未払い賃金請求期間、当面3年に(でもいずれは5年)

 債権法の改正にともなう賃金債権の短期消滅時効の扱いについて、「当面3年」となる方向のようです。日経新聞のウェブサイトから。

 厚生労働省は24日、会社員やパート労働者が企業に未払い賃金を請求できる期間について、現行の2年から当面3年に延長する案を示した。2020年4月の改正民法施行で賃金に関する債権の消滅時効が原則5年となるのに対応し、請求期間を延ばす。
 労使の代表らで構成する労働政策審議会厚労相の諮問機関)の分科会で案を示した。当面は「(人事労務などの)記録の保存期間に合わせて3年間の消滅時効期間とする」とした。20年の通常国会労働基準法改正案を提出し、改正民法の施行と同じ20年4月の実施を目指す。
 分科会では、最終的には請求期間を改正民法と同じ5年にそろえることが原則だとした。労働者保護のため優先して適用される労基法の請求期間が民法より短くなる「ねじれ」の解消に向け、厚労省では検討会を設けて議論を続けていた。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53743150U9A221C1EE8000/

 事実関係としてはどうやら「厚生労働省は」ではなく、労使代表が折り合えないことから公益委員が「見解」として案を示した、ということのようです。改正民法が来年4月に施行されますので、そろそろ決着しなければならない時期なのでしょう。さすがにこの場では決着せず、労使ともに「持ち帰って検討」ということになっているようですがおそらくこれでまとまるでしょう(山勘)。
 さてこの「見解」を見てみますと、賃金債権についてはこう結論づけています。

…そもそも今回の民法一部改正法により短期消滅時効が廃止されたことが労基法上の消滅時効期間等の在り方を検討する契機であり、また、退職後に未払賃金を請求する労働者の権利保護の必要性等も総合的に勘案すると、
・ 賃金請求権の消滅時効期間は、民法一部改正法による使用人の給料を含めた短期消滅時効廃止後の契約上の債権の消滅時効期間とのバランスも踏まえ、5年とする
・ 起算点は、現行の労基法の解釈・運用を踏襲するため、客観的起算点を維持し、これを労基法上明記する
こととすべきである。
https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/000580253.pdf、以下同じ

 報道では「当面3年」ばかりが強調されていますが結論は「5年」だからな。ただ「5年」とカギ括弧付きにしたのは改正民法の5年が主観的起算点から5年なのに対してこちらは客観的起算点から5年になっているからですが、まあ現行の退職金債権の時効と同じなので適切な判断なのではないかと思います(いま裏取りはしていませんので間違いかもしれませんが労働者代表も客観的起算点から5年で容認だった、はず)。
 これに続けて「当面3年」についてこう記述されています。

 ただし、賃金請求権について直ちに長期間の消滅時効期間を定めることは、労使の権利関係を不安定化するおそれがあり、紛争の早期解決・未然防止という賃金請求権の消滅時効が果たす役割への影響等も踏まえて慎重に検討する必要がある。このため、当分の間、現行の労基法第109に規定する記録の保存期間に合わせて3年間の消滅時効期間とすることで、企業の記録保存に係る負担を増加させることなく、未払賃金等に係る一定の労働者保護を図るべきである。

 でまあたぶんそうなっているだろうなと思ってウェブ上をざっと見てみたところ案の定でしたが(笑)、「賃金未払いの使用者が悪いのに配慮するとはなにごとか」みたいなのが多数見つかってうへえとなっております。ただまあこれについては使用者代表が5年に反対していたのは「書類保存などのコスト増」が理由だったわけで、そこで公益委員は「だったらすでに義務化されている3年だったらコスト増になるわけないだろ」と、使用者委員がぐうの音も出ない経過措置を設定したという話なのでみなさん落ち着いてください(いやそんなの方便であって本音は不払いをやりたいんだ絶対そうに決まってるという思い込みを述べられるのもご自由ですが)。「見解」の最後には経過措置は5年となっていて、5年もあるんだから書類保存の体制整備とかきちんとやれよなと、まあそういう話と思われます(まあこれを機に給与計算システムの導入とかアップグレードをはかろうという中小企業への助成とかはやってほしいとも思いますが)。なお記録の保存についても「賃金請求権の消滅時効期間に合わせて原則は5年としつつ、…当分の間は3年」となっていますね。
 ということで経過措置付で退職金債権と同様5年に延長という結論はまずまず妥当ではないかと私は思いますが、実務的にそれ以上に(おそらくははるかに)重要なのが年次有給休暇の時効の取扱いでしょう。これについての「見解」はこうなっています。

…現行の消滅時効期間(2年)を維持すべきである。
年次有給休暇は、労働者の健康確保及び心身の疲労回復等の制度趣旨を踏まえれば、年休権が発生した年の中で確実に取得することが要請されているものであり、仮に消滅時効期間を現行より長くした場合、この制度趣旨にそぐわないこと、また、年次有給休暇の取得率の向上という政策の方向性に逆行するおそれもあること。

 妥当。きわめて妥当と思います。年次有給休暇については民法の短期消滅時効にかかる賃金債権なのか、10年の時効にかかる一般債権なのかという議論はあったようですが、後者の見解がとられたようです(これも妥当と思う)。もちろん年次有給休暇のはずが普通休暇扱いになって賃金が支払われていませんでしたとかいう話であれば賃金債権の5年が適用されるわけですね。
 ということで、私はこの件についてはかなりうまく着地がはかられつつあるという印象なのですが、どうなのでしょうか。まあ不満が残る向きもあるでしょうが、労使関係には交渉ごとの側面もあることなので、譲り合ってほしいと思うのですが…。

「年功・終身」見直し重点

 経団連の2020年版経営労働政策委員会報告の大筋が判明したとのことで、日経新聞が表題の見出しで報じていますな。

…20年の指針では、…雇用体系そのものも議論すべきだとの方向性を打ち出した。
 日本型雇用制度を前提に企業経営を考えることが時代に合わないケースが増えていると指摘。中途採用や通年採用も拡大するほか、職務に応じて賃金に格差をつけたり、成果をより重視した昇給制度を設けたりすることも提起した。
 従来型の雇用とともにあらかじめ職務を明確にする「ジョブ型雇用」も増やすべきだと訴えた。例えば人工知能(AI)システムの開発者といった高度な知識を持つ人材がジョブ型雇用の対象になる。ジョブ型雇用に対して、業務を専門分野に絞って高い給与を払う代わりに、労働時間の規制を外す「高度プロフェッショナル制度」の活用も有益だと指摘した。
…中西氏が23日の記者会見で「当面の課題」として挙げたのがデジタル人材の確保・育成だ。経済産業省などによると、日本のIT(情報技術)人材の平均年収は全産業平均の1.7倍だ。9.2倍のインドや6.8倍の中国に比べて、IT人材の給与への満足度は低い。経団連の指針は「現在の雇用制度のままでは魅力を示せず、海外への人材流出リスクが非常に高まっている」と懸念を示す。
(令和元年12月24日付日本経済新聞朝刊から)

 報告書を見てみないとなんともいえないわけではありますが、たしかに2019年版では新卒一括採用について2ページ弱触れているくらいで長期雇用の見直しとかいった話は出てきていませんでしたので、そのあたりに踏み込んでいるのであればまあ前年にはない話だとはいえるでしょう。とはいえ「中途採用や通年採用も拡大するほか、職務に応じて賃金に格差をつけたり、成果をより重視した昇給制度を設けたりすることも提起」なんてのはすでにさんざん言い古された話なので、まあ目新しい感じはしないな。つかもはやありふれた内容だからわざわざ書きませんという話ではなかったかという気がする。
 「ジョブ型雇用」についてはちょっとこの記事だけでは肝心なところがわからないという感はあって、引用はしていませんが記事では損保会社のアクチュアリーの例が引かれていて、まあそういう「ジョブ型」であればすでに他にもいろいろあるよなとは思う。大概のエンジニアは、たしかに大学での選考分野そのものの仕事になるとは限らないわけですが、しかし採用されて社内である程度の専門分野が固まればそこから離れることはないわけですし、現業部門でプレス工や塗装工として採用配属された人はまあ溶接職場に移動するということはめったにないでしょう。故・大橋勇雄先生が喝破されたように日本のメンバーシップ型雇用の核心は内部昇進制なのであって、実際アクチュアリーだってけっこう内部昇進で課長になったりしているわけですね。経団連が提唱しているらしい「ジョブ型」というのがこの程度のものであれば長期雇用慣行が大きく変わるというほどのものではないですが、大陸欧州などに典型的にみられるジョブ型雇用を拡大せよということになれば、これは内部労働市場でのキャリア形成はなくなるし仕事がなくなれば人員整理という話になるわけなのでかなり大きな見直しという話になります。
 まあ私の山勘ではそこまでは行くまいという感はあり、そもそも経団連にそこまでの指導力があるわけもなく(失礼)、現実にも(記事にもありますが)すでにそこここで始まっているさまざまな動きを事後追認的に記載しているのではないかと思うわけです。まあでもあれかな「「高度プロフェッショナル制度」の活用も有益だと指摘」してもいるらしいので、年収1,000万円を超えるレベルの技術力であれば内部昇進には乗せずに必要なときに必要な技術を活用して必要なくなったら別の企業へ、というのも想定しているのかな。そういう人材は技術の陳腐化を避けるためにも内部昇進制は避けたいと思うかもしれません。
 さて話は変わって「日本のIT(情報技術)人材の平均年収は全産業平均の1.7倍だ。9.2倍のインドや6.8倍の中国に比べて、IT人材の給与への満足度は低い」という件ですが、これの元ネタは経産省みずほ情報総研に委託したこの調査ですね。でまあ容易に想像がつくわけですが元ネタの264ページあたりを見ると日本のIT人材の平均年収の水準そのものは記載の各国の中では米国に次いで2番めに高いわけですよ。米国はたしかに日本の2倍くらいあるわけですがこれは極端に高い人たちが平均を引き上げているのではないかと思う。なるほど満足度とかいったものは相対的な比較にかなり依存しているわけなので他との格差が大きければ上のほうの人たちの満足度は上がるでしょうが、要するにインドやら中国やらは他の労働者の賃金水準が低いから格差が大きくなっているわけで、この理屈だと日本でもIT人材以外の賃金を下げればいいことになりますが本当にやる気かしら(いややる気かも知らんが)。まあこのあたりは中西会長の発言(まだ経団連のウェブサイトに会見録が掲載されていないので実際にどう発言されたのかもわかりませんが)に経産省などのデータをくっつけて日経が作文したのでしょう。経労委報告にも「現在の雇用制度のままでは魅力を示せず、海外への人材流出リスクが非常に高まっている」と書かれているわけですがみずほ情報総研の資料を見るかぎり賃金水準の低い中国やインドに流出するとも思えず(賃金以外の魅力的な要素もありそうにないし)、だとするとライバルは米国であって、まあ特に優れた技術者には刺激的な報酬を提示するとか、まあそんな話かもしれません。それはすでに実例が出てきているわけですし。
 このあたり元ネタの経産省の報告書にも「一部で変化は起こりつつあるものの、依然として終身雇用や年功序列を基本とする我が国の雇用制度や慣行の中で、米国型の人事制度や雇用慣行を取り入れることは現実的には困難な可能性が高い。よって、我が国の産業の魅力を高めるためには、あくまでも我が国の制度を基本とする改革・改善を検討する必要がある。」(報告書265ページ)と書いてあって、具体的には「「エンジニア」という職種を追求できるキャリアパスの実現」つまり管理職にならなくても高い技術力を有するエンジニアが管理職相当の高処遇を得られることが大切だ、と述べているわけですね。
 ただまあ(すでに日経の記事からは離れますが)今の日本企業ってそれなりにそうなっているんじゃないかなあと思うところもあり、社内資格で賃金が決まる専門職制度を採用している企業は多いのではないかと。報告書は続けて「日本のIT企業では、高い技術力を持っていてもそれを発揮する場がなく、それゆえその技術力に見合った処遇も受けられないという積年の課題に対して、今後、ぜひとも改革が望まれる状況にある」(同)と指摘しているわけですがまさにそのとおりで、「高い技術を持っていてもそれを発揮する場がない」ことこそが問題なのでしょう。これは別に管理職ポストがふさがっているから管理職になれませんという話だけではなく、高度な技術を求められる仕事がふさがっているから高い技術力を発揮できませんという話もあちこちで起きているのではないかと思います。要するに「不足=高度」かというとそうでもなく、データの専門家、サイバーの専門家というのはたしかに不足しているのでしょうが、しかしこれらの分野でも供給が増えてくれば同じように仕事詰まり、仕事不足は起きてくるのかもしれません。実際、分野によるでしょうが学会の賞を得るようなきわめて高度な研究力を有する博士が安定的な研究職に就けないということも起きているわけで。
 ただまあ中西氏に関しては、日立製作所日立グループ現業部門ではかなりの程度派遣や請負の活用が進んでいる一方で、もはや全国的にも珍しくなった中卒の養成工育成も依然として行っており、事業所の地元の工業高校からの正社員採用もされていて、中核人材は内部育成、それ以外(大勢?)はジョブ型の外部調達(技能実習制度でやり過ぎて改善勧告を喰らったりもしているようですが)という人材戦略を推進しているように見える(これは単に見えるというだけのことなので大間違いである可能性はあります)ので、現業部門以外もそうすればいいじゃんと思っている可能性はあるのかもしれません、と邪推に邪推を重ねる私。これはさすがに日立の労組が黙っていないと思いますが、逆にいえば労組がいいというのであればおやりになればいいといういつもの話ではありますが…。
 さて最後はかなり脱線しましたが最初にも書いたとおり報告書そのものを読んでみないとという話ではありますので、まあ例年どおり年明けには公表されるでしょうから例によって読んでみたいと思います。

(独)労働政策研究・研修機構編『データブック国際労働比較2019』

 JILPT様より、同機構編『データブック国際労働比較2019』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

データブック国際労働比較 2019

データブック国際労働比較 2019

 毎年改訂されている資料集で、たいへん便利な一冊です。本ブログでもたびたび引用させていただいており、某シンクタンクでの報告書作成にも活用させていただいております。ぜひとも継続的な発行をお願いしたいと思います。

勝田吉彰『「途上国」進出の処方箋』

 経団連事業サービスの讃井暢子さんから、経団連出版の最新刊、勝田吉彰『「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス感染症対策』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策

「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策

  • 作者:勝田吉彰
  • 出版社/メーカー: 経団連出版
  • 発売日: 2020/01/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 著者は元外務省の医官で、副題のとおり「途上国」における医療・衛生面の知識と留意点が中心ですが、生活安全や現地人とのコミュニケーションなどについても目配りされています。最近はミャンマーで8年間滞在研究をされたとのことで、それをはじめとした実体験にもとづくエピソードの数々はまことに興味深く説得力があります。

佐藤博樹・藤村博之・八代充史『新しい人事労務管理第6版』

 佐藤博樹先生、藤村博之先生、八代充史先生から、定評あるテキスト『新しい人事労務管理』第6版をご恵投いただきました。ありがとうございます。

新しい人事労務管理 第6版 (有斐閣アルマ > Specialized)

新しい人事労務管理 第6版 (有斐閣アルマ > Specialized)

 第5版以降の環境変化の補筆が中心で、特にコラムは(一部本文からコラム化されたものを除いて)全面的に今日的なものに差し替えられるとともに数も増えています。他にもテレワークに関する項が新たに設けられたり、「65歳現役社会」が「生涯現役社会」に変わったり、章末の演習問題や参考文献などに追加が行われるなどしています。なお内容が増えているのにページ数がさほど増えていないのは微妙に行間が狭くなって1ページあたりの文字数が増えているからのようです。今後も適宜の改訂を重ねてつねに『新しい人事労務管理』であり続けることを期待したいと思います。

日本労働研究雑誌12月号

 (独)労働政策研究・研修機構様から、『日本労働研究雑誌』12月号(通巻713号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

日本労働研究雑誌 2019年 12 月号 [雑誌]

日本労働研究雑誌 2019年 12 月号 [雑誌]

 今号の特集は「アクティベーション政策の動向と実態」で、スウェーデンデンマーク、ドイツ、イギリスの海外事例を中心とした構成になっています。残念ながら端的にまとめてしまうと(端的すぎると怒られそうですが)要するにあまりうまくいっていないということのようで、このところアクティベーションという言葉もあまり聞かなくなったのはそのあたりも影響しているのかなと思わなくもありません。

ビジネスガイド1月号

 (株)日本法令様から、『ビジネスガイド』2020年1月号(通巻880号)をお送りいただきました。ありがとうございます。

ビジネスガイド 2020年 01 月号 [雑誌]

ビジネスガイド 2020年 01 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本法令
  • 発売日: 2019/12/10
  • メディア: 雑誌
 今号の特集は「年金改革と企業の人事政策」と「派遣労働者同一労働同一賃金」で、年金改革については結局記事の想定からはかなり後退した内容になりそうですが、まあこれで終わりということでもないでしょうから先々の心構えも含めて実務担当者には有用な内容でしょう。後者については今回の「働き方改革」の中でも面倒中の厄介な案件で、この煩雑な内容を見るにつけ本当にしなくていい苦労をさせられているよなと同情を禁じえません。その他役立ちそうな実務知識がいろいろ掲載されていますが、私にはマグロ漁船の話がなかなか面白かった。