ジョブ型@日経経済教室

 日経新聞の「経済教室」では、先週木曜日から「ジョブ型雇用と日本社会」を3回の連載で取り上げられています。登場したのは太田肇先生(12/3)、神林龍先生(12/4)、本田由紀先生(12/7)のお三方ですね。あれこれと議論が混乱している感のある「ジョブ型」論議ですが、これを読むとだいぶ整理されてきた感じです。
 まず最重要なのは神林先生のこのご指摘でしょう。

…もともとジョブ型雇用という言葉は、労働政策研究・研修機構濱口桂一郎労働政策研究所長の著作で、いわゆる日本的雇用慣行を「メンバーシップ型雇用」と呼び直し、その背反として定義されることで広まったと筆者は理解する。従ってジョブ型雇用は、日本的雇用慣行ではないものすべてを含んでおり、論者により意味が異なる。

 これが議論を複雑怪奇なものにしているわけです。日本的雇用慣行とは違う、自分が推したい雇用管理を「日本的雇用慣行ではない」から「ジョブ型」だと称し、それが欧米で一般的にみられるジョブ型の雇用慣行と名称が同じだから内容も同じであって国際標準であるかのように主張する人たちが随所に存在し、それに濱口先生が「それは欧米のジョブ型とは異なる」と苦情を申し立てておられるのが現状でしょう。
 これについては本田先生はさらに直接的に批判しておられ、

…ジョブ型雇用は(1)成果主義ではなく(2)個々の社員の職務能力評価はせず(3)解雇がしやすくなるわけではなく(4)賃金が明確に下がるわけではない――ということだ。この点に関しては、紙面でも「労働時間ではなく成果で評価する。職務遂行能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る」などと間違った説明がされており、反省を求めたい。

 ジョブ型雇用とは、職務記述書(ジョブディスクリプション)で規定されたジョブに、それを遂行するスキルをもった働き手を当てはめるやり方だ。そのジョブを支障なく担当していれば、成果や職務遂行能力のこまごまとした評価は行わない。社内にそのジョブが存在しなくなった場合も、欧州では他のジョブへの変更を打診するよう定められており、使用者側の都合による解雇は厳しく規制されている。
 すなわちジョブ型雇用とは、労働条件がより厳しく、成果主義能力主義が徹底され、雇用が流動化しやすいというものではまったくない。もし、ジョブ型雇用をその方向で悪用しようとしている企業があるのであれば、徹底した批判と是正要求が必要である。

 御意。まあ「ではない」というよりは「関係ない」と言ったほうが妥当なような気はしますし、「欧州では他のジョブへの変更を打診するよう定められており、使用者側の都合による解雇は厳しく規制されている」というのはかなりミスリーディングだとは思います。たしかに欧州ではそうした労働協約が締結されている例が少なくありませんが、現実には整理解雇など雇用調整の場合にはジョブの変更ではなく追加的な給付を求めるのが多数でしょう(いまウラ取りしてはいないので誤りがあればご指摘ください)。とはいえ、「職務遂行能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る」がミスリーディングであることは間違いないと思いますし、「ジョブ型にすれば賃下げも首切りもできるようになる」とか思っている人が仮にいるとしたらそれはもちろん大間違いであることも間違いありませんが。
 では昨今話題の「ジョブ型」ってなんなのさ、という話になりますが、神林先生は「ジョブ型雇用を職務記述書と成果給の混合としてとらえる」という見解をとられています。

…有力な候補として、職務給の前提である「職務記述書」を活用しつつ成果給を採り入れる人事管理施策という解釈がある。すなわち職務内容をあらかじめ限定的に列挙して労働契約の内容とするものだ。対立するメンバーシップ型雇用について職務の限定がないと説明されることからも、妥当だろう。

 その利点としては、「分業関係を明確にしやすく、責任の明確化につながる」「あらかじめ設計された職務配置を現場に直接適用できるので、新技術に基づく効率的な職務配置を速やかに導入できる」「リスクと引き換えに成功時の報酬を積むことで、被用者の意欲を刺激する」といった点を指摘しておられます。「あらかじめ設計された職務配置」というのはまさにジョブ型の核心ですね。
 一方で難点としては「職務記述書の改定には通常、使用者と被用者の「両者の合意」が必要」であり(強調引用者)、使用者による一方的な変更が可能な現行の就業規則とは異なる点をあげた上で、職務記述書と成果給の結びつけについて、こう指摘されています。

 職務記述書と成果給を結びつけるには、評価対象となる成果に、職務記述書で限定された職務以外の要素が混入しないことが重要となる。特に他の被用者に割り当てられた職務から独立になるように職務と成果の関係を設計する必要があり、相当難しい。

 おそらくは日立さんも富士通さんもこのあたりで相当にご苦労されているのではないかと推測するわけですが、まあ余計なお世話というものでしょう。余計なお世話ではありますが、しかし2000年前後の成果主義騒ぎの時と基本的に変わりないなあとは思う。神林先生も「被用者の努力や能力にかかわらず、被用者や企業が置かれた環境が成果に大きく影響する場合、過度な成果給を設定すると被用者の働く意欲は逆に低下してしまう」と指摘されているとおりで、評価基準や成果測定が不明確であったり、被評価者には制御不能な要因が成果に影響する場合には大きな差をつけないのが合理的だという話ですね。これはたとえば五輪の代表選考のようなゼロイチで大差がつくような話がもめがちだということにも通じます。
 神林先生は続けて、わが国において典型的なジョブ型雇用である派遣労働者について検討し、「職務を限定することと業績変動給の組み合わせは、相性が悪い」と指摘した上で、このように述べられます。

 結局、ジョブ型雇用を職務記述書と成果給の混合と解釈しても、その道のりは険しい。いわゆる日本的雇用慣行から抜けだそうという意図は察せられるが、その組み合わせは論理的な矛盾をはらんでいる。さらに職務記述書を重視するのであれば、使用者は日本的雇用慣行の下で享受してきた広範な人事権を一定程度諦めねばならない。現場の創意工夫では生産性の向上は見込めず、あらかじめ設計された効率的な工程を採り入れることにより利益を得るようなビジネスにこそ、ジョブ型雇用は適するが、現状の派遣労働の普及率をみてもその範囲は広くはないと考えたほうがよい。

 「使用者は日本的雇用慣行の下で享受してきた広範な人事権を一定程度諦めねばならない」これも非常に重要なポイントでしょう。それに続く部分が論争的なところと思われ、いやいやいやいやICT技術が急速に進展する中では、従来のようには「現場の創意工夫では生産性の向上は見込めず」、むしろ「あらかじめ設計された効率的な工程を採り入れることにより利益を得」られるようになりつつある(あるいはすでにそうなっている)のだ、というのがいわゆる「ジョブ型」を唱道する方々のご主張であるように思われるわけです。本当のところはどうなのかは実証の問題ということになりそうです。
 さて、このあたりで他の先生方がどのような見通しを持っておられるかを見てみたいと思います。まず太田先生は今後の見通しをこう述べられます(すみません太田先生の論考の前半部分は私にはいまひとつピンとこないので省略させていただきます)。

…シナリオAは、ジョブ型の看板は残しながら、微修正もしくは換骨奪胎された形で広がる可能性である。

 2000年前後に流行した成果主義も、…日本的な組織や人事システムのもとでは、成果をあげるための条件を社員に公平かつ納得できる形で提供することができない。そのため短期間のうちに大幅な見直しや事実上の撤回を余儀なくされる企業が相次ぎ、…「成果」的な要素の比重を高める程度で落ち着いた。
 そして今回、ちまたでは早くも「日本式ジョブ型」といった言葉がささやかれるなど、多くの企業がメンバーシップ型とジョブ型の折衷を図るあたりに、落としどころを探っている様子がうかがえる。

 これはさきほどの話と同じで、要するに「成果をあげる条件」なるものが不明確であれば大差をつけないほうがいいということです。欧米的な組織や人事システムにおいては学歴とか資格とか経歴とかそれなりに明確な基準を活用することで大差をつけることが可能になっているわけですね。でまあそれが格差社会とか階級社会とかいう話にもなるわけですがここでは深入りしません。
 さていっぽうで太田先生はこういうシナリオも提示されるわけです。

 いっぽうシナリオBは、限定された範囲で比較的純粋なジョブ型が導入されていく可能性である。
 筆者は個人の分担を明確にする方法として、ここでいうジョブ型に対応する「職務型」のほか、個人の専門性で分ける「専門職型」、1人でまとまった仕事を受けもつ「自営型」の3つを提示している。
 ただ、すべての社員がいずれかのタイプに置き換えられると考えるのは現実的ではない。従来のメンバーシップ型も一定の範囲で存続するであろう。また正社員以外に、いわゆる非正規や業務委託などの形態がとられる場合もある。

 初任配属を約束するだけの「ジョブ型採用」では基本的にはメンバーシップ型と変わりはないわけですが、その後もその分野からは動かしませんと約束するならそれは「職務型」になるのかもしれません。移動が不自由な分はスローキャリアにするとか、職務縮小時の雇用保障が限定的になるとかいう対応が必要でしょうが、それは今後の課題でしょうか。また、最近ではIoTとかAIとかビッグデータとかサイバーセキュリティとかを学んできた学生さんにいきなり高い値札をつける採用も行われているようであり、「専門職型」というのはこれになるのかな?まあこういうタイプはさすがに将来にわたってその労働条件を約束するわけにはいかないので有期契約にならざるを得ないように思われます。雇用形態が多様化し選択肢が増加することは好ましいことですが、いっぽうで職務の限定性を高め、報酬も成果依存度を高めていけば、それはおのずと業務委託とか業務請負とか自営型になっていくであろうことはわかりやすい理屈のように思われます。
 さて本田先生もこうしたジョブ型にはたいへんに期待をされておられるようで、このように述べられています。

 輪郭が明瞭なジョブに専心できるという働き方は、使用者のフリーハンドで仕事内容が量・質ともに無限定に変化・増大する従来型の雇用に比べ、働き手にとっての負荷や不確実性が軽減される。加えて、もっとも重要な点は、ジョブ型雇用ではジョブに即した専門性やスキルが発揮しやすく、それをさらに向上・更新させることへの働き手の動機づけにもつながりやすいということである。従来型の働き方では、これらの点が不足しやすく、それが日本の雇用や経済にとって重大な弱点となっている。

 企業が順調に成長していた時代はともかく、現状では「使用者のフリーハンド」に対応しても得られる対価(昇進昇格とか次の良好な職務とか)が乏しくなってきているので、「不確実性が軽減される」ことの価値は大きくなっているというのはそのとおりと思います。ジョブが固定されていたほうがスキル向上への動機づけが高まるというのもわかりやすい理屈です。ただそのあと平成30年版労働経済白書をひいて論じておられる部分にはやや異論もあり、基本的には労働経済白書の問題なのでここでは割愛しますが、一点だけ以下の記述について、

 その結果、日本では労働者のスキル不足を感じている企業の割合および労働者の教育経験・専門分野・スキルと仕事のミスマッチが生じている割合が突出して高く、それにもかかわらず企業の能力開発費が国内総生産GDP)に占める割合が他国と比べて著しく少ないことを指摘している。

 引用元の平成30年版労働経済白書にはミスマッチについては「わが国が突出して高い状況ではない」と明記されていますので(p.87、なお能力不足に関しては「突出して高い」との記載がある)、これだけはこの「経済教室」の問題点として指摘しておきたいと思います。
 さて本田先生はこのあとリカレント教育の重要性について触れられ、いやこれに関してはもはや私もビジネススクールの教員の端くれとなりましたので大いに賛同するところであります。さらに続けてスペシャリストを自認する人は学び直しへの意欲が高いことも指摘され、このように結論付けておられます。

…技術が目まぐるしく進展・変容する中で、高度な専門性やスキルを発揮し不断にアップデートしていくことは不可欠である。日本経済の低迷や衰退の重要な原因が、この不可欠な条件の欠落にあることについては、あまたの指摘がある。だからこそ、従来の雇用のあり方とはなじまない面があっても、可能なところからジョブ型を切り出していくことが肝要だ。
 使用者側は、社員の中から希望者を募り、学校・大学やその後の学びとスキルを尊重しつつ、職務記述書と労働条件について労使間で調整するといった形で、働く側の発意を生かしたジョブ型雇用の導入と拡大に、真剣に取り組んでいただきたい。

 ということで結果的には太田先生の「シナリオB」にかなり近い内容になっています。基本的にはハイエンドの人材を念頭におかれているようであり、であれば上でも書いたようにすでに一部で試行錯誤というか模索が始まっている話でもあろうかと思います。以下繰り返しになりますがそれは雇用形態の多様化・選択肢の増加であって基本的に好ましいことだと私は思いますし、可能なところ、有効なところから切り出していくというのも現実的な方針でしょう。ただまあそこまでハイエンドな領域で「職務記述書と労働条件について労使間で調整する」ということになると、おそらくそれはもはや雇用の領域ではなく請負などの自営的な形態をとるだろうというのも上で書いたとおりです。
 本田先生は企業への要請ということで締めくくられておられますが、太田先生の最終的な読みはこういうものです。

 どちらのシナリオが実現するかは個別企業の選択に加え、法制度の改革も含めた政策に依存するところも大きい。いずれにせよ、企業は流行に踊らされず、自社の業務に何が最適であるのかを詳細に見極め、柔軟に使い分けをする判断力が求められよう。

 各社とも自社に最適な使い分けを考えましょうということで、まあ経団連とだいたい同じジャンとか書くと怒られてしまうのかしら。流行に踊らされずという表現が絶妙にこのところのわが国の世間でいわゆる「ジョブ型」をdisっておられて秀逸です(?)。
 さて神林先生に戻りますと、「職務の明確化と契約の柔軟さという二兎を追う」べく、こんな提案をしておられます。

…一つの工夫として、使用者と被用者の交渉力の不均衡を前提とする日本の労働契約法で可能かはわからないが、職務の明確化についてネガティブリストを活用するというアイデアがある。「この職務を担う」というリストを例示と考えるか、「この職務は担わない」と限定するか、その両方をとるかというアイデアだ。

 欧米でもホワイトカラーの職務記述書はブロードバンド化して、多くの場合は職務の分野をゆるやかに記述していたり、その中で変更もありうるという書き方になっていて、ただしその分野の外は合意なくやらせない・動かさないということは約束されている、というのが実情だろうと思います。これについては前々から書いているのですが数年前に佐藤博樹先生を中心に三菱UFJリサーチ・アンド・コンサルティングが調べていてその結果も見た覚えがあるのですが、どうやら非公開であるらしくウラがとれていない状況です。ご存知の方、ご教示いただければ幸甚です。
 さて神林先生の結論はこうなっています。

 ただし契約の柔軟さを実現するには必ずグレーゾーンの解釈を経なければならない。ジョブ型雇用は、契約の力を借りて日本的雇用慣行よりも曖昧さを減らすという程度の問題でしかないともいえる。ジョブ型雇用の議論が提起した本質的な問題は、従来の日本的雇用慣行の下でグレーゾーンの解釈を担ってきた個別の労使合意が機能する範囲が狭まり、復旧を目指すか代替する制度を考えるか、早急に考えねばならない点にあるのではないだろうか。

 さすがに「ジョブ型」なるものを導入しようとしているお会社様にはそれだけの話ではなかろうと思いますが、しかし重要なご指摘であると思います。ややずれた議論になるかもしれませんが、結局のところいかにジョブ型であっても詳細なタスク内容や労働条件をすべて職務記述書や雇用契約に書き切れるものではなく、どうしたって不完備契約にならざるを得ない。そこで紛争処理のしくみが重要だという話になるわけで、そこで大きな役割を果たしてきた個別企業の集団的労使関係(のことをおっしゃっているのだと思うのですが)の機能する範囲が狭まっているのであれば、そこへの対策は必要になるでしょう。 それがたとえば連合が主張しているような従業員代表制の法制化ということになるのか、私としてはやはり労働組合に期待したいと思っているわけですが、世間ではきわめて個別的な労使関係を念頭に議論されている「ジョブ型」論議が最終的に集団的労使関係の課題にたどりつくというのは、ある意味わが国の労使関係の現状を象徴しているのかもしれません。