経済教室

一昨日、規制改革・民間開放推進会議の意見書を取り上げましたが、同会議の最重要なアクターのひとりである国際基督教大学教授の八代尚宏氏が、その意見書を受けて?本日の日経新聞「経済教室」に登場しておられます。
まずは、かつては合理的であった現行の固定的な雇用慣行が、経済の国際化や少子高齢化などの変化に適応できていないことを批判し、今後は働き方の多様化が必要であると指摘しています。そして、こう問題提起します。

 ところが逆に働き方の多様化を妨げる規制強化の動きが加速している。来年の通常国会への提出に向け、厚労相の諮問機関である労働政策審議会で現在検討されている「労働契約法」がそれである。
(平成18年7月26日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)

八代氏はまず、労働契約法の一般論を述べますが、これは一昨日にとりあげた規制改革会議の意見とほぼ同様です。

 働き方の基本的なルールは労働基準法で定められている。これは労働条件の最低基準を強行規定とし、罰則で守らせる刑法に近い法律である。これとは別に、採用から退職まで標準的な雇用ルールを民法の特別法として定め、労使間で事前の合意がなければそれに従うようにすれば、労働者の権利保護と、最近多い個別労使紛争予防にも役立つ。これが「労働契約法」の本来の考え方だ。
 本来は労使間の合意に基づき、多様な働き方に対応した労働条件とするためには任意規定が中心でなければならない。しかし、審議会の議論は、当初の意図を離れて、強行規定を中心とした、事実上の「第二労働基準法」になりつつある。

たしかに今の審議会の議論(というか、厚労省の方向性)は強行法規に触れすぎているように思います。私は個人的には強行規定は必要最低限であるべきだとの考えで、全否定するものではありません。より重要なのは、極力実体規制ではなく手続規制によるべきだという点だろうと思います。この点でも、現在の議論には不満が大きいものがあります。
続いて八代氏は、内定取消や試用期間後の本採用拒否についての規制強化に対する反対意見を述べます。さらに「正社員の身分保障のあり方こそ見直す必要がある」と踏み込んだ主張が行われます。
とはいえ、以前ご紹介した福井秀夫氏の解雇自由化論とは異なり、八代氏の場合は見出し(これは新聞社がつけるのだろうとは思いますが)も「解雇規制の強化は誤り」と「強化するな」にとどまっています。文中でも、たしかに現行規制に批判的ではありますが、その一方でこうも述べています。

労働力が減少する今後の社会では、従来型の企業による雇用保障だけでなく、労働者の市場価値を高め、特定の企業に依存しない就業機会の保障を目指すことが必要である。

「従来型の企業による雇用保障だけでなく」と、従来型にも一定の価値を認めているところは、現実にマッチしたものとなっています。実際、解雇規制に関しては、多くの実務家は正社員の解雇規制=身分保障については一定の意義と必要性を認めているものと思われますし、現状以上の規制緩和は不要との考え方も有力です。ここでは八代氏はおそらく企業特殊的熟練のウェイトの高い工場労働などを念頭においているものと推測されますが、実務実感としては、ホワイトカラーでも外部者が考えるよりはるかに企業特殊的熟練のウェイトは高く、企業による雇用保障の重要性は高いように思われます。
また、「正社員の身分保障のあり方こそ見直す」の具体的内容も、

 まず解雇規制の強い欧州でさえ認められている解雇紛争の金銭的解決を、労使双方に対等に認めるべきであろう。

というものにとどまっています。解雇の金銭解決の導入は実務的要請としても必要性が高いものですので、この主張はまことに実感に合うものです。逆にいえば、実務的にはここまで実現すればそれ以上の解雇規制の緩和はニーズが低いということではないかと思います。
次に、労働時間制度については、八代氏はこう主張します。

 だらだら長時間残業するのではなく、短時間に効率的に働く人に報いるための賃金制度が切実に求められている。…
…高度の専門能力を有する知識労働者であるホワイトカラーの働き方は多様であり、その仕事価値は職場での労働時間というインプットで計れるものではない。
 また、とくに高度の専門能力を持たずとも、定型的な業務を行う非正社員比率が高まれば、その隙間を埋めるための自律的な働き方が正社員にはいっそう求められる。さらに、子育てと仕事との両立を図るためには、必ずしも高賃金でなくとも、個人が自由に労働時間を調整できるような報酬体系が望ましい。
 この意味で労働契約法制と一体的に検討されている労働時間法制の中で…「自律的労働時間制度」創設が提唱されたことは、ひとつの前進である。しかし、本来の時間規制が全くない米国のホワイトカラーエグゼンプション(除外)制度と比べれば、依然として使い方に制約の多い仕組みとなっている。

つまるところ、「仕事価値が職場での労働時間では計れない」場合はホワイトカラー・エグゼンプションにすべき、ということでしょうか。これまた、なかなかわかりやすい話ではあります。
そこで八代氏は現在の議論の問題点として三点上げていますが、そのうち、

 第一に、「自律的労働時間制度」については、高度に自律的な働き方を基本とする業務がその対象業務とされているにもかかわらず、個別の同意を必要とすることは、業務の性格と矛盾している。

これは理屈としてはそのとおりなのですが、「自律的」か否かについては、結局のところいちばんよくわかるのは本人であり、本人が同意することを十分条件とすることは考えられてもいいのではないでしょうか。もちろん、規制改革会議の意見書にあったように、大学教授であっても同意しなければ時間管理とする、などというのはナンセンスですから、何らかの要件を満足すれば同意を不要とすることは考えなければいけないかもしれません(もっとも、これは人事管理の運用面で対応可能なような気もします)。
また、八代氏はホワイトカラー・エグゼンプションに対する「働きすぎ批判」についてはこう述べています。

仮に労働時間の制約がなくなれば、働き過ぎにより健康を害するという指摘もある。労働時間の総枠管理等の健康管理に配慮する措置は別途必要にはなるが、検討されている割増賃金の問題ですべてを解決しようとすることには無理がある。

まことにそのとおりでありましょう。健康管理配慮で労働時間を制限することが必要ならば直接制限すればいいのであって、賃金を時間割で払わなければならないかどうかとは別問題のはずです。
続けて八代氏は、規制改革会議の意見書と同様の主張を述べます。

米国の割増率は5割と日本と比べて高いものの、他方で全労働者の約4割が、労働時間規制の適用を除外されている。日本のように広範な労働者が少ない残業手当の支払いを受けているのとは対照的だ。仮に割増賃金率の引き上げを図るとすれば、それは幅広い範囲のホワイトカラーを対象としたエグゼンプション制度の導入と一体で行わなければならない。

今後、労働条件分科会では、場合によっては割増率の引き上げとエグゼンプションの導入とを取り引きするような議論が行われる可能性もあるかもしれません。まあ、交渉ごとといえば交渉ごとなので、理屈を超えた取り引きがすべて悪いというわけではなく、むしろおおいにありうることなのでしょう。そのときに、米国の実態を参考とすることは非常に有力な考え方ではないでしょうか。労働サイドや厚労省は、「米国は転職市場が発達しているから、長時間労働を強いられたら転職で対処できるが、日本はそうはいかない」という理屈で規制を正当化しようとするかもしれませんが、それに対しては「では日本でも米国のように解雇規制を大幅緩和して転職市場を発達させればよい」とでも反論するのでしょうか。まあ、本当にそうするのがいいとはおよそ思えませんが。
さらに八代氏は、管理監督者の範囲についてはこう述べています。

 なお、労働時間規制の適用を除外されている管理監督者を「労務管理について事業者と一体的な立場にある者」とすることは、工場長や部長クラスの者を念頭に置いた半世紀以上前の通達によるもので、管理監督者といえば課長以上の者を指す世の中の常識とは隔たりが大きい。

これに関しては、労組のある企業(特にショップ制の企業)では、労働組合法の「使用者の利益を代表する者」を念頭において非組合員の範囲を労働協約で定め、これをほぼそのまま労働基準法管理監督者とするという取り扱いをしているケースが多いものと思われます。すなわち、法の定めや通達にかかわらず、事実上労使自治管理監督者の範囲を決めているわけです。そして、その範囲は、八代氏の指摘のとおり、「課長クラス以上」とするものが太宗を占めているといえるでしょう。もちろん、一昨日も書いたように、問題のある実態もないではないので、現状をすべて追認することがいいとも考えませんが、しかし、労働契約法が労使自治を旨とするのであれば、やはり労働協約で定めた非組合員をおおむね管理監督者として扱うというやり方は認めていくべきではないかと思います。
八代氏の所論がすべていいとは思いませんが、やはり労働契約法のあるべき方向性に近いものを示しているのではないかと思います。今後、より実りのある議論を期待したいものです。