国歌伴奏命令は合憲

入学式で国歌のピアノ伴奏を拒否し、懲戒処分を受けた教諭が憲法違反を訴えた裁判で、最高裁が上告棄却=原告敗訴の判決を出したそうです。まことに妥当な判断といえましょう。日経新聞は社説でこの判決を全面的に支持しています。

 入学式や卒業式などの学校行事で「日の丸」に向かって起立し「君が代」を斉唱するように命じる教育委員会と、これに従わない教職員の間で多数の訴訟が起きている。教育の場にふさわしくないイデオロギー闘争の感があり、混乱を早く収拾してもらいたい。
 一連の訴訟で初めての最高裁判決の多数意見は、極めて常識的な内容であり、混乱を生じさせた責任がどちらの側にあるかを示している。
(平成19年2月28日付日本経済新聞社説より)

いやまったく、要するにきわめて政治色の強い一部教員のイデオロギッシュな運動としての「法廷闘争」なわけで、よりよい学校教育の実現とはまったく関係なくなってしまっているわけで。
安倍首相は教育改革にご熱心なようですが、私の素人考えでは、こんにちのいささか混乱した教育現場を建て直すには「支援」と「管理」の双方からの取り組みが必要なことは間違いないのではないかと思います。ところが、こういう少数のとんちんかんな教員がいるせいで、こんなとんでもないイデオロギッシュな教員がいるようではもっともっと管理を強化しなければならない、こんな教員を支援するなんてとんでもない、という調子で大方の民意が推移してしまうわけで、これは日々まじめに、常識的に教育にいそしんでいる大多数の教員のみなさんにとってはまことに不幸なことではないでしょうか。
さらに輪をかけてまずいのは、教育関連のアカデミズムの大勢が同様のイデオロギーに凝り固まっていて「国歌拒否するのがすばらしい教員、しないのは日和見のダメ教員」という浮世離れした「お墨付き」を与えることで、こうした一部教員の理論的バックボーンになっていることでしょう。これらの人々は「管理は不要、支援は欲しいだけ」という主張を熱心に繰り返すわけですが、これではますます世間の共感は得られないことは明々白々で、どんどん教育現場がまずくなってしまうわけですが、彼ら・彼女らにとっては、自分たちのイデオロギーのほうが大切なのでしょうか(そうなんでしょうけれど)。
しかし、新聞各紙はこぞって社説でこれを取り上げていますが、読み比べてみるとまことに面白おかしい。メディアの責任というのも大きそうですねぇ。