日経社説が微妙な件

日経新聞は一昨日の社説で「人材の処遇も育成も「世界標準」に」と訴えました。「日本型雇用では戦えぬ」など、刺激的な小見出しが並んでいるのですが、読んでみるとかなり微妙な感じです。

…創業から100年余りたつ日立製作所。「日本的経営」の代表例であるこの企業が迫られているのは、人材をすべて自前で育てる日本型雇用システムとの決別だ。
 日立の家電部門は海外事業の拡大に伴い、現地法人経営などを担う「グローバル人材」が現在の約350人から2015年には約520人必要になると試算した。差し引き170人の海外事業要員を3年で育てるのは至難だ。外国人を含めた中途採用の拡大で補わざるを得ない。
 新卒段階から長期にわたって社員を雇い、必要な技能や知識を備えた人材を自社で養成するのが日本型雇用だった。若手や中堅のときは賃金を抑え、その後厚くする年功制は、時間をかけて熟練の労働者を育てるのに役立った。長期雇用を通じて会社への帰属意識も高めることができた。
 そうした日本型の雇用モデルでは、世界の企業と戦えなくなっていることを日立の例は示す。需要が増えるグローバル人材を賄うには「内製」では追いつかない。
平成24年7月30日付日本経済新聞朝刊「社説」から)

日立さんが具体的になにをされようとしているのか私は知らないのでピンボケの議論かもしれませんが、連結で32万人という日立製作所の規模から考えると170人というのはかなり限定的な要員ニーズであることは間違いないでしょう。社説はあっさり「現地法人経営などを担う「グローバル人材」」と書いていますが、具体的に特定の現地法人経営を担うのは現地人のトップマネジメントでありその意味では現地のローカル人材です。日立さんのお考えになる「グローバル人材」はそういう人材ではなく、日立グローバル本社の経営理念や経営方針などを正確に理解・体現し、世界各国の現地法人の現地人トップにそれを理解させ、ともに実践していく人材なのではないかと思います。そういう人が全体の0.2%くらい必要だと。
で、ビジネスのグローバル展開が進めば進むほどにそうした人材がすべて日本人であるよりは多国籍であるほうがビジネス上は望ましいわけで、実際に外国人をそうした役割に採用・登用している例はすでに相当あるのではないかと思います。これに限らず中途採用は当たり前に行われているのであって、「人材をすべて自前で育てる」のが「日本型雇用システム」だと定義するのであれば、そんなもの昔からなかったとしか申し上げようがありません。
逆に言えば、もし日立さんがこれまでそうした「グローバル人材」を日本人だけでまかなえてきたのであれば、それはむしろ日立の人材を「内製」する育成力が非常に優れていることの証明だろうと思います。いずれにしても、これをもって「日本型雇用システムとの決別」だの「日本的雇用では戦えない」とかいうのは飛躍が大きいというか、いかにも大仰な話だなあと。

 賃金制度も年功色が濃くては、外部から戦力になる人材を獲得しにくい。成果に見合った報酬で優秀な人材を集める海外企業と比べ、競争力の差も開くばかりだ。
 経済が安定して伸びたときに適していた日本型雇用システムを、グローバル化で環境変化の激しい時代に対応した仕組みへと、企業はつくり変える必要がある。
 まずは年功制から成果・実力主義への改革を徹底すべきだ。一橋大学川口大司准教授によれば、賃金制度は年功色が徐々に薄まってきたが、今も右肩上がりの賃金カーブが勤続30年ごろまで続く。社員の生産性に連動した形へ改める余地は大きい。
 そのうえで国内外の製造販売や研究開発の拠点間を、日本人も外国人社員も柔軟に移れる仕組みが要る。どの仕事にはどれだけ報酬を出すかといった人事処遇の基準を、米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)などは1990年代から世界共通にしている。
 日本企業も管理職を中心に、評価や処遇の基準を世界で統一する動きが出ている。海外企業では常識の人事制度の世界共通化を今後は一般の社員にも広げたい。

520人のグローバルエリートと残りの32万人を一緒にしてどうするんですか六甲アイランド東京オペラシティで働いているプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパンのローカルスタッフ(要するに日本人)が米プロクター・アンド・ギャンブルと同じ報酬で働いているのかどうか、ちょっと考えてみれば想像つきそうなものですが。仮にそうだったら今の円高じゃ人材流出が止まらないのではないかと
逆にいえば、日本人の係長クラスが中国やインドの拠点に技術指導や経営管理のために派遣されるなんてことはそれこそざらにあるわけで、その時に派遣される日本人の賃金がローカルスタッフ並にするのが「柔軟に移れる仕組み」であるとは到底思えませんし、現地人に日本人並の賃金を払うのかといえば即座にはそうでもないでしょう。労働市場というのはさまざまなマーケットの中でも最もローカルなものの一つであり、基本的には現地の制度や慣行に従いながら特色を出していくものではないかと思います。

  • もちろん中国ではその格差がはなはだしいことがストライキの一因となって現地の賃金水準が上がったりしましたし、米国では米人と日本人の報酬が同等であることを求められる(というかまずは米人の雇用が求められる)など、話は簡単ではないわけですが。

だからこそ「日本企業も管理職を中心に、評価や処遇の基準を世界で統一」、それもある程度上級の管理職について「世界で統一」しているわけです。これはたしかに各国の多国籍企業で多く見られるものであり、海外企業だけでなく日本企業でも常識となりつつあると言えるかもしれませんが、しかし一般社員にまでこれを拡げるというのは「世界標準」でもなんでもなく端的に無理であり常識どころか非常識と申せましょう。

 人材の養成方法も見直すときだ。日本企業は社内で経験を積ませて社員の知識の幅を広げ、専門性も高めてきた。だが世界の企業と戦うには外国の言語、文化や習慣などにも通じる必要がある。
 韓国サムスン電子は若手を各国に送り込み、仕事はさせずに自由に活動させて「グローバル人材」を育てる。外国売上比率の9割という高さは人材養成が支える。アサヒビールも若手を海外に派遣し異文化体験をさせている。人づくりも世界を舞台にする時代だ。

「若手を各国に送り込み、仕事はさせずに自由に活動させて「グローバル人材」を育てる」というのは確かに面白い取り組みだと思うのですが、「人材を自前で育てる」という点においてはまさに日本型雇用システムと同様ではないかと思うのですが。「仕事はさせずに自由に活動」というのと現地相手のビジネスや現地でのビジネスの経験を積むのと、国際経験を積ませて人材を育てるという点では大きな違いはないと思いますし、アサヒビールに限らず若手育成のための海外派遣をやっている企業はかなりあるのではないかと思います。で、サムスン電子にしても(他の企業にしても)せっかくそうやって「若手を各国に送り込み、仕事はさせずに自由に活動させて「グローバル人材」を育て」たところ即座にアップルなりどこなりに転職しましたということになったら何のためにやってるかわからないわけですので、それなりに長期にわたってのリテンション策をとっているのではないかと思うわけで、このあたりは社説が言うほどの大きな違いではないかもしれません(もちろん相当の違いはある)。

 そうした社員の生産性を高める企業の取り組みを政策面でも後押しすべきだ。ホワイトカラーが働きやすくするため、労働時間管理の規制は見直しの余地がある。
 1日24時間を自由に使って成果をあげる働き方は海外では当たり前だ。だが日本では、出社や退社の時間が自由の裁量労働制が、事務系の場合は企画や調査などの業務に限られ使い勝手が悪い。対象をもっと広げてはどうか。

これは過去営々と書いてきたテーマなのですが、この社説の文脈との関連でいうと、「対象者の範囲」と「範囲を広げる場合の規制のあり方」が問題になろうかと思います。前者については、当然ながら520人のグローバルエリートは1日24時間を自由に使っているのではないかと思います(24時間働いているわけではないのも当然です)し、その予備軍は早い段階からグローバルエリートに相当程度近い働き方ができるようにするのが望ましかろうと思います。ただ、早い段階でそうするためには早い段階で「かなり高い確率でグローバルエリートになる人」(ということは当然そうでない人も)を明確化する必要があります。そうでなければ、グローバルエリートになれるだろうと思って頑張ったのになれなかった、話が違うじゃないか、ということになりかねないからです(もちろん確率が低くてもチャンスがあるなら努力したい、というのも基本的に自由であるべきだと思いますが無茶を止めるしくみは当然必要です)。
いっぽう、グローバルエリートおよびその有力候補以外にも時間の切り売りではない裁量労働的な働き方が適している仕事・人というのは当然あるわけで、こうした人に適当な働き方として、集団的・個別的同意に加えて相当額の保障年収、最低休日の確保や上限労働時間、産業医指導などの医学的配慮などの規制を適切に組み合わせた上で時間外・休日勤務の割増賃金の支払を要しないとする、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション的な制度は考慮される必要があると思います(これは過去散々書きました)。
ということで、社説が単に「対象をもっと広げてはどうか。」と書いているのは議論としてはかなり雑な感はありますが、まあ限られた字数の中では致し方のないところなのかもしれません。ただ、こうした単純化した表現が往々にして「残業代ゼロ法案」のような短絡的な反発を招いてきた部分もありそうなわけで、もう少し慎重であってほしいとは思います。