日記

「てめえら人間じゃねえ叩っ斬ってやる」ってのは人間は叩っ斬ってはいけませんというのが前提だと思います(笑)。hamachan先生のブログから拾ったネタです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-1bec.html

久しぶりの権丈節。

慶應義塾大学のパンフレットから、

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/hangakuhankyo.pdf

これまで私は、研究者そのものが、問題の解決者というよりは問題の原因である事例を数多く目の当たりにしてきた。むしろ、あなたがいなかった方が世のため人のためであったはずと言いたくなる研究者、特に経済学者や政治学者がいかに多いことか。政策論という国民の生活に密着する研究領域の場合、間違えたら、たちどころに人々を不幸にしてしまう。後になって、間違えましたで済む話ではない。

かつて、福澤諭吉が、是非判断の分別がつかない者が政治経済を学ぶことを、「その危険は小児をして利刀を弄せしむるに異ならざるべし」と論じていた意味が、年を経るほどに分かるようになってきているのかもしれない。

ああそうですよねえきっと私なんかいなかった方が世のため人のためであったでしょうねえ(経済学者でも政治学者でもないけどさ、つか研究者でもないのだが)。いや実際そう思っている人もいると思います。そこらの匿名掲示板で殺されまくってるし(笑)。
自由や多様性を大切に考えている私としてはこういう偏狭で独善的な意見を聞くとたいへん残念な気持ちになるわけですが、しかし(自由や多様性を大切に考えますので)もちろん権丈先生がそのようにお考えになることもそのお考えを表明されることも自由だと思います。どうやら権丈先生は毒舌が売りのようなので(hamachan先生も「権丈節」と書いておられますし)、それはそれでレトリック上の作戦かもしれません。しかし自分の所属する大学のパンフレットであからさまに書くのはどうなのかとは思うかなあ。感想に過ぎませんが。
それはそれとして、たとえばそれではマルクスは「あなたがいなかった方が世のため人のためであったはず」のカテゴリに入るのかどうか…とか考え始めると、そうそう簡単に「あなたがいなかった方が世のため人のためであったはず」とか「あなたがいてくれて世のため人のためであった」とか決められないような気もするのですが。
あとこれは直接関係はないのですが意見結論が同じであればほかのことには目をつぶるというのも意見結論の内容にかかわらずあまり好ましいことではないのではないのかななどという感想も持ちました。