「もちろん法に反する」のだけれど…

きのうまで取り上げてきた中日新聞の社説をもう一回取り上げます。きのうまでとは論点が変わりますが、社説のこのくだりはたくまずして?本音があらわれていてなかなか興味深いものがあります。

 一般論だが、残業が多い店長に対して、会社が評価を下げることがある。評価が下がれば、給料にも響きかねない。それを恐れて、多時間の残業をしながら「残業ゼロ」と申告する。つまり「サービス残業」と呼ばれる実態である。もちろん法に反する。

「一般論」とわざわざ書いているところがかえって「マクドナルドは絶対そうするぜ」という意図を強調していて、レトリックとしてもなかなか興味深いのですが、それはそれとして。
まず議論の前提として、「残業が多い店長に対して、会社が評価を下げることがある。評価が下がれば、給料にも響きかねない」、だからサービス残業になる、したがって評価を下げるのはけしからん、というロジックがあるのですが、これはさすがに無茶な議論というものでしょう。残業が多いということはコストが高いということですから、それで貢献度が同じであるとすれば残業が多いほうが生産性が低いことは自明で、したがって評価も下がることが当然です。もう20年も前に時短騒ぎをやり、ワークライフバランス大流行のこのご時世に、マサカマサカ大昔の「残業をたくさんやる奴はよく頑張っているのだから高く評価されるんだ」という考え方をあらためて採用しようということではないでしょうね。
で、ここからが実に面白いところなのですが、社説が「それを恐れて、多時間の残業をしながら「残業ゼロ」と申告する。つまり「サービス残業」と呼ばれる実態である」というのは、一部(大方?)の現実を活写していると思うのですが、それが「もちろん法に反する」というのは、いったい誰のなにが法に反しているのでしょうか?ストレートに読めば、労働者が「多時間の残業をしながら「残業ゼロ」と申告する」ことを「もちろん」法に反する、と主張しているように読めるのではないでしょうか?労働基準法上は、当然、使用者が時間外労働に対して割増賃金を支払わないことが「もちろん法に反する」わけなのですが…。
ここはサービス残業問題を考えるときの重要かつ困難なポイントで、結局のところ自己申告だと使用者は労働者が過少申告することを最終的には防ぎようがないわけです。

  • 同様に自己申告だと使用者は過大申告のリスクも負いますが、こちらは使用者には法的問題を発生しないので、まだ見過ごすことも可能なのでしょう。お役所などではカラ残業はたまにあるようで、それはそれで労働者については重大な法的問題でしょうし、使用者の管理も問われるでしょうが。

で、過少申告でサービス残業になるのをなんとしても防ごうと、厚生労働省は悪名高い「四・六通達」で、出退勤時刻の記録(タイムカードとか)で労働時間を計算せよ、というきわめて不自然な指導をしているわけですが、それだけこれは難しい問題だ、ということです。
それでは、極論暴論として、社説が書いているように労働者が過少申告することを違法として労働者に罰則を課したらサービス残業は激減するのではないか?などというアイデアすら出てきてしまうわけですが、それはそれで、今度は労働者から「労働時間ってなんですか?労働時間と非労働時間の境界線を教えてください」という話になるでしょう。まあ、「店長」であれば大方は現場の監督者という仕事でしょうから、職場にいた時間をそのまま労働時間と考えてもまずまず問題ないでしょうが、これがホワイトカラーになると、「きのうは夜10時まで会社の喫煙室でタバコ吸いながらぼんやり来季の販促企画を考えていたんですが、これって労働時間にカウントしていいんですか?」「会社の喫煙室で考えれば労働時間で、寿司屋のカウンターで考えれば非労働時間なんですか?」とかいう疑問が次々に出てきて、「これで罰則があるんじゃたまらない!」ということになりかねません。なんでもかんでも申告しておけ、とすれば安全でしょうが、今度はそれこそ「業務量が多すぎる」ということで仕事が減らされ、「生産性が低い」ということで評価が下がりかねませんし。
いずれにしても、ホワイトカラーの労働時間はなかなか一筋縄でいく問題ではありません。ファストフードの店長であれば、まあ適正に労働時間管理と割増賃金支払を行ういっぽうで、残業が多いわりに貢献度がそれほどでもない店長には低評価に甘んじてもらうしかないのではないでしょうか。大切なのは、評価をやめさせることではなく、低評価の店長をトレーニングして少ない残業で同等以上の貢献度を達成する店長にスキルアップさせることでしょう。それができないのなら、そういう人を店長にした人事そのものが間違いだったということになるのではないでしょうか。