ちょっと以前ですが、先週金曜日の日経新聞「経済教室」に、一橋大学教授の高山憲之氏が「年金記録漏れ、海外でも、名寄せ、本人が協力を」という論考を寄せておられますので、備忘的に一部転載しておきます。
日本では昨年春に五千万件に上る公的年金の記録漏れが発覚し、その記録を名寄せすることが大問題となっている。さらに今年六月下旬、コンピューターに入力済みの年金記録にも不備があることが判明した。二万件の厚生年金データを加入者名簿・原票(紙台帳)と照合したサンプル調査によると、一・四%に相当する二百七十七件に不一致が確認されたという。記録漏れだけでなく、記録ミス(不正確な記録に基づく給付漏れ)へと問題は拡大している。
一方、「年金記録問題は日本の社保庁特有の問題であり、社保庁職員が心を入れかえまじめに働きさえすれば解決可能だ」と考えている人が今なお圧倒的に多いようだ。
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公的年金の記録漏れや記録ミス(給付漏れ)がどの程度あるのかを公開している国はほとんどない。ただ、情報提供に比較的オープンなアングロサクソン系諸国の実務担当者に筆者が直接聞きとり調査などをした結果は次のとおりであり、年金記録問題は日本以外でも多発していると考えて大過ないだろう。
まず、米国では…年金記録は事業主が提出する届け出に基づいて作成されるが、その届け出には記入ミス(No Match)などが少なくない。記入ミスや記入漏れは社会保障番号、氏名、現住所、給与額、加入期間などに広く及ぶ。その確認と修正を求める問いあわせを社会保障庁は毎年、事業主にしており、その件数は最近、年間で約八百万件(加入者総数の五%弱)である。…
事業主からの届け出の不備は、電子政府化を進めているアイルランドでも、その件数が最近、年間で約七%ある。
英国では国民保険番号が未記入のままの年金保険料拠出が年に約二百万件もあるという。…
人口規模は日本の六分の一のオーストラリアにも、宙に浮いた年金記録が大量にある。強制加入である職域年金(Superannuation)に、未統合のままである拠出記録(lost members)が約五百万件もあるという。
年金記録問題は公的年金だけに限られない。…不払いは民間生損保の保険金にもある。生保では三十八社全体で〇一年度からの五年間に百三十一万件(九百六十四億円)、損保では二十六社合計で四十九万件(三百八十億円)の不払いがあった。
このように年金記録管理は日本の社保庁だけでなく、外国にも、また民間の年金等にも共通する難題である。
人は誰でも間違いを犯す。ただ、総じて日本人は間違いに寛容ではない。間違いが露見した途端、当事者の責任追及と処分に走りがちだ。勢い間違っても、それを認めようとしないし、また間違いを隠す人が多い。間違いを前提にして、その点検と修正にヒト・モノ・カネを投じることは日本では容易でない。
年金記録ミスは今も起きており、残念ながら将来もゼロにはできないだろう。米英などでは記録管理に間違いが必ず起こることをあらかじめ認め、間違いをなるべく早く発見して直ちにその確認と修正を本人や事業主に求める。
この過程では双方向のやりとりが極めて重要だ。本人や事業主などの協力なしに記録を正すことはできない。
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本人申請に基づく行政は、「待ち」の行政姿勢を生みやすい。サービス提供型の積極行政に切りかえるため、本人の現住所情報を常にフォローアップし、それを全行政機関が共用する体制を早急に構築する必要がある。
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日本でも加入者の場合、社保庁ホームページで過去のすべての給与額などのネット照会が既に可能だ。受給者のそれも今年度中に可能となる。記録済み給与額の正確性は、このネット照会で集中的かつ大規模に点検したらどうか。あわせて社会保険適用に係る事業主の書面申請を原則、電子申請に切りかえ、その手続きを簡素化する必要がある。
主要国は、電子政府実現に動いている。行政との主な対話チャネルは書面や郵便物からネットに切りかわる。行政での入力・印刷・郵送作業などが大幅に縮減し、行政はスリムになる。日本でも年金記録問題を契機に、まず社会保険分野を基点に電子政府化を進めたらどうか。社保庁、後継の日本年金機構での人員削減の決め手は、この電子政府実現にある。いたずらに業務の外部大量委託を進めても、その裏側で組織としての一体感が低下していくだろう。
さらに、事業主から受領した給与明細書や保険料領収証はイタリアなみに最低五年間の保存を各人に義務づけたらどうか。現にフランスでは四十年保存を義務づけている。
年金保険料横領防止には、その納付をすべて金融機関やコンビニ経由とすればよい。
国税庁による税金と社会保険料の一括徴収は世界の流れで、今後、早急に検討すべきだ。行政費用や納付協力費用が節約可能となる。事業主の便宜は著しく向上し、年金記録ミスの点検も容易となるだろう。事業主の保険料不正申告も激減しよう。ただ日本では、国民年金保険料は国民健康保険料との一括徴収で滞納を減らすことが望ましい。
(平成20年7月25日付日本経済新聞朝刊から)
「年金記録問題は日本の社会保険庁だけの問題ではない。海外にもあるし、民間にもある」「この問題の解決は行政だけでは不可能で、加入者や企業の協力が不可欠である」といった記述には社会保険庁の皆様も涙が流れるでしょうが、そのあとに「電子政府化による人員削減」「国税庁による税と社会保険料の一括徴収」が続くのはつらいところかもしれません。
年金記録問題のほとんどが社会保険庁や企業、加入者による人的なミスで、社会保険庁の怠慢はたしかに看過しがたいとしても、こうしたミスはあってはならない一方でゼロにすることも現実には不可能でしょう。となると、ミスが起きたときに発見・修正できるチェック機能が必要であり、利害のある当事者がチェックできるしくみをつくるべきだとの意見はまことにもっともなように思えます。また、人的ミスを減らすには人間の関与を減らして機械的に物事が進むようにすることも有効ですから、たしかに電子政府化も効果的な取り組みといえましょう。とはいえ、最終的には人間の関与によってしくみは動いていくわけですから、すべての当事者が関心をもってかかわっていくことが重要なことに変わりはないものと思われます。