成長促す働き方

今日から再開したいと思います。お休みしている間にもいろいろとネタは出てきましたが、追って機会があれば取り上げるとして、きょうは日経新聞できのうから始まった社説のシリーズ「成長促す働き方」をみていきたいと思います。
まずは、きのうの社説で「雇用慣行を根本から見直せ」となっています。ふーむ、「根本から」ですか。どんなものか、最初から見ていきましょう。
書き出しはこんな具合です。

 少子高齢化が進む中で、高い経済成長をいかにして実現するか。その鍵を握るのは人材である。しかし現在の働き方のままでは、産業界全体、そして社会はジリ貧に向かう恐れすらあるのではないか。
 一時五%を超えた完全失業率は六月には三・七%に下がった。深刻な失業問題は避けられたものの、代償は大きい。希少な人材を枯渇させかねないひずみを生んだからだ。
 改善されない長時間労働や低賃金で不安定な非正社員の増大がそれである。賃金は全体として抑制基調が続いている。グローバル競争の激化という構造問題が背景にある。景気が堅調なので好転しつつあるとはいえ、テンポがあまりに遅い。
 厚生労働省がまとめた二〇〇七年版「労働経済白書」は、「企業部門で先行している回復を、雇用の拡大、賃金の上昇、労働時間の短縮へとバランスよく配分する」必要性をわざわざ訴えている。量的な面だけでなく、雇用の中身も改善しなければ、成長の基盤が損なわれかねないとの危機感の広がりが感じられる。(平成19年8月19日付日本経済新聞社説から、以下同じ)

労働経済白書が『「企業部門で先行している回復を、雇用の拡大、賃金の上昇、労働時間の短縮へとバランスよく配分する」必要性をわざわざ訴えている。』のはたしかなんですが、前後の文脈をみると「我が国経済は、景気回復の期間からみれば、すでに、高度経済成長期のいざなぎ景気を超えているが、経済の成長は、輸出と設備投資に牽引され、消費支出は力強さを欠いている。企業収益の増加が大きいが、これら企業部門で先行している回復を、雇用の拡大、賃金の上昇、労働時間の短縮へとバランスよく配分することによって、勤労者生活を充実させ、社会の安定を基盤とした持続的な経済発展を実現していくことが求められる。」(『平成19年版労働経済の分析』234頁)となっています。要するに内需拡大論であって、「希少な人材を枯渇させかねないひずみ」といったものを議論しているわけではありません。
さて続きをみてみます。

 上場企業全体では最高益を五期連続して更新しているが、将来を見通すと企業は様々な問題を内部に抱えている。例えば中堅以下の若手社員の仕事への意欲の低下や心の健康問題として表れている。
 日本経団連は、景気回復の要因として「人間尊重」「長期的視野に立った経営」を柱とする「日本的経営の理念」を挙げている。負の側面を見落としてはならないだろう。
 内閣府の〇七年版「国民生活白書」によれば、正社員の六七%強は五年前と比べて「仕事上の責任や負担が増した」と感じており、中堅層の三十歳代は七八%近くに上る。社会経済生産性本部のメンタル・ヘルス研究所の昨年の調査では、六一%強の企業がここ三年間に「心の病」が増加傾向にあるという。「心の病」が最も多い年齢層については「三十歳代」という回答が年々増えて六一%に達し飛び抜けて多い。

「正社員の六七%強は五年前と比べて「仕事上の責任や負担が増した」と感じており、中堅層の三十歳代は七八%近くに上る。」ということですが、内部育成・内部昇進を中心とする日本企業の雇用慣行においては、正社員が5年前に較べて「仕事上の責任や負担が増した」と感じることは当然で、むしろそうでなければ困るわけです。ましてや、能力の伸びが大きい三十代であればなおさらでしょう。実際、国民生活白書で紹介された調査ではその理由も尋ねており、その結果をみると「個人の責任で仕事をする機会が増加したから」が最多ですし、次いで「職場で昇任・昇格したから」とそのものずばりの回答が続いています。もちろん、「心の病」が拡大すればひいては「希少な人材を枯渇させかねない」ということになるかもしれませんし、これらの責任増にともなう精神的負担への配慮は必要ですが、負担が高まるからいつまでも責任の低い仕事のままでいい、というのでは、およそ「成長促す働き方」とは申し上げられないでしょう。
ここで社説は長時間労働をとりあげます。

 理由は単純ではないものの、長時間労働の定着が一因と考えられる。三十歳代の男性正社員の約四人に一人が週に六十時間以上働いている。週四十時間の法定労働時間より五割以上長い。土日に出勤しないとすれば一日四時間を超す残業となる。
 連合総合生活開発研究所の研究によると、労働時間が週六十時間以上になると疲労の蓄積感が大幅に増す。同研究所の昨年のアンケート調査では、時間外手当が支払われない、いわゆるサービス残業をしている労働者の比率は三七%強となる。
 年次有給休暇の取得率も一九九〇年代半ばの五六%強をピークに低下傾向にあり、〇一年からは五〇%を切る状態である。

もちろん働きすぎがいいわけはありませんし、それが「心の病」の原因のひとつとなっているという指摘もそのとおりでしょう。いっぽうで、「理由は単純ではない」というのもそのとおりのはずで、単純に一律に労働時間を短くしたのでは、「心の病」は減ったけれど「成長促す」こともできなくなってしまった、ということになりかねません。「心の病」を防ぎつつ「成長促す」仕事の成果をより多くあげることができるようにするにはどうしたらいいか、を考えていく必要があるでしょう。また、長時間労働の弊害は「心の病」だけではなく、疲労による創造性の低下とか、自己啓発の時間が不足するとかいった問題もあるはずで、そのあたりもふくめて考えていく必要がありそうです。
さて、社説は続いて非正社員について述べます。

 もう一つの大きな問題は、パートタイマー、契約社員派遣社員などの非正社員の増大だ。今年一―三月期には千七百万人を超え雇用者全体の三四%近くに達する。十年ほど前と比べて約六百万人増え、正社員は逆に約四百万人減った。非正社員は総じて、勤続年数が伸びても賃金はほとんど上がらないうえに、雇用が不安定だ。パートタイマーで見ると一時間当たりの所定内給与は、一般労働者の半分程度の水準である。
 企業は不況を乗り切り国際競争に対応するために、正社員を圧縮して賃金が安く雇用の調整弁にもなる非正社員を便宜的に増やしてきた。合理的な選択だったわけだが、正規と非正規を画然と区別する雇用管理の慣行が根の深い問題を招いた。
 雇用保障の手厚い正社員は長時間労働もいとわぬ会社人間的な働き方を求められ、非正社員の多くは技能水準の低い仕事に固定される。これでは、産業の高付加価値化を担う知識労働者を十分に育成できない。

「雇用保障の手厚い正社員は長時間労働もいとわぬ会社人間的な働き方を求められ、非正社員の多くは技能水準の低い仕事に固定される。これでは、産業の高付加価値化を担う知識労働者を十分に育成できない。」この理屈がいまひとつわかりません。「長時間労働もいとわぬ会社人間的な働き方を求められ」るかどうかは別として、正社員が手厚い雇用保障のもとに長期間をかけて知識や技能を蓄積していくことで、その中から「産業の高付加価値化を担う知識労働者」が育成されていく、というのがこれまでの日本企業(典型的には製造業の大企業)の人材戦略だったわけで、その有効性は今後もそれほど大きくは変わらないのではないかと思うのですが、違うのでしょうか?で、企業組織の拡大が従来ほどには見込みにくい状況となってきた現状においては、正社員の雇用保障の実効性を確保するためには「雇用の調整弁にもなる非正社員」(というか、雇い止めが可能なゆえに雇用の調整弁となりうる有期雇用)が必要なことも否定できないわけです。

  • 同様に、雇用の調整弁としての時間外労働が必要となることも繰り返し指摘されてきたところです。

そういう意味では、非正社員の雇用が不安定なのはその多くが有期雇用である以上は致し方のないことで、その分のプレミアムは賃金などに反映されていると考えるべきではないかと思います。
いっぽう、働く人が全員「産業の高付加価値化を担う知識労働者」になれば「技能水準の低い仕事」がなくなるのかといえば決してそんなことはなく、やはり「技能水準の低い仕事」も一定割合は存在し続けるでしょう。というか、産業の高負荷価値化とか「成長促す」とかいったことが日経のいわゆる「知識労働者」だけで実現できるわけもないわけで、そこには「技能水準の低い仕事」を適切なコストで確実にこなす役割も間違いなく必要なはずでしょう。
非正社員の多くが長期雇用ではなく、長期にわたる知識や技能の蓄積を期待されているわけではない以上、「技能水準の低い仕事」が非正社員に割り当てられがちになることは避けがたいことだろうと思います。で、技能水準の低い仕事である以上は、賃金もそれなりの水準に設定されることもまた致し方ないところでしょう。

  • もちろん、技能水準の高い仕事に従事する(したがって賃金もそれなりに高い)非正社員もいますし、そういう人が増えていることも事実だろうと思います。

大切なのは、非正社員という働き方ではなく、個人が技能水準の低い仕事に固定されることなく、キャリアを伸ばしていけるようにすることだろうと思います。それは非正社員から正社員へのコースチェンジという形もあるでしょうし、非正社員のままでより高度な仕事へとステップアップしていくという形もあるでしょうし、いろいろな可能性があると思います。政策的な支援ももちろん必要で、パート労働法が通常の社員への転換支援を求めているのはそのひとつといえましょう。私は個人的には、とりわけキャリアが描きにくい「登録型派遣」については規制を強化して、常用派遣を増やしていくような政策対応が必要ではないかと思っています。
なお、長期雇用で長期育成する人と雇用の調整弁として活用する人との割合には当然ながら各企業によって適切な比率があるはずですが、一部の企業においては「不況を乗り切り国際競争に対応するために」「賃金が安」い非正社員を適正割合を超えて増やしすぎてしまったというケースもあるでしょう。こうした企業においては、段階的に正社員比率を高めて適正割合へと是正していくことが必要であろうことはいうまでもありません。

…企業は最近、女性を補助職ではなく主戦力としていかすことに前向きになったが、現在の制度や慣行を温存していては限界がある。いまの制度のままでは、社会的に結婚や子育ての難しい人を増やし、労働力の再生産を妨げかねない。
 高度成長期に定着した終身雇用や年功序列などの慣行は、定年まで従業員を雇用し、妻子も含め生活を維持できる賃金を保障した。バブル崩壊後、早期退職制度などを常設したり、成果主義などを入れ賃金水準を抑えたりして、かなり形骸化した。

これはなかなか当たっているところもあって、「世帯主たる男性(夫)が一家の生計費を稼得し、女性(妻)は家事・育児を担う」べきだという伝統的な性役割意識こそを改めていかなければならない、という意味ではまったく同感といえます。妻が会社人間であっても、夫が専業主夫であれば子育ては十分に可能でしょう。それができないのはまさに「社会的に」難しいからでしょう。
また、専業主婦家庭モデルから共働き家庭モデルに改めていくべきだ、という意味においても、なかなか賛同できるものがあります。世帯主一人が就労して一家の生計費を(潤沢に)確保しようとすると、どうしてもある程度長時間労働になったり、企業への拘束度が高くなったりする可能性が高くなるでしょう。これに対し、夫婦共働きで合算して生計費が確保できればいいということになれば、夫婦の双方がほどほどに働いて双方が適宜家事・育児を担当し、ほどほどの生計費を稼得するというスタイルも可能になるでしょう。そのためには、たとえば定年までの雇用は保障され、キャリアの展開、昇格や昇給はゆっくりでも労働時間は短い「短時間正社員」のような働き方の選択肢を準備していくことも必要となるでしょう。要は仕事とキャリア、雇用の安定と処遇といったものの組み合わせで、多様な働き方を可能としていくということでしょう。
ということならいいのですが、社説はこうしめくくっています。

 しかし相変わらず「うちの会社」意識を求める空気が企業では支配的で、新卒一括採用による男性正社員を中心に考える古き雇用慣行がいぜん根強く残っている。正規、非正規の垣根を壊して多様で自由な働き方を可能にし、流動性の高い労働市場を実現するには、こうした雇用慣行から改める必要がある。

『「うちの会社」意識』なるものが何物かわからないのでここは無視しますが、「新卒一括採用による男性正社員を中心に考える古き雇用慣行がいぜん根強く残っている。」というのについては、とりあえず「男性中心」についてはかなり薄れてきているでしょう。「正社員中心」については、たしかに長期にわたる人材投資によって他社にマネのできない企業独自の高度な熟練を形成し、それを競争力の源泉とすることで投資を回収する、という人材戦略をとっている以上は、やはり正社員中心という面は残らざるを得ません。したがって、未熟練であっても育成可能性を重視して採用する正社員採用においては、育成可能期間が長い人材がまとまった人数で労働市場に出現する「新卒採用」における人材確保が非常に重要になるのはいたって自然な話です。
社説はこれを否定し、「正規、非正規の垣根を壊して多様で自由な働き方を可能にし、流動性の高い労働市場を実現する」ことを主張します。これは要するに雇用の安定という意味では正社員の非正社員化ということであり、正社員の雇用保障を剥奪し、労働条件を低下させることで非正社員と賃金水準を近づけるということでありましょう。なるほど、そうすれば正社員の長時間労働は減るかもしれませんし、正社員が非正社員化するわけですからその分は従来型の非正社員の比率は低下するかもしれません。しかし、それが本当に「成長促す働き方」なのかどうかはきわめて疑問と申し上げざるを得ません。少なくとも、雇用保障がなくなり、非正社員化された正社員は、これまで企業が競争力の源泉としてきた「他社にマネのできない企業独自の高度な熟練」を長期間かけて形成する気にはならないでしょう(解雇されてしまったら、転職先では役に立たないのですから)。それで日本経済の「成長促す」ことができるとは私にはあまり思えません。
大切なのは「垣根を壊す」ことではなく、働き方の選択肢を増やす、すなわち垣根も増やすいっぽうで、その垣根を低くする、すなわち働き方の変更をしやすくすることではないかと思います。そして、さまざまな働き方について、労働条件とキャリア展開の可能性の多様な組み合わせを確保していくことではないかと思います。