稲葉振一郎『不平等との闘い』書評

「キャリアデザインマガジン」に掲載する書評を書きましたので、フライングですがこちらにも転載しておきます。

 2014年12月に発売されたピケティ『21世紀の資本』日本語版は、728頁5,940円という大部にもかかわらず、発売後わずか4か月で16万部を売り上げるベストセラーとなった(全世界では優に100万部超を売り上げたという)。翌1月のピケティ来日の前後には、メディアが競ってこれを報じ、解説書・入門書の類が多数刊行され、ビジネス誌が相次いで特集を組むなど、空前のブームとなったことは記憶に新しい。この本も、著者によれば「出し遅れの「便乗本」」だということだ。
 実際、『21世紀の資本』をめぐっては、わが国でも格差と不平等についてさまざまな議論が展開された。たとえば、「週刊エコノミスト」2015年2月17日号の特集記事をみても、「競争と格差があるから意欲が高まり競争力が高まる」「資本は有能な人材に集中させたほうが効率的」といった意見から、「それぞれの国でいわば“心地よい格差”を探る必要がある」「貧困者に注目すると日本は超格差社会で対策が必要」「日本では住宅保有と雇用形態・所得の格差に注目すべき」といった意見まで紹介されている。それぞれに一理ある見解であり、議論は収斂しない。
 もちろん、唯一の正解がある話ではないだろう。しかし、それにしてもこうした状況をどのように整理し、理解すればいいのか。そのためには、この問題を今現在の視点だけではなく、歴史観をもってとらえていく必要があるというのが、この本の基本的な問題意識だ。
 この本は、経済的不平等を扱う学問である経済学が、この問題にどう向き合ってきたのか、その歴史的視座のもとにこんにちの議論を整理した本だといえるだろう。経済学の、まさに書名どおりの「不平等との闘い」を、これまた副題のとおりにルソーやスミスの時代からピケティのこんにちに至るまで、『21世紀の資本』の主たる関心事項である先進資本主義国における不平等を中心に描き出した本だ。
 もちろん、その「闘い」のありようも歴史を通じて一様であったわけではない。スミスやマルクスの時代には、考え方の違いこそあれ経済学は不平等に対して重大な関心を持って対峙してきた。新古典派の時代に入るとその関心は失われていったが、技術革新を織り込んだ内生的成長モデルの導入や労働経済学、特に人的資本論の展開を通じて、1990年代にはふたたび経済学は不平等に強い関心を寄せるようになる。著者はこれを「不平等ルネサンス」と呼ぶ。その議論の高まりの中で登場したのがピケティと『21世紀の資本』だ、というわけだ。
 そうした歴史観をもとに、著者は『21世紀の資本』のエッセンスを紹介し、それを踏まえて不平等をめぐる経済学研究の現状と課題が紹介される。本書の冒頭で紹介された、ルソーやスミスの昔からある平等と成長をめぐる議論は、まだまだ決着していない。経済学の「不平等との闘い」はまだまだ続くのだ。そして最終章では、その背後にある経済思想や哲学が敷衍されてしめくくられている。
 数多くの優れた点を持ち、多くの人に広くおすすめしたい本だと思う。第一に、この本一冊を読めば、現在において不平等を論じる上で求められる経済学的な知識が概ね得られるということがあげられる。古典派経済学、マルクス経済学から新古典派経済学を経て今日の議論、『21世紀の資本』のエッセンスまで、そのポイントが的確かつ明確に指摘され、整理されている。
 第二に、ともすれば難解、晦渋になりがちな内容にもかかわらず、きわめてわかりやすく明快に記述されていることがあげられる。前半の歴史的な部分は読み物としても楽しく読めるし、「不平等ルネサンス」の部分は実はかなりの部分が理論経済学の話なのだが、それにつきまとう難解さをほとんど感じさせない。
 第三に、経済学だけではなく、法学や哲学、社会学の分野にまで幅広く目配りされていることがあげられよう。冒頭紹介したような不平等をめぐるさまざまな意見も、哲学や経済思想の系譜の中に位置づけてみるとかなりすっきりと整理することができそうだ。
 わが国では今、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の処遇の格差に注目が集まっている。現在さかんな「働き方改革」も、さまざまな不平等と結び付いている。今日的な課題だからこそ、歴史的視座もまた重要になる。この本の応用可能性は広く、その意味で普遍的な価値のある本ではないかと思う。