学歴インフレ

※「フィールド別採用」は4月20日のエントリに移しました。
昨日に続き、一日遅れで日経「経済教室」の「人口減時代の人材力強化」をフォローしたいと思います。本日は(中)ということで、教育社会学者の苅谷剛彦先生がご登場です。苅谷先生はオックスフォードにおられるのですね。お題は「「学歴インフレ」脱却急げ 大学教育の高度化を 企業も採用での自制必要」となっていて、「ポイント」では「初中等教育と対照的な大学教育の低評価」「90年代までの人材養成システムは限界に」「学歴インフレは人的資本の増大を伴わず」とまとめられています。
前段部分では、まず「大学教育無用論」がとりあげられ、「大卒者の大半を占める文系就職の場合、大学で何を学んだかが就職の際に問われない。どの学部を出たかもどんな成績を取ったかもである。他方で、大企業や有名企業への就職のチャンスは、実態としては今でも大学の偏差値ランクの影響を受ける」と述べられ、それは「一つの企業にとどまり、仕事や仕事以外の場を通じて訓練を受ける…仕組みの下では、経験を職業能力に転換する能力(引用者注:訓練能力)が問われた。…大学受験で示される能力が訓練能力と関係していた」からだと述べられています。
続けて、90年代半ば以降の大きな変化として「大学進学率、特に女子の進学率の上昇」「非正規職の拡大」「サービス産業への大卒就職者が増大」「労働コストの削減によりOJTが後退」などが指摘され、「男性大卒正社員を典型とした仕組みが大きく変わった」と述べられます。さらに「18歳人口の減少を背景に大学進学率が上昇したことから、受験競争を経ずとも入学できる層が拡大した。その結果、大卒者の質にも変化が生じている」「日本的な「学歴インフレ」とも呼べる現象が生じている」との認識が示されます。その具体的な意味についてはこう書かれています。

 東京大学社会科学研究所が実施した調査データを用いた筆者の分析結果をもとに、その現象の意味を探ってみよう。調査は2007年時点で20歳から40歳までの青壮年を対象に行い、高校卒業時の全国の大学進学率を目安に3つのグループに対象者を分けた。進学率が25%以下だった年長グループ、25%から40%に上昇した時期に高校を卒業した中間グループ、進学率が40%以上となった若年グループである。
 グループごとに、学校卒業後に大企業の正規職に就けたかどうかに、大卒学歴一般といわゆる偏差値ランク(選抜度)の高い大学(偏差値55以上)を卒業したことが、それぞれどのように影響しているかをロジスティック回帰分析の手法を用いて推定した。
 その結果、最も安定した就職先と見なすことのできる大企業の正規職に就けるチャンスを高めるうえで、一般の大卒学歴を得ることの影響は、進学率が高まっていく若い世代ほど小さくなる傾向が見られた。他方で、選抜度の高い大学を卒業していることの影響は若年グループで最も強くなった。非正規職が増え、大学進学率が40%を超えるようになった若年世代にとって、大企業の正社員になるチャンスを高めるうえで、同じ大卒でも選抜度の高い大学を卒業していることが重要になったのである。
 この結果は、大学ランクという面から見た一種の学歴インフレを意味する。より安定した職に就くチャンスを高めるための敷居が、偏差値ランクのどこにあるか。その境目が大学進学率の上昇とともに上方にシフトしたのである。
 ところで、他の先進国で学歴インフレという場合、ある職業に就くために有利となる学歴が、学部卒から大学院修了へと変化するように、より高い段階の学歴へのシフトを意味する。知識経済化の下では、教育年数といった量の増加だけではなく、そこで行われる教育内容の高度化の面からも、人的資本の向上が求められる。高学歴化の一層の進展はその反映といわれる。
 それに対し、日本で生じている学歴インフレは(理工系を除き)、大学入学時の偏差値ランクの上昇による選抜基準の上方シフトという、ふるい分けの面での変化であり、教育内容の高度化や教育年数の増加を伴わない。他の先進国の学歴上昇が人的資本の増大につながる変化であるのに対し、日本では依然として学歴が訓練能力の高さを識別するシグナルとして働き、就職に際し求められる偏差値ランクが上方にシフトするという、人的資本の増大なき(経済学の用語を使えば「シグナリング効果」だけの)学歴インフレである。
平成23年4月19日付日本経済新聞「経済教室」から)

仮に「大企業の正規職」の採用数が一定であるとすれば、大卒者数が増えるほどに大卒者が「大企業の正規職」に就く割合は低くなるというのは常識的に理解できます。いっぽうで、その後の「選抜度の高い大学を卒業していることの影響は若年グループで最も強くなった」ことをもって「より安定した職に就くチャンスを高めるための敷居が、偏差値ランクのどこにあるか。その境目が大学進学率の上昇とともに上方にシフトした」というのはわかりにくいものがあります。おそらくそうした分析もされていて、経済教室の紙幅には収まらなかったのだろうとは思うのですが、しかし本当に出身大学の偏差値がこの値を超えると明らかに安定した職に就くチャンスが高まるというような閾値がそもそも存在するのかどうかもこれだけでは不明ですし、仮に存在するとしても、「選抜度の高い大学を卒業していることの影響は若年グループで最も強くなった」からその閾値が上昇しているとも即座にはいえないように思われます。
また、学歴が訓練能力の高さを識別するシグナルとして働くことはそのとおりと思いますし、大学受験というのは相当程度自由競争なのでおそらくは優れたシグナルであろうとも思いますが、しかし「「シグナリング効果」だけ」かどうかは疑問もあろうかと思います。仮に入試の偏差値が高ければ訓練能力が高いのであれば、入試の偏差値が高いほどに大学教育を通じた人的資本形成も大きく、企業はそれをより評価している可能性もあるからです。いや実際そういう企業は多かろうと思うのですがそうでもないのでしょうか。そもそも、偏差値55といえば上位約30%なわけで、大学進学率が上昇する中では上位30%の人数も増加するわけですから、「大企業の正規職」の採用人数が不変なのであれば上位30%の人数が増えるほどに影響が大きくなるのはむしろ自然かとも思えます。同様に進学率が上がれば平均の学力は下がるだろうことは容易に想像でき、となれば学力が同じでも偏差値は上昇することの影響もありそうに思えます。まあ、こういったことはきちんとコントロールされているのだと思いますが。
さて苅谷先生は続けて「大学での人材育成の時間を奪ってまで、各企業は我先にと採用活動を前倒しする」のは、「実質いまだに「大学教育無用論」が力を得ているからだ」と述べられます。さらに「国際的にみても日本の大学生は大学外での学習時間が相当に短い。授業に予習が課されることもほとんどない。それは選抜度の高い大学でも変わりない」「日本の大学はアルバイトと就職活動のための期間」と大学の現状を批判的に評価し、「日本の再興はそれを担う人材に依存する」のだから大学教育は「豊かな教養と専門性に裏打ちされた、組織や慣例に縛られない、賢明な判断力と建設的な批判力と果敢な行動力」、「大学でこそ培われるこの「自由の術」を若者に育むためにも、大学教育を無用と見なす余裕はない。予習を課し、成績を厳格にし4年間を通じた学びの場にする。その上で文系でも高度な専門教育を大学院で提供する。大学側の奮起とともに、個別利害を超えた企業の対応が求められる」と結論付けています。
さて、企業は決して大学教育を無用とは考えておらず、特に昨日取り上げた樋口先生の「(上)」にあるような「教養に培われた問題発見能力、解決策に関する仮説を立て客観的事実に基づき検証できる能力を高め、結果に基づき自身で考え主張し、想像力と倫理観、責任感を持って行動できる人間を育てていくこと」はかねてから重視し求めてきたこと、また大学生活を総体として捉え、アルバイトに限らずサークル活動やボランティア活動、さらには就活すらも含めたさまざまな活動を通じて学生がどのように成長したのかを考慮しているということはこのブログでも繰り返し書いてきました。ですから、苅谷先生ご主張のように「予習を課し、成績を厳格にし4年間を通じた学びの場にする」ことや「文系でも高度な専門教育を大学院で提供する」ことでこうした人材が従来以上に豊富に供給されるのであれば、企業としてもそれはおおいに歓迎するものと思われます。
ただまあ、本当にそうなのかという点についてはあまり説得力のある根拠は示されていないようにも感じるわけで、まあアルバイトと就職活動が100%というのももちろん困るわけですが、しかし文系でも大学院までの期間を教育・学習のみで過ごすというのもややバランスが悪い感はあり、まあ一定の時間はアルバイトとか遊びとかに費やしたほうが学生さんの成長に資するのではないかと思わないではありません。また、まあ採用の早期化回避について「個別利害を超えた企業の対応が求められる」というのはわかりますが、これがさらに4年間を通じて学び、文系でも高度な専門教育を大学院で受けた学生を企業は採用しなさいということになるとすれば、まあ気持ちはよくわかりますがしかしずいぶん都合のいい話ですねと思わなくもありません。いやもちろん繰り返しになりますが結果としてそれで「教養に培われた問題発見能力、解決策に関する仮説を立て客観的事実に基づき検証できる能力を高め、結果に基づき自身で考え主張し、想像力と倫理観、責任感を持って行動できる人間を育てていくこと」になるのなら企業は言われなくても採るだろうと思いますが。