景気の波とらえ改革推進

「経済教室」に脇田成首都大学東京教授が登場して、「景気の波とらえ改革推進」という論考をよせておられます。「洗面器のカニ」という表現はおもしろいのですが、内容はというと私のような素人には理解できないことばかりで…。
「ポイント」の第一に「日本経済、不良債権処理で3%成長も可能」となっています。これをみれば、大半の人は「不良債権処理を進めてビジネス環境を改善させれば成長率も高まる」という意味で解釈するでしょう。ところが、脇田氏が言っているのは「不良債権処理をせずに企業の利益を設備投資や人件費に振り向ければ成長率が上がる」ということのようです。それでは不良債権はどうするのか、ということへのご説明は一切ありません。政府が徳政令を出してすべて救済するということかもしれませんが(まさかとは思いますが)、それで3%の成長が実現したら奇跡…いや、急激なインフレで名目では達成するかもしれませんが…。
「ポイント」の第二は「次の4〜5年に1回の好況期を見逃すな」なのですが、それでは「景気の波をとらえ」てどのような「改革」を「推進」するのかというと………あれ?どんな改革を推進するんだろう?
とりあえず「少子高齢化が進む日本で、社会保障改革を中心にやらなければいけないことが多いのは事実だ」という記載はあります…しかし、それだけです。好況期のほうが不況期より「改革」を進めやすいということは同感ですしよくわかりますが、それだけ?
そこで「ポイント」の第三として「賃金上昇なしに持続的成長は達成されず」の登場となるわけです。脇田氏の主張も結局は「今は不況だから仕方ないけれど、景気が良くなったら賃金を上げましょう」ということに尽きているようです。まあ、これは鶏と卵という感もあり、賃金上昇なくして持続的成長なし、というのも一面の真理でしょうし、持続的成長なくして賃金上昇なし、というのもまた一面の真理なのだろうと思います。
そこで脇田氏は前回の「小泉改革後の好況」で企業の利益が(不良債権処理と)投資に振り向けられ、賃金が上がらなかったことが失敗であり、今回の不況の傷口を深くしたと主張するわけですが、そうなのでしょうか。
まあ、結果論ですから一理あるのは当然なのですが、それにしても前回好況期においても完全失業率は4%台で、多くの企業では時間外労働による調整(これは残業増なので賃金は増える)と、非正規労働の正社員転換(これも基本的には賃金が増える方向)で対応可能で、新規採用が目立って増加するまでの人手不足状況ではありませんでした。つまり、とりあえず需給要因で賃上げ(ベースアップ)が行われるような状況にはなかったということができるでしょう。前回の好況が脇田氏の言うような「絶好球」であったかどうかははなはだ疑問です。
もちろん、たいして利益の上がらない投資に資金をつかうくらいなら賃金を上げたほうがまだマシだというのももっともな考え方で、賃金は需給関係以外の要因、たとえば労使交渉などによっても賃金は上がり得るわけなので、上げておいたほうがよかった、という考え方もあるかもしれません。ただ、この当時の企業の投資の相当部分は海外で行われ、したがって労働組合としても雇用確保の観点から海外との賃金水準の比較にも留意せざるを得ない状況だったことは重要なポイントではないかと思われます。極端な話、日本で海外投資が行われず、賃上げが行われていたとしてもリーマン・ショックは起きたのであり、その後の不況も避けられなかったわけで、となると設備投資が少なかった分は打撃は小さかったかもしれませんが、賃金が高くなっていた分は雇用調整がさらに厳しかっただろうことも見やすい理屈で、はたしてトータルするとどちらがマシだったのかはわかりません。
いずれにしても、「環境が整った企業から(同一労働同一賃金などというつまらないことを言わずに)確実に賃上げを実施する」ことが重要だというのは脇田氏の主張するとおりです。ただ、政策として重要なのは「環境が整った」という状況を実現することのほうでしょう。前回以上に本格的な景気回復を実現し、時間外労働や非正規労働の正社員登用などでは不十分で、新規採用が増加し失業率が3%くらいにまで下がれば、誰に言われなくても企業は賃金を上げるはずです。そのプロセスを飛ばして「はやく賃上げができるようになればいいなあ」というのは、まあ全国民の願いではあるでしょうが、わざわざ新聞紙上で書くほどのことでもないでしょう。