安藤至大先生の同一労働同一賃金解説

先週金曜日の日経新聞「経済教室」に、日大の安藤至大先生の論考が掲載されました。お題は「賃金格差を考える(上)「同一賃金」比較対象難しく 職務給に限定が妥当」となっており、(上)というからには少なくとも(下)はあるだろうということで今日の朝刊を楽しみにしていたところ休刊日だった件(笑)。
さて与太話はさておき内容はお題にあるとおり同一労働同一賃金に関するもので、これをこんにちのわが国の労働市場にあてはめた場合にどう考えればいいのか、きわめて適切かつコンパクトな解説になっていて非常に有益ですので、ぜひご一読をお勧めしたいと思います。
以下ポイントをご紹介していきますが、省略でわかりにくくなっている部分がありますので、ぜひオリジナルをご確認ください。

…「同一の仕事」をしている労働者間で賃金(労働力の価格)の違いがあるとすれば、理由はいくつか考えられる。
 まず「同一の仕事」をしているようにみえて、実は同一ではないという場合が考えられる。正社員と同じ仕事をしているのに賃金が安いパートタイム労働者がいたとする。だが表面的には同じようにみえても、正社員には配置転換による仕事内容の変更や転居を伴う勤務地域の変更、残業やトラブル対応のための急な呼び出しの可能性があるとしたら、同じ仕事とはいえない。
 次に同じ仕事でも賃金の決まり方に違いがある場合も考えられる。長期雇用労働者の場合、…雇用期間全体では貢献度に見合った賃金を受け取ることになるが、各時点では貢献度と賃金にずれが生じる。
 一方、パートタイム労働者の仕事は、労働市場での需給により賃金が決まることが多い。…賃金に違いが生じるのは避けられない。
 また同一の労働でも経緯が異なる可能性がある。例えば人手不足の時期に「時給2000円以上を2年間保証するからうちで働いてほしい」といわれた労働者と、通常期に時給1500円で雇用された労働者では、ある時点で受け取る賃金に差異が生じうる。
平成28年4月8日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160408&ng=DGKKZO99391960X00C16A4KE8000
↑すみませんたぶん有料です。

長期的な能力向上・キャリア形成が予定された正社員と基本的に同一業務を長期間継続するパートタイマーについて「表面的には同じようにみえても…同じ仕事とはいえない」と断言されているのはまことに心強いところです。加えて、そうした事情がなくても、労働条件が団体交渉など社内労働市場で決まる無期雇用と外部労働市場の需給で決まる有期雇用で賃金が異なること、さらに外部労働市場の需給状況に応じて賃金が異なることなどについても「賃金に違いが生じるのは避けられない」「賃金に差異が生じうる」と述べられ、つまりこれらによる賃金の差は合理的なものと考えるべきとのご所論と思われます。
続けて不合理な格差が存在する可能性については、

…不合理な格差をなくす手段として、同一労働同一賃金は検討に値すると考えられる。
 ただし同一労働同一賃金という言葉は多義的であり、どのような意味で用いているのかは注意する必要がある。
 例えば、同じ仕事をするAとBが、それぞれ企業X社とY社で働いていたとする。…日本では企業規模や業績により待遇に違いがあることも多い。同じ仕事をしていたらどのような企業でも同一賃金にするというのは困難だ。
 よってより現実的なのは、企業間では違っていてもよいが、同じ企業内で働く労働者であれば、雇用形態の違いに関係なく同一の賃金とするという考え方だ。

ということで、企業横断的な同一労働同一賃金を考えるのではなく、考えるとしても企業内にとどめるべきと主張されています。これまた、繰り返しご紹介しているように労働規制改革のアイコンとして活躍しておられる八代尚宏先生なども同一のご見解であり、妥当な指摘といえましょう。
さらに、同一企業内であれば雇用形態の異なるすべての労働者について適用できるかという論点をあげられ、以下のように述べておられます。

 それでは実際に、雇用形態の異なる労働者に同一賃金を適用できるだろうか。

 同一労働同一賃金が一般的な欧州では、仕事内容が契約で明確にされる職務給が前提となる。…10段階で3の技能を求められる時給1500円の仕事に、より高い8の技能を持つ労働者が就いたとしても、支払われる賃金はその仕事の時給である1500円だ。こうした状況では、同じ仕事に同じ賃金を設定するのは適正なことだ。
 これに対して、日本では職能給を採用する企業が多い。職能給とは、労働者に対して賃金が設定され、その人に仕事を張り付けることを意味する。…
 例えば正規労働者は配置転換の対象となることが多い。労働者が自分の適性を知り、社内で適職を見つけるという観点からも有益だし、会社の仕事を広く知り管理職になるためにも必要だろう。こうした利点を考えると、職能給は選択肢として維持すべきだ。
 そして職能給の労働者と職務給の労働者を比較するのは難しいため、同一賃金を議論するのは職務給で働く労働者間に限定する必要がある。

ここでも安藤先生のご所論はきわめて明確で、職務給の労働者と職能給の労働者を比較して同一労働同一賃金を論じるのは難しく、職能給で働く労働者間に限定すべきとの結論を示されています。これはこのブログでも繰り返し書いているように、実務家の「違うものは違う」という実務実感にもきわめてよく一致するものです。
ここからは安藤先生のご所論からはやや脱線しますが、いっぽうで、職務給に限らず、職能給で働く労働者間においても同一労働同一賃金の議論は可能ではないか、と考える人はいるかもしれません。もちろん、前段部分で安藤先生が指摘されたとおり、短期的な比較は意味がありませんから、雇用期間全体を通じた同一労働同一賃金というか、同一価値労働同一賃金といったほうがまだしも近いかもしれませんが、それを考えることはできそうではあります。
やはり前段部分で、安藤先生は長期雇用の労働者について「雇用期間全体では貢献度に見合った賃金を受け取ることになる」と述べておられ、現実にも雇用期間全体でみれば個別の労働者の受け取る賃金にはかなりの格差が発生しています。とはいえ、それが貢献度の格差を直接に反映しているかといえば、必ずしもそうとはいえない実情もあるように思われ、必ずしも同一価値労働同一賃金とはなっていないのではないか、という可能性は否定できません。ここでも繰り返し書いていますが、現実の賃金制度では互助的なしくみ、一種の保険機能が組み込まれていて、そこまでの格差はつけないのがおそらくは一般的と思われるからです。その場合、現実には、長期雇用労働者の集団として貢献度と賃金が見合っているというさらに緩やかな対応関係になっているのではないかと思われます。
ただそれは、長期間には避けがたい「運・不運」といったものを考慮して、あまり大きな格差をつけない、とりわけ賃金を下げない制度にしたほうが、安心して新しい仕事や難しい仕事にチャレンジすることができ、結果として全体の生産性を高めるだろうという考え方を労使が採用してきた結果でしょう。そもそも繰り返し書いているとおり、どのような労働条件設定にすれば従業員がそれなりに納得し、最も意欲高く働けるのか、というのは企業経営上も労使関係上も最重要なテーマの一つであり、労使が営々として努力を積み重ねてきたところだろうと思います。そうした経緯のうえで、この貢献度の違いに対してこれだけの賃金格差、という制度に労使が納得しているのであれば、それが結局は同一価値労働同一賃金なのだ、と考えるしかないように私には思われます。
さて安藤先生の「経済教室」に戻りますと、

 一見同じ仕事をしている労働者間で労働条件に差異があるときに、なぜそうした違いがあるのかをきちんと説明し理解を得ることは重要だ。しかし合理性を明確に説明できないものはすべて法律違反とするのは乱暴であり、過度に紛争を引き起こしかねない。その意味で不合理な扱いのガイドライン(指針)を示すという現在の議論の方向性は、より現実的と考えられる。
 ガイドラインの内容をどうすべきか…同一労働同一賃金を議論する際には、誰との比較で同一を議論するかという難しい課題が存在する。誰がみても不合理なものから検討し、徐々にガイドライン化を進めていくのが望ましい。

ここは派遣労働を例に図表も使いながらその難しさをわかりやすく解説しておられるのですがそこは略しました。若干違和感があるのは、ここまで同一労働同一賃金の話、つまりどちらかといえば均等処遇の話をしてきたのに、ここでは均衡待遇の話になっている点で、まあ現行法が均衡待遇を求めているからそれに従ったということだろうとは思いますが、理屈としてはここも均等で通したほうがあっているようにも思います。もちろん、現実論としては均等・同一労働同一賃金に妙にこだわるのではなく、均衡・バランスのとれた待遇をめざすのが望ましいし効果的だとも思いますので、そういう意味でも均衡を重視するという考え方を示されたのかもしれません。
ここでまたしても脱線しますが、ここからもうひとつ読み取るべきは短時間労働者や有期契約労働者に較べて派遣労働者は難しいということ、つまり(以前水町勇一郎先生のご意見をご紹介しましたが)短時間や有期でできたからといって派遣や委託でもできるという考え方は安易だということだろうと思います。
さて安藤先生のご所論に戻って、いずれにしても「誰との比較で」なにをもって同一とするか、というのが大難問であるのはご指摘のとおりであり、これについて「誰がみても不合理なものから」徐々にガイドライン化していくべきとのご指摘もきわめて妥当なもののように思われます。
これはおそらく、安藤先生は書いておられないことなので私の推測ではありますが、結局は同一労働同一賃金を唱道しても非正規雇用労働者の処遇改善の効果は限定的だということなのではないかと思います。この理屈で無理に非正規雇用の賃金を上げようとしても「過度に紛争を引き起こし」混乱を招くばかりではないか、ということなのでしょう。
実際、最後に安藤先生はこう書かれています。

 非正規の待遇向上は重要だが、それには同一労働同一賃金が最も有効とは限らない。所得を稼ぐ能力を向上させるための取り組みも重要だ。
 また非正規労働者が求めているのは目先の賃金の向上だけではない。安定した雇用形態への移行なども関心事だ。拙速にならないように丁寧な議論を進めるべきである。

まさにご指摘のとおりでしょう。「所得を稼ぐ能力を向上させるための取り組み『も』重要」と書いておられますが、そちらのほうがはるかに重要だろうと思います。正社員への移行も、多くの場合雇用の安定だけでなく賃金等の改善もともなうことが多いですし、逆にいえば賃金等の改善は限定的でも無期契約に移行しやすい限定正社員といったものも普及させていく必要があるかもしれません(それには雇用保障との関係を、といった話は省略)。加えて、配偶者が生計費を稼得しているなどの事情で、特に能力向上も正社員登用も望まない非正規労働者についても賃金の向上をはかりたいのであれば、最低賃金の引き上げが有力な手法ではないかと思います。そうした労働者は最低賃金近傍で就労している可能性が高く、直接的に恩恵を受けやすいうえ、現状需給が逼迫して市場価格が上がっているので、企業サイドも最賃引き上げを比較的受け入れやすいのではないかと思うからです。