フィールド別採用

昨日から、日経新聞朝刊の「経済教室」で「人口減時代の人材力強化」というシリーズが始まっています。興味深い論考が続きますので、一日遅れでフォローしていきたいと思います。
昨日の(上)では、労働政策の重鎮である慶応大学の樋口美雄先生が登場されました。お題は「多様性生かす雇用体系に 個人のキャリア重視 高度専門人材の活用カギ」となっており、「ポイント」では「拘束強い画一的な「就社」の仕組みは限界」「フィールド別採用は学生の就業意識変える」「国際競争にらんだ教育、人事制度が必要」とまとめられています。
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE0E4EBE5EBE0E6E2E3EAE2E6E0E2E3E39997EAE2E2E2;b=20110419
さて感想ですが、論旨としては13日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110413#p2)でご紹介した大橋勇雄先生のエッセイ「第2象限の人材」(http://www.sanseiken.or.jp/forum/89-hatugen.html)と共通するもので、大筋ではそうだろうなというものですが、樋口先生のほうがより先鋭的で、違和感を覚える部分もあります。
樋口先生はここで「国籍や男女の違いに関係なく優秀な人材を確保する動き」が今後一層強まってくると指摘され、「外国人の多くはプロフェッショナル志向が強く、日本企業の人材活用に必ずしも満足していない。女性人材もこうした傾向は強い」ことから、「ダイバーシティ(多様性)人材の活用を実践に移そうとすれば、「就社」制度は限界に直面する」と述べられています。その上で、フィールド別採用、「すなわちフィールドをあらかじめ設定し、それを個人が選択できるようにしていく」ことを提唱しておられます。
そして、樋口先生はその利点として、企業が多様な人材を活用できることに加えて、「学生時代に目指すべき仕事の基礎力を高めることも可能になる。入社後の職務が見通せるならば、企業も個人の特性や経験を重視した採用ができる。正社員としての就職希望を実現できなかった不本意非正規労働者も、企業や政府の支援を受け、色々な職業経験や教育訓練を積むことで正社員への道が広がる」「職業能力に基づく労働市場は機能する。インターンシップ(就業体験)やジョブカードも有効に機能し、大学院教育や海外、さらには他社で学んだ知識や技術はプロフェッショナル人材として活用できる」といったことを上げられています。
たしかにそういった利点も多かろうとは思うのですが、いっぽうで気になる点もありますので、いくつか書いておきたいと思います。
まず、樋口先生は「本人の選んだ職務がその人に適している保証はない」ことを指摘され、「少なくとも自分が選んだとの認識があってこそ自己責任の追求は可能になる」と述べておられます。これだけだとわかりにくいと思うのですが、これはすなわち適性がない労働者については企業は配転ではなく解雇しうるという含意だと考えるべきでしょう。さらにいえば「本人の選んだ職務が将来的にも必要とされる保証もない」わけで、こうした場合にも企業は配転ではなく解雇しうると考えるべきで、つまりこれはこのブログでもたびたび言及している「職種限定でその分雇用保障の高くない期間の定めのない雇用」ということになるでしょう。もちろん、企業にとどまりながらフィールドチェンジできる可能のあるしくみを導入することは考えられていいと思います。
また、樋口先生も指摘されるように、すでに「入社直後は色々な職務に配属されても、一定期間経過後はおのおのの専門分野の範囲内で関連した仕事に配転されることが多い」というのが実態だろうと思います。ということは、入社後の数年間は適性判断、適職探しの期間であるとを考えれば、その期間を過ぎてしまえば、ゼネラリストとして経営人材のキャリアを進む一部の人を除けば、こと職務に関してはフィールド限定型と大きな違いはないということになります。つまり、従来型とフィールド限定型との決定的な違いは、職種限定というところにとどまらず、樋口先生も指摘されているように、従来型では「雇用や生活を保障する代わりに長時間労働や頻繁な配置転換を拘束として課した」のに対し、フィールド限定型はそうではない、つまり雇用保障だけでなく労働条件や働き方も異なってくるということでしょう。ありていに言えば、従来型と比べてたぶん労働時間は短く、休日は多くなるでしょうし、それ以上に賃金も下がるでしょうということになります。
もうひとつ、フィールド限定型はそれはそれで必要であり、普及が望ましいと思いますが、従来型も引き続き重要であり、存在感は存続するだろうとも思います。樋口先生はこれに対して「日本企業では、他社との差別化を図るため、…汎用性のない企業固有の方法論が強調される面がある。企業固有の技能を身につけるには社内でのOJTが不可欠であるとされる半面、逆に過度にそれに頼るあまり、職種特殊的な専門性が軽視され、結果として非横断的な企業特殊性を体現した人材を生み出している」と懐疑的な見解を示しつつ、「差別化に際しては、海外企業と競争していく中で、必要以上にそれに費用をかけすぎていないか、あるいは逆にもっと企業の特異性を強化すべきことはないか、再検討する必要がある」と主張しておられます。
まあ、ある特定の業種・職種や、一定以上の高度人材についてはそうなのかもしれません(どれほどのボリュームゾーンがあるかについては私は限定的だと思いますが)。ただ、高度人材ほどではないけれどそれなりの優れたスキルを持つ「中高度人材」や「中度人材」に関しては、やはり相当程度は企業特殊的な熟練を競争力の源泉にしないことには、世界最高水準の賃金を支払っている日本企業が国際競争を生き抜くことは難しいようにも思われます。印象論ではありますが。
また、往々にしてスルーされる傾向があるのですが、従来型の雇用には後進の育成や生産性向上への協力に対するインセンティブがある(少なくともディスインセンティブはない)ことに注意が必要だろうと思います。大橋先生のエッセイにもありましたが、フィールド限定型の労働者は「後継者の育成にはあまり興味を示さないという」傾向があるのではないかと思います。実際フィールド限定型は雇用保障が弱いので、自分のポストを脅かしかねない後継者の育成や、その職種の必要人数を減少させかねない生産性の向上に対して消極的になるだろうことは容易に想像できます。逆に、知識やノウハウを独占し、周囲と共有しなくなることも予想されるところです。こうしたことも考え合わせれば、従来型、大橋先生のエッセイでいえば「第1象限の人材」も引き続き重要な役割を果たすのではないでしょうか。
なお、樋口先生は今後の大学教育についてこう述べられているのですが、

 大学では、これまで以上に英語による専門教育を拡充していく必要がある。また学生や教員の国際交流を質量ともにさらに進め、議論や共同研究の場を増やして、互いの考えや経験の違いを理解し尊重しつつ、相手を説得する体験を数多く積める環境をつくっていく必要がある。
 そして、これを可能にする基礎力として、教養に培われた問題発見能力、解決策に関する仮説を立て客観的事実に基づき検証できる能力を高め、結果に基づき自身で考え主張し、想像力と倫理観、責任感を持って行動できる人間を育てていくことがこれまで以上に必要となる。

うーん、しかしこれって、とりわけ後段については、これまでも従来型雇用の人材に求められる資質として強調され続けてきたことだと思うのですが。