東洋経済のL型大学特集(続)

きのうの続きで、本日は有識者4氏のインタビュー記事をご紹介したいと思います。「人事コンサルタント」の城繁幸氏、東大の本田由紀先生、育て上げネットの工藤啓氏、元鳥取県知事で元総務省片山善博先生という顔ぶれで、なかなか考えられた人選と言う感じです。
ということで城繁幸氏なのですが、まず全文引用しましょう。

 日本の大学の現状はF型、フィクション型であるというのが私の考えです。企業は新卒一括採用の際に、学生の成績をほとんど見ていません。学生のポテンシャルという名の、正確に言うと学校名と年齢しか見ていない。一方で私立大学を中心に、内定をもらえた学生に対しては、成績がどうであれ基本的には卒業を認めるようなところが少なくありません。
 実際に大学教員と話をしても、「大学は完全に形骸化している」と断言する人が多い。現状がフィクションなんだから、この先大学がアカデミック中心のG型や実学中心のL型に分化しても何も問題はないのではありませんか。私は冨山和彦氏の提案には賛成。もっとこの議論を進めるべきです。
 企業と大学の間にはずっと、鶏が先か卵が先かの論争がありました。大学に言わせれば「日本の企業は大学教育に全然期待していない。成績が出る前に内定を出すじゃないか」。一方、企業は「いやいや大学は当てにできません。だから自分たちで育てますので、邪魔しないでください」。そんな感じです。
 それが近年は、ポテンシャルは高いがスキルはゼロという人をOJTで育てるのは、大手の製造業ぐらいにしかメリットがなくなっています。サービス業やIT系企業はむしろ、ある程度外部の教育機関で付加価値をつけて送り込んでほしいと思っている。業務的にじっくり育てている時間もないし、離職率も高いという業界ですから。さらに言うと大手製造業でも電機業界などは、新卒一括採用の人材では世界を相手に戦えないと思い始めています。
 ただ学生には、この「スキルさえあれば大丈夫」という考え方は非常に危ういと言っておきたい。競馬の一点買いのようなもの。現実には10年後どんな職種が残っているかなんて、誰にもわからないのですから。

ご期待のむきには申し訳ないのですがわりとまともです。GとかLとか言われたからF型と言ってみましたというのはツカミとしてはありだと思いますし、ものごとを端的な表現で断定していくのも、(正確に言うと、とか言ってるわりには)不正確ではありますが論調として歯切れがいいことも間違いありません。まあいつも言っていることですが「ご商売としてはこれもあり」だろうと思いますし、今回は記事化した記者の個性もあるかもしれません。実際にはもちろん企業が(まあ程度問題ですが)「学生の成績をほとんど見ていません」なんてことはないでしょうし、「正確に言うと学校名と年齢しか見ていない」と言われると学部はどうなると言いたくなるわけですが。
ただし「「大学に言わせれば「日本の企業は大学教育に全然期待していない。成績が出る前に内定を出すじゃないか」。一方、企業は「いやいや大学は当てにできません。だから自分たちで育てますので、邪魔しないでください」」というのはさすがに面白くしすぎでしょう。だったら大学1年で中退させて採用すればいいわけでしてね。
現実には城氏も「内定をもらえた学生に対しては、成績がどうであれ基本的には卒業を認める」と書いているように企業は卒業できなかった学生さんについては内定を発行していても取り消すわけで、企業は大学にそれなりの期待をしていると考えるべきでしょう。まあ「「大学は完全に形骸化している」と断言する」教員さんがそうあってほしいという形ではないかもしれませんが(なお断言する人が多いと言われると本当かと突っ込みたくはなりますがこれもお得意の誇張でしょう)。ではどういう期待かというと、以前書いたエントリから引用させていただきますと、

…以前、ある経営学者の先生が(私のうろ覚えなので不正確かもしれませんが)、大意こんなことを言っておられたのが印象に残っています。「私はゼミで経営学を教えているが、彼らが就職してその知識がすぐにものの役に立つとは思わない。私は経営学を教えることを通じて、世の中の物事に興味、関心、疑問を持ち、現場を見たり文献を調べたりして学び、それでもわからないことがあれば仮説をたてて自ら調査し検証する、そういう知的好奇心旺盛な人材を育てていると自負している。企業が欲しいのもそういう人材でしょう?」たしかに、企業は多様な人材を求めるわけではありますが、この先生の言われるような人材のニーズは強いかもしれません。
 ですから、冨山氏は「自分はビジネススクールマイケル・ポーターを専攻したが、コンサルタントになって一度も使ったことがない」と言っておられるそうですが、しかしその学びの過程で獲得した「モノの考え方」のようなもの、統計数値の読み方や解釈といった調べもののスキルといったジェネリック・スキルはコンサルタントとして有用だったのではないかと思います。
 これは経営学の例ですが、たとえば法学を学ぶことで、法律の知識は具体的に役には立たないかもしれませんが、しかしいわゆるリーガル・マインド豊かな人材は、企業のビジネスにおおいに貢献する可能性が高いでしょう。このようなジェネリックスキルの形成には大学教育はおおいに資しているのではないかと思います。それがおそらくは多くの企業が法学部、経済学部などの卒業生を好んで採用する理由であり、内定していても卒業証書を持って来られなければ内定取り消しにする理由であり、1年生に内定を発行するファーストリテイリングがしかし中退させて正式採用まではしない理由ではないかと思います。…なにもプラクティカルなスキルばかりではなく、リベラルアーツやコモンセンスも相当の職業的意義を有するのではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141031#p1

ということなので、必ずしも大学での学びに限らず、たとえば「コンビニでアルバイトを始めたところオーナーに認められて店長を任され、これこれの工夫をして売り上げをこれだけ伸ばし、就活で退職するときには仲間から花束をもらいました」という話でも企業はおおいにアプリシエイトするわけで、それはそうした成功を収めることができる能力以上に、こうした経験を通じて獲得したジェネリックスキルを高く評価するからでしょう。それがわかっているから大学もPBLを推進しているのでしょうし。
さて城氏に戻りますと「近年は、ポテンシャルは高いがスキルはゼロという人をOJTで育てるのは、大手の製造業ぐらいにしかメリットがなくなっています。サービス業やIT系企業はむしろ、ある程度外部の教育機関で付加価値をつけて送り込んでほしいと思っている」というのはまあ当たり前の話であり、別に大手の製造業であってもスキルはゼロよりなにかあったほうがいいでしょう。これはおそらく大手の製造業では専用生産設備の使い方とかOJTで学ぶのが効率的あるいはOJTでしか学べないスキルが多いのに対して、IT系だとJavaPerlは専門学校とか情報処理学科とかで学べばどこでも使えるという違いではないかと思います。大手の製造業だって運転免許はないよりあったほうがいいんじゃないかなあ。
「業務的にじっくり育てている時間もないし、離職率も高いという業界ですから」というのは、冨山氏の指摘するサービス業を中心とした中小企業の実態としてはそのとおりなのだろうと思います。したがってたとえばIT系への就職を念頭にJavaPerlを情報処理学科で教える/学べるようにすることは重要だろうと思いますし多分すでに行われていることだろうとも思います。サービス業でも接客のスキルとか礼儀作法とか笑顔とか元気とかは身についているほうが望ましいわけですがこれ硬式野球部に入ったほうが身につくかも。まあすでに多くの大学のキャリアセンターが敬語とか礼儀作法とかのセミナーとかやっているようですが。
さて「さらに言うと大手製造業でも電機業界などは、新卒一括採用の人材では世界を相手に戦えないと思い始めています」というわけですがそりゃ他の製造業でも・とっくの昔からそう思っているんじゃないかなあ。「この「スキルさえあれば大丈夫」という考え方は非常に危ういと言っておきたい」というのもそのとおりで、常にスキルを上げる・新しいスキルを獲得する努力は必要でしょう。特に日本企業の場合は特定スキルが不足すると内部育成する傾向があるので、よほど稀少性のあるスキルでないと「大丈夫」とはなりにくいように思われます。
なお城氏は冨山氏の提案については賛同を示し「大学がアカデミック中心のG型や実学中心のL型に分化しても何も問題はない」と述べておられますが、ともに「○○中心」で互いに排除しないのであればまあ問題ないかなと私も思います。この話は次の本田先生のインタビューのところで書きます。
ということで本田先生ですが、

 日本の大学と企業の間に存在してきた関係を、私は「赤ちゃん受け渡しモデル」と呼んでいます。職業に関連する具体的な知識・技能をあまり身に付けていない、職業人としては無防備な赤ちゃんのような若者を、卒業までは大学が大事に抱える。そして入社を境に、企業が若者を「後はこちらで育てます」と引き取る。大学で学ぶことと企業で従事する仕事との間に内容的な関係はほとんどないのに、時間的には手と手が触れ合わんばかりに密接に若者をやり取りしてきたのです。
 ところが近年、この新卒一括採用に乗れない若者が一定数出てくるようになりました。この結果、赤ちゃんのままで地べたに投げ出されるような人も出現しています。彼らには、仕事の世界に「適応する力」、つまり職業的な知識・技能を育む教育が求められています。さらには適応力だけでなく、問題のある働かせ方にノーと言い是正してゆける「抵抗する力」も育てなければなりません。

たしかに新卒で良好な就職ができなかった人が実践的な技能や知識を形成できる機会を確保することは重要で、たとえばそれをカバーする制度として職業訓練受講給付金制度なども作られました(必ずしも十分なものではないという意見もありますが)。そうしたリスクに備えるためにも、大学にもっと実践的な技能や職業知識を教えるコースがあるべきだという意見もありうるものだと思います。次の工藤氏のインタビューで出てきますが、就職の決定打になるようなスキルでなくても、習得すれば「自身がついた」ということで就職に結び付くようですから、本田先生の言われる「適応する力」という意味でも思いのほか有効なのかもしれません。「抵抗する力」については、現実には職場の問題について労使でまともに話し合うことができないという会社もあるわけで、そういう会社は変に労力を費やすよりさっさと辞めるのが正解ということが多そうですが、辞める前に労基署に駆け込むとか、いかに問題があるかをフェイスブックツイッターで拡散するとかすれば、別の人が同じ被害にあうことを防ぐことができるかもしれません。

 大学にとって、職業教育機関という、ある種ワンランク低く見られているものに転換することへの抵抗感は想像以上に強い。今いる教員の処遇といった現実的な困難もあります。現状では、大学教育の職業的意義を高めるという課題がはかばかしく進展していないのは事実です。
 しかしGLモデルには私は賛同しません。アカデミックと実学、グローバルとローカルに二分することなどできるのでしょうか。青色発光ダイオードのように、研究としても実学としても意義深いものがあります。アカデミックな教育も実学の要素を持っており、その逆もまたしかりです。大学教育が教養や地頭、人間力といった抽象的な目標ではなく、具体的な知識やスキルを形成しようと努めることは重要ですが、過度に実践的なスキルの形成だけに振れてしまうこともまた不毛です。

ここが先ほどの城氏のところでペンディングにしておいた話ですが、この1月13日の有識者会議に冨山氏がまたGLモデルの資料(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/01/27/1354584_4_2.pdf)を提出しておられ、これをみるとどうやらアカデミックスクールとプロフェッショナルスクールを排他的に二分することをお考えのようで、私もそれはまずかろうと思います。冨山氏はプロフェッショナルスクールの頂点として医師の養成をお考えのようなのですが、しかし医療の進歩はやはり基礎と臨床の交流からもたらされるのではないかと思うのですが、違うのでしょうか。わが国では成人発達障害に関しては昭和大学が理論においても治療においても権威(たぶん唯一のまとまった研究拠点)とされているようですが、これは結局附属病院がこれの臨床例を精力的に収集したからという話でもあるわけです。ドクターというのはお医者さんという意味でもあるわけでね。ということで私はやはり城氏が書いていたようにアカデミズム中心、プロフェッショナル中心として、しかし相互に大いに重なり合うという形が望ましいように思います。
また同じ大学の中に双方が混在するという意味で重なり合うことも重要で、青色発光ダイオードの例は冨山氏も上げておられましたが、徳島大学において材料工学はサイエンス(アカデミック)を突き詰めるが、情報工学はもっぱらエンジニアリング(プロフェッショナル)を追求するということでもいっこうにかまわないというかそれが望ましかろうと思います。というのは、ちょうど今日の日経新聞でも長崎大学の熱帯医学の話が紹介されていましたが、この分野については長崎大学がおそらくわが国唯一の(まとまった)研究拠点です。こういう例はほかにもあり、前述の昭和大学もそうですし、たとえばこれは地理的・地学的事情だろうと思いますが砂漠学は鳥取大学がやはり日本唯一の拠点のようであり、あるいは歴史的経緯から繊維学といえば信州大学和漢薬学といえば富山大学になるわけですが(いやまあ東大とか京大とかにはやっている人はいるでしょうが)、だからこれらの大学の全体をG型にしなければならないというのも現実的ではないでしょう。

  • 余談ですが、まあそれが期待される役割なのだということなのかもしれませんが冨山氏の資料はあまりに産業界の都合ばかりが前面・全面に出ていて大学や学生さんにとってどうかという観点が希薄ですし、「医・歯・薬等を頂点としたプロフェッショナルスクール」とか職業に貴賤はありますよ的な発想も露骨で、あまり感じがよくありません。大学をつぶしたときに学生をどうするかとかは熱心にお考えになっておられるようですがね。

「今いる教員の処遇といった現実的な困難もあります」というのも重要なところで、冨山氏の意味で産業界に役に立たない、まああまり具体的に言うのもなんですが枕草子を研究していますとかラカンドゥルーズを講じていますとかいう部分については、冨山氏も「公共財だ」とお認めのようですし、公共財としてどれほど維持していくのかというのはそれはまた別の問題と割り切るべきではないでしょうか。とりあえず教員については世の中のものの役にもたたないようなことの研究を仕事にしている人もいるのが豊かな社会ではないかと私は思います(が人数次第ですが)。いっぽうで学生さんについては、これは基本的には研究者になる人とか、少数にしていく必要はあるのかなあ。まあ若い学生さんであればそうした教養や情操?を高めることで将来世の中に益をなす可能性もあるでしょうが、定年退職した人が第二の人生でギリシャ哲学を学びたいというような話にまで税金を使うのはたしかに疑問なしとはしません。いずれにしても今いる「不要な」教員のクビを飛ばして職業的教育に入れ替えようという発想だと、おそらく冨山氏はそうしたいのではないかと邪推するわけですが、しかしなかなか進まないでしょう。そもそも大学関係予算は減らされている中ではあるわけですが、職業大学は成長戦略にも盛り込まれているわけですし、ここは文科省に頑張ってほしいところです。
もうひとつ大事だと思うのが、仮にアカデミズムとプロフェッショナルに分かれていくとしてもそれは大学の自主的な取り組みと学生さんの選択を通じて実現されるべきであって、文科省なり誰かなりが「この大学のこれはG、これはL」とか決めてトップダウンでやるべきではないでしょう。これも上記エントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141031#p1)で書いたようにL型の需要がこれだけあるからこの大学とこの大学で供給します、という計画経済的な発想がうまくいくわけがなく、各大学がそれぞれの価値を高める上でプロフェッショナルをやったほうがいいと思えばそうすればいいのだと思います。それで就職実績が好転して志望者が増えれば追随する大学も出てくるわけでしょう。
というのは、冨山氏が提示しているプロフェッショナル大学の教育内容をみるとこれってものつくり大学だよねと思うわけで、冨山氏にはぜひ一度視察をおすすめしたいと思いますが(いやとっくに行っているかもしれないが)、実際リーマン・ショック後でも内定率が90%を下回ることはなかったというのですから非常に優れた就職実績を上げているわけです(人数は少なかろうとは思いますが就職先リストには一部上場の優良企業も多数並んでいます)。いっぽうでものつくり大学の学生の確保はそれほど容易ではないという話もあるわけで、そこはやはり学生さんの大学選択は就職実績だけではないということなのだろうと思います。まあいわゆるキャリア教育で大学選択は就職実績を重視しましょうと指導するくらいはいいでしょうが、やはり学生さんの自由な選択を可能にするような多様性が確保されてほしいとも思うわけです。
さてだいぶ長くなってきましたのでここからは手短に行きますが、続いてNPO法人育て上げネットの工藤啓理事長が登場されます。

 私たちは、無業状態に陥っている若者を支援しています。学校を卒業したのに働く先が見つからなかった人だけではありません。働いていたが働けなくなった若者もたくさんいます。現状では新卒一括採用は人生最大のビッグチャンス。これを逃すと非正規社員になってしまうと焦る若者たちは、とにかくどこでもいいからと就職活動に走り、結果としていわゆるブラック企業に入って心身を壊してしまうことがあります。
 こうして無業に陥った若者を支えるのは、職業訓練や資格だけではありません。何を身に付けたいかと利用者にアンケートで聞いたところ、「働く自信」や「社会性」という答えが最も多かったのです。
 実学は重要な要素ではあります。働く自信を引き出す効果があるからです。過去にマイクロソフトと提携して、利用者にオフィスソフトの基本を学んでもらったことがあります。基礎の基礎にしかすぎない水準で、このスキルそのものが就職への決定打になるわけでは決してありません。しかしこのスキルにNPOによる相談を組み合わせることで、就職率はぐんと上がりました。利用者は「自信がついた」と話していました。スキルを与えることだけをターゲットとするのではなく、同時に若者の内面的な整理をすることが重要ではないでしょうか。
 地方の中小企業が求めている人材像は、スキルの有無とは必ずしも関係がありません。中小企業から「いい若者がいたら紹介して」とよく相談されますが、求めているのは「あいさつがしっかりできて、わが社に腰を据えて働く意欲のある人」ということが少なくありません。こういう企業と学生を橋渡しするために、ドイツのデュアルシステム(学校に通いながら企業で職業訓練を受ける制度)のような制度が日本でも本格的に整備されるとよいと思います。

まさに現場の声というわけですが、冨山氏がしきりに主張されるところの中小企業においては実は「あいさつがしっかりできて、わが社に腰を据えて働く意欲のある人」だったりするわけですね。「スキルの有無とは必ずしも関係がありません」とまで言われてしまうと、もうL型大学とか教育の職業的意義とかいう話でもない。ただ「腰を据えて働く意欲」が持てるかどうかは実際に働いてみないとわからないわけなので、工藤氏はデュアルシステムをあげておられますが、まあL型大学が長期のインターンシップを実施してそれを通じて、という可能性も十分あるように思われます。やっぱものつくり大学じゃん
最後は片山善博先生で肩書は慶応義塾大学法学部教授となっていますがそれだけではなく、元自治官僚、元鳥取県知事、元総務相という背景も踏まえてのご意見のようです。

 目的やアイデンティティがはっきりしない大学が地方に多いことは事実です。そういった大学は学生集めに四苦八苦し、経営も非常に苦しい。粗製濫造というと失礼ですが、大学を毎年のように認可してきた文部科学省がその責任を問われるべきです。文科省は単に規制緩和しただけではなく、天下り役人を送り込んで設立認可の手続きをクリアさせてきたのですから。
 地方の専門学校については、教育政策としてあまりケアしてこなかった結果、よい学校と悪い学校が玉石混淆です。ところが、その中から有力な学校がけっこう出てきた。彼らには地位を向上させたいという意欲があるし、文科省側にも新たな天下り先として専門学校を魅力的だと見る下心があるのでしょう。いずれにしても供給者側の論理ですよ。
 今大切なのは、学生や地域経済が本当は何を求めているかという視点です。特に地域経済に必要とされる学校になるには、冨山和彦氏の言うように、有用な人材を輩出することも重要です。看護師だったり中堅の技術者だったり、地域によって異なるニーズをカリキュラムに反映することが地方大学にとって一つの生き残り策になります。
 しかし、すぐに役立つ人材を供給することだけが大学に対する地域の期待ではありません。知の拠点として、地域のさまざまな課題に学究的に応えてほしいという思いもあります。鳥取県知事時代には鳥取大学にもっと地域課題に目を向けてほしいと頼みました。随分変わりましたよ。たとえば、シイタケの菌の遺伝子バンクを持つ地元企業があるとき経営難に陥りました。鳥取大はそれを研究機関として継承し、農学部や医学部で研究対象にしました。その結果、鳥取大は日本における菌類の研究拠点としてトップクラスになっています。シイタケ栽培という地場産業にも研究にも貢献しています。

全入時代とはいいますがわが国の大学進学率は上がったとはいえまだ50%前後で上昇の余地は相当にありますから、増やしたこと自体は失政とまではいえないでしょう(川口大司先生がわが国では大学進学率の上昇が学歴間賃金格差の拡大を抑制したことを示しておられます)。要するに内容次第であって、中身のいい専門学校は職業大学になればいいと私は思います。天下りとか私はわりとどうでもいい。
面白いのは片山先生は冨山氏の所論に一応花を持たせながら実際の期待は圧倒的にG型にあるらしく、そりゃそうだシイタケをITに変えればスタンフォードシリコンバレー。そこでシリコンバレーの場合はコミュニティカレッジが実働部隊を供給しているという話であり、内容的にはこの部分はまあ職業短大というところでしょう。すでに大学に改組した専門学校もそのほとんどは短大であり(まあ専門学校に行く人の多くは4年もかけていられるかという事情ではないかと思います)、同様な役割を担えるのではないでしょうか。であれば大学の方は4年制の強みを生かして単なる資格取得に終わらない教育を提供するといった話になるわけで、やはりものつくり大学はひとつのモデルなのかもしれません。