パート賃金格差、何が問題かby鶴光太郎先生

不審な判決があったので1日ずつタマツキになっておりますが(笑)、昨日の日経新聞「経済教室」に慶応の鶴光太郎先生が登場され、パート賃金格差について非常に有益な論考を寄せられていますのでご紹介したいと思います。
「エコノミクス・トレンド」ということで研究動向の紹介が中心になるわけですが、

…国際比較を行う場合…、労働者の様々な属性を考慮し、そうした要因を調整した上で、残る賃金格差に着目する必要がある。
 例えば、ベルギー・ブリュッセル自由大学のジル・オドシェ助教授らの2007年の国際比較の分析では、男性のパートタイム賃金格差は調整前でベルギー24%、デンマーク28%、イタリア28%、スペイン16%、アイルランド149%、英国67%となっている。しかし、労働者の様々な属性を調整すると、それぞれの格差の中で説明できずに残る割合は、デンマークでは消滅する一方、イタリアでは半分程度は残るなど、調整前の格差はほぼ同じでも調整後の格差は大きく異なる。
… 日本については雇用形態間の賃金格差を厳密に分析した研究例はわずかだ。
 筆者は経済産業研究所において、リクルートワークス研究所の久米功一主任研究員、千葉大学の佐野晋平准教授、青山学院大学の安井健悟准教授と共同研究を進めているところである。非正社員の中でも正社員に近い契約社員などと正社員の賃金格差は37%程度であるが、学歴、年齢、勤続年数、婚姻、子供数、居住地、勤務先産業、職務などを調整すると暫定的な結果ではあるが、残る格差は4分の1程度となり、1割を切ることが確認された。
平成28年5月17日付日本経済新聞「経済教室」から、以下同じ)

細かい話ですがアイルランドの賃金格差が149%というのがあれという感じで、誤植かと思ったのですが紙の新聞だけでなく日経電子版も日経テレコン21も149%となっており、元ネタにあたろうと思ってウェブ上を渉猟して*みましたが見当たらず(ジルはGilleかJillでしょうがオドシェはO'Dossierかな?わからん。ブリュッセル自由大学のウェブサイトとリポジトリを中心にあれこれ試して検索してみましたがそれらしき人/論文は見当たりませんでした)謎のままです。
それはそれとして鶴先生たちの共同研究はどんな結果が出るか楽しみですが、「正社員に近い契約社員など」というのは有期のフルタイマー、自動車工場の期間従業員という感じでしょうか。賃金以外のコストの影響(省略部分で鶴先生も指摘しておられます)、自動車工場の期間従業員であれば住宅や食事、通勤手段の提供といったもののコストを考えれば妥当な結果のように思われます。いずれにしても同一労働とか簡単にいうけどそんな単純なもんじゃないんだよということですね。
さて続く指摘はさらに重要です。

 欧州を中心としたパートタイム賃金格差の研究から得られる政策的インプリケーション(含意)として重要なのは、比較的賃金格差の大きい英国での「職務分離」の問題である。
 英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のアラン・マニング教授らの08年の論文では、英国の女性のフルタイム、パートタイムの賃金格差は25%であるが、基本的な属性を調整すると12%程度と半分程度になり、職務まで調整すると3%まで縮小することを示した。これは、フルタイムとパートタイムでは職務が異なることが賃金格差の大きな要因になっていることを示すものである。
…英イースト・アングリア大学サラ・コノリー教授らの09年の論文では、高スキルの女性がフルタイムからパートタイムへ変わる場合、26%(勤め先を変えた場合は43%)が職務格下げを経験し、賃金もこうした転換で32%減少することを示した。…こうした「職務分離」が賃金格差の最も大きな要因になっていることは他の欧州諸国の最近の分析でも確認されている。
 日本の場合、この「職務分離」の問題がどの程度深刻かについてはさらなる分析が必要であろう。しかし、こうした要因が仮に大きければ、同一労働同一賃金の実現ではパートタイム賃金格差縮小はおぼつかない。むしろ、フルタイムで働いている場合、勤め先や職務を変えなくてもパートタイムで働けるようなオランダ型の柔軟な労働時間制度の導入がカギとなる。
 また、パートタイム賃金格差は初職の若年者には存在しないが、パートタイムの勤続年数が長くなると格差が顕著になることがいくつかの国の研究で明らかになっている。欧州連合(EU)指令のように賃金などの処遇においてパートタイムも勤続年数を配慮する「期間比例の原則」の導入が検討されるべきだ。

逆にいうと、これまでも繰り返し懸念しているように、たとえば企業に挙証責任を負わせるなどして同一労働同一賃金を無理やりやろうとすると企業は職務や役割の違いをより明確化する方向に向かわざるを得なくなるだろうということでしょう。いっぽうで「勤め先や職務を変えなくてもパートタイムで働けるようなオランダ型の柔軟な労働時間制度」についてはわが国でも法定を上回る育児時間制度の導入などが拡大しており(そしてほとんどの場合は賃金も時間割であり)、今後一層の拡大が期待されるところだと思います。ここでも普及に向けて重要なのは一時的な職務変更などを柔軟に認めていくことだろうと思います。
期間比例原則についても鶴先生は古くから提唱しておられ、当時は私はどちらかというと否定的だったのですが(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100112#p4)、その理由は雇止めを誘発して非正規雇用労働者の勤続の短期化や能力伸長の阻害を招くリスクが高いというものでしたので、逆にいえばやるなら今ということではあるでしょう。こちらのポイントは(これも以前書きましたがhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20160209#p1)とにかく欲張らないことに尽きると思います。