解雇補償の「適正額」

昨日(1月19日)の日経経済教室「エコノミクストレンド」に、慶応大学の鶴光太郎教授が登場しておられました。お題は「解雇補償「適正額」どう探る」で、解雇の金銭解決の話です。

 2015年の安倍晋三政権の雇用制度改革で焦点になりそうなのが、雇用終了(解雇)の問題である。解雇に起因する紛争に対しては、(1)そもそも未然に防止する(2)もし起きたとしても、できる限り迅速かつ効率的に解決する(3)そして、決着が図られた際にも、解決の仕方を多様化する――という点を、三位一体で進めることが重要である。
 解雇について、労働契約法16条は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を乱用したものとして、無効とする」と定める。現行制度では、解雇無効判決によって労働契約関係の継続が確認されることになる。
 しかし、現実には原職復帰は多くなく、最終的には金銭補償による和解で解決することが多い。また、都道府県労働局によるあっせんや労働審判などでも、金銭補償による解決が多くみられるが、補償金の水準にはばらつきが大きいことが指摘される。
 こうした状況を踏まえると、前述の(3)の視点に照らし、労働契約関係の継続以外の方法で、労使双方の利益にかなった紛争解決を可能とする仕組み、具体的には、解雇補償金制度(いわゆる金銭解決)の導入が必要である。
 政府が昨年まとめた成長戦略(日本再興戦略改訂版)では、主要先進国では判決による金銭救済ができる仕組みが整備されていることを踏まえ、透明で客観的な労働紛争解決システムの構築に向け、15年中に幅広く検討を進めることを明言している。改革に向けて待ったなしの状況だ。
 大きな論点となるのは、解雇補償金の水準の決定の仕方である。欧州諸国の補償金の水準をみると、勤続年数20年の場合で大陸欧州諸国が賃金の1〜2年分、雇用保護の弱い英語圏諸国やオランダなどでは半年前後となっており、やはり、ばらつきが多いことがわかる。
 12年の世界銀行の調査では平均的な姿をみるために、勤続年数によって異なる金額を集計し、勤続年数1年当たりの解雇補償金の水準を求めている。高所得国の48カ国では賃金の1・8週間分(平均値)、経済協力開発機構OECD)諸国の35カ国は2・1週間分(同)となっている。

 若い頃の低賃金を後になって取り返す仕組みのなかで、中高年の賃金水準は生産性を上回る。この両者の乖離(かいり)は、企業に解雇の誘因を生じさせる。その場合、補償金の水準をこの乖離以上になるように設定すれば、非効率な解雇を抑制できる。
 生産性を上回る賃金は、若年期における労働者の企業に対する貢献(たとえば、その企業だけで通用する特殊な技能の取得=企業特殊投資)を反映しているとすると、最適な補償金がこうした投資のコストに依存することは明白だ。このモデルを考えると、補償金が勤続年数に依存することも理解しやすい。
 日本への解雇補償金導入を考える場合に参考になるのが、経済産業研究所(RIETI)の金銭解決に関するアンケート調査(2000人超の正社員対象)である。不当解雇の際に希望する補償額の中位値は、賃金の16カ月分であり、10〜17カ月の幅のなかで勤続年数が多くなるほど増加していく。この結果は先にみた欧州大陸諸国とも近い。
 しかし、欧州で補償金に勤続年数が強く反映されているのは、勤続年数が短い者から解雇される先任権ルールが徹底されていることが大きい。一方、日本の場合、中高年の賃金はそもそも諸外国よりも勤続年数による影響をより強く受けて高くなっている。したがって、企業側の負担を考慮すれば、日本での勤続年数の反映度合いは、欧州諸国よりも弱くなるべきであろう。
 こうした日本独自の要因なども考慮しながら、労使双方が納得するルールづくりに向け、先入観にとらわれない柔軟な検討をしていくことが重要である。
平成27年1月19日付日本経済新聞朝刊から)

「エコノミクストレンド」の部分をごっそりと中略してしまったのはかなり気がさすのですが、それはそれとして。
私は解雇無効の際の金銭解決についてはぜひ必要と考えており、その理由についても概ね鶴先生のご見解と同一です。
一方で鶴先生が指摘されるような一種の「相場」を現時点でつくることには否定的です。解雇事件については差別的・恣意的な解雇のように使用者に一方的に非があるケースもあれば、職場の雰囲気をいたたまれないものとしている労働者を解雇したものの手続きに瑕疵があったというような労働者にも相当の非があるケースもあるわけで、他の条件が同じであるときにそれらの解決金も同一となることには違和感があります。解決金額にはこうした個別事情が反映されてしかるべきでしょう。
もちろん、裁判例が蓄積されていくにつれて、「こういうケースではこれくらい」という相場が出来てくることまでは否定するものではなく、諸外国の相場の類もそういう経緯でできあがってきたものではないかという気がします(これは気がするだけで自信はまったくありませんのでご存知の方ご教示願えれば幸甚です)。
加えて、明確な基準を設けてしまうと、「裁判所に行って不当解雇になってもこれだけの金額で金銭解決なんだから、だったら今すぐ同じ金額をもらって文句言わずに解雇されたほうが得でしょ」という事実上の手切れ金解雇が横行する危険性が高く、これを回避しようとすると禁止的に高額な基準を作ることとなりかねないため、金銭解決導入の趣旨を失いかねません。
ということで、当面は判事さんにご苦労いただきながら(いや本当に大変だと思いますが)希望退職の割増退職金などを参考に個別にご判断いただくしかないのではないかと思います。
なおRIETIの調査によると「不当解雇の際に希望する補償額の中位値は、賃金の16カ月分であり、10〜17カ月の幅のなかで勤続年数が多くなるほど増加」とのことですが、こちらにその結果があります。
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/pdp/14p003_material.pdf
これをみると正社員では金額表示では1万円以上100万円以下が25.8%、901万円以上が38.4%と両端にスパイクがあり、中間の401万円以上500万円以下に13.7%という小さいピークがあるという特徴的な分布になっています。月数表示だと11か月以上12か月以下が24.1%、13か月以上24か月以下14.3%でたしかにこのあたりにピークがありますが25か月以上も20%いて、「中位値が16か月」というのがどこまで参考とできるかは疑問もあります。また、この調査は2013年1月に行われていますが、より不当解雇に現実味のあった2010年に実施したら相当に異なった結果が出たのではないかと思われます。
なお補償金と勤続年数との関係については、「若い頃の低賃金を後になって取り返す仕組み」という観点から、取り返していない金額が最大になる勤続年数で最大になるというのが合理的と思われ、それ以降は取り返した額に応じて少なくなるということでいいのではないかと思いますし、希望退職の割増退職金なども概ねそうした設計になっているのではないかと思います(もちろん退職金はある意味強制積立のようなものなので別途制度どおり確保される必要があります)。それが欧州諸国と較べてどうなのかはわかりませんが。