東洋経済のL型大学特集

思い返してみるに私は大学で簿記・会計を学びました(ちなみに経済学部)。そもそも会計は選択必修科目でしたし(別の科目だったかもしれませんが)繰延資産とか後入先出法とか勉強した覚えがあります。試験問題は貸借対照表の意義と解説だったなあ。なるほどこれはもちろん今にいたるまで役に立っていますよ?
というのも職場の回覧で週刊東洋経済の最近号が回ってきて、表紙にどーんと大きくピケティ(ポートレート付)と主張していたのでどれどれと手に取ってみたところその前に出てきた「巻頭特集 G型・L型大学論争の深層」の方を読みふけってしまったのでありました(笑)。城繁幸氏もご登場になっていることもこれあり(笑)以下感想をまじえつつご紹介したいと思います。ちょっとだけですがhamachan先生のお名前もみえますね。
さて記事ですが最初に冨山和彦氏が提唱したG型・L型大学論の紹介とそれをめぐる議論のまとめがあります。これに関しては私もエントリを立てて意見を書いていますのでご参照ください(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141031#p1)。
、続いて現政権の職業大学構想が紹介され、さらにはなんと1969年の日経連『能力主義管理』まで担ぎ出してきて日本の人事管理の変化が概観されています(ここの記述は特集に「深層」とうたっているわりにはきわめて表層的で問題含みですが後でまとめて書きます)。そして続けてこうした実態が書かれています。

…奇妙なことに有識者会議では、大学の教育をいかに改革するかについてはほとんど議論されていない。驚くべきことに、世間でこれだけ物議を醸したGL案すらほとんど議論の俎上に載っていない。
 実はこの有識者会議の主役は、専門学校なのである。専門学校は大学と同様、高等教育機関の一つと位置づけられている。進学先としてかつてほどの人気はないとはいえ、現在でも同世代の2割弱が進む教育機関だ。だが現実は、国からの助成金が得られない、卒業者に与えられる学位は専門士であり学士のような国際的な互換性がない、といった違いがあり、専門学校業界はこの格差を長く問題視してきた。
 有識者会議では専門学校側の委員が活発に発言し、議論を主導している。その目指すところは、一部の有力な専門学校に大学並みの待遇を与え「職業大学」とすることだ。
(「週刊東洋経済」2015年1月31日号から、以下同じ)

そういえば私の身近でも、もうだいぶ前になりますが愛知医療学院(専門学校)が愛知医療短大になったという例がありました。なるほど今現在の実態として職業教育のノウハウを蓄積しているのは専門学校であり、手っ取り早く職業大学をつくり・増やしたいのであれば専門学校を大学に「格上げ」するのが政府・専門学校双方の利益にかなうでしょう。まあ対象となる専門学校の選定は課題になるでしょうが、これはこれで進めてほしいと思います。
さて記事はこのあと「そもそも安倍政権と文科省側が意図するのも専門学校の格上げとみられ、議論は出来レース的な展開」と評し、専門学校支援の重要性は認めつつも「この方向だけで議論が進んでしまうと、専門学校生よりはるかに頭数の多い大学生を取り巻く状況はまったく改善されない」と批判し、「GL案は…「雇用市場が変化した中、大学は実学に取り組むべきか否か」というアジェンダを真正面から提起しているのは確かだ。日本の社会はこの問題提起を受け止め、大学における職業教育について国民的な議論を始める時期を迎えているのではないか」と主張しています。まあ確かに専門学校の格上げなどで大学が増えれば財務省から増やした分どこかで減らしてくれるんでしょうねという話にはなるでしょうし(いや大学以外の部分で減らしてもいいわけですがそうもならないでしょう)。
ただこのあとはインタビュー記事が続いているだけで、特集として「かくあるべし」といった確たる結論まではないようです。もちろん根拠もなく結論を断定するよりは多様な意見を紹介したほうが読者にとっても有益と思われ、これはこれで立派な態度でしょう。
さてインタビューは下村文科相をはじめとして6人の方が登場しておられ、下村大臣についてはまあ政府の公式見解という趣ですが、その他の方々はそれぞれに興味深い見解を表明しておられます。まずは順序は最後になりますが、この話の火付け人である冨山和彦氏のインタビューを見てみたいと思います。

 ――提案に対して賛否両論が渦を巻いています。

 反論の中でいちばん多かったのは、「教員に実学を教えさせるのは、アカデミズムに対する冒涜だ」という大学教員の意見です。でも逆にこの意見こそが、実学の世界で生きていく市井の人たちに対する冒涜ですよ。

へええええ。「教員に実学を教えさせるのは、アカデミズムに対する冒涜だ」なんて言っている大学教員が本当にいるのかね。とりあえず「アカデミズムに対する冒涜」でぐぐってみたところ相当深く潜ってもこの記事とその引用しかひっかかりませんし、日経テレコン21が収録している全媒体を対象に過去半年さかのぼって検索してみても東洋経済のこの記事しか出てこないんですが。ちなみに「教員に実学を教えさせる」とか「実学 アカデミズム 冒涜」とかもやってみましたがやはり同じ結果でした。いちばん多かったとかいうからにはそれなりの人数いるんでしょうし大学教員ならそれなりの発信力は持っているはずですし、それこそビジネス誌が特集出すくらいの時間は経っているわけなのでここまで何もないというのはちょっと考えられないと思うのですが、まさかわら人形を叩いているわけじゃないですよね。

 そもそもの問題は日本の大学教育が、平均的な学歴で社会に出ていく大多数の人たちにとって役に立たないという現実です。僕は地方のバス会社など中小企業を経営し、4000人を雇っているからわかる。中小企業で働く人の現実と、大学が教える内容はまったく合っていない。日本の大学教育は、丸の内にオフィスがある大企業で働くような偏差値的エリートだけを想定しています。
 しかし日本経済は今や中小企業が主役です。大企業で働く人の比率は過去20年間減少し、今や10%台しかない。圧倒的多数の人は中小企業で働いているのです。そして中小企業は雇用の流動性が高いのが特徴です。かつてのように、いわゆる一般教養を大学で学んで会社に入り終身雇用で勤め上げるという人は、今の若い世代では極めて少数です。そして今後も増えません。
 この前提で、どうしたら大多数の働く人の地位を安定させられるかを真剣に考えなければなりません。労働市場側では同一労働同一賃金を徹底し、最低賃金を引き上げることが必要です。労働監督も厳しくしたほうがいい。これらと同じように不可欠なのが、企業を超えて普遍的に有用な専門技能を学ぶ場です。労働市場の問題と同様、教育についても本音で議論しなくてはダメですよ。

それで法学部で大型二種免許とかいう話になるわけですか、なるほど。たしかに大学1年生で一種を取ると4年生で二種の受験資格ができるから話は合っているな(笑)。ということは自動車教習所も職業大学になって指導員は大学教授ということかな(冗談)。余談はさておき自動車教習所の教習指導員というのは国家資格ですが専門学校などの養成課程はなく、すべて教習所でのOJTで養成されているそうです。なぜかはよくわかりませんが専門学校が成り立つほどの需要はないということでしょうか。これはこれで有資格者が過剰にならないいいシステムともいえそうです。
余談ついでに中小企業については、就労者数で7割付加価値で5割というのがよく見る数字で(企業数は≒100%)、したがって大企業は3割ということになるわけですが、まあ10%台という数字もあるのかな。
さらに余談を書くと「労働監督も厳しくしたほうがいい」には一瞬ぎょっとしました。労働者がさぼらないように管理監督者が厳しく監督するのかと思ってしまったわけですが、これは当然「労働基準監督」ですね。
さて本筋ですが中小企業で働く労働者の方が多数だとか中小企業は流動性が高いとかいうのはおそらくそのとおりと思いますし、以前も経済同友会の提言について書いたとおり(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141130#p1)興味深い視点だと思います。「この前提で、どうしたら大多数の働く人の地位を安定させられるかを真剣に考えなければなりません」もそのとおりだろうと思います。ただ「同一労働同一賃金を徹底し、最低賃金を引き上げる」と「大多数の働く人の地位を安定させられる」というロジックはわかりにくいものがありますが、まああれかな、同一労働同一賃金、バスの運転手さんはどのバス会社で働いても同じ賃金ですよという話になれば一応(賃金が変動しない=安定するという意味で)「地位を安定させる」ということにはなるのかな。これは本当に流動的ならすでに相当程度そうなっているだろうという気もしますが(実際にどうかは知らない)。最低賃金についてもそれ以上賃金が下がることはないという意味では「地位を安定させる」ということになるでしょうが賃金がゼロになる(失業する)リスクとの関係は留意が必要だと思います。
「企業を超えて普遍的に有用な専門技能を学ぶ場」が不可欠だというのはまったくそのとおりですが(いや同じようにどころかはるかに不可欠だと思いますが)、たぶん最善の手段は企業での実務経験でしょう。企業で得られる能力の相当程度は普遍的に通用するわけです。でまあ日本企業ではそれ以外の企業特殊的な技能にも賃金を支払っているので転職するとその分賃金が下がりがちなのではないかという話もたびたび書いているとおりです。
さて中小企業で働く大多数の人に関する話はここで終わりで、あとは専門学校の話で文化服飾学院がファッション界の東大だとか、大学改革はアカデミズムとプロフェッショナルの「二山構造」にすべきであってたとえばスタンフォードではとか、まあノーベル賞の話は行きがかり上でしょうが実学の学び直しでMBAの1年コースとか、労働市場の上澄みの話がずらずらと続いていて大学での職業教育の話のはずなのに何が言いたいんだこの人という感じです。ここは編集にもう少しがんばってほしかったなあ。
ということでここは一気にスキップしまして、

 ――一方で、実学の知識は陳腐化しやすいという問題があります。

 それは職業訓練バウチャーを出して、いつでも学校に入り直せるようにすればいい。雇用調整助成金なんかにおカネを使わないでね。実際、海外ではMBAがそういう考え方です。2年の課程はもうはやらなくて、大体1年になっている。それで10年働いたらまた半年通うといった傾向に変わってきています。
 なぜこれをバウチャーによる公的支援にすべきかというと、実学はある種の公共財だからです。もちろんアカデミズムも公共財ですが、それだけが公共財と言うのは驕りですよ。念のため強調しておくと、僕はアカデミズムに対する予算は増やすべきだとずっと主張してきました。ただし本当にトップに対してだけね。

私も企業でそれなりに高度な技術や知識を実践的に身につけた人が社会人大学院などで体系的に理解するというのはたいへん有益だろうと思います。ただそれもかなり上澄みの話だろうとは思うのですが。
「アカデミズムだけが公共財」云々は、大学に較べると専門学校への公費投入が少ないからその分バウチャーを出しましょう、という話であればそれは結構だと思います。別に「驕り」とかは思わないけどさ。それとか「ただし本当にトップ」とか、冨山氏はかなり「アカデミズム」が感情的にお好きでないようですね。

 実はGとLの溝にいちばんはまっているのは東大法学部です。もともと、明治期に欧米の法制度を輸入するために作られ、本来は官僚という職業の訓練校だった。でも今は法科大学院というプロフェッショナルスクールを作ったのだから、法学部なんてやめればいい。ポリティカルサイエンス(政治学)だけアカデミックスクールとして残せばいい。

 ――逆に地理的に地方にあるけれど、グローバル型の大学になる学校もありえますか。

 徳島大学の材料研究なんかがそうでしょう。ノーベル賞受賞者を出していますからね。

ここはご出身ということで言われている部分があるのではないかと思うのですが、言わんとされていることは、東大法学部はもともと官僚の職業訓練校なのだから、今後もL型の職業大学であるべきだ、ということでしょうか(次の質問が「逆に、地方でもグローバル…」なので、そういうことなのだろうと思います)。
ただまあ結果として官僚を多く排出しているということとそれが官僚養成機関であるということとはやはり違うでしょう。東大は結局のところ少数の「いわゆる一般教養を大学で学んで会社に入り終身雇用で勤め上げるという人」が集まる大学であり、それをつかまえてGとかLとか力んでみても仕方ないんじゃないかという気はします。「大学でもっと職業教育を」と訴えている人たちも、東大でそれをやれとは言ってないと思うなあ(もちろん法科大学院は法曹養成のプロフェッショナルスクールですが、しかし官僚の養成はできませんが…)。
さて最後に教養教育の話になります。

 ――実学重視の教育では、教養を高める機会を奪う懸念もあります。

 教養は大学でなくても、本でもインターネットでも高められます。大学の授業そのものが、ネット上で無償で公開されている時代です。一般教養は大学に閉じ込めるのではなく、むしろ万人に開かれるべきです。
 かつて聖書は聖職者の独占物でしたよね。カトリック教会に入ると絵が描いてあって、その絵を見ながら聖職者の説教を聴くしか聖書を学ぶ場はなかった。でも、グーテンベルク活版印刷技術を発明したことで聖書と教養がすべての人に解放されたでしょう。それと同じことがネット革命で起きたのです。
 しち面倒くさい受験勉強をやって大学に入って、大学の近くに住んで、高い授業料を払って毎日通学して……そこまでしなければ教養を与えないというなら、それはかつてのカトリックと発想が同じ。教員が知識の独占者でいたいのでしょう。コアにあるのは、大学教員のものすごい選民意識だと思います。

いや知識の独占者でいたかったら教員になんかなるわけないだろう。教員というのは知識を教えておカネをもらうお仕事ですし、特に大学教員は論文などで新しい知見を示せば示すほどに研究者としての評価が高まるわけですからね。実際問題、いまどきはどこの大学も「開かれた大学」ということで一般公開の教養講座などを活発に開催しており、そこでは大学教員が交替で登壇して最新の知識を開陳しているわけですよ?というか、大学で教養を学ぶことのどこがそんなに悪いのさ。本もインターネットもいいでしょうが、やはり面着で・双方向コミュニケーションで・手を動かしながら学ぶことにはまた別の価値があるだろうと思うのですが…。
冨山氏はどうしてここまで大学教員を悪しざまにののしるのでしょうか。まあ企業再建の仕事をやっているとFランク大学枕草子を教えて国費を食んでいる大学教員はムダにしか見えないかもしれませんし、バス会社を経営しているとなんでバス会社が従業員に二種免許を取らせてやらなくちゃいけないんだよ自分で取ってこいよ大学が取らせろよとか思うのかもしれませんが、しかしそれだけではここまでの憎悪は説明できないような気が。そういう憎悪をエネルギーに昇華して実績を上げてきた人なのかもしれませんが…。

  • なお大学教員にものすごい選民意識があるという点については実は私も同感するところがないではなく(笑)、ただしそれは自分たちだけは時間を気にせず思う存分働いていい特権階級であるとお考えであるらしいという意味においてですが。

ということで冨山氏のインタビューをご紹介しただけでどっと疲れました(笑)。ご期待(なにを?)の向きには申し訳ないのですがあと4人の方については明日以降コメントさせていただければと思います。