専門型裁量労働制が適用できない大学教授

労働時間制度をめぐる議論はいまだに混迷しているようですが、それでもなんとか高度プロフェッショナル労働制の新設や裁量労働制の拡大をふくむ労働基準法改正法案もまとまり、まあ一歩前進と言うところでしょうか。もちろん国会審議はこれからなのでいつ成立するのかとかそもそも本当に成立するのかという話はまだあるわけですが。
さてそんな中で非常に気になるニュースが報じられていました。

 大学教員が研究に充てる時間が減り続けていることが7日、文部科学省の科学技術・学術政策研究所の調査で分かった。2013年の勤務時間に占める研究活動の割合は35・0%で、08年の前回調査から1・5ポイント低下し、02年の初回調査に比べると10ポイント以上減った。学生の教育に充てる時間の増加が背景で、同省は「研究時間を確保できるよう、各大学に工夫してほしい」としている。
 調査は3回目で、全国の国公私立大の教授や准教授ら教員計5652人が対象。02年調査では、論文作成や情報収集などを行う研究活動の時間は、勤務時間の46・5%を占めていた。
 講義やゼミ、その準備といった教育活動は、13年で28・4%。08年調査より1・1ポイント上昇した。学生が議論などを通じて課題を解決するアクティブ・ラーニングや、高校までの学習内容を復習させる初年次教育が広がり、そのための準備時間が増えたことなどが要因とみられる。
 専門分野別にみると、医学や歯学など「保健」の教員の研究活動は31・9%と特に低く、08年より6・9ポイント減った。診療など「社会サービス活動」が同8・6ポイント増の24・2%となったことが影響した。私立大の教員の研究時間は29・9%で、42・5%の国立大との開きが目立った。
平成27年4月8日付日本経済新聞朝刊から)

私のtwitterのタイムライン上では上記記事の「文部科学省…は「研究時間を確保できるよう、各大学に工夫してほしい」としている」に対しておまえが言うかおまえがという抗議があふれていてまことに同情にたえないわけですがそれはそれとして、これのなにが大問題かというと実態がこのとおりだとすると大学教員の相当割合には専門業務型裁量労働制が適用できないはずだということになってしまうからです。
現状どうなっているかというと専門業務型裁量労働制の対象業務を定める告示(労働基準法施行規則第二十四条の二の二第二項第六号の規定に基づき厚生労働大臣の指定する業務)に「学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)」というのがあって、まあ大学の先生であれば専門業務型裁量労働制が適用できるということになっています。これは周知のとおり国立大学が法人化されたことにともなって国立大学の教員にも労働基準法が適用されることになり、労働時間制度についても明確化しなければならなかろうということで、平成16年の労基法改正にあわせてこれを追加して、まあこれで安心という話になったわけです(それ以前の私大の先生方の法的状態についてはよく知らん)。
ただここでいやでも目に付くのは(主として研究に従事するものに限る。)というカッコ書きであり、これについては通達(平182.15基発0215002号)で「「主として研究に従事する」とは、業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり、具体的には、講義等の授業や、入試事務等の教育関連業務の時間が、多くとも、1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて、そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること。」という行政解釈が示されているわけです(強調引用者)。これは厚生労働省のウェブサイトにも載っていますし労基署に置いてあるパンフレットなんかにも書いてあります。
そこで「2013年の勤務時間に占める研究活動の割合は35.0%」と言われてしまうと、これはさすがにおおむね5割とは言えないよねえと思うわけです。それでは2002年の46.5%ならおおむね5割でOKかというと実はそうでもなくて、これは1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものの5割なんですね。でまあこの35.0%とか46.5%とかいうのは普通に考えて所定または法定労働時間を上回った部分も含めての比率でしょうから、研究以外に費やしている65.0%や53.5%が所定または法定労働時間の何割に相当するかというと、まあ計算しないほうがいいかもしれません。

  • ただし平均値については注意する必要があり、調査の元ネタ(http://data.nistep.go.jp/dspace/bitstream/11035/3027/1/NISTEP-RM236-FullJ.pdf)をみると、記事にもある医療サービスが平均でも9.2%を占めています(2013年)。もっとも他の分野でも、理学系は51.0%の研究時間を確保していますが、その他は人文・社会科学系が35.0%、工学系が39.2%にとどまるなど、過半には遠く届かない状況です。
  • 従って大学病院でのお仕事をどう考えるのかというのは大問題なのですが、ここではそれは一応脇に置かせていただきます。
  • なお個人差についてはまったくわかりませんが相当に大きいものと思われ、たとえばキャリアセンターで進路指導と就職先開拓に専念している民間企業出身の准教授と言った人が平均を引き下げている可能性はあります。いっぽうでやはり民間企業のエンジニアから転身して教育はできないので実験しかしてませんという助教さんというのも相当数いると思われますが。
  • もちろん通達のいう「研究」とこの調査における「研究」の範囲が異なる可能性はありますが、しかし通達の表現と上記調査における分類とをみるとそれほど大きくは異ならないだろうと思われます。ちなみに調査では、グレーゾーンと目されるものについて科研費などの申請書作成は(学務ではなく)研究、博論指導も(教育ではなく)研究、学会役員業務は(研究ではなく)社会サービスという分類になっているようです。

ということで現実の問題として大学の先生方の相当割合(特に教育や学務の負担が重い学部所属の先生方の大多数)は通達の求める専門業務型裁量労働の要件を満たしていないのではないかと懸念されるわけです。これはまことに由々しき事態であって実態把握が急がれるところなんだったら私の勤務先から3分も歩けば中央労働基準監督署があるので明日にでもこらこらこら、いやさすがに大学の先生方に向かって教育や学務が半分以上だから労働時間をカウントして割増賃金を受給しなさい予算が尽きたら研究を打ち切っておうちに帰りなさいなんて野暮なことを言ってはいけないでしょう(これは「脱時間給」とかに強硬に反対している人たちにもまあ大筋で同意してもらえるのではないかと思うのですがそうでもないのかなあ)。まあ大学といえどもご多分に洩れず職員の不払い残業は時折問題になっていますが、教員の不払い残業が大きな問題になったいう話は寡聞にして聞いたことがありません。当事者がそれでいい・それで致し方ないと考えているならとりあえず放置でいいという話なのかもしれません。
まあしかし大学の先生方というのは基本的に研究をやりたい人であり、またその気になれば寝食を惜しんで研究に没頭されるような方々であろうと思うわけです。実際問題元ネタによれば大学教員の年間総職務時間は平均2,573時間(!)であり(ヒストグラムをみるかぎり中央値も大きくは違わない)、約4分の1は年間3,000時間以上、1割以上が3,500時間以上とたいへんな勤勉さであり、それでも平均で4割も研究の時間が確保できていないわけです。
したがっていかに本人がいいと言っているとはいっても本当にずっと放置でいいのかという問題はあり、こうした現状をみると解決の方向性として前述のように文部科学省(とその先にいる財務省)に向かって仕事減らせ人よこせもっと研究させろと叫ぶというのはたぶん本質的でありもちろん重要だろうと思います。研究以外の活動も基本的には研究者ならではのものが多いわけなので、端的には研究者を増やす、ポストを増やすということになるでしょう。ただまあ(私はこの点けっこう寛大なほうだと思うのですが)、世の中にはたとえば冨山和彦氏のように俺のもとい世間の役に立たない研究者を減らしてその原資を役に立つ分野に振り向ければよいといったようなことを言う人はいそうです。
それとは別の問題として私としてはやはり法制度に欠陥があるのではないかとは申し上げたいところであり、さすがに大学教員と名がつけば何でもOKというのは「呼称ではなく実態で判断」という大原則を逸脱してまずいでしょうが、それにしても教育にしても学務にしても研究者ならではのものが大半を占めるわけですから、「研究」を必要以上に狭義に限定する必要もないのではないかと思います。実際、関連する活動もその大部分は相当に裁量度の高いものであり、幅広く研究の一環として認めてもいいのではないでしょうか(まあこのあたり実態としてそうなっているという話かもしれません)。いっぽうで授業のように(専門的ではあっても)非常に拘束度の高い仕事もあり、私学では社会人大学院とあわせて週6日10コマとかいう話も聞くのでそうなると法定週40時間に対して15時間は小さくないということにはなります。ただこれも少し長い目でみれば大学教員はサバティカルなどもあってそれなりに落とし前はつくわけなので、それほど目くじらを立てる話ではないという考え方もあるかもしれません。いやそれは週当たりのコマ数を規制すれば先生方には喜ばれるかもしれませんがこらこらこら、総労働時間の上限規制というのもよく持ち出されるアイデアですが仕事や人に応じて考える必要があり、さすがに大学の先生で上限規制していただいてけっこうですという人は少ないのではないでしょうか。水準次第という話もありますが、こと先生方についてはさきの元ネタによれば5%以上の人が年4,000時間以上働いておられますし、中には1年約8,800時間のうち6,000時間以上を職務に費やしている猛者もいるようです。理系の先生でものすごく反応プロセスが長い実験を研究室に泊まり込みでやっておられたりすると、そんなこともあるのでしょうか。そこにたとえば年間3,000時間とかのキャップをはめて交替制勤務でやりなさいというのもなんか野暮なような気はします。
さてここからが本命の議論ですが(笑)、大学教員について現状のような運用が容認され・今後も容認されるのであれば、民間企業においても(当面ここでは)同様に専門業務型裁量労働制を適用してもいいのではないかという話です。元ネタの調査では「研究活動」を「物事・機能・現象などについて新しい知識を得るために、あるいは、既存の知識の新しい活用の道を開くために行われる創造的な努力及び探究」(これは総務省統計局の指定統計の定義と同じらしい)としているのですが、このような活動を行っているのは大学教員だけであり、民間人はしょせんカネもうけをしているだけだというのだとすれば、それはさすがに傲慢というものでしょう(いや誰かがそんなことを言っているといいたいわけではないですが)。カネなんかいらないから研究させてほしいという人は民間にもたくさんいるわけで、実際民間企業の技術研究所などに行けば、私の仕事の大半はそれですという人もかなりいると思いますし、相当割合の人が35.0%は超えているのではないかと思います。
さらにいえばこれは技術者に限った話でもなく、大学の先生方でもたとえば競争的資金を獲得するためにはご自身の研究の訴求ツールを作成しそれを持って営業に回ったりされておられるわけですし、さらには学内のお立場によっては(自分の研究ではなく)大学の教育事業に予算をつけるために類似の仕事をしておられたりして、ここまでくるとまあホワイトカラーの俺らとたいして変わらんなと思わなくもありません。
もちろんそうは言っても裁量度の違いや組織内の指揮命令系統の強さといった事情はありますので民間人が大学教員とまったく同じでいいとは思いませんが、そこはそれこそ実情に応じて集団的手続を求めるとか、それで足りなければ最低休日規制なり労働時間の上限規制なりを入れるとか、今回の労基法改正をめぐって議論されたようなことを考えていけばいいわけです。まあ結局のところ裁量労働制では収まりきらずに別の制度を考えざるを得ないというのが私の意見なのですが。
まあ政策立案プロセスに関与するような先生方であればそれほど学務などの負担も重くなく、研究に専念できる環境にあるのかもしれませんが、それにしても大学教員のみなさまには裁量労働制規制緩和が決して他人事ではなく、むしろ当事者であることをご認識いただくと同時に、それを論じる際にはぜひとも労働時間規制に係るご自身の法的状態についてご反省いただくようお願いできればと思います。