成長促す働き方2

きのうに続いて日経社説「成長促す働き方」シリーズです。きょうはきのうの朝刊の社説「時間当たりの効率高め生活との調和を」をみていきたいと思います。

 長時間労働で利益を上げるという発想では、これからの高付加価値競争には対応できない。「終電車で帰宅するのを良しとする企業風土は、生活用品を扱う会社にふさわしくない」。今年一月から午後七時以降の本社での残業を原則禁止した良品計画松井忠三社長の弁である。
 「無印良品」の店をチェーン化している同社は、社員を仕事漬けにしていては行き詰まると判断した。一律に規制とは乱暴だが、意識を変えるためのショック療法なのだろう。
(平成19年8月20日日本経済新聞朝刊社説から、以下同じ)

じゃあ産業設備を扱う会社は終電帰宅でいいのか、と突っ込みたくなりますが(笑)、一般的に労働時間が長くなれば生産性も低下しますから、業界を問わず毎日終電では効率的な仕事はできないでしょう。
もちろん、業務の都合が許せば、調子のいいときに集中的に働き、不調なときはさっさと仕事を打ち切って調子が上がるのを待つ、というのがおそらくいちばん効率的でしょうから、社説のいうように一律の規制はたしかに「乱暴」ですが、おそらくは「ショック療法」なのでしょう。

 消費者の生活実感に合う良い商品は、長い時間働けば開発できるというものではない。むしろ私生活を大切にした方がアイデアがわく。
 少子高齢化問題を抱えた日本が今後、成長を長期的にはかるためには、体力勝負の勤勉さだけには頼れない。共働き世帯が多数派になったのは十年あまりも前のことだ。専業主婦に家庭を任せられる男性を標準に働き方を考えるわけにはいかない。

これまた、じゃあ私生活を大切にすれば良い商品が開発できるのか、とか突っ込みたくもなるわけで、もちろん長時間にわたって、会社の中でも外でも、考えに考え、悩みに悩みぬいた末にすばらしいアイデアを生み出した、ということだってたくさんあるわけです。むしろそちらの方が多いかもしれません(根拠なし)。ただ、「風呂の中で名案が浮かんだ」とかいう話がよくあるように、常に頭の中から仕事がなくならない、しかし会社にべったりで働いているわけでもない、といったところが実は大事だということなのかもしれません。

 長時間労働を是正して仕事と生活との調和をはかる「ワークライフバランス」を、官民あげて目指そうという動きが始まっている。
 政府の経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会は、「ワークライフバランス憲章」と行動計画をまとめて国民運動を起こすべきだと提言している。同調査会が今春、諮問会議に提出した第一次報告は、残業時間の半減や年次有給休暇の完全消化などの労働時間短縮のための具体的な目標を掲げている。
 厚生労働省は先の国会に、一カ月の時間外労働が八十時間を超えた場合、残業分の賃金の割増率を現在の二五%から五〇%以上に引き上げる労働基準法の改正案を提出した。極端に多い残業をコスト高にして減らそうとの狙いである。しかしこれだけで改善できるとは思えない。
 過労死を招きかねない長時間労働はいけないが、基本的には個人がそれぞれの意思に基づいて、多様な働き方を選べるようにすべきだ。各個人の必要に応じて仕事と生活の両立をはかれる仕組みが望まれる。

なかなかいいことを言っています。大切なのは、長時間労働をすべて悪者にするのではなく、もちろん健康を害するような恒常的な長時間労働は論外としても、ワークライフバランスのあり方については個人・家庭の自由な選択を幅広く認めるということでしょう。専門調査会の第一次報告も基本的にはそうした立場に立っていると思われますが、世間の議論になるとともすれば「あるべきワークライフバランス」といったものを画一的に決めようという議論になりがちなので注意が必要でしょう。
労働時間短縮を選択したいのであれば、それによる収入の減少(残業時間の半減は当然残業代の半減につながります。そういう意味では、「ワークライフバランス憲章」は掛け値ナシの「残業代半減憲章」です)について受け入れられるかどうかが重要になるでしょう。収入は減るけれどそれ以上にワークライフバランスのメリットが大きい、という観点で各個人・家庭がみずからのワークライフバランスを考える必要があるでしょう。
なお、年次有給休暇の完全取得をめざすのであれば、諸外国で行われているように、時季指定権の労働者から使用者への(一部)移転を考える必要があるかもしれません。また、社説はここでなぜか割賃の引き上げについて言及していて、「極端に多い残業をコスト高にして減らそうとの狙い」だが「改善できるとは思えない」と述べています。何を言わんとしているのかはよくわからないのですが、割賃の引き上げは長時間労働する人への配分を増やすということですから、かえって長時間労働を促進するというのが実態に近いのではないかと思います。

 出産などで負担の多い女性や高齢者、労働の考え方が違う外国人などにとっては、拘束時間が長く融通のきかない職場環境では働きにくい。入社後三年程度の間に転職する第二新卒者があげる転職の理由で最も多いのは、人材あっせん会社のリクルートエージェントが今春実施した調査によると「忙しすぎて、ゆとりがなかった」(三九%弱)である。
 人材難に悩まされる小さな企業の中には、いろいろ工夫しているところがある。コンピューター関連のベンチャー企業、クララオンライン(東京・江東)は原則として、定時で退社するのも仕事を続けるのも働く人の自由意思に任せている。多くの企業ではまだ珍しい男性の育児休暇の取得も当たり前で、子育てのための時間短縮勤務も認めている。
 同社では約七十人の従業員の半数がフランス、ロシア、マレーシア、中国、韓国などの外国人であり、四割は女性である。「価値観の多様性は社風になっており、個人の事情に合わせたワークライフバランスを考えている」と家本賢太郎社長は言う。狙いは優秀な従業員に長期勤続を促すことにある。
 中小企業は柔軟な人事制度を自由につくれる利点を生かして人材確保をはかるべきだろう。東京商工会議所は成功事例や公的支援策などの情報を収集し企業に提供している。

女性や高齢者、外国人について語り始めて、いきなり第二新卒の意識調査を持ち出してくるというところがなんとも不可解というか不思議です。まあ、新卒者ですらゆとりがないのだから、女性や高齢者、外国人もさぞかし働きにくかろうという趣旨でしょうか。未熟練で一から仕事を覚えなければならない新卒者がヒマで困るというのではそれこそ困るわけで、「忙しすぎて、ゆとりがない」というのはむしろ当然だと思うのですが、回りが忙しすぎてかまってもらえないのが不満だったということかもしれませんが…。
まあ、時間的に融通をきかせる工夫をすることが大切だというのはそのとおりなのでしょう。もっとも、「定時で退社するのも仕事を続けるのも働く人の自由意思」については、一般的な企業でも、就業規則などの建前としては「残業は所属長の指示で行う」とされているとしても、現実にはホワイトカラーの大半は「いつまでにこの仕事を」といったかなり包括的な業務指示のもとに、日々の就労については定時で帰るか残業するかは個人が自由に判断しているのが実態ではないかと思います。育児休業や時間短縮勤務については、まさに各企業が「工夫」するところでしょう。経営(すなわち雇用)が必ずしも安定していない小規模ベンチャーにおいて、賃金をあまり高くできないとすれば、こうした面での融通を賃金に代わる魅力として提示するということは十分に考えられます。育児休業制度などのコスト増に対しては経団連以上に否定的な東商が事例紹介などを行っているというのが面白いところで、使用者団体は規制に対して過剰に否定的に反応するように感じられますが、それはおそらく一律的な規制に対してであって、個別企業は必要に応じてさまざまな知恵を出しているということなのでしょう。

 無駄の多い長時間労働を減らすには、働き方を革新する民と官双方の多角的な取り組みが不可欠だ。企業は、個人の成果を一時間当たりの生産性で測るようにすべきだ。総労働時間が短くても、一時間当たりの生産性が高い人をきちんと評価すれば、なるべく短時間に集中して働くように変わり効率も上がるだろう。
 仕事の分担と権限も変えるべきだ。各人の分担をはっきりさせる。まとまった仕事を権限委譲し個人の責任で進められるようにしたらいい。パソコンのネットワークを利用する在宅勤務も、通勤時間の節約などに効果的だ。
 経営者は画一的な仕事の進め方を改めるためにリーダーシップを発揮してほしい。

「個人の成果を一時間当たりの生産性で測るようにすべきだ」とかいうのを読むとゲッソリするんですよねぇ。成果をどうやって生産性で測るんですか。一般的には、産出量(≒成果)を投入量で割り算したものが生産性といわれるのだと思うのですが。「個人の評価を成果ではなく生産性で行うべきだ」とか書いてくれればまだわかるのですが。
人事管理上はさらに「生産性で評価するのが本当にいいのか」という問題があります。生産ラインのようにアウトプットが確実に見込める仕事なら生産性で評価するのもいいでしょうが、研究開発やさまざまな企画業務などは同じように資源を投入してもケースバイケースで大きな成果があがることもあれば、あと一歩のところまでいきながら結局うまくいかないということもあります。こういう仕事だと結果としての生産性だけではなく、プロセスも相当重視する必要も出てきて、結局のところは生産性とも密接な関係がある「能力」での評価もやはり大切だということにもなるわけです。
いずれにしても、昔あったような(本当にあったかどうかは知りませんが)「あいつは毎日遅くまで残業してがんばっているから昇給、昇進させよう」という評価ではなく、能力や生産性をもとに昇給や昇進させよう、というのはまことにもっともな指摘です。まあ、いまさらそんなこと言われなくてもという感は多々あるのですが、そうでもないのかな。徹夜で働くのが偉いんだ、みたいな多忙自慢もまだあるところにはあるのかもしれません。
分担と権限については仕事の中身によるでしょうが、権限委譲が業務効率化や意思決定の迅速化に重要なことは間違いないとして、重要なのはその次の在宅勤務です。通勤時間の節約もさることながら、ワークライフバランスの観点からも、時間の有効活用につながる方策として有望ではないかと思います。ここのところは経営者のリーダーシップだけではなく、法制度上の対応も必要になってくるでしょう。

 厚生労働省が、ホワイトカラーの労働時間規制を適用除外するエグゼンプション制度の導入をはかった時、残業代を無しにする制度だと批判されて頓挫した。集団主義的な雇用慣行のままでは不安が生じるが、個人が自律的に働ける態勢が広がれば、働く人が自分の裁量で労働時間を管理できる制度として機能する。
 企業の業務改革と並行して、エグゼンプション制度も含めて働き方の新たなルール作りを進めるべきだ。

うーん、まあこれはこれまでも散々書いてきたので改めては書きませんが、ホワイトカラー・エグゼンプションについては、労働時間管理というよりは賃金支払方法の問題として議論しないと混乱するように思います。ホワイトカラー・エグゼンプションの対象者であっても、健康確保のためには使用者が労働時間管理類似のことは行う必要があるわけですし。