労働分配率

34頁には「「労働分配率が低下しており、これを引き上げるために賃金水準の引き上げを行うべきである。そのため配当や内部留保に回す付加価値額を抑制すべきである」という議論について付言しておきたい」とあり、以降以下のような議論が続きます。

 まずマクロベースのわが国の労働分配率は、歴史的に見ても、国際的に見ても高い水準にある。また、労働分配率の変動は、各国に共通する循環的な現象である。一般に、景気後退局面においては、配当や内部留保は低水準となるが、賃金や雇用は比較的安定しており、労働分配率は上昇する。逆に、景気拡大局面では労働分配率は低下する。これは、企業が従業員の生活の安定を重視していることの当然の帰結である。
 他方、ミクロベースで見た労働分配率は、業種、企業ごとにまちまちであり、たとえば、装置型産業か労働集約型産業か、部品・サービスをどの程度社外からの調達に頼るか、などによってその水準は大きく異なり、総額人件費の改定の目安となるものではない。

労働分配率にはさまざまな定義があるので注意が必要ですが、比較的一般的な定義を用いれば、おおむねこういうことになるのではないでしょうか。労働分配率景気変動の影響を大きく受けるうえ、産業構造の変化によっても変動しますから、国家経済レベルでの労働分配率の短期的な変動をみてあれこれ善悪を論ずることは、そもそもあまり意味がないのではないように思います。
また、景気変動以外にも、たとえばごく単純かつ雑な計算ですが、従業員100人、付加価値100単位、労働分配率が70%の企業が、効率化で10%生産性を向上させ、付加価値が110になったとしましょう。この場合は、労働分配率は約64%に低下します。ここで5%の賃上げを行った場合、労働分配率は約67%となります。すなわち、労働分配率が低下しつつ賃金が上がるということが現実に起こるわけです。というか、生産性向上分を「配当」「内部留保→再投資」「労働条件の改善」などに適切に振り向けることで、労働分配率が低下する中で企業の成長に必要な投資を確保し、労働条件も向上させていくのが企業経営のベストシナリオなのかもしれません。
たしかに「利益が増加しているのに労働者への分配は低下している」というのは直観的には「おかしい」という印象を与えやすいでしょうが、この点に関しては、連合など労働サイドも、労働分配率以外の指標を使って議論する方向に作戦変更したほうがいいのではないかと思うのですが。
報告書は続けてこう述べます。

 次に、配当や内部留保を減額して労働分配率を引き上げるべきとの議論は現実的でない。企業は、付加価値の多くを従業員の給与・賞与、福利厚生費や教育訓練費などに充てている。その上で、金利租税公課を支払い、その残りから、配当金や内部留保などを捻出している。
 配当性向は上昇しているものの、配当金の付加価値額に占める比率は低い。しかも、配当金を抑制すれば、資本市場を通じた資金調達に支障をきたす。そればかりではない。安定株主の離散を招く恐れもあり、結果として、これまでつちかってきた円滑な労使関係が根底から揺るぎかねない。
 内部留保もまた同様である。ある程度の内部留保の厚みがあればこそ、企業は財務体質を悪化させずに設備投資を行える。また、多少のリスクを冒しても研究開発投資に踏み切れる。これらの投資の成果は、付加価値額の増加として労使がともに享受するものである。内部留保は、景気の低迷や不測の事態を、企業が従業員などに負担を強いることなく乗り切っていくためにも必要不可欠である。このように、配当や内部留保と賃金との間にトレードオフの関係があるという主張は、説得性を欠いている。

やや屁理屈という感もなきにしもあらずで、特に最初の段落は説明になっていないと思います。続く配当についての理屈も強引な感はあり、それで一番困るのは経営者だろうという気もするのですが、とはいえ投資ファンドに乗り込まれて人減らしや賃下げを求められるのは従業員としても歓迎できない事態であることも否定しにくいところです。このあたりは、配当を受け取る人と賃金を受け取る人の経営者に対する力関係を調整する(具体的には、短期保有株主の権利を制限する)ことが必要なのではないでしょうか。
また、内部留保については、報告書の見解ももっともですし、それに加えて、内部留保はバランスシート上は金額で表記されているものの、現実には金庫の中のキャッシュで保有されているわけではないこと、内部留保を取り崩して賃上げした場合、他の条件が変わらなければ、翌年以降はベアゼロであっても同額の取り崩しが必要となることなどの問題もあるでしょう。まあ、使い道がないのなら配当ではなく賞与(一時金)を増額しろ、という主張はありうるとは思いますが。