定年廃止はなんの解決にもならない

今朝の日経新聞「経済教室」欄に、清家篤慶大教授の「団塊世代退職で「2007年問題」の懸念 定年廃止視野に大改革を」という論考が掲載されています。さらに、「まず「一律65歳」急げ」「人材難超え生涯現役社会」といった刺激的な見出しが並んでいます。

 団塊世代の退職が本格化し人材不足などが深刻化するという「二〇〇七年問題」への懸念が出ている。これも含めて高齢社会の雇用問題に対応するには、対症療法ではなく、定年の廃止を視野に、まずその六十五歳への引き上げや年功体系の見直しなど制度の大改革が不可欠である。
(平成17年9月16日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

清家氏といえば、自他ともに認めるわが国における高齢者雇用問題の第一人者ですから、力が入るのはわかるのですが、それにしてもこの内容は理解しがたい部分が多いように思います。


まず申し上げておきますが、私は以前から65歳定年論者です。ここでは論じませんが、定年制には非常に多くのメリットがあるため、将来的にもこれを維持することが望ましく、そして定年制を維持する以上は、年金受給との接続は必須であり、したがって年金支給開始年齢が引き上げられる以上は定年延長も必要だと考えているからです。ただ、わが国には充実した退職金制度が存在するなどの事情を考慮すれば、必ずしも満額支給との接続を要するとは考えにくく、老齢厚生年金の支給開始年齢引き上げにあわせた定年延長を実現すべく、労使は努力(その内容もここでは論じません)を開始すべきだと考えています。
さて、こうした私の立場を明らかにしたうえで、今日の清家氏の所論を検討してみたいと思います。
まず、清家氏は、団塊世代が定年退職を迎えるいわゆる「2007年問題」について、企業の対応を批判します。

 たしかに60歳で団塊世代が一斉退職すると、経験豊富な従業員が一気に抜けるから、そのインパクトは大きい。…
 しかしそれは、…1947年生まれの人が、たまたま07年に「60歳定年」を迎えるということに起因する。2007問題の元凶は、60歳で定年退職させるという企業の制度にあるのだ。
 企業が本当に2007年問題を深刻と考えるのなら定年を引き上げるか廃止すればすむことだ。それを天災のようにとらえるのは間違っている。…それは企業が制度を変えようとしないための人災だ。
 もちろんこう言うと、企業の雇用制度はそんな簡単には変えられるものではない、といわれるかもしれない。

もうなんか、第一人者にこんな口のきき方は失礼ながら、いきなり電波ふりまきまくり(笑)。とにかく現状認識からして全然違います。
たしかに、企業が2007年に熟練工が多数定年退職するという問題で困っていることは事実です。で、現実には企業はすでに雇用制度をまことに簡単に(笑)変更して、再雇用制度や雇用延長制度を設けています。で、退職されては困るような熟練工については、この制度を利用して2007年以降も働き続けるよう勧誘しているわけです。つまり、すでに60歳定年を前提に生活設計をしている人のなかには、この勧誘に応じずに、企業は必要としているにもかかわらず60歳での退職を希望している人が多数いるということが問題なのです。
したがって、この問題は、定年を延長したところでなんの解決にもなりません。定年前に退職するのを止めるわけにはいかないのですから。定年前に退職したら退職金は支払わないとかいう懲罰的な制度を入れれば働き続けてくれるかもしれませんが、長年企業に貢献してくれた熟練工にそんな仕打ちができるでしょうか。
それから、清家氏はあたかも1947年生まれの人が、全員「退職されたら困るような熟練工」であるかのように議論していますが、それは現実とまったく異なります。清家氏の所論は高齢者の多様性をまったく無視しています。残念ながら、団塊世代には、退職されては困る熟練工が多数いる一方、(嫌な言い方で申し訳ありませんが)職場が定年を首を長くして待っている人も相当数いるのです。うかつに定年延長したりしたら、辞めてほしくない人が辞め、辞めて欲しくない人が辞めないという目も当てられない結果になりません。下手をすると、定年延長は2007年問題を解決するどころか、2倍に増幅しかねないのです。私は定年延長論者ではありますが、今すぐ定年延長するのは無理だと思います。定年延長は大きな制度変更だけに激変は避けるべきで、団塊世代が60歳定年で退職して以降、老齢厚生年金の支給開始年齢引き上げにあわせて徐々に取り組むのが賢明でしょう。
清家氏は、先般の高齢法改正による継続雇用義務化について、

 問題は、当面の措置として、企業側が就業規則などで基準を定めれば、誰を継続雇用の対象にするか選別してもよい、ということになっている点だ。…年金と退職の接続は先進国の標準ルールでもある。
 雇用について何でもありのように思われている米国でさえ、雇用における年齢差別禁止法によって定年を禁止している。

と主張しますが、米国が定年を禁止していることを持ち出すのなら、日本でもその他の点については米国のように「何でもあり」にすべきでしょう。

  • これまでも繰り返し繰り返し述べているように、私は日本の解雇規制は適切なものであり、その規制緩和はまったく必要ないと考えており、日本も米国のような首切り自在の国にすべきとの主張には反対ですので為念申し上げておきます。もちろん、他の部分ではホワイトカラー・エグゼンプション制のように米国に見習うべき部分もありますが。

そうなれば、相当数の労働者が60歳に到達する前に解雇されるかもしれません。過去十数年、日本企業は定年退職を計画的に織り込んだ「自然減」を中心にして人員削減を進めてきましたが、もしこの間、日本がが定年が禁止されている以外は「何でもあり」だったらどうなっていたか、私は想像したくありません。清家氏は

 さらに長期的には定年退職制度そのものを無くすことも考えるべきだ。われわれの行った実証分析(…)では定年退職を経験すると、60歳代前半の男性が働き続ける確率は20%以上低下する。働き続ける場合も、長年培った能力を活かせる職場で働く可能性が有意に低くなる。定年は本格的高齢社会において、大きな人的資源の損失を生みかねない制度なのだ。

と主張しますが、定年制をなくすかわりに解雇規制を緩和してしまえば、定年(相当年齢)を迎えることなく解雇され失業する人が多数出てくるでしょうから、定年制がある場合以上に「大きな人的資源の損失を生みかねない」のではないでしょうか。マサカ、解雇規制を現状のままにして定年制をなくせ、とおっしゃっているのではないでしょうね。それは「本当に死ぬまで雇用される」究極の終身雇用制の導入ということになりますが、およそ現実的ではないと思うのですが・・・。

 自営業には定年はない。2007年問題というのはサラリーマン社会の問題である。

もちろんそのとおりですが、これとて同じことで、自営業に定年がないのは、自営業が商売がつぶれれば50歳だろうが30歳だろうが職と収入を失うことと表裏一体のはずです。これは、定年がないのがいいなら、サラリーマンをやめて自営業者になればいいということを意味するに過ぎません。

団塊の世代がサラリーマン人生の最後にまた雇用延長の機会を得ようとしている。培った能力を活かし、その能力に見合った賃金をきっちりと受け取る。地位などにとらわれず仕事人間として年齢にかかわりなく活躍できる仕組みにすれば十分可能である。それは2007年問題の発生を防ぐために有効であるだけでなく、その先にやってくる超高齢時代に備えて、「生涯現役社会」を構築するための制度変革を促すことにもなる。団塊の世代にはその生涯現役社会の先駆けとなってほしい。

ここまでくると、もはや何をかいわんや、です。生涯現役社会についてはひとつの理想として私も否定するものではありません。しかし、その実現の方法が定年廃止でなければならないとはおよそ思えません。それこそ、自営やNPO、ボランティア活動、さまざまな生涯現役の形があるはずです。そうしたなかで、ある人は企業の求めによって65歳、70歳、あるいは年齢問わず企業で就労する、そういう人ももちろんいるでしょう。そうした多様性がなければ、生涯現役社会ができるわけがありません。「能力に見合った賃金をきっちりと受け取る」といいますが、「能力に見合った賃金」が最低賃金を下回ってしまったらどうするのでしょうか。ゼロ円になってしまったらどうするのでしょうか。それでも企業に在籍してさえいれば「生涯現役」だということなのでしょうか。
それに加えて、世代間の問題もあります。清家氏は今すぐにも定年延長し、いずれは定年廃止せよとの主張ですが、それは即座に失業者や新卒者の職を奪うことにつながるでしょう。定年延長したところで企業の労働力需要が増えるわけではないですから、その分はどこかにしわ寄せされることは明らかです。そして、現状では、そのしわ寄せがフリーターや高校新卒者に向かうことは明々白々です。清家氏は、若者は「培った能力」がないから、コンビニのアルバイトでもしていればいいと言いたいのでしょうか。現実には、「能力に見合った賃金をきっちりと受け取」れていない若年がたくさんいるのが実態ではないでしょうか。なぜ、すでに職にありついている高齢者ばかりがそんなに優遇されなければならないのでしょうか
私には清家氏の言いたいことがさっぱりわかりません。最後に私の意見をもう一度書いておきます。「65歳定年延長は老齢厚生年金支給開始年齢の引き上げにあわせて実現できるよう労使で努力すべき。定年制廃止は行うべきではない。生涯現役社会は多様な選択肢を通じて実現すべき。」