「残業代ゼロ」フォロー(2)

昨日の続きで、「残業代ゼロ」をめぐる論客のみなさまの議論を見てみたいと思います。今日はまずNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏です。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20140423-00034745/

 安倍政権は、「残業代ゼロ法案」とも呼ばれる政策を本格的に打ち出した。…

 そもそも、法改正以前に、ブラック企業はまともに残業代を払っていない。そして、過酷な長時間労働で若者を酷使し、鬱病などを蔓延させている。このような政策を打てば、「安く」「長く」働かせようとするブラック企業が増加することは容易に想像がつく。
 では、今の法律の下で、ブラック企業はどのように「安く」「長く」働かせているのだろうか?
 ブラック企業が、安い賃金で長時間労働を押し付ける方法には、以下のものがある。

・問答無用で残業代を払わない

 まず、多くのブラック企業は、法律と関係なしに、問答無用で払わない場合がある。「違法ですよ」と指摘しても、「お前の仕事が遅いのだから、払う必要はない」「払ったらつぶれる」「お前は金のために仕事してるのか?」などといって、払おうとしないのだ。…
…若者が会社を相手に法律上の権利を行使することが難しいのを見越して、たかをくくっているのだ。

・固定残業制度をつかう

 これは、「わが社では基本給の中に残業代80時間分が含まれています」としていたり、「あなたの役職手当2万円は、実は残業代の扱いだから」などといって、残業代を払ってくれないのだ。

管理監督者制度をつかう

 さらに、ブラック企業がよくつかうのが「管理監督者制度」である。…
 この制度を悪用して「労働法が適用されないので、残業代を支払う必要はない」と主張する。外食チェーン店や小売店などの店長によくつかわれており、…管理監督者扱いをされて、過労死・過労自殺にまで追い込まれることは、本当によくある事件である。…この扱いは裁判を起こせば、ほとんどが違法になると言われている。

裁量労働制をつかう

 もう一つ、管理監督者のほかにも残業代に関する労働法が一部適用されなくなる場合がある。それが「裁量労働制」である。
 これは、働き方に自主性があって、働く時間や場所などを自由に決めていて、会社がいちいち管理するのになじまない労働者に限っては、正確に残業代をはらわなくとも、一定時間働いたことと「みなす」という制度である。
 だが、この制度も法律通りに運用はほとんどされていないといわれているし、裁量労働制の適用の結果、死ぬほど残業させられて、身体を壊してしまう人が後を絶たないのである。
 ところで、この裁量労働制は、最近つくられた制度で、近年度々規制が緩和されてきた。
 今回の法律の前に、すでに規制は緩くなっていて、それをブラック企業は存分に活用していたとうわけだ。

・起業させる

 そして、究極にブラックな方法が、「起業させる」というやり方である。
 これもブラック企業によく見られる手法なのだが、社員一人一人を実際に起業させて、「社長」にしてしまうのである。そして、会社の仕事を「委託」するのである。
 親会社の一つのフロアでいっしょに働いているのに、実は全員別の会社、ということもある。そして、彼らは「社長」だから、当然労働法は適用されない。

 こうしてみてくると、ブラック企業はそもそも規制を守っていなかったり、最近規制緩和された制度を存分に活用して、若者を使い潰していることがわかる。つまり、規制緩和ブラック企業に「武器を与えた」のである。
 それなのに、さらに規制を緩和しようというのでは、安倍政権は「ブラック企業支援政権」だと言われてもしかたないだろう。
 ただ、一方で、「規制の緩和が労働時間を短くする」という主張がある。規制を緩くした方が、企業は法律を守りやすくなるから、むしろ「法の実効性」が高まって、労働時間は減るに違いないというのである。
 こうした主張をする学者は、実際に、安倍政権の規制緩和政策の検討会の委員をつとめている。
 だが、上に見たように、ブラック企業は今ある法律を抜け駆けするだけではなくて、規制緩和された緩い制度も存分に活用して、若者を使い潰す。こういう意見は現実をみていない、「観念的」な主張である。

 最後に、ブラック企業がこれ以上増えてしまったら、日本はどうなるだろうか。
 安倍政権は日本経済の再建を掲げているが、今、働く若者が鬱病にかかる割合は急激に増大している。
 仮に規制を緩和して、企業が「安く」「長く」働かせることができるようなって、企業の業績がよくなっても、その利益は一時的なものだろう。若者が次々に健康を損なっては、経済発展できるはずがない。
 しかも、税収が減り、医療費が増え、挙句に消費まで減ってしまうのだから、「安く」「長く」働かせる政策は、デフレ脱却を掲げる安倍政権が一番規制すべきもののはずだ。
 安倍政権は、そのちぐはぐさに気づいてほしいものである。
 結局、今回の政策では一部の企業が一時的に得をするだけで、日本社会全体にとってはマイナスしかないだろう。
「安倍政権は、ブラック企業の味方なのか?「残業代ゼロ法案」について考える」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20140423-00034745/

さすがに労働相談の現場でブラック企業と奮闘しておられる今野さんらしく、掲げられた実例は非常にリアルで興味深いものです。このようなブラック企業を撲滅していくことは大変重要な政策的課題と申せましょう。
いっぽうで、やはりその道の専門家であるだけに、失礼ながら専門分野が世界のすべてのように感じるという罠はあるように見受けられます。年間1,000件以上の若者労働相談に対応しておられるそうですから(年中無休で対応しても日当たり3件!)、他のことに使う時間というのはほとんどないと想像されますので、それはそれで致し方ないのでしょう。
たとえば、「規制を緩くした方が、企業は法律を守りやすくなるから、むしろ「法の実効性」が高まって、労働時間は減るに違いないというのである。/こうした主張をする学者は、実際に、安倍政権の規制緩和政策の検討会の委員をつとめている」と書いておられますが、ちょっと意味のつかみにくい話で、類似の主張をしておられる委員というのが実際いるのかもしれませんが、しかしこのとおりに言っていることはないだろうと思います。
ブラック企業はそもそも規制を守っていなかったり、最近規制緩和された制度を存分に活用して、若者を使い潰している」との趣旨の記述が2回出てきていて、今野氏としては大いに強調したいところなのだろうと思いますが、しかし書かれた内容のうち、規制緩和が行われたものは裁量労働制だけです。裁量労働制そのものは27年前、1987年の労基法改正で導入されていますので、さすがに「最近つくられた」とは申せないように思います。また、企画業務型裁量労働制が導入されたのが16年前の1998年、その規制緩和(労使委員会全員一致から5分の4以上の賛成など)が11年前の2003年です。この経緯をみると、「最近規制緩和された制度を存分に活用して、若者を使い潰していることがわかる。つまり、規制緩和ブラック企業に「武器を与えた」のである」とはなかなか言えそうにないように思われます。
裁量労働制に関しても、今野氏ご自身が「法律通りに運用はほとんどされていない」と書かれているとおり、ブラックな実態の企業においては緩和された規制すら守られていないのが実情ではないでしょうか。規制を守らない企業に対しては指導・監督や摘発の強化で臨むべきところであり、規制のあり方を見直すことと直接の関係はありません。
今野氏としては、そうは言っても規制緩和すると悪用する企業が出てくる、というご心配をされるのでしょうが、以前も書いたとおり、だから規制緩和はべてダメだ、というのではなく、悪用されないような制度を考えるべきではないかと思います。また、今回の産業競争力会議に提出されたペーパーをみると、「働き過ぎ」防止策(まあ先日書いたようにやや物足りない感はありますが)とか、厳格な健康確保策とかいったことも書き込まれていますので、そういった点の配慮も相当にあります。このあたり、今野氏が資料をしっかり読み込んで発言されているのかどうか、やや心配な感もあります(前述したようにこんな資料を読み込んでいるヒマはないのではないかと思料)。
「残業代ゼロ」→不払い残業ブラック企業という連想から素直に書かれた文章なのだろうと思いますが、現実には産業競争力会議の議論はブラック企業での活用は想定していない(活用できないように考えている)ものなので、いささか空振っている印象です。
………でまあ、ご期待の向きもあろうかと思うのですが(ないかもしれないけど)、例の池田信夫先生のブログでもこの問題が取り上げられているのを発見したわけです。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51894950.html

 また朝日新聞が「『残業代ゼロ』一般社員も」とか下らない記事を書いているが、これは小泉内閣のとき朝日などが騒いでつぶしたホワイトカラー・エグゼンプションの焼き直しだ。
 こういう変な名前で出した財界もセンスが悪いが、それをつぶした朝日新聞はもっと悪質だ。なぜなら朝日も含めて、新聞記者にも放送記者にも「残業代」なんかないからだ。私のいたころから、NHKの記者は(他社と同じく)特定時間外というみなし勤務で、職場ごとに一定の手当をもらっていた。そもそも記者は、ほとんど外回りで「出勤」とか「労働時間」という概念がないので、残業時間なんか測れないのだ。

マルクスも苦役としての「労働時間」を短縮することを理想としていた。彼のめざしていたのは「労働が単に生活のための手段であるだけでなく、それ自体が第一の生きる欲求となる」(『ゴータ綱領批判』)社会だった。これは労働の「疎外」を論じた若いころから晩年まで一貫していた。
 それは「協同組合的な富のすべての泉から水が満々とあふれる」ことによって稀少性が解消されるユートピアの話だが、ソーシャルメディアでは情報の稀少性はなくなった。多くの人はブログやSNSで生活することはできないが、それは問題ではない。そこでは労働は手段ではなく、目的だからである。

日本が「ものづくり」を卒業してめざすべきなのは、残業代どころか賃金も労働時間もない自由の国である。労働と余暇の区別がなくなり、人々が好きなとき好きなだけ働き、疲れたら休む――それは空想的なようにみえるが、ほんの200年前まで、すべての人々がそういう生活を送っていた。江戸時代には、タイムカードも残業もなかったのだ。
「「残業代ゼロ」を批判する朝日新聞に残業代はない」http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51894950.html

私にはちょっと難しくてコメントしにくいのではありますが、とりあえずNHKの記者(朝日もですが)は事業場外みなしでしょうから制度的には今回の議論とは直接関係ないよなあとか、「江戸時代には」って江戸時代の生活に戻りたくはないし戻ることもできないだろうとか、まあ相変わらずなにかと面白い先生ではあります。これが三ケタオーダーでツイートされたりいいね!されたりしているのをみるともはや新興宗教の域だよななどと思わなくもなく。
さて、ほかにも某合同労組(気の毒なので名前は出しませんが)のブログで「さらにブラック企業増殖・過労死促進ねらう安倍ブラック政権」というタイトルを発見したり(そんなもんねらうわけないだろ!)、まああれやこれや驚くこともいろいろとありましたが、気を取り直して、池田先生がこき下ろしておられた朝日の社説を。

 何時間働いたかではなく、どんな成果をあげたかで賃金が決まる。それ自体は、合理的な考え方だ。
 だが、過大な成果を求められれば、長時間労働を余儀なくされ、命や健康がむしばまれかねない。その危機感が薄いのが心配だ。
 政府の産業競争力会議で、民間議員の長谷川閑史経済同友会代表幹事が新しい労働時間制度の創設を提案した。
 賃金を労働時間と関係なく成果で払うようにすれば、労働者が働く時間や場所を選べ、創造性を発揮できる弾力的な働き方が可能になるという主張だ。
 日本では原則1日8時間・週40時間労働で、残業や休日・深夜労働には割増賃金を払う必要がある。ただ、上級管理職や研究者などで例外がある。
 提案は、この例外を大きく広げる。国が目安を示して「労働時間を自分の裁量で管理できない人」を除けば、労使の合意で誰でも対象にできる。
 最大の懸念は労働時間の上限規制があいまいなことだ。国が基準を示しつつ、労使合意に委ねるというが、雇い主と働く側との力関係を考えると、有効な歯止めにはならないだろう。
 今も労使で協定を結べば、ほぼ無制限の長時間労働が可能になる実態がある。しかも、サービス残業が労働者1人あたり年間300時間前後にのぼるとの推計もある。残業代さえ払われない長時間労働を根絶するのが最優先課題である。
 その点、長谷川氏が前提として挙げる「職務内容の明確化」は重要な視点だ。労働者が過重な仕事を割り当てられる状況を改めるには、「どのくらいの時間が必要か」を含め、仕事の質と量を労使で調整する作業が必要になる。これは、新しい制度の導入の有無に関係なく取り組むべき事柄だ。
 長谷川氏の提案は、長時間は働けない子育て・親介護世代や女性、高齢者の活用を期待してのことだという。だが、短い時間で高い成果を上げる人を活用し、高い給料を払うことに何ら規制はない。経営者の取り組みに大いに期待したい。
 成果ベースの賃金制度は、政府の規制改革会議も提案している。こちらは「労働時間の量的上限規制」や「休日取得に向けた強制的な取り組み」とセットであることを強調している。
 働き方を柔軟にすることは望ましい。しかし、理念を追求するだけでは、逆に労働環境を悪化させかねない。どんな場合でも、労働者の命と健康を守るための「岩盤規制」は必要だ。
「残業と賃金 成果主義を言う前に」平成26年4月28日付朝日新聞社

まあ率直に申し上げて長谷川ペーパーも決して上出来というわけではなく、物足りないところもありますしそれ以上に余計なこと(特に人事管理の話)を書き過ぎているところもあり、それがこうしたツッコミを招いているという部分は多分にあるような気がします。いっぽうで、朝日新聞のほうもとにかく否定の結論ありきで立論している感があり、まあ結論を決められたら議論にはならないよなという感もあります。
たとえば、「過大な成果を求められれば、長時間労働を余儀なくされ、命や健康がむしばまれかねない。その危機感が薄い」というのも、ペーパーの最初に「働き過ぎ」対策が来ているくらいで、普通に読めば相当に危機感を持っているという評価になるのではないかと思いますが、労働時間の規制緩和を持ち出すこと自体危機感が薄い証拠だという立場もありうるのかもしれません。
「今も労使で協定を結べば、ほぼ無制限の長時間労働が可能になる実態がある。しかも、サービス残業が労働者1人あたり年間300時間前後にのぼるとの推計もある。残業代さえ払われない長時間労働を根絶するのが最優先課題である」というのは今野氏の所論とも通じるものがありますね。もちろん、労働時間の上限規制をどうするか、というのは重要な論点だろうと思いますし、現に危険有害業務などは上限規制が存在するわけで、労使でおおいに議論し検討すればいいと思います。その時、ホワイトカラー専門職も危険有害業務も同じ規制でいいという話には、おそらくならないでしょう。今回の議論はそのホワイトカラー専門職の労働時間制度をどうしようか、という話をしているわけなので、一般論としての労働時間規制や長時間労働の話を持ち出してそちらが優先だからこちらはダメ、というのは議論の筋が通っていません。
あと、職務内容の明確化とか子育て・親介護世代とかを持ち出されてあげつらわれているのは、まあペーパーに書いてるんだから仕方ないよねえ。経団連なのか同友会なのか内閣官房なのか武田薬品の人なのか知りませんが、しっかりしてほしいなあ。
でまあ最後の「働き方を柔軟にすることは望ましい。しかし、理念を追求するだけでは、逆に労働環境を悪化させかねない。どんな場合でも、労働者の命と健康を守るための「岩盤規制」は必要だ。」という決め台詞はカッコいいですし、これを読んで気持ち良くなる人もたくさんいるだろうと思いますが、しかし今回の産業競争力会議での提案がその「命と健康を守る規制」という観点からどうなのかという議論も評価もないままに大見栄だけ切られてもなあという感は禁じえません。朝日にありがちなパターンなんですけどね。
さて、さいごに「Abitus Bar Column-米国弁護士コース担当者コラム-」というブログの記事をご紹介したいと思います。元警察キャリアで米国弁護士資格取得の指導をされている坂本勝さんという方が書いておられます。
http://米国弁護士.net/learning/qualification_lawyer/column/vol189.php

…現行の労働法制の多くは、主に産業革命後の工場労働を念頭に置いて、その考え方が整備されてきました。しかし、現代の「労働」が、それ以外の多くのスタイルで構成されているのは、言うまでもありません。したがって、多様な労働形態に見合う制度を作るのは、当然だと思います。
 しかし一方で、労働法制の基本的な考え方である、労働契約における労働者と使用者の交渉力格差とそれによる問題は、21世紀になっても、決して無くなってはおらず、いわゆるブラック企業問題などで顕在化しています。
 資料では、いわゆる一般社員であろう「労働時間上限要件型」に制度を適用するには、労使合意や本人の希望選択が前提と記載されています。ただ、現行でも、労使合意の前提としての交渉や、本人の希望を聴取する制度が運用上不十分なのは否めません。
 もちろん、今回の意見は、会議の委員としての資料であり、直ちに政府全体の結論になるわけではなく、さらなる具体化が望まれます。様々な働き方の中で、どのように、労使の交渉力格差を補っていくか、制度を具体化していく中で、議論されなければならないのではないでしょうか。
「一般社員も残業代ゼロへ?!「産業競争力会議」での提言について」http://米国弁護士.net/learning/qualification_lawyer/column/vol189.php

こういう冷静なスタンスが望まれるのではないかと思います。以前も書いたとおり、今回の提案の特徴は、国がガイドラインを示しつつ、労使の合意に多くを委ねている点で、その具体的な内容はこれからの議論となっています。ここでは、国のガイドラインのあり方(水準や規制の強さなど)に加えて、労使の対等性の確保がきわめて重要な論点になると考えます。長谷川主査ペーパーでは「当面過半数労組のある企業に限定」とのアイデアが示されていますが、労働契約法の検討過程で提示された特別多数労組とか、あるいはユニオン・ショップ協約の範囲内に限定するといったアイデアもありうるということも、その時書いたと思います。今後、政労使による建設的な議論が期待されるところです。