米国製エリートはリスクを選好するか?

はい昨日に続きまして、本日はお約束の城繁幸氏です。きのうのエントリを上げた時点で次はとご期待の向きもいらっしゃったようでもあり(笑)。
まずは休暇のだいぶ前ですが(笑)8月1日のエントリです。佐々木紀彦『米国製エリートは本当にすごいのか?』の書評で、城氏というよりは著者の佐々木氏の話なのですが…
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/4031919.html

…(引用者注:米国上位大の大学院で)育成されたエリートは、社会の様々な現場でリスクをとって社会をけん引することになる。
 彼らがリスクをとるのは、建国以来のフロンティアスピリッツに溢れているから、などという理由よりも、単純に大企業や公務員に就職するよりも、そっちの方が得だからだ。
ハーバードでMBAを採った人間の多くがベンチャーに挑戦するのも、いつでも1000万円以上稼げる仕事に戻れるという安心感があるからでしょう。大企業の敏腕エンジニアがベンチャーに転職するのも、ベンチャーが失敗しても、次の働き口が簡単に見つかるからでしょう。
 人間は、人生の最低ラインが見えた方が、大きなリスクに挑戦することが出来るように思えます。

 著者はずばり、米国エリートのリスク選好の気風も、そして80年代米国で実現した産業構造の転換も、根っこは流動的な労働市場にこそあると喝破する。
 逆に、エリートが率先してリスクの少ない官庁や大企業を目指すのが日本である。
 90年代以降、両国の国力に差が付いた最大の理由はここだろう。

イタリックもボールドもママで、イタリックはたぶん本からの引用なのでしょう。
で、米国に関するこの手の議論を見るたびにいつも思うのですが、そんなんリスク取ってるとは言いませんよねえ。いや自分で資金調達してベンチャー起こして失敗したら年収150万のフリータやりながら借金返済しなければならないという状況ならたしかに大きなリスクをとっているといえるでしょうが、資金は気前のいいエンジェルが出世払いで出してくれて、失敗してもすぐに年収1,000万円の仕事にありつけて借金も残らないならリスクなんてなにもないじゃないですか。
要するに、エリートほどリスクが少なくて実入りのいい人生を享受できるというのは日米共通で、そのありようが違うだけっていうのが現実ではないかと思います。つーかそのために苦労して高いカネ払ってエリートになるのではないかと。
もちろん、エリートがベンチャーを起こすことのリスクを低減しているのが米国の特色であり、それが経済活力に結びついているという議論はありだと思います。ただまあそれは米国社会が一流大MBAならば常時1,000万の職にありつけるという学歴社会だからという面もあるわけで、それをよしとするかどうかはいろいろな意見がありそうにも思えます。