざるを得ない。2020年、働く人は意識と行動の本格的な切り替えを迫られる。特定の会社に身をささげ、じっと居続けるのを第一に考える「我が社ファースト」に別れを告げよう。

 はいはい大学卒業以来日経新聞に「身をささげ、じっと居続ける」方にまず範を垂れていただき、日経から「別れを告げ」てもらいたいものだと思いますがいかがでしょうか(笑)。まあつまらない言いがかりはともかく、スタートアップが好きなIT人材なら格別、一般化するのは無理としたものではないかと思います。一般人にとっては「しがみつく」よりスタートアップのほうがよほどリスクが大きいような気がするのですが違うのかしら。
 あと副業についてもこんなことを書いているのですが、

 パーソルグループによる正社員1万4千人の調査によれば、すでに副業中の人は1割、まだの人も4割が始めたいと考える。副業をテコに大勢が学び出せば、そうでない人との差が開き、採用事情に影響するうねりとなる。

 これはどうなんでしょうかね、日経の論説委員様というのは他のメディアに寄稿したりとか、講演やらなんやらしたりとかで副業の経験はそれなりに豊富なのかなあ。そういう経験をもとに「副業をテコに大勢が学び出せば、そうでない人との差が開き、採用事情に影響するうねりとなる」と言っておられるならそれなりに傾聴はしたいと思いますが、しかし私自身の副業経験からすればご冗談でしょうという感じなんですけどねえ。さらに実態としては正社員といえども副業を始めたい4割の中には相当割合で追加的な所得が目的の人がいるはずで、まあそういう中にも学びはあるだろうと思いますが、それでスタートアップとかいう話にはなかなかならなかろうと思うのですが。
 もちろんスタートアップが増えることは結構なことですしそのための政策的な支援も必要だろうと思います。企業だってそれで有望な新規事業が生まれるなら投資もするでしょう。ただ働く人のすべてに向かって「働く人への圧力が強まる。もっと外に目を向けよ――。あなたは準備ができているか」と恫喝するということであれば(そうでないかもしれませんが)それはご無理としたものでしょうと、まあそういう話です。