連合総研「イニシアチブ2009研究委員会」ディスカッションペーパー(1

ということで、連合総研の「イニシアチブ2009研究委員会」シンポジウムのディスカッションペーパーとして提出したものを数回に分けて(笑)転載します。hamachan先生に「賛否はともあれ、議論をかき立てる効果は随一です。」と、ほめてるんだかけなしてるんだかわからないご紹介をいただいたものです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-4362.html
なお、この論考はこのディスカッションペーパーのメイン論文である水町勇一郎氏の「《提言》労働法改革のグランドデザイン」を批判しています。水町氏の論文は下記でごらんください。
http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1245653189_a.pdf
ディスカッションペーパーではこれに対して比較法、政策研究、経済学および実務の立場からのコメントがなされており、私のパートは最後の「実務の立場から」さらにの最後の「人事労務管理の視点から」です。
余談ですが、どう考えても意見があうわけがない私を研究会に参加させ、ペーパーも書かせた連合総研・連合の度量の広さには感服しかありません。
それでは以下引用です。

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(1)はじめに

 本稿の目的は、イニシアチブ2009研究委員会の主査を務めた水町勇一郎東京大学社会科学研究所准教授の提示する「新たな労働法のグランドデザイン」について、企業実務の立場から批判的に論じることにある。なお本稿はすべて筆者の個人的見解であり、筆者の勤務先であるトヨタ自動車株式会社、および関係する団体等の公式見解ではない。
 まず第一に申し上げておきたいが、集団的コミュニケーション、集団的プロセスの復権あるいは新たな役割の付与を重視するという方向性については、私も大いに同感するものなので、為念明記しておく。ただ、基本的な方向性は賛同するにしても、水町氏の描くグランドデザインはまことに壮大かつ野心的だ。当然、今日の現実とはかけ離れる。現時点で私は、そのすべてについて妥当かどうか結論を持っているわけではない。ただし、差別禁止法制の一部については妥当でないとの結論を持っているので、本稿の中心はこれに関わるものになる。
 残りの項目については、もっぱら実務的な見地から大まかなコメントを述べるにとどまる。細部に関しては異論も非常に多いが、いちいち書くことはしない。個別事項について言及していないことをもって同意していると解釈されることは本意ではないのでこれも為念明記しておく。
 さてイニシアチブ2009研究委員会の議論は、委員やゲスト講師の高度に専門的な知見をもとに行われた。その多くは比較法的なものであった。もちろん、法制度を変えたときに社会がどのようになるのか、といったことは、およそ実験できるものではなく、比較法の知見はまことに貴重である。しかし、現実に人事管理の現場にあって実務に従事し、所属する企業の従業員の雇用と労働条件、意欲と能力とにわずかながらも責任の一端を有する立場からみれば、どうしても現実の労働市場、足元の人事管理の実態を重視することとなり、「海外ではこうだから」といった議論には懐疑的にならざるを得ない。したがって、本稿の論調はどうしても現状追認的な志向を有せざるを得ず、専門の研究者からみればまことに物足りないであろう。実務家の限界である。しかし、現行制度は長年にわたる労使の努力の積み上げによって実現してきたものである。たしかに今日的な要請に応えきれない法と実態の乖離は存在し、調整が必要だ。政策的な要請によって見直しが求められることもあろう。それは漸進的に取り組んでゆけばよい(実際、すでにわが国では努力義務などのソフトローを活用した漸進的制度改正がたびたび行われている)。しかし、それでもなお現行労働法制の多くの部分は、わが国の労働市場や労使慣行を踏まえた、それなりに妥当な、納得の得られるものになっていると考えてもよいのではないか。たしかに理念的な要請はあろう。しかし現状を変えることによる現実の弊害も少なからずあることも考えれば、そうした部分まであえて手をつけなければならないこともないのではないか。それが私の偽らざる感想である。

(2)労使関係法制

 それでは順に、労使関係法制からみていこう。ここでは、労働者代表制についてのみ、簡単にコメントしたい。
 水町氏の構想は「多様な労働者の意見を反映できる分権的なコミュニケーションの基盤を構築する」というもので、具体的には労働者代表の法制化だ。比例代表選挙によって派遣労働者、請負労働者等も含む多様な労働者が選出される制度とし、労働者代表には必要な保護と支援を与える。そして労働者代表との情報提供・協議の内容を労働契約法理における「合理性」や「権利濫用性」判断の重要な要素とする、労働者代表との合意を労働基準法などにおける過半数代表との労使協定や労使委員会の決議に代えるといった権限を与えるという。
 このような将来像を描くことは十分考えられるし、当面ここでその是非を論じるつもりはない。もともと企業別組合が一般的なわが国においては、このような制度も比較的親和性が高いだろう。実際、労働組合ではない従業員組織(管理職を含んでいたり、経費援助が存在したりする)の代表者との協議によって労働条件の決定などを行っている企業もすでに存在する。
 しかし、今現在いきなりこうした法制度を導入することは難しい。これが機能するためには、まずは比例代表選挙が成立する程度に代表委員候補が存在し、選挙の結果さまざまな属性の代表者がまんべんなく選出されなければならない。さらに、こうして選ばれた代表委員の集団が組織として機能し、利害調整と意思決定がなされなければならない。そこではじめて使用者との協議が成立する。そして、その先にはさらに困難な使用者との協議と互譲、妥協の道が続く…。こうしたプロセスが成り立つ土壌を有するのは、一定の組織率を確保した企業別労組が存在し、安定した労使関係が形成されている企業に限られよう。行政や労使団体、NPOなどが支援すればそれでうまくいく、といったような容易なものでは断じてあるまい。本気で実現しようとするのであれば、少なくともかなりの長期間を視野に入れた漸進的なロードマップが必要であろう。
 私は少し異なる意見を持っている。もちろん、「多様な労働者の意見を反映できる分権的なコミュニケーションの基盤を構築する」ことは必要かつ重要だ。しかし私は、その主役としては労働者代表制ではなく労働組合に強く期待する。たしかに、労働組合の組織率は、各組織の努力にもかかわらず低位にとどまっている。しかし、いっぽうで労働組合自らが自覚的に多様な労働者の組織化に取り組む動きはすでに萌芽の段階を過ぎて定着しつつある。労働組合と並立させて労使関係に新たな秩序を構築しようとするよりは、すでに規律された組織を持つ労働組合がより多様な労働者を取り込んでいくことのほうが、目指すべき将来像を漸進的に実現していくうえでより現実的な手段ではあるまいか。使用者との交渉・協議における交渉力という面でも、構成員の参画という面でも、構成員相互の利害調整、さらにはその場面における少数意見の尊重という面でも、労働組合は労働者代表制よりはるかにすぐれよう。いったい、自主的に参加し団結したのではなく、法的要請によって選出された代表委員が、どれほど相互の利害調整に尽力しようか。結局は少数者が多数決によって排除され続けることになりはしないか。
 したがって、労働者代表制の法制化よりは、低下を続ける労働組合の組織率を向上させるような、組織化を後押しするような施策がより現実に適合しよう。ここでとりわけ必要なのは、使用者の観点を重視することだ。労使の協議と合意を意図するのであれば当然だろう。使用者が、企業経営における労働組合の有用性を理解・評価し、自社における労働組合の結成を容認・歓迎するよう誘導することが求められる。実際、現代においては、企業経営は想像以上に労使関係の安定に依存している。たとえば、中間在庫を極力排したジャストインタイム方式は、マーケットニーズへの迅速な対応を可能とし、日本企業の競争力を支えているが、しかしこの方式は小さな一部の停止が急速に企業活動全体に波及するという構造的な特徴を持っている。つまり、たとえば重要工程において時間外労働に協力が得られない、といったくらいの小規模な労使紛争でも、競争上大きなダメージとなりうるリスクを内包している。労働組合が多様な労働者を組織し、その利害を調整し、結果として労使関係の安定をもたらすのであれば、使用者にとってきわめて有益な存在となりうるし、その点において、労働組合は新たな交渉力を拡大することができよう。
 具体的な方法は、水町氏の構想に近い。たとえば、労働協約により使用者から経費援助を受けることができる範囲を拡大することなどは考えられてよい。また、利害関係者を適切に含んだ労働組合との協約によって、労働基準法などの適用を緩和する余地を大幅に認めることも考えられるだろう。労働政策審議会における労働契約法の検討過程で提案された特別多数労働組合(ここでは労働者の3分の2以上を組織する労働組合とされたが、その定義は他にも考えられてよい)についてさらに大きな権限を与えることも検討に値しよう。また、それと並行して、少数労組の権利の制約や、多数労組との労働協約における唯一交渉団体約款を有効にするといった施策も求められよう。ナショナルセンターや産別・地域別組織の個別企業労使への介入も抑制的なものとしていく必要がありそうだ。
 いっぽう、各企業労使の自主的な取り組みがすぐれた成果をあげたとき、それがどのように拡大していくかは、他企業の個別労使それぞれの努力によるべきであろう。ある労使のあげた成果がなかば自動的に地域や産業に拡張適用されることは、かえって「地域・業界にご迷惑をかける」という労使の自主規制を招きかねず、取り組みにブレーキをかける恐れが強く、避けるべきである。