hamachan先生、新しい労働時間制度で「高給の非管理職に高すぎる残業代を払わない」ことは難しいと思います。

昨日の読売新聞の「論点スペシャル」で労働時間制度が取り上げられ、経団連の椋田専務理事、全国過労死を考える家族の会の寺西代表とhamachan先生のお三方が登場しておられます。
椋田氏と寺西氏のご所論にも申し上げたい点はありますし、特に椋田氏がまたしてもワークライフバランスを持ち出しているのは本当にそろそろやめてほしいと思いますが、今日はhamachan先生のこれがどうしても気になるので一言申し上げたいと思います。

 経営側はなぜこの制度の実現に力点を置くのか。「自律的な働き方ができる」「ワーク・ライフ・バランスの実現を後押しする」と主張するが、これは「残業代ゼロ」という批判をかわすためのものだろう。実際は「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」という、これはこれでもっともな理由があるのではないか。1990年代以降、管理職ポストが絞り込まれる中、こうした中高年の非管理職が増えているからだ。成果に基づく賃金の支払い方はあっていい。
 そもそも別の話である残業代という「賃金」と、長時間労働という「時間」を一緒に議論するから混乱する。賃金は、労使間で労働協約を締結することを前提に労使交渉で決める。時間は、健康の観点から絶対的な上限規制を設ける。分けて議論をすれば、労使双方が納得できる着地点を見いだせるだろう。
平成26年10月28日付読売新聞朝刊から)

hamachan先生はこのところ(だと思うのですが)「実際は「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」という、これはこれでもっともな理由があるのではないか」というご意見を述べられることが多く、おそらくは海老原嗣生さんあたりの話を聞いてそう思い込まれているのではないかと想像しているわけですが、これはおそらく間違いではないかと思います。

  • (10月30日追記)この記述について、hamachan先生から「それは7、8年前からの持論です」との苦情を頂戴してしまいました(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-d207.html、下にトラックバックがあります)。ご紹介をいただいた『労働調査』2006年10月号では、なぜか上記エントリでは引用されていないのですが「管理職並みの高給を得ているスタッフ職にまで時間外手当を全額払うということになったら、労働者内部で問題が起こってしまうだろう。近年の組織のスリム化の中で、こういう処遇のための管理職ポストが減ってきていることも、使用者側がホワイトカラーエグゼンプションの導入を求める要因の一つになっているのではなかろうか。」という記述がたしかにあります。たいへん失礼いたしました。お詫びして訂正します。
  • (10月30日追記)ただ、若干の弁解を試みますと、「管理職並みの高給を得ているスタッフ職にまで時間外手当を全額払うということになったら、労働者内部で問題が起こってしまうだろう」と「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」の間には、心理的にはかなりの距離があるようにも思えるわけで、そういう意味では表現面が海老原氏的になってきたのではないかとの印象は依然としてあるようには思います。
  • (10月30日追記)なお、「近年の組織のスリム化の中で、こういう処遇のための管理職ポストが減ってきている」に関しては、処遇のためにするポスト作りなら(その処遇をする用意があるかぎり)ほぼいくらでも作れます。1人の経理課長の下に、たとえば経理担当課長といった肩書で複数人の課長待遇のスタッフをおくことはそれほど難しい話ではありません。これはhamachan先生も上記『労働調査』記事などでご指摘のとおり、こうした処遇のためのスタッフ管理職待遇がどんどん増えており、そうした実態と労働法制の乖離を修正しようというのが前回のホワイトカラー・エグゼンプションの意図の一つだったと思います(これに関しては最近のエントリでも言及しました。http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20140516#p1の最後の方)。もちろんそれをあえてやらない企業というのもあり、それはおそらく「課長」という呼称のブランドを守りたいという趣旨なのでしょう。
  • (10月30日追記)ちなみに、もう一つ長い引用付きでご紹介いただいている『世界』論文には「処遇のための管理職ポストが減ってきている」「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」という趣旨の記載はないように思われます。なおこの論文の趣旨と思われる「賃金計算の規制と健康確保のための労働時間規制は別物」とか、(この2つの論文では出てこないようですが)「エグゼンプションでワークライフバランスなんて虚妄」とかいった主張については私も概ね同意見で、このブログでも2007年の1月から4月にかけてかなりまとまった分量で論じていますが、たしかに『世界』に論文が載るレベルの言論人で当時からこのような意見を述べていたのはhamachan先生くらいしか見当たらないことも事実で、それに関しては大いに敬意を払うところです。もちろん全面賛成というわけではなく、「自律的」云々については言葉の定義次第(だから定義が大切)ですが、規制に関してはその手法と範囲・水準については一定の相違がありそうですし、エグゼンプションが「残業代ドロボー対策」かどうかについては私は明確に否定的です。

いやもちろん、「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」というのは、多くの人事担当者に共通する問題意識だと思われ、こうした意識が存在することはまったく否定しません(というか全力で肯定します)し、実際にこの新しい制度はそうした「高すぎる残業代」対策だと思い込んでいる人事担当者というのもけっこういそうな気もします。しかし(彼ら彼女らにとっては残念ながら)、この新しい制度が目指すところはそれではないでしょう。
なぜかというと、この記事でも椋田氏が明言しているように、この制度が本人同意を要件としており、それに対して企業サイドも賛同しているからです。つまり、企業としてこの制度を利用してほしい人からは同意が取り付けられると考えているということになります。もし、これがhamachan先生がお考えのような「高すぎる残業代対策」だとしたら、本人に事実上の「拒否権」を与えることに企業サイドが同意するわけがありません。
もちろん、反対する人は労使間の力関係ガーと言って水掛け論になる可能性がありますが、しかし少なくとも当面は過半数労組のある企業のみを対象とすることで本人同意の実効性を担保するということも企業サイドから言い出しているわけですから、企業としては同意したくない人は同意しなくても差し支えないという考えなのでしょう。
もう少し詳しく書きますと、2005年当時から、この制度の対象となるのは「管理職一歩手前の人」とされていました。管理職一歩手前というと、社内資格でいえば係長クラスくらいでしょうか。当然、hamachan先生の言われるとおりの、それなりに高給の非管理職ということになるでしょう。しかし、その実態はかなり多様です。
ひとつの典型としては、同期の中でも先頭集団で係長クラスに昇格した、年のころとしては30歳そこそこの人が考えられます。前途洋々であり、さらなるキャリアに大きな野心のある人たちです。
それと対照的な典型として、すでに係長クラスに10年以上とどまり、年のころは40代後半以降という人も考えられます。すでに先は見えており、うまくいけば定年までに課長クラスにはなれるかもしれないけどさあどうでしょう、という人です。
もちろん現実にはこの2つの典型の間に多くの人が連続的に分布しているのだろうと思いますが、とりあえずこの2つのタイプで議論を進めると、前者が新しい制度の対象として想定されることには大方の異論はないでしょうし、私はこうした人たちが興味や関心好奇心のおもむくままに思う存分「働く」ことができるようにすることがこの制度の主な趣旨だと思っています。こうした人たちにとっては目先の残業代より将来のキャリアのほうがはるかにインセンティブとして重要であり、したがって新しい制度の適用にも同意すること人がほとんどではないかと思われます。
いっぽうで、後者のタイプはというと、先行きが見えてしまっている中では「あるかどうかもわからない昇格よりは月々の残業代のほうが大切です」という人も相当割合で存在するものと思われます。残業代が生計費に組み込まれている実態があるとしたらますますそうでしょう。となると、新しい制度を適用しましょうと言われても同意しませんという人もかなり出てくるのではないでしょうか。もちろん多少の度胸は必要かもしれませんが、法で不利益取扱いが禁止され、過半数労組によるガバナンスもあるということであれば、そのハードルはそれほど高くないものと思います*1。なるほど、こうした人たちの残業が増えると人事担当者からは「高すぎる残業代」という問題意識も出てくるでしょうが、本人同意要件があるかぎりはこの新しい制度はその対策としての効果は限定的でしょう(ただしどの程度に限定的かはやってみなければわからないことは認めます)。
ということで、hamachan先生が随所で「本当の目的は管理職になれない中高年の高すぎる残業代対策」と主張しておられるのはどうも的外れの感が否めないように思うわけです。
さてこの話はここまでなのですが、ついでに関連して「高すぎる残業代対策」についても少し書いておこうと思います。
この対策も大別2つがあると思われ、ひとつは年収が残業代コミで課長クラスに近づいてきた係長クラスの人は課長クラスに昇格させ、管理職待遇ということで労基法上の管理監督者扱いにしてしまう、という方法です。もちろん労働基準法が当初想定した管理監督職とはほど遠いわけで、ときおり「おかしい、残業代払え」という訴訟なども起きているようですが、圧倒的多数は、まあ課長待遇でこれだけの収入があるなら時間割で残業代もらわなくてもいいか非組合員になって組合費も払わなくてよくなるしあーこらこらこら、まあそういうことで文句はありませんということになっているわけです。ここのところを法制度的に明確にしましょうというのも2005-2006年当時のホワイトカラー・エグゼンプション論議の大きな関心事でした。そこでまあ文句のない年収はどのくらいかということで900万円とかいう年収要件の話になっていたという面もあると思います(もちろんこの話はもっと多面的でしたが)。
もうひとつは係長クラスにとめおいて残業の上限を設定したり賞与などで調整したりするという方法で、現実にはこの2つの手法の組み合わせになります。つまり、年齢が比較的高くなく、したがって賃金水準もそれほど高くはない人については後者が多く、年齢が上がるにつれ昇格が増えて前者の割合が高くなる、という運用になるわけです。最終的にどれだけが後者に移行するかは個別企業の賃金制度や賃金水準、人事管理のポリシーによって様々ではないかと思いますが、ざっと探した限りでは直接該当するようなデータは見当たりませんでした。
それに近いものとして、昇格者の割合について連合が毎年の「賃金レポート」で賃金センサスを集計したデータがあり(http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/shuntou/2013/shuukei_bunseki/12.html)、それによると2012年の男性大卒50-54歳で部長級が23.8%、課長級が20.4%となっていて計44.2%となっています。ただ賃金センサスの役職者の定義はかなり厳格で、部長級とは本社(店)、支社(店)、工場、営業所などの事業所における総務、人事、営業、製造、技術、検査等の各部(局)長を含むが、部(局)長代理、同補佐、部(局)次長を含まないとされています。一応、所轄部門を運営する業務に従事する者及びこれらと同程度の責任と重要度を持つ職務に従事する者をいうとされていますが、まあこの定義だと該当するのはライン管理職か相当数の部下を持つ部長待遇職でしょう。課長級についてもおおむね同様で、該当しないとされている部次長や課長代理がどこに入っているのかは、ウェブ上で公開されている賃金センサスの元ネタにざっとあたった限りでは不明でした。
実際には50代になるとポストを外されて参与とか主幹とかいった肩書をあてがわれている人というのも相当にいそうで、そういう人は回答者によっては非役職の箱に入れているかもしれません。ということで、極論すればほぼ確実に管理職待遇でないと言えそうなのは係長職にある数%の人で、まあ他役職や非役職の中にもそうでない人は相当割合含まれているようですが、少なくとも44%というのは本当にミニマムであると考えたほうがよさそうです。
ということで、これはまあまるっきりのヤマ勘ですが、大企業・大卒であれば、労働基準法上の管理監督職に相当するような管理職になれなかった中高年についても、出向先などでそうなっているといった例も含めれば、まあ定年までには60〜80%は管理職待遇になっているのではないかという印象はあります。ただ繰り返しますがこれは本当にヤマ勘なので、なにか適切な資料をご存知の方にはぜひご教示願えればと思います。

*1:ただし、当初は同意したものの残念ながら年を経て先が見えてしまった人がどのタイミングで同意を撤回するのかというのは別の問題としてあると思います。