就活はハイリスク・ノーリターン?

連日で申し訳ありませんが池田信夫先生のブログに面白い記事を発見しましたので。「就活はハイリスク・ノーリターン」というエントリで、グーグルの村上憲郎さんの発言が紹介されています。

 きのうのアゴラ就職セミナーの村上憲郎さんの話が話題になっているので、簡単に要点だけ紹介しておこう。
 村上さんの話のポイントは、グローバルなビジネスの中では、もうほとんどの日本企業が終わっており、今からそこに入るのは「ハイリスク・ノーリターン」だということだ。グーグルから見るとどんな企業もだめに見えるのはしょうがないが、救いがたいのは当の日本企業に危機意識がなく、新卒一括採用などの古いシステムを漫然と続けていることだ。今こんな会社に入ると、人生を棒に振るリスクが高い。
 だから彼が推奨するのは、就活なんかすぐやめて、海外留学することだ。日本の大学を卒業しても、世界の企業ではまったく評価されない。それに英語ができないと、今後の世界では「二級市民」になってしまう。中国も韓国も、トップエリートはみんなアメリカ留学している。ところがハーバード大学に昨年、入学した日本人はたった1人。
 日本企業も、これからグローバル採用を増やさざるをえない。そうするとjob descriptionもなしに「コミュニケーション能力」を見るなどという採用では、まともな人材は採れない。年齢や性別など職務に無関係な理由による差別も許されないので、新卒ではないという理由で落とすと訴訟を起こされるかもしれない。日本の会社が変わらなくても、外側から強制的に変えられるだろう。
 質疑応答では「そういうのはごく一部のエリートだけでは?」とか「アメリカのような競争社会はしんどいので、のんびり暮らしたい」といった質問が相次いだ。もちろん国内に引きこもって暮らす選択肢もあるが、それはのんびりした暮らしにはならない。もう1000兆円近い政府債務が先食いされており、高齢化が急速に進むので、今まで通りやっていたら生活水準は維持できない。変化を拒否する人は、今より貧しい暮らしを覚悟するしかない。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51678491.html

例によって池田先生が他人の説を紹介するときには池田先生ご自身の所論が紛れ込んでいることがありそうで、上では私が勝手に村上氏のご発言と思われる部分はボールド、池田先生のお考えと思われる部分はイタリックで表記してみました(あくまで私の推測ですので為念)。
さて、村上氏のいう「グローバルなビジネスの中では、もうほとんどの日本企業が終わっており」というのは、なるほど村上氏がこれまで生きてきたグローバルなITビジネスの世界などではそのとおりなのでしょう。たしかにこの分野で大きな存在感を発揮している日本企業はそれほど多くなさそう(いや私が知らないだけかもしれませんが)ですし、今から日本独自の技術で検索エンジンの世界でグーグルに挑もう(いや素人の誇張ですからどうか大目に)という企業に入社することは、これはたしかに「ハイリスク・ノーリターン」と申せましょう。
とはいえ、本当にわが国の企業や労働市場の、すべてとは言わないまでも大半がそうなるという日が本当に来るのか、来るとしてもいつになるのか、という問題はあるわけで、まあ村上氏や池田先生は早期に実現するとお考えなのかもしれませんが、しかし本当にそうなのでしょうか。
「就活なんかすぐやめて、海外留学すること」を推奨するというのも、まあひとつのアドバイスとしてはありうるかもしれません。なにも現状の厳しい就職情勢の中で新卒就職に挑むよりは、海外留学で能力を高めてから就職に臨もうという考え方はあるでしょう。いや留学費用は誰が出すのかという問題はあるわけですが、まあそこは働きながら学ぶのは海外では一般的だということなのかもしれません。
ただ、英語ができることが「一級市民」たりうるための必要条件だとしても十分条件ではないことは自明ですし、「日本の大学を卒業しても、世界の企業ではまったく評価されない」というのも、欧米の大学でも評価されるのは一部の銘柄大に限られてるんじゃないのかとは思いますね。実際問題として米国の大学に留学して英語ができます、というだけの人が就職においてすばらしく有利だという実感はあまりないのですが、そうでもないのかなあ。いや有利にならないような今の企業の採用がけしからんというご意見なのかもしれませんが、そういう意見を聞かせても学生さんには役立たないわけで。
ということで、実際「中国も韓国も、トップエリートはみんなアメリカ留学している」と書かれているように、「そういうのはごく一部のエリートだけでは?」という学生さんの反応が当たっているのではないかと思います。で、繰り返しになりますがトップエリートをめざす上では一つの真理なのかもしれませんが、そうでない大多数の人にはあまり有益ではないのではないかと。
「日本企業も、これからグローバル採用を増やさざるをえない。そうするとjob descriptionもなしに「コミュニケーション能力」を見るなどという採用では、まともな人材は採れない。」というのも、「日本企業も、これからグローバル採用を増やさざるをえない」というのはそのとおりとしても程度問題はあるわけで、どれほどの企業がグローバル採用を行うのか、行うとしてその割合はどの程度なのか、まあ全体の2割とか3割とかいう企業(それもカウント方法にもよりますが)が企業名入りでニュースになることを思えばまあ想像はつくのではないかと。さらに、現実にグローバル企業がグローバル採用を行うにしても人事管理や人事制度をグローバルに統一しなければならないわけではない、というかそんなの無理に決まってるでしょう。いかにグローバル化といっても人事管理というのはやはり相当にローカルで、労使関係も労働市場も賃金水準も国・地域によって大きく異なりますし、それぞれに応じて対応していくよりありません。もちろん整合性への配慮も重要ですが、様々な違いを包含しうる多様な人事管理の組み合わせにならざるを得ないのではないでしょうか。
さらには、国や地域の中でもさらに個別の労働者は多様なわけで、池田先生や村上氏(はどうかわかりませんが)はお気に召さないかもしれませんが、「アメリカのような競争社会はしんどいので、のんびり暮らしたい」という人だって現実には一定割合で存在するわけですよ。そういう人にはそういう人に適合した人事管理があるわけで、貧しくなりますよと脅したところでいきなり意識が大きく変わることもないでしょう。もちろんトップエリートのような豊かな生活は望むべくもなく、また財政や高齢化を考えればたしかに従来のような生活水準を維持するのにも相当の努力が必要でしょうが、それなりの賃金で相応以上の生産性を上げ、さほど豊かでなくともほどほどに安定していて幸福だ、というならそれも一つの選択ではないでしょうか。というか、そういう選択が可能な社会が豊かな社会なのではないかと私などは思うわけです。