3月18日追記

上のエントリの最後で災難除けの呪文を唱えておいたのですが、甲斐なく(笑)「怒りのブログ」氏からまたしても怒りのTBを頂戴してしまいました。とりあえずリンク先のアドレスを間違えたのは私のチョンボであり、お怒りをかうのも当然と思いますので謝罪の上訂正いたします。
ただまあ「怒りのぶろぐ」と明言されているように冷静な議論ではなく、したがって私の申し上げたこともあまりご理解いただけてないようです。前回のように新しい論点もありませんので、とりたててコメントする必要もないかと思っていたのですが、上のエントリを改めて読んでみて、冷静に読んでいただいている読者のみなさまにもわかりにくい部分があったかなと反省したので、若干の補足を試みたいと思います。
なにかというと、私は怒りのブログ氏の「タイムスタンプの時点で妥当性を論ずべき」とのご指摘はたいへん大切なものだと思いましたので、この部分はかなりJAに有利というか、好意的が議論をしているのですね。つまり「(もちろんその時点において適切だったのかとの論点は別途ありますがここでは論じません)」というのもそうなのですが、ほかにも「JAのサイトは一見して更新にかなりのコストがかかりそうなので、そのあたりは私は同情的です。」とまで現実に配慮する一方、メディアリテラシーに関しては「サイトのタイムスタンプを確認して読み、解釈すべき」というあるべき論で論じているわけですね。これはたしかに一貫していないわけですが、怒りのブログ氏の指摘は大切なものだということを強調するためにそうしているわけです。
とはいえ、「サイトのタイムスタンプを確認して読み、解釈すべき」というのは建前論としてはそうなのですが、しかし実態がそうかといえば、インターネットを閲覧する大衆の相当部分はJAのサイトのような公共的にみえる団体がつくった立派な体裁のサイトをみれば、隅に小さく記載されているタイムスタンプは気にもかけずに「これが現時点でも妥当な範囲内の意見」と誤誘導されてしまうのではないかと思います。こういったメディアリテラシーの実態につけこんでいるのであればかなり悪質なデマゴーグでしょうし、つけこんでいないにしてもそうした内容が放置されていることはデマゴーグと申し上げられるのではないかと思います。
で、もちろんJAは「いやタイムスタンプの時点では妥当な内容でデマゴーグなんていうつもりはなかったんです、せっかく多額のカネをかけて作ったサイトだし更新にも少なからぬコストがかかるのでそのままにしているんです」という説明はできますし(上のエントリで私が書いているのがそういう趣旨ですな)それはそれで正当ですが、しかし上のエントリで申し上げましたとおり『それは一切「この主張」を補強するものではありません』ということで、だから現時点でデマゴーグではないとは言えそうにないと思います。
もちろん怒りのブログ氏が「いやメディアリテラシーはしかるべく確立されているべきであり、情報発信者がタイムスタンプを記しているにもかかわらず、リテラシーの劣る人がそれをふまえずに誤誘導されるのは本人の責任であり発信者の責任ではない」と主張することは可能だと思います。ただそういった「私ができることは他人もできてしかるべきであり、私はそれをできない他人を批判しうる」という考え方がまかりとおる社会は相当に(とりわけ弱者やマイノリティにとって)ヤバい感じのする社会像であることは上のエントリで書いたとおりであり、読者のみなさまは上のエントリで私が指摘した怒りのブログ氏の「エスパーは他の人にエスパーであることを求めうるし他人がエスパーでないことを批判しうる」という発想と基本構造が同じであることも見て取れるでしょう。ということでまあたぶんそういう人なんだろうねえというまとめでよろしかろうと思います。あらためて(笑)くわばら、くわばら。