八代尚宏先生の整理解雇論・正社員論

日本航空の整理解雇が現実味をおびてきたということで、日経新聞は経済教室で「整理解雇の論点」を特集しました。本日の神林龍先生の論考も興味深いのですが、まずは昨日の八代尚宏先生の論考をご紹介したいと思います。お題は「金銭補償ルール明確化を」、「「労働者間対立」が問題 規制強化では雇用守れず」という見出しがついており、ポイントとしては「判例は金銭補償を整理解雇の要件とせず」「厳しい解雇規制は環境変化に対応できない」「適切な整理解雇ルールは多様な働き方促す」の3点があげられています。
前半部分では、もっぱら解雇の金銭解決が取り上げられます。

 11月15日、日本航空が整理解雇の実施を発表した。不況期に企業が行う整理解雇については「利益を追求する企業」と「雇用を守る労働組合」との労使間の利害対立という認識が一般的である。…
 しかし、企業の存続を最重視する点では、経営者と企業内組合との利害は、基本的に一致している。その意味では、解雇される労働者と、企業に残れる労働者の間の利害調整の手法が、整理解雇の真の争点となるのである。
 …判例法では、労働者が解雇を受け入れる際の重要な要件となるはずの金銭補償には触れていない。これは現状の金銭補償が、裁判所の判決で解雇無効とされて、労働者が職場復帰を望まない場合の和解金としての意味にとどまっているためである。
 しかし、本来、雇用と賃金とは一体的なものである。整理解雇の際に、雇用が継続していれば得られたであろう金額に比例した補償額を明確にすることは、労使双方にとっての予測可能性を高める。…
 金銭補償を整理解雇の要件として定めることは、2004年の労働基準法改正作業にあたって大きな柱のひとつであったが、労使双方の意見が一致せず、最終的には盛り込まれなかった。その代わりに「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、無効とする」という判例法上の文言が法律の条文で確認されるにとどまった。
 しかし、何かを規制する際には、規制する対象を明確に定めなければ意味はない。例えば「相当額の金銭補償があれば解雇は合理的」のような表現があれば、後は、その水準だけが争点となる。
 解雇の際の金銭補償は、規制の厳しいドイツでも認められているが、日本では「カネさえ払えば解雇してよいのか」と批判される。しかし、解雇されても裁判で争う余裕もない中小企業の労働者にとって、金銭補償が法律に明記されれば朗報となる。他方、潤沢な法廷闘争の資金をもつ組合に守られた大企業の労働者にとって、世間相場の金銭補償では不利になる面もある。解雇の金銭補償問題は、大企業と中小企業の「労・労対立」のひとつの象徴である。
 金銭補償の水準は、希望退職時の退職金への積み増し額が参考となる。また、整理解雇によって、残りの労働者の雇用は保障される以上、その際の賃金カットとのバランスも必要である。企業に残れる社員から、解雇される社員への所得移転が、双方にとって納得できる水準でなければ合意は成立しない。紛争が長引けば倒産リスクも高まる。
…日本のマクロベースの労働分配率は1990年代初めに著しく高まった。その調整が始まり、雇用が回復し始めたのは2000年央になってからであった。雇用保障の慣行は、すでに雇用されている正社員には望ましいものの、そのしわ寄せは弱い立場の新卒者や非正社員に及ぶ。
 今回の世界経済危機によって、08年の労働分配率は、雇用者報酬が維持される一方で、国民所得の大幅な落ち込みから過去の最高水準を超えた。仮に、日本でも、欧州のような金銭補償に基づく雇用調整のルールがあれば、一時的に失業率が高まっても、景気回復時には速やかに新規雇用が増える。失業給付の適用拡大や期間延長などの社会的安全網の充実と比べて、雇用調整助成金は、企業内で年功賃金を保障される労働者だけを守る効果をもつものである。さらに、経済の環境変化が速い時期には、産業の構造転換を遅らせ、新規雇用の創出を阻む効果もある。
(平成22年11月29日付日本経済新聞「経済教室」から、以下同じ)
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE3EAEBEBE2E4E5E2E0E5E3E3E0E2E3E29997EAE2E2E2;b=20101129

労働契約法検討時の金銭解決は解雇無効の際に復職ではなく金銭給付で解決しようというもので、必ずしも金銭給付によって解雇が合理的となるというものではありませんでしたが、もちろん八代先生のご見解のような考え方もあると思います。事実上結果はほとんど同じになるわけですし(まあ、「正当」か「不当」かといった建前の世界では異なってきますが)、有力な考え方だと思います。
大事なのは八代先生も指摘されるように給付額で、この金銭を損害賠償的な性格を持つものととらえ、雇用が継続していれば得られたであろう金額と、雇用が終了したことで(別の就労をすることで)得られるようになった金額とを適切に調整して決定するという考え方が基本になるのではないでしょうか。
もちろん、計算式のようなものを法定することは難しく、労働者に非のない整理解雇の場合は水準も高めになるとか、さらには同じ整理解雇でも経営上の必要性が高い場合には水準は低く、業績悪化の予防的解雇の場合には高いとか、あるいは八代先生ご指摘のように希望退職の条件を考慮に入れることも必要で、事前にそれなりの条件の希望退職が行われた場合には水準は低く、そうでない場合には高いとか、個別ケースが積みあがって相場ができるまでには長期が必要かもしれませんが、いずれにしても金額水準の高低を通じて企業の行動を規整することが望ましいと思われます。
さらにいえば、不当解雇の場合にはさらに慰謝料的な性格の金銭を不可することでそれを抑止することが可能になるでしょうし、労働者にも相当の非がある場合には給付額も抑制されるようにすればより合理的かもしれません。この場合、現状では不当解雇を争ったけ−スで、労働者にも相当の非があるにもかかわらず手続き上の瑕疵などを理由に解雇無効となった場合にもバックペイが満額支払われますが、これについてもバックペイを損害賠償的に考えることで過失相殺的な減額を行うことが理にかなうでしょう。現実の訴訟では民法の危険負担によってバックペイを得ることができるとなっているわけで、法理論・技術面では難しい問題があるらしいのですが、ちょうど債権法見直しの大きな議論が動いている折でもあり、こうした論点も議論してもらえるといいのですが。まあ法学的には筋悪の話、というか素人談義のような気もしますので、そんな話にはならないでしょうが。
なお、整理解雇時の賃金カットについては、八代先生が強調される「労労対立」、労働者間の利益調整という意味では重要ですが、現状では解雇回避努力を尽くしたかどうかの判断材料に止まっていると思われます。さすがに整理解雇の要件・要素としてこれを追加するのは無理が大きいと思われますので、これも金銭補償水準を判断する要素の一つと考えるべきでしょう。
さて後段は「多様な「正社員」」の話題に移ります。

 日本の判例法に基づく厳しい解雇規制は、慢性的な残業や、配置転換・転勤を受け入れざるを得ない「無限定な働き方」の代償という論理がある。この暗黙の一括契約は、専業主婦を配偶者にもつ男性世帯主の雇用を前提としており、女性の社会進出で増える共働き世帯のニーズには対応していない。
 この結果、キャリア女性は、仕事の継続と子育てとの二者択一を迫られる。子育てを選べば企業に必要な人材が失われ、仕事を選べば少子化を防げない。政府は子育て支援策として、もっぱら育児休業保育所の充実を進めている。しかし、子供は2年程度では育たないし、保育所に毎日10時間預けることも難しい。
…日本でワークライフバランスが困難な最大の理由は「夫は仕事、妻は家事・子育て」の分業という形で、これまで家族単位では実現していたことにある。これを共働き家族を前提とした個人単位に変えるためには、残業や配置転換・転勤など無限定な働き方とのパッケージになっている雇用保障・年功賃金にメスを入れなければならない。しかし、これには労組と経営者が共に消極的である。
 雇用保障を含めて雇用システム全体を再設計することによって、正規社員と非正規社員の格差問題にも本格的に取り組める。これは、一見、正社員に不利と見られている。しかし、企業がその存続をかけて経済環境の変化に適合せざるを得ない時代を迎えている以上、より柔軟な仕組みをつくることが、正社員にとっても将来の安心につながる。
 雇用保障と年功賃金の代償に無限定な働き方を強いられる正社員と、不安定雇用で低賃金の非正社員との間に、その中間的な働き方を、法律で認知する。例えば、特定の仕事がある限り雇用が保障され、転勤はなく、労働時間も自分で決められる「専門職正社員」である。この考え方は自民党政権時代、経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会でも検討された。
 しかし、民主党政権では、厳格な雇用保障の働き方が唯一の望ましいものであり、それと代替する働き方を、一律に規制する考え方が主流である。国会で継続審議となっている登録型や製造業派遣などの禁止を内容とする派遣法改正案は、それによって雇用機会が失われる、肝心の派遣労働者の声を無視している。
 派遣の禁止だけでは他の形態の非正社員へのシフトを防げない。有期雇用契約の更新を容認すれば、事実上、正社員の厳格な雇用保障が損なわれる。このため、直接雇用も含めた有期雇用全体を原則禁止とする極端な規制強化への検討が、労働審議会で始まった。
 本来、終身雇用や年功賃金は、過去の高い経済成長やピラミッド型人口構成を前提に成立した雇用慣行である。そうした社会環境が大きく変化したにもかかわらず、これを規制強化で守れるというのはドグマ(教条主義的な独断)にすぎない。その犠牲となるのは、新卒者など、最も弱い立場の労働者である。
 適切な金銭賠償を軸とした整理解雇のルールを定めることは、正社員の多様な働き方を促す。また、契約更新を繰り返す有期雇用の更新停止時にも、これを適用することで、非正社員と正社員との働き方の壁を低めることもできる。今回の日航の整理解雇を機に、労・労対立の視点で本格的な検討を再開すべきである。

ほぼ100%近く同感です。その上で少し心配なのは、改革を強調する副作用として、この文章を読んだ人の中には八代先生が現状を全否定しているかのような印象を受ける人かもしれないという点です。
ということで余計なお世話ながら少し解説すると、基本的に八代先生が批判しているのは「終身雇用や年功賃金…を規制強化で守」るという発想です。「雇用保障と年功賃金の代償に無限定な働き方を強いられる正社員と、不安定雇用で低賃金の非正社員との間に、その中間的な働き方を、法律で認知する」との文章にもみられるように、現行の正社員・非正社員のいずれも否定していません。ここは、逆に正社員の事実上の禁止を主張する「労働研究者でない経済学者」(池田先生とかね)とはまったく異なります。八代先生の正社員に対するスタンスは、私が雑駁にまとめればこんなものでしょう。

 企業が無限定な働き方の代償に定年までの雇用と賃金を保障するというのも、それが企業にとって合理的なら自由にやればいい。当然保障した以上解雇に規制はかかるが、事情が変わったときの解約については相当額の金銭給付によって可能とすべきである。いっぽう、行政が正社員こそが良い雇用であると決めつけて、あたかも天然記念物のように公的に保護すべき対象であるかのように規制で守ったり、やはり規制などによって他の働き方も正社員に誘導しようとすることはすべきではない。

で、そこから多様な「正社員」という話につながるわけで、多様な正社員は多様なワークライフバランスという話と表裏一体です。だから、従来の専業主婦モデルもあっていいし、女性が専業主夫と結婚してキャリアを継続することもありうる。それも自由な選択であって、しかし多様な「正社員」が可能になれば、そちらを選択する人が増えるだろう(したがって従来型は減るだろう)。それが少子化対策という意味でも企業の人材確保という意味でも望ましい…ということではないでしょうか。