連合の見解と反論(2)

きのうの続きです。

 以下、今次闘争において具体交渉を展開する観点から、看過できない点について見解を付しておくこととする。
 一つめは、現下の日本社会にとって「公正分配の実現」が不可欠である点についてである。
 「報告」は、「労使にとっての共通の課題は個々の企業の生産性の向上である」とする一方で、「総額人件費の増加額はあくまでこの範囲内で、利払い費、配当、内部留保なども考慮し決定すべき」としている。これは、日本経団連がこれまで主張しつづけてきた生産性上昇の範囲内での賃上げを可能とする「生産性基準原理」を自ら否定するものである。また、ステークホルダーとしての従業員をないがしろにするものである。連合は配当や内部留保減額することで労働分配率の引き上げや、賃上げをすべきと主張しているわけではない。バランスの崩れた配分を見直し、公正・公平な分配の確立が必要なことを指摘しているだけである。

昨日のエントリもあわせてご参照いただきたいのですが、経団連は従来からマクロは生産性基準原理、ミクロは支払能力という主張をしてきています。「総額人件費の増加額は〜決定すべき」はミクロの支払能力論の説明で、だからマクロの生産性基準原理を否定しているといえるものではありません。ちなみにきのうのエントリでも書いたとおり、用語が消えるなどごく控えめながらも、生産性基準原理は生きています。また、「利払い費、配当、内部留保なども考慮し」というのは、賃金を受け取る従業員のほか、債権者や株主などのステークホルダーに目配りしているわけですが、連合が従業員を唯一最重視すべきという立場に立つなら「ステークホルダーとしての従業員をないがしろにするものである。」ということになるのかもしれません。このあたりは拠って立つ考え方の違いというところでしょうか。
あと、なにをもって公正・公平とするかの考え方はいろいろあっていいと思うのですが、考え方以前の問題として「配当や内部留保(の)減額」と「バランスの崩れた配分を見直し」との違いはどこにあるのでしょうか。配当も内部留保も減額せずに配分を見直すとなると、あとは役員賞与を減額するくらいしか思いつかないのですが…。

 また、「報告」は、「総額人件費の増加額は個別企業ごとの交渉で決定すべき」とする一方で、賃上げを困難とする企業も少なくないと指摘し、全体として賃金引き上げを抑制するための主張を展開している。しかし、著しく事業収益を回復・向上させる産業・企業が多くある今、マクロの観点から内需喚起のための積極的な対応を促すことこそが「経団連」としての大きな役割ではないのだろうか。このままでは、ミクロの論理だけが突出し「合成の誤謬」の結果として、マクロ経済の足を引っ張る懸念が大きいことを指摘しておく。

経団連は業績好調な企業はそれを賞与に反映すべきとの主張をしていますから、「マクロの観点から内需喚起のための積極的な対応を促」しているともいえると思いますが、まあこのあたりはいろいろ評価が異なってくるところかもしれません。ただ、賃上げが困難な企業に経団連が賃上げを促したところで賃上げするとも思えません(そういう企業の労組は連合が要求しろといってもしないことも多いでしょうし)。まあ、所得の伸び悩みがマクロ経済に悪影響を与える可能性が高いということは言えるでしょうから、個別労使が過度にディフェンシブになることがマクロ経済の足を引っぱる可能性はあるでしょう。それをいいたいのであれば、もっとわかりやすく、かつ労使双方の問題としてそういえばいいのではないでしょうか。

 さらに、90年代後半から今日に至るまでの間、各産業・企業は生き残りをかけて事業構造転換のための様々な施策を展開した。この中にあって、95年5月に旧日経連が発表した「雇用のポートフォリオ」は各産業・企業に波及し、その後の非正規労働者増大の大きな要因となり、今日の深刻な格差問題を生み出すことにつながったと認識する。しかし、「報告」は、「格差社会」や「働く貧困層の拡大」などまるで眼中になく、「日本型雇用システムは全体として健全に機能している」「バブル崩壊後に、新規採用を手控えたことが、就職氷河期に拡大した不幸な歴史を背負っている」との記述にとどまっている。これまでの経営姿勢について反省するどころか一顧だにしておらず、こうした姿勢を容認することはできない。一方の当事者責任として、「若者雇用」の問題解決に責任を果たすことは当然である。連合は、この問題に対応するため、すでに「非正規労働センター」を設置、取り組みのスタートを切っている。地方連合会とも連携を密にし取り組みを推進していくが、経営側に対しても正社員化など積極的な対応を期待しておく。

しかし、左前になって傾きかけたときに採用を抑制したからといってそれを経営者に反省しろというのも無理な話のような気もしますが、まあこのあたりは考え方の違いでしょうか。ただ、日経連が自社型雇用ポートフォリオ理論を発表したから非正規雇用が増加したというのはいくらなんでも買いかぶりだと思います。日経連が「お墨付きを与えた」と言いたいのかもしれませんが、とはいえ日経連に対して「倒産してもいいから採用しろ」という指導力を期待するのも無理でしょう。なお、正社員化については「報告」も「就職氷河期に意に反して期間従業員・パートタイム従業員・派遣社員等となった人々に、長期雇用への道を開いていくことが全社会的な課題であることに疑問の余地はない。企業も、今後とも雇用関係の軸足を長期雇用に置いていく。」と書いていますので、ここでは経団連と連合が一致をみているようです(1月7日のエントリもご参照ください)。

 最後に、「労使関係」の重要性について触れておきたい。
「報告」では、「企業は労使の運命共同体である。労使の緊密なコミュニケーションを基礎においた生産性向上に向けた取り組みこそ、世界に誇ることのできる財産である」としている。連合も、こうした認識を否定するつもりはない。しかし、今次報告は個別労使関係のみを重視した主張展開となっている感がある。言うまでもなく、労使関係には企業や事業所・産業別の段階に加え、ナショナルレベルなど各々の関係強化とつながりによって形成されていることを指摘しておく。また、今日の労使関係は、先達の血の滲むような努力と「生産性三原則」に基づいた取り組みの積み重ねによって確立されたものである。公正・公平な分配への労使の継続した努力があって良好な関係が成立するとの見解を付し、「報告」に対する総括見解とする。

「報告」のいう「総額人件費の増加額は、あくまで自社の付加価値額の増加額の範囲内で、利払い費、配当、内部留保なども考慮し、個別企業ごとの交渉で決定すべきである。」というのは、つまるところ「「生産性三原則」に基づいた取り組み」「公正・公平な分配への労使の努力」にほかならないように思われます。まあ、連合が「報告」を読んで賃金抑制的なトーンを強く感じるのはわからないではありませんし、結果的にもっと多く分配されるのが公正だと考えるのも立場を考えれば理解できるのですが、「報告」は経団連が経営者に言うからこういう言い方になっているという部分も多々あるのではないでしょうか。まあ、交渉事なので、まずは売り言葉に買い言葉というところかもしれませんが…。
以上で「1.総括」が終わりました。次は「2.具体的な見解」ですが、また後日に。