解雇の金銭解決の制度設計

大内伸哉川口大司編著『解雇規制を問い直す−金銭解決の制度設計』を読みました。刊行時から気になっていたのですがなにかと取り紛れて失念しているうちに毎日新聞大竹文雄先生の書評が載り、思い出してあわてて購入して読みました。

解雇規制を問い直す -- 金銭解決の制度設計

解雇規制を問い直す -- 金銭解決の制度設計

まず序章として不当解雇にも「許されうる解雇」と「許されない解雇」があるという観点から論点整理が行われ、続く第I部では近年の日本型雇用システムの変容をふまえて金銭解決ルールの論点が示され、さらにこれまでの解雇規制をめぐる議論の概要がまとめられています。第II部では主として法学の観点から、まず「日本の解雇規制は厳しくない」としてたびたび話題に上るOECDの解雇規制指標について入念な検討が付され、さらに独、西、米、仏、伊、英、蘭、加、伯、中、台の各国の解雇法制が紹介されます。
第III部では経済学の観点から、まず人的資本理論や契約理論など経済学が解雇をどう捉えてきたのかをまとめたうえで、望ましい金銭補償金額が検討されています。経済学的に望ましいのは「完全補償ルール」、すなわち解雇されなかった場合の賃金と解雇された場合の賃金の差額の現在価額であり、具体的には勤続5年で8か月程度、10年で18か月程度とほぼリニアに上昇し、勤続25年で32か月程度のピークとなり、その後は上昇の2倍くらいのペースで急速に下落して勤続37年では6カ月程度にまでなるという結果になっています。過去の希望退職募集の事例における割増退職金の水準と、本書における理論的な算出結果とは、実態にはもちろんバラツキはありますがかなり一致しているように思われ、現場をよく知る労使の協議の有効性を支持しているように思われます。
そして終章では、以上の政策的含意として、「許されうる解雇」については労使双方からの申し立てにより完全補償ルールにもとづく金銭解決を可能とすること、解決金額は完全補償をベースに裁判所が労使の寄与に応じて一定範囲で調整すること、解決金の支払を保障するためのメリット制の解雇保険を創設することなどが提案されています。
さて、本書の内容は私にとっても非常に心強いものであり、なぜかというと私も過去(2006年)『季刊労働法』に寄せた論文「企業実務家からみた労働契約法の必要性」で類似の提案をしているからです。

(6) 解雇の金銭解決

 解雇をめぐる紛争については、和解も含め、復職で解決した事件であっても復職は実現するよりも実現しない確率のほうが高いという*1。人事労務管理の現場では、法律上は事件が終わっても、現実には復職が困難な事情が存在することも多く、さらに金銭解決に向けての長い道のりがあるのが実態なのだ。金銭解決の導入による解決方法の拡大は実務的要請でもあり、したがって、一定要件のもとに使用者からの金銭解決の申立てを認めるという研究会報告の方向性は好ましい。
 この場合、解決金の水準が大問題となるが、研究会報告はこれを労使の事前合意によるとしており、「解雇の金銭解決の申立てを、解決金の額の基準について個別企業における事前の集団的な労使合意(労働協約や労使委員会の決議)がなされていた場合に限って認める*2」などとしているが、これは実務的には現実的でない。研究会報告は希望退職募集における割増退職金からの類推でこれが可能としているが、希望退職募集時の労使協議は、もはやそれが不可避であるという認識が労使間に形成され、企業の支払能力や従業員の生活実態、労働市場の状況といった現実が確定しているからこそ成立すると考えるべきであろう。企業経営が平常状態にある段階で、将来の解雇(当然、その時点での経営状態や支払能力も明確でない)を前提に解決金の額の基準を協議することは、少なくとも現在のわが国の労使慣行においてはほとんど不可能と思われ、これを金銭解決申立ての要件とすることは、金銭解決の活用の余地を大きく制限することとなろう。
 また、研究会報告は「解決金の性質は、雇用関係を解消する代償であり、和解金や損害賠償とは完全には一致しないと考えられる。*3」と述べているが、現実の解決金の金額決定にあたっては、損害賠償における過失相殺の発想を取り入れることが望ましい。解雇が無効とされた例をみるとその内容は多様であり、労働組合加入を理由とした解雇やセクハラ解雇のような論外なケースもあれば、労働者にも相当程度の非は認められるが、手続上の瑕疵や、解雇は過酷との判断により無効となることもあろう*4。使用者に一方的に非があるケースについては、解決金がある程度高額になる、あるいはそもそも使用者からの金銭解決の申立てを認めない*5ことも当然だろうが、いっぽうで労働者に相当の非がある場合と使用者に一方的に非がある場合とで解決金の金額が同じというのは常識的でない*6と考えることもまた当然と思われる。そこにはなんらかの過失相殺的な考え方が取り入れられるべきではないか。
 解決金の水準については、事前に労使で基準を決めるのではなく、希望退職に対する割増退職金の世間相場や、解雇による逸失利益*7(解雇後に就労すれば得られるべき収入を控除する)、企業の支払能力などを考慮して、過失相殺的な考え方も取り入れつつ、裁判所が個別に決定すべきものではないか。こうした判断を行ううえで、労使双方の審判員が参加する労働審判はまことにふさわしいと思われる。時間はかかるかもしれないが、具体的なケースが蓄積されてくれば、ある程度の相場観が形成されてくることも期待されよう*8。
 *1:山口純子(2001)「解雇をめぐる法的救済の実効性」『日本労働研究雑誌』491号参照。
 *2:研究会報告pp.62-64。
 *3:研究会報告pp.60-61。
 *4:たとえば、カジマ・リノベイト事件の第一審(東京地判平13.12.25)。なおこの事件は第二審で解雇有効となり、その後上告が棄却されて解雇有効で確定している。この事件が解雇無効となって原告が職場復帰した場合、これを受け入れる職場の負担は多大であって事実上不可能というよりなく、使用者からの申立てによる金銭解決の実務的な必要性が理解されよう。
 *5:研究会報告も、差別的解雇など一定の悪質なケースにおいては使用者からの申立てを認めないこととすることが適当としている。研究会報告p.63。
 *6:現行法制下では、内容にかかわらず解雇が無効であれば職場復帰というオール・オア・ナッシングの画一的な解決方法しかなく、これが法的に決着した後に金銭解決の交渉が必要となる大きな原因とみることもできよう。
 *7:これはある程度企業の支払能力を反映すると考えられる。
 *8:すでに交通事故については損害賠償等について裁判上の「相場観」が形成されており、(財)日弁連交通事故相談センター専門委員会の編集になる『交通事故損害額算定基準』(青い本)や、東京三弁護士会交通事故処理委員会と(財)日弁連交通事故相談センター東京支部の編集になる『民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準』(赤い本)などにまとめられている。人事労務管理の実務においても、労災補償などの際に参考とされている。

(荻野勝彦(2006)「企業実務家からみた労働契約法の必要性」『季刊労働法』212号,pp.129-142)
引用註:文中の「研究会報告」は2005年9月15日に発表された厚生労働省「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会報告書」を指す。

お読みのとおり、本書の提案とかなり共通する部分が多いのではないかと思います。もちろん私の提案は交通事故の実務を参考とした思いつきレベルのものにすぎないわけですが(本書でも言及されていますが1980年代には類似の学説もあったということでオリジナリティを主張するつもりもない)、それだけに本書で当代一流の労働法学者・労働経済学者による検討結果がこれに近いものになったというのが心強いのです。
それはそれとして、本書は非常に勉強になりますし、従来の議論の経過や諸外国の例をまとめた部分は資料としてもたいへん有用なものと思われますので、関係者にはぜひおすすめしたい一冊です。
青本・赤い本

季刊 労働法 2006年 04月号

季刊 労働法 2006年 04月号

解雇規制を問い直す -- 金銭解決の制度設計

解雇規制を問い直す -- 金銭解決の制度設計