非正規に昇給制度

昨日の続きのような展開になりますが、翌日の9日にはこんな話も報じられたわけです。読売新聞から。

 自民党は8日、正規・非正規の雇用形態の違いだけを理由とした賃金格差をなくす「同一労働同一賃金」の実現に向け、政府に提出する中間提言案をまとめた。日本では非正規労働者の賃金は正社員の5割強にとどまるが、待遇改善によって、「欧州諸国に遜色ない水準」である7〜9割への引き上げを目指すことを掲げた。
 公明党も同趣旨の提言をまとめる方針で、政府は両党の提言を参考に、5月末に策定する「ニッポン1億総活躍プラン」に明記する方針だ。
 自民党の中間提言案では、政府がとるべき対応として、〈1〉正規・非正規を同じ賃金とする具体事例などを示したガイドライン(指針)の作成〈2〉非正規の待遇改善に向けた包括的な法整備〈3〉最低賃金を全国平均で時給1000円に引き上げ――を列挙した。
 企業は指針や法整備に沿って非正規の待遇を改善することになる。中間提言案は企業に対して、通勤手当などの職務内容と関係がない手当などは正規・非正規で共通にするよう求めた。非正規でも昇給制度が普及するように、企業が従業員に賃金や昇給の仕組みについて説明するべきだとも指摘した。非正規の賃上げを求めた中間提言案だが、正社員の賃金は引き下げないことを前提としている。企業にとっては総人件費が増える可能性が高く、経済界には、研究開発や設備投資に回す資金が減少し、国際競争力が低下すると不安視する声がある。
 政府は夏の参院選後、有識者検討会によるガイドライン策定や、労働政策審議会厚生労働相の諮問機関)での法整備の議論などで、経済界や労働組合の意見を聞きながら、2017年以降に制度を具体化する方針だ。経済界などが強く反発すれば、中間提言案から大幅に内容が後退する可能性もある。
平成28年4月9日付読売新聞朝刊から)

こうしてみると、建前は依然として「「同一労働同一賃金」の実現に向け」と勇ましいわけですが、中身をみると「正規・非正規を同じ賃金とする具体事例などを示したガイドライン(指針)の作成」が非正規の待遇改善に向けた取り組みの一項目として後退していて、代わって「非正規の待遇改善に向けた包括的な法整備」「最低賃金を全国平均で時給1000円に引き上げ」が大きな顔をするようになったようです。そして、記事から想像するに、「包括的な法整備」の中には「通勤手当などの職務内容と関係がない手当などは正規・非正規で共通」「非正規でも昇給制度」「正社員の賃金は引き下げない」といった話が入ってくるということでしょうか。まあ法律にするにはなじまない話も多そうな気はしますが…。
背景を想像するに、自民党のウェブサイトをみると、3月29日に開催された自民党の日本経済再生本部の会合でこの問題が取り上げられていて、厚生労働省内閣官房および中央の佐藤博樹先生が同一労働同一賃金について報告されたようです(https://www.jimin.jp/activity/conference/weekly.htmlから該当週にさかのぼって見ることができます。現在はhttps://www.jimin.jp/activity/conference/weekly.html?wk=-2)。この場で佐藤先生がおそらく上記安藤先生の経済教室と同様な内容のお話をされたであろうことが十二分に想定されるわけで、自民党としてもどうやら同一労働同一賃金は筋が悪いぞということでやや後退気味になったのでしょうか。そして、聞くところによると(ウワサ話の域を出ないので間違いであればご容赦)厚生労働省からは「日本の格差が大きいのは非正規に昇給制度がないから」という説明があったらしく、それが「非正規にも昇給制度」という話につながったというのはいかにもありそうな話です。そういえば以前ご紹介したように(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20160209#p1厚生労働省としても期間比例原則の導入を視野に入れているらしき報道もありました。
さて期間比例原則については上記エントリで書きましたので今回は省略させていただくとして(最低賃金の話も今回はパス)、「通勤手当などの職務内容と関係がない手当などは正規・非正規で共通」について少し考えてみたいと思います。これだけではどこまでが射程に入ってくるのかが不明ではありますが、とりあえず賞与はさすがに職務内容と関係があるでしょうから、以前心配したような(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20160402#p1)大きな混乱は避けられるかもしれません。
とはいえ見た目ほど簡単な話でもなさそうで、たとえばここで例示されている通勤手当にしても、都市部、特に相対的に鉄道運賃の高い近畿圏や中京圏ではけっこうな金額になります。たとえば神戸市の西神ニュータウンから大阪都心の心斎橋まで通勤していますという人がいるのではないかと思いますが、その片道運賃は鉄道だけで神戸市地下鉄400円+阪急320円+大阪市地下鉄240円=960円であり、ニュータウン内でバスに乗ればさらに210円が追加されます。時給900円・週4日・1日6時間の非正規労働者に1日2000円前後の通勤手当を支払う(週4日だと定期券でも安上がりにならないことが多いと思われる)というのも企業からみればかなりの負担増になるため、現実には非正規雇用労働者は通勤費の安い近場からしか採用せず、不足分は正社員が残業で対応する、という対応になりかねません。まあそれでも1日500円とかの通勤費が支給されれるようになればその非正規労働者にとっては福音ではあるでしょうが、しかしその一方で最賃を1000円まで上げるといわれるとつらい企業もかなりありそうです。なおこれについては通勤手当を廃止するという対応をとる企業が出てくる可能性もありまず。たしかに住宅不足が深刻だった時代に較べれば企業が遠距離通勤を支援する理由も薄れてきており、現在ではまあ勤務地の変更や転勤などで労働者の意図ではなく通勤費が上昇した場合には企業が負担すべきだろうというくらいの意味しかないと思われますので、この際そうした場合を特例とするにとどめて通勤手当を廃止し、その原資をもっと有効に活用する(それこそ従業員の子育て支援とか)ことを考える労使が出てくるきっかけになるかもしれません。
さらに射程を延ばすと社宅(や独身寮、住宅手当といった住宅関連の福利)はどうなのかということにもなりそうで、通勤手当が職務内容に関係ないなら社宅だって関係ないだろうという話もあるかもしれません。社宅もかつては住宅不足対策の側面があったでしょうが現在では広域採用対策と転勤対策であり(まあ中には営業所長の社宅が営業所の敷地内にあるとか、仕事上必要だからここに住んでくださいという本来の意味での社宅もあってこれは職務内容に大いに関係するわけですが)、転勤のほうは一応職務内容に関係があるとしても、事業場は1カ所だけで転勤はないけれど全国採用しているので社宅はありますという企業では非正規雇用にも社宅を提供すべきだということになるのでしょうか。さすがにそこまでコストをかけられる企業というのもあまりなさそうで、現実的にはやはりエリア限定での募集・採用ということになるのでしょう。かつては同様に女性一般職は自宅通勤しか採用しないという企業が当たり前にありました。これはもちろん均等法ができたことで違法・禁止となりました(しかし厚労省の「男女均等な採用選考」に関する現役のパンフレットにまだ違法事例として掲載されているくらいですから、一部にはまだ残っているのかもしれません)が、正社員は全国採用・非正規はエリア限定採用というのは、さすがに問題視するまでのことはないように思われます。それでもなお、自宅通勤できますということで入社した非正規労働者が転居して通勤できなくなったので社宅の利用を希望している、といったケースはなかなか判断の難しい問題になりそうです。ということでこれについてもこの際新入社員寮と転勤者用社宅を除いて社宅を廃止するか、という対応も出てくるかもしれません。
そのほかに想定されるものとしては食堂や更衣室といった施設の利用、慶弔休暇や慶弔手当などがありそうですがこれらも一筋縄ではいきそうになく、たとえば慶弔手当などについては一般社員と幹部とで差をつけているという企業も多いのではないかと思います。これは業務や業績に対する貢献度の違いを反映させているわけで、こうした企業で、非正規社員の慶弔手当を一般社員より低額にするというのは認められるのでしょうか。あるいは、労働時間比例で減額するというのは認められるのでしょうか。慶弔手当の性格からして労働時間比例の減額というのはなじまないようにも思えますが…。ところで慶弔手当といえば女性だけ結婚祝金を支給するという企業は、さすがにもうないのかな。均等法以前にはざらにあった、というか退職する場合に限って支給するとかいうのも珍しくはなかったわけですが…。
食堂についても、たとえば食費の一部を企業が負担している場合に正社員と非正規を別料金にできるか、といった問題は考えられますし、非正規が利用できるようにするためには設備投資をして食堂のキャパシティを上げなければならないという場合には、まあ費用の一部を国が助成するといった措置も必要になるでしょう。つかやはり設備投資しなけりゃいけないくらいなら食堂やーめたということになる企業も出てきそうな。更衣室は出退勤時間をずらしたり譲り合って使えばそれほど問題にはならないような気はしますが…。
ということで、ことはそれほど容易ではないぞという感があり、実務家のみなさんは十分に心構えをしておいたほうがいいと思います(突然他人事モード)。というか、極力混乱を招かないように、政省令レベルの細かい話までしっかり詰めていく必要があるのではないかと思いますし、非正規社員を含む各企業の個別労使が現場の実情に応じて調整できるしくみも必要ではないかと思います。
それにしても、事がこうも複雑なのは、結局のところ福利厚生などのフリンジベネフィットを含めて日本の正社員の労働条件はまことに勤労者家庭の生活保障に配慮しているからだ、ということになるのでしょう。ある意味労使関係や労働市場、人事管理の根幹にかかわってくる部分もあるので、なるほど簡単にいかないのも当然なのかもしれません。