「働き方改革 ここが足りない」の足りなさぶり

きのうの日経新聞朝刊に「働き方改革 ここが足りない」というインタビュー特集が掲載されておりましたが、これがまたなかなかのシロモノでしたので働き方改革実現計画の話をまたしても中断して書きたいと思います。いや本当に大丈夫か日経新聞
さて特集冒頭に趣旨としてこう記されており、

 政府が同一労働同一賃金の推進や残業時間の上限規制強化などを盛り込んだ働き方改革の実行計画をまとめた。多様な働き手の力を引き出し、生産性が高い職場をつくるのに十分な改革になるのか。日本の「働く力」を引き上げるのに欠けたものはないか。
(平成29年4月4日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

続いてオリックスCEOの井上亮氏、慶応の鶴光太郎先生、ワークス研究所の石原直子氏の3人が登場されております。
まず井上氏ですが、まあ変わった人なんだろうなという印象です。井上氏だけは編集委員、他の2人は記者が聞き手を務めているのはまあ社会的地位への配慮こらこらこら。さすがに編集委員なので変なことを言っているのは井上氏の責任であろうと言うことで以下書いていきます。

■転職恐れず適材適所探れ オリックスCEO 井上亮氏

…私は就職してから40年以上、定時退社を信条としている。顧客との夜の会合などを除けば過去3回しか残業はしていない。残業をしなくて済んだのは、仕事を自分の裁量でコントロールできたからだ。…結果が伴っていれば自由裁量が許された…
 裁量労働制を拡大し、効率的に時間配分できるようになれば長時間労働は減らせる。…

おそらく、この方は例外的に、桁外れに有能かつ優秀な人なのでしょう。そういう人はたしかにいます。しかし、ほとんどの人はそうではない。まあオリックスは有能な人が揃っているのだろうとは思いますが、抜群に優秀な人が「おまえらも俺と同じようにやれ、できないのは努力不足だ」ということの危険性というのはね…まあ、問題ないのだろうとは思いますが。なお裁量労働というのは過去繰り返し書いていますがエリートが時間を気にせずに思う存分働ける制度と考えるべきで、労働時間を短縮する効果はあまりないものと思います。

 残業が減らない構造的な理由は、日本の法制度では人員調整がしにくいことだと思う。…米国ならば社員が過重労働にならないように仕事が増えれば新たに人を雇う。業務がなくなれば雇用契約を解消しやすいから新規採用をためらわない。…繁閑に応じて人員を柔軟に調整できれば日本企業も残業を簡単に減らせる。
 もちろん一方的な解雇権の乱用は許されない。人材の流動性を高めつつ働き手を守る制度も同時に考える必要がある。例えば、社員が能力を発揮できていないときは、資格取得の支援や退職金の上乗せ支給などを企業に義務付ける。転職先で活躍できるスキルを身に付けさせたうえで送り出す。使用者と雇用者の双方に利益がある仕組みを導入するのはどうだろうか。
 生産性向上のカギは適材適所だ。…優秀な能力を有していても、発揮できる場が勤務先になければ宝の持ち腐れだ。そのまま囲い込まれることは働く側にとっても不幸だ。

なるほど、なるほど。日経が何度も解雇規制の緩和を「経済界が要望している」と繰り返し書いているのはこういう人がいるからなんだな。まあこう言ってくれる人を探すのは苦労したと思うのですが…。
さて前段については端的に事実誤認であり、日本でも仕事が増えれば非正規雇用で「新たに人を雇う」わけですし、業務がなくなれば契約期間満了で自動的に「雇用契約を解消」することになるわけですね。
後段については労働条件が維持できる「転職先」もセットであれば十分ありうる、というかこれまでも営々と行われてきたごく普通の人事管理でしょう。本音はおそらく転職先ではなく労働市場に「送り出す」ということだと思われ(いや邪推なのできちんと転職先を探して送り出すのだということなら井上氏は怒っていいです)、それってまあ連合が警戒している手切れ金解雇とたいして変わらないよね。「使用者と雇用者の双方に利益がある仕組み」とさらっと言いますが、実際には「双方に利益」があるかどうかは個別のケースバイケースなので、そうそう簡単に仕組みが作れるとも思えません。つか「働く側にとっても不幸」とか余計なお世話ですよねえ。社員が能力を発揮できていないときに「人事管理に不備があるのではないか」と反省してみることはとても大切なことだと思うのですが…。
ただまあどうしてもやりたいのであればオリックスでやってみてはいかがでしょうかね。もしかしたら社員の意欲と能力が飛躍的に上昇して業績もめざましく向上するかもしれません。「能力を発揮できていないから手切れ金払って労働市場に送り出す」という会社の社員がどれほど士気高く働けるものか、こういう超優秀なスーパーマンにはわかりにくいのかもしれません。

 それでも年功序列で相応の給与を得ていたら、若手社員の士気にも影響する。それは誰にとっても望ましくない職場環境ではないだろうか。雇用を守るために仕事をつくる側面もあり、生産性を下げる要因にもなっている。
 今の事業が10年後、20年後もある確証はない。就職した時点で自分の能力とやる気が発揮できる最適な勤務先だったとしても、時間の経過でそれが変わることは十分にありえる。人材の流動性を高めて適材適所を進めれば、企業も社会全体も生産性が高まり、個人も幸せに働ける。

これも同じことで、オリックスというのはそういう会社なのかもしれません。普通に考えると、賃金も上がらない、能力発揮の場がなくなれば労働市場に送り出される企業というのは若手社員にとってそれほど魅力的ではないように思われますが、リクルートのようにもともと定年までいるつもりはさらさらありませんという若手が集まる企業であれば、確かに年功賃金が士気を下げる可能性はあるでしょう。オリックスがそれで利益を上げ成長してきたというのであればそれはそれで立派だと思います。他社にも同じようにしろというのは大きなお世話でしょうが。

オリックスを含むグループ14社は4月から1日の所定労働時間を7時間に改めた。…自由に使える時間が増えれば社員は社内で得られない経験を積む。多様な価値観を持った人材の知が融合すると、新たなアイデアも浮かび、会社の成長にもつながるはずだ。
 社員の9割は「1日7時間労働なんて本当に実現できるの?」と疑っていると思う。だけど私は本気だ。まずは管理職の人事評価項目に部下の残業削減を入れる。所定労働時間が短くなったぶん残業が増えたら無意味だ。無駄な業務を見直して効率的な働き方を考えるように部長や課長に指示した。

これは意欲的な取り組みで驚きました。いやうまくいけばすばらしい好事例になると思います。ただまあこの手のトップと言うのは往々にしてパワハラに走りがちなような感もこれあり…まあ人事部長さんは大変だろうと思います。
さて続いて慶応の鶴光太郎先生です。

■雇用システム 全体像必要 慶応大教授 鶴光太郎氏

 残業時間の上限規制と同一労働同一賃金は予想以上の内容が出てきた。長時間労働の是正の問題はこれまで労使ともに腰が引けていた。…本当に変えようという気持ちがなかった中で、このテーマに踏み込んだ。…勤務間インターバル制度の努力義務もよく盛り込めたと思う。
 これだけのことができた理由の一つは会議体だ。経団連と連合のトップを働き方改革実現会議の委員として迎えたことが大きい。首相をトップとした会議体に組み込まれれば、その意向は受け入れざるを得なくなってくる。

まあ一応政労使三者構成になってはいたので形式要件は満たしているわけですが、しかし一長一短ではあったと思います。時間外の上限規制はたしかによくやれたもんだとは私も思いますが、同一労働同一賃金では暴走を止められなかったわけで。まあ、具体化は労政審に委ねられた(まあ上限規制についてはもう議論の余地はほとんど残っていないでしょうが)わけなので、これから専門家がしっかり揉んでくれればいいと思います。この文章だけ読むと鶴先生は今回の会議体のあり方を高く評価しているように読めるのですが本当のところはどうなのだろう。

同一労働同一賃金ガイドライン案も画期的だ。…最も重要な点は、基本給を職業能力や勤続年数などの要素に応じて分解できるようにすることを前提としたことだ。日本の賃金制度はそうなっておらず、本気でやるなら革命的な要求だ。
 問題は、これらが結局のところ部分的な改革にとどまり、日本の雇用システム全体をどのように変革していくかというグランドデザインが欠けていることだ。生産性をどう上げていくのか、外国人労働者の問題をどう考えるのか、無限定に働く正社員というシステムをどう変えていくのか。そうした様々な成長制約を克服するための手立てに乏しいのが(実行計画の)実態だ。
…労働問題はそれぞれが相互に連関しており、それを把握した上で改革の全体像を形づくることが欠かせない。今回の実行計画にはそれが欠けている。

まあもちろん本気でやらないことになるでしょう。雇用システムというか、社会全体をどうしていくのかというグランドデザインがないという指摘はまさに同感で、まあエリートは無限定に働くとして、それは何人くらいでどういう人がとか、それ以外の大多数の人たちの仕事と生活はどうなるのかとか、外国人はどれだけ入ってくるのかとか言った具体的なイメージがないわけですね。東大の岩村正彦先生が推進会議が始まったころから「働き方改革の先にどういう社会があるのかを示すべき」といった趣旨のことを発言しておられたと思いますが、そのとおりと思います。それこそこの「革命的な要求」を「本気でやる」となると、その結果は大多数の人たちが「こんなこと望んでなかったのに」ということになりそうで心配です。
さて最後の石原直子氏ですが、なんかもう学生のアルバイトにやらせたんじゃないかというレベルの記事です。一流の専門家である石原氏がこう言ったとはとても思えず、おそらくはまとめた記者に問題があろうと推測しているわけです。

■部長の即決がムダ減らす リクルートワークス研究所 

 日本企業の生産性が低い一番の理由は意思決定が遅いことだ。特に部長や本部長といった中間管理職がリスクを取らない構造に問題がある。例えば新しい事業を始めようとするとき、課長クラスは、ありとあらゆるリスクを潰してから部長に上げる。これにかなりの時間を取られる。部長はノーリスクの計画にはんこを押すだけ、というのはよくある風景だ。
 現場が半年かけて準備したことが上層部の会議で「やはり実行しない」と決まることもある。この場合、現場は頑張ったけれども成果はゼロだ。いずれも、やるかやらないのかの判断を上の人がリスクを取って最初に決めてくれれば1分ですむ話だったりする。

日本企業は意思決定の遅さが欠点だという話は前々からありますが、しかしそれはこういう話ではないでしょう。意思決定が遅いのは決定階層が多すぎるからだ、したがって組織を簡素化したり下部階層に権限委譲したりする、あるいは関係部署が多すぎるからだ、だから機能別組織から事業部制にするとかいう話ならよくわかるのですが(そしてそれは多くの企業が不断に取り組んでいることでもあるが)、この話は一言でいえば意思決定の質を落とすという話のように見えます。
「新しい事業を始めようとするとき」には、まずは経営の意を受けて部長が担当の課長にフィージビリティの検討を指示する。現場は「半年かけて準備」して部長に報告し、部長は「上層部の会議」に上程する…というのは、まあこれは非常に普通の仕事の進め方でしょう。結論としては「やはり実行しない」となることもあれば、「ありとあらゆるリスクを潰して」あるので実行しよう、となることもあるでしょう。
でまあたとえば「フィージビリティの検討に半年もかかるのは長すぎるのではないか」「ありとあらゆるリスクを潰してから部長に上げるから半年もかかるのではないか」という問題意識ならわかるのですね。ところが、ここの結論は「上の人がリスクを取って最初に決めてくれれば1分ですむ話」。つまりフィージビリティスタディなしで意思決定しろといっているわけです。それはあまりに意思決定の質が低すぎるのではないかと。あと課長クラス以下でありとあらゆるリスクが潰せるとか、そんな楽な新事業があったらいいよなあとも思うなあ。

 こうした意思決定の構造を残していては生産性は上がらない。管理職の責任と権限をきちんと定義する必要がある。管理職はリスクをとるからこそ高い給料をもらっているはずだ。責任を分散する体制も意思決定のスピードを落とす。年収2000万円の部長が5人いるより、年収1億円の部長1人がリスクをとって決めた方がいい。イノベーションも生まれやすくなる。
 実現するには報酬体系を変更したり、失敗した人に会社から退場してもらう仕組みが必要である。腹をくくってマネジメントを改革しないと社員の働き方は変わらない。政府もそうした改革をする企業を後押ししてほしい。

リスクリスクと連呼しているのですが意味不明で、通常ビジネスのリスクって企業と株主が負担するものでしょ…?「管理職はリスクをとるからこそ高い給料をもらっている」もこれまたまったく意味不明で、管理職は(チャンスとリスクを踏まえた適切な判断も含め)優れたマネジメントで組織の業績を高めるから高い給料をもらっているのだというのが通常の人事担当者の理解だと思います。
「年収2000万円の部長が5人いるより、年収1億円の部長1人」のほうがいいというのはたしかにそのとおりで、ただし1人で5人分のマネジメントができるならという話ですね(リスク云々の話は知らん)。井上氏のような人材が貴重であることは論を待ちません。どんなに材料不足でもこの人の意思決定は絶対に間違えません、という部長がいたら、企業は相当の高額をオファーするでしょうけどねえ、そりゃ神様ですから。
「失敗した人に会社から退場してもらう仕組み」ってのもすごいなあ。リスクがお好きなようですが、リスクを取って失敗したら会社から退場させられるんじゃ誰もリスクを取らなくなりますよ?社長ならともかくねえ。毎回書いてますが、間違いなくイノベーションを生むような最先端技術にチャレンジして惜しくも失敗しました、じゃあ失敗したから退場ね、っていう仕組みにしたらさぞかし「イノベーションも生まれやすくなる」だろうなあ(笑)。まああれかな、失敗したら退場、でもその分リスクプレミアムで賃金は高い、ってのがありうる人と仕事ってのもあるかもしれません。ただまあ一人二人ならともかくそんなんばっかだと組織が回らないんじゃねえかとは思いますが。

 働く側も特に男性は意識を変える必要がある。今回の改革で長時間労働の是正が盛り込まれたのは大きな意味があるが、子育てや介護の制約がないと「好きで長く働いているのに何がいけないのか」「残業代ももらえるし上司からの評価も上がるのに」と思う人も多いだろう。早く帰って会社の外で学んだり社会参加したりするのは出世をあきらめた人と思うかもしれない。
 だが、これからは一生を1つの会社で過ごす時代ではなくなってくる。健康寿命が延びて、2つ3つの会社を経験したり、テクノロジーの変化でいま自分がしている仕事がなくなったりするかもしれない。その時、会社以外の場所で自分が何ができるのか。そう考えれば、自然と働き方は変わってくるはずだ。

わかりにくいねえ。まああれかな、「2つ3つの会社を経験したり、テクノロジーの変化でいま自分がしている仕事がなくなったりするかもしれない」から、今の会社の今の仕事以外の仕事もできるようにしておいたほうがいいですよ、ということなのかな。だから「早く帰って会社の外で学んだり社会参加したりする」のもいいんですよと。「会社以外の場所で自分が何ができるのか」ってのは、「会社以外」だから稼得は配偶者に任せて自分は育児家事に勤しむということかな。それはたしかに男性の立派なキャリアとして市民権が得られるようになることが望ましいと私も思います。あるいは起業とか自営とかいうのも視野に入っているのでしょうか。必ずしも会社組織にしなくてもいいわけですからね。なにも一つの会社で長時間働いて栄達することだけがキャリアの成功じゃないですよ、そんなん目指さずに今の会社以外での学びや活動に時間を使うというキャリアもいいじゃないですか、という話であれば、私もかなり同感するものはあるなあ。で、それは実は鶴先生が言っておられる「グランドデザイン」につながってくるのでしょう。
ということで石原氏にはたいへんお気の毒だったなあと同情に絶えないわけですが、最後にある〈アンカー〉なる解題を読んでああと思いました。お題は「旧弊をこわす努力が不可欠」となっていて、

 長時間労働の是正に踏み込んだ点で各氏は政府の実行計画に一定の評価を与えた。ただ生産性を向上させる観点から、物足りなさを指摘する声が相次いだ。
 井上氏が主張したのは雇用の流動性を高める改革の必要性だ。繁閑や時代の移り変わりに応じて人材を柔軟に配置しなければ、企業は最大限の力を発揮できないためだ。生産性向上の要諦を「適材適所」と語る真意はそこにある。
 鶴氏を含め各氏の不満は、今回の改革が終身雇用や年功序列を柱にしてきた日本型雇用システムの「次の姿」を描くものにはならなかった点にある。その点で政労使は大きな課題を積み残した。
 世論の反発を浴びがちな雇用の流動化に政府は取り組む必要がある。労使には旧弊を打破する努力が不可欠だ。政労使がもう一歩踏み出せるかどうか。やるべきことは見えている。

なんだ要するにかつての首切り路線への回帰ジャン(マンセーとは言わないよwww)。それになんとか結び付けようとするからおかしくなるわけね。まああれかな、賃下げをあからさまに言わなくなった分は以前よかマシかな(実際には転職の多くは賃金が下がるので賃下げ路線なんだけど)。
「鶴氏を含め各氏の不満は、今回の改革が終身雇用や年功序列を柱にしてきた日本型雇用システムの「次の姿」を描くものにはならなかった点にある。」というのはそのとおりですが、それが「雇用の流動性を高める改革」「生産性向上の要諦を「適材適所」」だというのは、さてどうでしょう。いや一経営者がそういうのはいいと思うんですよ。ただ、社会全体で考えるには慎重さが必要で、各企業が「適材適所」を追求して「あなたはこの会社には適所がありませんがどこかにきっとありますよそうですよではサヨウナラ」と一斉にやりだしたら、失業率が一気に上昇したり、賃金水準が低下したりして、社会全体の生産性はがた落ちとかいうことになりかねないでしょう。
「世論の反発を浴びがちな雇用の流動化」とか、日経のイメージする「旧弊を打破」した「次の姿」は米国型のようですが、しかしそれはおそらく大半の国民が「そんなん望んでません」となるでしょう。大陸欧州型の格差社会も「いやそれも望んでません」となるのかもしれませんが…。いずれにしても、雇用システムについては、結局は、政労使・公労使で知恵を出して考えていくしかないわけで、その努力が必要だということだけは(「旧弊を打破」かどうかは別として)日経に同意です。