雇用逼迫は成長の壁になるか

働き方改革実現計画の話が思いっ切り途中であり、かつ今日書かないとまた何日か開きそうな気配も感じられるのですが、週末の日経新聞になんとも手頃なネタが転がっていたので取り上げたいと思います。土曜日の朝刊に「雇用逼迫が成長の壁 失業率22年ぶり低水準」という見出しの解説記事が大々的に掲載されており、小見出しは「人手不足が企業縛る 増える短時間労働、賃金増鈍く」となっているのですが、なんだかこれ、不思議な記事ですねえ。

 労働需給が一段と逼迫してきた。2月の完全失業率は2.8%まで下がり、有効求人倍率も四半世紀ぶりの高水準だ。深刻な人手不足で中小企業を軸に賃上げ圧力が強いものの、非正規増加や将来不安で消費には点火しない。雇用改善は所得増や物価上昇を通じて成長を加速させるはずだが、人口減に突入した日本経済では労働供給の制約が「成長の壁」になっている。
(平成29年3月31日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

これは「賃金は上がっているのに消費が増えないから経済が成長しない」ということと「労働供給が制約されているので経済が成長しない」ということを両方言いたいのでしょうか。それにしてもわかりにくい文章だなあ。以下一貫して論旨不明が記述が続きます。

 失業率が2.8%になったのは1994年6月以来、22年8カ月ぶりだ。働く意欲と能力を持つ人がすべて雇われ、これ以上は失業率が下がりにくい「完全雇用」といわれる状況だ。日本経済新聞社の調査では2018年春の大卒採用は17年春よりも10%近く増える見通し。大都市圏のパート時給は1000円を超えた。多くの人に雇用の門戸が開かれた良好な状態にある。

いやいや「働く意欲と能力を持つ人がすべて雇われ」たら(完全)失業率は0%になるはずなんですが違うんでしょうか。完全雇用というのは一般的には需要不足失業と構造的失業がない状態を指し、その状態でも働く意欲と能力を持ち、よりよい仕事に転職すべくいったん失業(摩擦的失業)している失業者は存在します。今の日本ではそれが2.8%だというわけですね。ということで「働く意欲と能力を持つ人がすべて雇われ、これ以上は失業率が下がりにくい「完全雇用」」は単純に間違いと思われます。

 モノやサービスの需要さえあれば企業はもっと成長できる環境なのに、肝心の働き手が足りず手厚いサービスを供給できない。典型例は外食だ。ファミレスのロイヤルホストは2月に24時間営業をとりやめ、すかいらーくも4月までに順次、24時間営業店舗の7割を原則午前2時閉店に変更する。
 リンガーハットも4月1日から首都圏などの店53店舗を対象に営業時間を平均2時間短縮する。物流業界ではネット通販による宅配便急増に対応できず、ヤマト運輸などがサービスや価格の見直しに動いている。

これまたよくわからない記述で、現状は記事とは逆にモノやサービスの需要があり過ぎて人手不足で供給が追いつかないという状況じゃないかと思うのですが。「モノやサービスの需要さえあれば企業はもっと成長できる環境」というのは、どう考えても供給力が過剰で需要が不足しているから企業は成長できない、としか読めませんよねえ。違うのかな。続く事例を見ても、需要があるのに供給力が足りなくて営業時間を短縮していますという話だと思うのですが。

 急ピッチで進む生産年齢人口の減少を埋めてきたのは、女性や高齢者だ。2月の就業者数は前年同月に比べ51万人増えた。女性が33万人、65歳以上の男性が26万人増える一方、15〜64歳の男性は8万人減った。
 ところがいくら就業者が増えても非正規のパートなどで短時間勤務の人が多いので、経済成長にとって重要な総労働時間(いわゆる労働投入量)は横ばいのままだ。非正規を正社員に切り替えるなどして企業も労働力確保に躍起だが、激しい人材争奪で限界の壁に直面している。

さていちばん問題だなと思ったのはこの部分で、たしかに示されているグラフをみると2012年以降は就業者数が急増する一方で総労働時間は横ばいないし微増にとどまっているように見えますし、2011年以前は両者がおおむね歩調を揃えているように見えます。権利関係など問題あるかもしれませんがグラフがないと話にならないのでTwitterで上げておきます。
https://twitter.com/roumuya/status/848831475185209344
さてこのように見えるわけですが、このグラフは就業者数を実数で表示しているのに対して、労働投入量は1995年を100とした指数で表示しています。そこで就業者数も同じく1995年を100とした指数で表示してみると、グラフからの目測なので多分に不正確ではありますが、大筋でこうなります。

1995 2009 2012 2016 2017
就業者数(実数) 6,450 6,310 6,280 6,460 6,480
就業者数(指数) 100 98 97 100 100
労働投入量(指数) 100 88 90 90

就業者数については、ボトムの2012年と現在で3ポイント、リーマンショック後の2009年と現在では2ポイントの増加です。労働投入量については、どちらもまあ概ね2ポイントの増加となっています。記事のグラフから受ける印象とはかなり異なっていますね。思いっきりのフリーハンドで書きましたのですさまじい代物になっていますが、同じ1995年=100でグラフを作り直すとこんな感じです。
https://twitter.com/roumuya/status/848832405532065792
でまあこれならこの間一貫して非正規雇用比率が上昇傾向にあったことを反映して就業者数に較べて労働投入量が大きく減少傾向にあることが見てとれるわけですが、人手不足状況になった昨今については就業者数と労働投入量の伸びには特段大きな差はないということになるでしょう。

 就業者数もここへきて頭打ち傾向にある。季節調整値でみると、2月の就業者数は前月比21万人減(0.3%減)だった。大和総研の試算によると、仮に就業者の伸びがゼロで人手不足が続けば、潜在成長率を0.14%押し下げる。日本経済の実力を示す潜在成長率は0.8%ほどなので、無視できない大きさだ。
 潜在成長率の2%への引き上げを労働力だけで実現しようとすればおよそ190万人もの就業者の増加が必要な計算だ。生産性向上や工場・設備などの資本投入も大きな伸びは見込めない。

ざっと探した限りではこの「大和総研の試算によると、仮に就業者の伸びがゼロで人手不足が続けば、潜在成長率を0.14%押し下げる」の元ネタが発見できなかったので、「潜在成長率の2%への引き上げを労働力だけで実現しようとすればおよそ190万人もの就業者の増加が必要な計算」というのもどういう計算なのかはっきりしないのですがそれはそれとして、「生産性向上や工場・設備などの資本投入も大きな伸びは見込めない」ってのはどういう根拠なのさ。ここは雇用逼迫が成長の壁になるかどうかかなり決定的な部分と思われますが、まあ通商環境の動向が不透明なこのご時世、国内工場への投資には慎重にならざるを得ないというのはわからないではありません。いっぽう、卑近な例で申し訳ないのですが私の自宅近くのスーパーではつい最近自動レジスターが多数導入されており、まあレジ係が不足して設備投資に踏み切ったのだろうなと思って見ているわけです。当然ながら待ち時間も短縮されて生産性も上がっています(まあ客が一部肩代わりしているのだから当然だ)。もちろんこの事例を一般化するつもりはありませんが、しかし人手不足で労働コストが上がれば自動化・省力化投資の損益分岐点が上がって投資が促進され、生産性の高い設備メーカーで新たな雇用が生まれることが期待できるというのは比較的普通の発想ではないかと思います。もちろんそれが期待できるには賃金の上昇が十分でないとか、そういう議論はあると思いますが。
それはそれとして、労働力調査の結果などを見ると今回の人手不足下において製造業の雇用はそこそこ増勢にあるようで(ていねいに見ているわけではないのでかなり荒っぽい議論ですが)、個人としてはともかくマーケット的には低生産性で低賃金のサービス業から高生産性で高賃金の製造業への労働移動の存在が示唆されているのではないかと思うのですがそうでもないでしょうか。これってみなさんがお好きな高生産性分野への労働移動ですよね。成長産業かどうかは知らないが。

 これだけ人手が足りなくなると賃上げが加速してもおかしくないが、中小にとどまっている。
 中小企業が加盟するものづくり産業労働組合(JAM)がまとめた2017年春季労使交渉の中間集計では、従業員数300人未満の中小企業のベースアップ(ベア)の平均回答額は1397円と、トヨタ自動車など大企業の1300円を上回った。JAMの宮本礼一会長は「人材を引き留めておくためにも賃上げする動きが続いている」と指摘する。
 雇用者の4割は中小企業が占める。ただ、中小の賃金水準は大企業の7〜8割にすぎない。賃上げをしたとしても将来不安から貯蓄する傾向が強く、消費に勢いがない。
 個人消費が上向かないため人件費の上昇分を販売価格に転嫁できない企業も多い。2月の消費者物価は生鮮食品を除く総合で前年同月比0.2%の上昇にすぎない。人手不足が賃金や物価上昇に波及する経済の好循環は実現していない。BNPパリバ証券の河野龍太郎氏は「完全雇用下では政府は需要を拡大するよりも、成長産業に労働者が移動しやすくするなど生産性を高める改革に注力すべきだ」と指摘する。

いや「賃上げが加速してもおかしくないが、中小にとどまっている」というのは大手はさらに先行して賃上げに踏み切ったからじゃないかなあ。でまあ政府も取引慣行などにも手を突っ込んだりして、昨年あたりから中小も賃上げでキャッチアップしてきているのはまあ好ましいことではないかと思います。たしかに「将来不安から貯蓄する傾向が強」いという意見はよく聞きますし、物価上昇がまだ限定的であることも事実でしょう。実際、近場では所得や雇用への不安感、中長期では社会保障や国家財政への不安感(そのすべてが合理的ではないにせよ)が消費を抑制しているというのはそのとおりかもしれません。まあ要するに将来不安から消費を先延ばしにしているわけで、その一因として「消費を先送りしても物価は上がらない」という心理があるとすれば、なかなか手強いものはありますが、企業は賃上げに続いて価格転嫁に踏み切ることが求められているのかもしれません。
いずれにしても、最後になぜか他人の口を借りて「完全雇用下では政府は需要を拡大するよりも、成長産業に労働者が移動しやすくするなど生産性を高める改革に注力すべきだ」と唐突に主張して終わっていますが、なんか脈絡がおかしくないかこれ。まあ、完全雇用下でさらに需要を刺激する必要は低いのではないかというのはそのとおりのようですが、しかし記事は賃金が上がらないことを直前で問題視していたわけなので、人手不足下であればこそ賃上げも設備投資も進むのだ(そしてそれが生産性向上にもつながる)ということを考えれば、人手不足が継続するような政策を採用することには意味があるということになるのではないでしょうか。
「成長産業に労働者が移動しやすくする」というのは、とりあえず人員の確保に苦心している企業にとっては迷惑な話でしょうが、そんなことかまっていられるかという話かなこれは。それでもなお、消費抑制の原因として将来不安、所得や雇用の不安を問題視しながら労働移動=雇用の不安定化を推奨するのは矛盾しているとは言えると思います。
ということでまことに不思議な記事だなあという感じで、これを通してしまうデスクというのもどうなのかとは思った。まああれかな、最後の「成長産業に労働者が移動しやすくするなど生産性を高める改革」という結論さえ気に入ったものならそれでいいのかな。そんなことはないとは思いますが、困ったものだ。