混乱続く日経の議論

同じネタの繰り返しで恐縮ですが、本日の日経新聞の社説が労働時間制度を論じていますので取り上げたいと思います。お題は「労働時間改革で成果重視へカジを」となっていて、通常2タイトルのところ今日はこの1タイトルと力が入っています。
一応、それ以外の話も最後に少し入ってはいますが、大半はお題にもあるようにホワイトカラー・エグゼンプションの話です。

…労働時間の管理を定めた労働基準法は工場労働者を念頭においている。いまは経済のソフト化・サービス化やグローバル化が進み、創造性などが求められる仕事が増えているため、労働時間規制の見直しは理にかなう。働く時間を本人が柔軟に決められるようにして成果を生みやすくすれば、日本の成長力の向上につながる。
 労働力が減っていくなかでは1人あたりの生産性向上が重要になる。労働時間の配分を本人の裁量にゆだね、成果を出すことを意識させる制度は、人口減少時代に即したものともいえるだろう。
…労働時間規制の緩和・撤廃が過重労働を助長しないかという疑念が労働組合などにあるのも理解できる。労働時間規制の改革にあたっては、休日や休暇の取得を促すなど、働き過ぎを防ぐ十分な対策を講じることが必要だ。
 厚労省は新しい労働時間制度の対象者として、為替ディーラーなど高度な専門職を考えている。ただホワイトカラーの生産性を上げるという制度本来の狙いからすれば、より多くの社員を対象にすることが望ましい。そのためにも過重労働を防ぐ対策に真剣に取り組まなければならない。
 そのカギのひとつは、「何でもやる」正社員のあり方を改めることだ。職務がはっきりしている欧米と違い、日本では仕事の内容を定めずに雇用契約を結んでいるため、ほかの社員との間で受け持つ範囲が明確に区別されていない場合が多い。会社から言われるままに仕事が増えがちになる。
 職務の線引きがあいまいなことはチームワークを生んでいる面もあるが、過重労働を招いている点は見過ごせない。企業が日本的な雇用のあり方を見直して一人ひとりの職務内容を明確にし、日々の仕事量を自分で調節できるようにする必要がある。
 そうすることが、忙しいときは集中して仕事をし、一段落したら十分に休むというメリハリをつけた働き方につながる。
 もちろん社員の健康管理を入念にすることも欠かせない。企業は産業医との連携を密にして、定期健康診断以外にも受診の機会を増やすなど工夫すべきだ。
平成26年6月2日付日本経済新聞社説から)

過去なんども書いてきましたが、ホワイトカラーの新しい労働時間制度は「私の仕事は時間の切り売りではありません」というハイパフォーマーとその予備軍が「働き過ぎ」にならない範囲で自由に働ける制度と考えるべきだと思います。こうした人たちの働き方の特徴は業務と勉強の境界がはっきりしないところであり、以前連合総研の研究会に呼んでいただいた際に、こんな事例を書いたことがあります。

 F君はある企業でマーケティングの企画を担当している28歳の青年である。仕事は面白いし、そろそろ係長昇格も近づいていて意欲も高い。主力商品の一つを任されていて、ときおり業務の進行状況を上司に報告し、包括的な指示を受ける。ときには課題について相談して助言をもらうこともある。目下の懸案はライバル社の類似商品に対抗するための販促企画である。
 ある日F君はいつもどおり起床し、日経新聞を読みながら定時の9時に出勤した。午前中は何度か後輩に日常取引について指示したほかは目下の懸案に没頭し、昼休みは業界誌を読みながら弁当をつつく。頭にあるのはやはり販促企画だ。午後は会議の予定が2件あり、上司への報告が終わると外出し、まず得意先と打ち合わせを持つ。次の広告代理店での会議まで少し時間があるので、喫茶店でスポーツ新聞を読みながら1時間くらい時間調整した。会議終了後帰社すると定時の17時を過ぎていたが、午後の会議の報告書を作成して18時過ぎに職場を出た。報告書の出来はF君としては正直なところ不満で、もう少し手を入れたかったが、一応用は足りるだろう。このところ不景気で残業は1日1時間と制限がかかっているし、労組も労働時間短縮キャンペーンをやっているから、まあ仕方がない。その後、F君は会社の資料室に行って関連法規について調べた。当面の業務では必要はないが、次の人事異動で希望の職場に異動できれば役に立つし、うまく資格が取れれば将来転職するときに有利だろう。2時間後、F君は資料室にあったマーケティングの新しいテキストを借り出して、帰途読みながら帰宅した。期待どおり、役立ちそうな材料の多い本だ。21時に帰ると配偶者が「遅かったですね」というのでF君は「残業でね」と答える。入浴と食事を済ませたF君は、忘れないうちに、ということで本から得たアイデアを30分くらいかけてノートにメモしたが、そうしているうちに報告書の出来がどうしても気に入らなくなり、結局こちらもテレビのスポーツニュースを見ながら1時間かけて作り直してしまった。就寝は24時。
 さて、F君の「労働時間」は何時間だろう?F君の配偶者は、F君の労働時間はどのくらいだと思っているだろう?

こういう仕事・働き方をしている人は相当割合いるのではないかと思うのですが、これについて労働時間は何時間であり、割増賃金はいくらだ、という議論をするのはあまり意味がないのではないか、という話だろうと思うのです。ハイパフォーマー予備軍のさらに予備軍、まあ修士で経験年数4〜5年くらいまでは、あるいは職場にいた時間が労働時間、くらいの割り切りで時間割で賃金を払うのもいいでしょうが、それ以上のレベルでは時間割計算はナンセンスでしょうと。
で、この設例をみてもおわかりのとおり、社説のいう「働く時間を本人が柔軟に決められる」とか「労働時間の配分を本人の裁量にゆだね」とかいうことは、実はすでに相当程度実現している。実現しているからこそそれに適した賃金のあり方を考えるべきだという議論なのであり、労働時間規制を緩和すれば「働く時間を本人が柔軟に決められる」とか「労働時間の配分を本人の裁量にゆだね」られるとかいうのは、そもそも議論が転倒しています。
また、「1人あたりの生産性向上が重要になる」というのはそのとおりと思うのですが、単純に考えて1人あたりの生産性向上=1人当たり出来高の増加には労働時間を増やすか、時間当たり出来高≒能力を向上するしかありません。残業代ドロボーの残業代を取り上げてみたところで出来高が不変なら1人当たり生産性は変化しません。
つまり、きわめて当たり前の話ですが、1人あたりの生産性向上にはなにより能力向上が重要ということになります。したがって、上記の設例でいえば、F君が資料室であれこれ調べたり、必要以上にいいできばえの報告書をつくろうと努力したりして、自分の能力を伸ばしていくことが大切なのです。
このとき、F君は資料室で調べものをしている時間や自宅で報告書の手直しをしている時間は割増賃金を受けるという意味での労働時間ではないと割り切っており、逆に外回り途中の時間調整は事実上休憩時間にあててしまっていますがやはりまあ所定賃金の支払われる所定労働時間だと割り切っているわけです。F君のようなハイパフォーマー予備軍であればたいていはそうではないでしょうか。
とはいえ、外部から労働法的にみれば、資料室といえども会社内だから割増賃金を支払うべきではないかとか、報告書の手直しはふろしき残業(持ち帰り残業)ではないのかとかいった議論もありうるでしょう。となると、法令順守に防衛的な企業は、資料室を閉鎖したり、業務資料・データの持ち出しを禁止するかもしれません。その結果はというと、F君のようなハイパフォーマー予備軍の能力向上が阻害されることになるでしょう。
要するに、ホワイトカラー・エグゼンプションの議論は、F君のようなハイパフォーマー予備軍が、労働時間管理などは気にせずに、報告書を気に入るまで手直ししたり、資料室から資料を自席に持ち込んで業務と関係づけながら勉強したりできるようにしようという話なのです。そして、それを通じてハイパフォーマー予備軍の能力を伸ばし、ハイパフォーマーを増やしていくことで、生産性も向上すれば、「日本の成長力の向上につながる」ことにもなるわけです。
でまあそういう人は意識も意欲も高いのでともすればやり過ぎに陥る危険性があるからそこは集団的プロセスによるチェックに加えて最低休日規制や医療的配慮の義務化などで対応が必要になると、これも繰り返し書いているとおりです。
そこで社説のいう長時間労働対策として「「何でもやる」正社員のあり方を改めることだ。職務がはっきりしている欧米と違い、日本では仕事の内容を定めずに雇用契約を結んでいるため、ほかの社員との間で受け持つ範囲が明確に区別されていない場合が多い。会社から言われるままに仕事が増えがちになる」という話ですが、たしかに私の仕事はこれです、これ以外の仕事はしません、としておけば仕事が増えることはなかろうという趣旨はわかります。ただ、仮にそうしたとしても、ハイパフォーマーやその予備軍は興味・関心のある仕事を掘り下げてみたいという気持ちは強いわけで、であればジョブ・ディスクリプションが明確でないほうが周辺分野の知識や経験を深めることができるようにも思われます。逆に、私の仕事はこれだけですと決めたところが思いのほか業務量が大きくなるということも想定されるわけで、その場合にではすぐにハイパフォーマーと同様のパフォーマンスを発揮できる人材を確保できるとも思えず、結局は同僚の助けを得たほうがということも十分に考えられるでしょう。結局のところそういうことは社説が書くほどたやすく・すぐにできるものではありません。
いずれにしても大切なことは業務量にてらして要員が適正かどうかであり、直接的には集団的労使関係の中でのチェックや苦情処理制度を通じての確保、さらには間接的に適正化につながる法的規制(上記最低休日規制など)が必要になってくるでしょう。