雇用がゆがむ(1)

週刊東洋経済5月24日号が職場の回覧で回ってきました。表紙に安倍首相の写真とともに大々的に書かれた特集名は「雇用がゆがむ 官制ベア 残業代ゼロ 解雇解禁の点と線」。なかなか力の入った特集のようですが、その「Part1 正社員」ではこのブログでもその不出来ぶりをご紹介した産業競争力会議の長谷川主査ペーパーが取り上げられ、なぜこうも不出来になったのかが解説?されています。

 成長戦略に盛り込むには、具体的な制度設計が必要となる時期にもかかわらず、この日のペーパーが甘利が答弁に苦しむような曖昧模糊としたものになったのには理由がある。
 そのおよそ2週間前、4月9日に開催された産業競争力会議雇用・人材分科会。会議では「多様な正社員(限定正社員)」と「解雇の金銭解決制度」について議論されたが、実は分科会の開催前、内閣府副大臣西村康稔、厚生労働副大臣佐藤茂樹を中心に関係者が集まり、西村の部屋で非公式な会合を持った。議題となったのは、22日の合同会議で初めて議論されたことになっている「新たな労働時間制度」である。
 この場で関係者に示された長谷川ペーパーの「原案」には、あいまいさのかけらもなかった。現在の労働時間制度は工場労働者を想定した仕組みであり、ホワイトカラーには適さない、それに代わる新たな労働時間制度として「スマートワーク」なるものを創設するというものだ。
 このスマートワークでは、対象者の範囲に業務や地位の限定を設けず、本人の同意と労使の合意に委ねることで、幅広い労働者の利用を可能にするとしている。実際そこで図示された対象者のゾーンには、「ヒラ社員」の最末端、つまり新入社員まで含まれている。本人の同意と労使合意さえあれば、どんな業務内容の新入社員でも労働時間規制が及ばず、残業代なし、深夜・休日割り増しなしで働かせることができる。
週刊東洋経済2014年5月24日号(通巻6526号)p.53)

これはたぶん経産キャリアって自分がそうだからという事情が大きいのではないかと推測します。経産キャリアはたしかに入省1年目からそういう働き方になっているでしょうし、それに文句をつける人はいないでしょう。ただ、それは彼ら彼女らは相当の確実性と速度で枢要な地位に上ることが国の制度として確保されているからであり、民間でそこを労使間のプロセスだけで担保すれば足りるというのはかなり無理があるように思います。長谷川主査ペーパーはそこは一応国がガイドラインを示したうえで当面は過半数労組のある企業に限定するとしているわけで、私もそのくらいはやる必要があるだろうと思います。
さてそれはそれとして、私は先日の長谷川ペーパー関連のエントリで内閣府か同友会か武田薬品か知りませんが事務局はもっと頑張ってほしいなあと書いたわけですがたいへん失礼いたしました。どうやらペーパー原案作成は経産省だったとのことで、その間の経緯は記事によるとこういうものだったというのですが…。

…昨年末に念願の産業競争力強化法が成立し、今後のアベノミクスの浮沈は株価動向に懸かっていることを痛感する経産省。「とにかく外国人投資家受けする政策を」と探し回った結果、農業、医療など「岩盤規制」がある分野の中でも、最も出遅れている雇用に目をつけた。…最初のきっかけとなったのは、経団連からの陳情だ。…経団連幹部は…年収1000万円以上が要件となると、会員企業のほとんどが利用できず、これでは意味がないと訴えた。…
 経産省としては経団連からの陳情をもっけの幸いと、投資家受けするインパクトのある案を模索し、スマートワークをブチ上げた。だが実現に向けネックとなったのが、郵政改革を進めた元首相の小泉純一郎のような、強烈な推進役の不在である。
 首相の安倍晋三と周囲は、ホワイトカラー・エグゼンプションの挫折が第1次政権のつまずきのきっかけとなっただけに、慎重な物言いを崩さない。…甘利(経済財政相)も、労働相経験もあってか雇用規制の緩和には積極的ではない。
 陳情した経団連も、自ら矢面に立つつもりは決してない。…
 (「官製ベア」で)官邸に十二分に花を持たせたのだから、次こそ念願の「残業代ゼロ」をと、手ぐすねを引く経団連だが“安全運転”の方針は徹底している。
 3月に規制改革会議が実施した「公開ディスカッション」で、労働時間規制の緩和が議論された折も、経団連常務理事・労働法制本部長の川本裕康は独自の説明資料を用意せず口数も少なかった。あくまで緩和を主張する規制改革会議案に対する賛意表明にとどまった。
 強烈な推進役が不在では、スマートワークをこのまま公表することは得策ではない…柔軟な働き方を望む子育て世代や親介護世代の女性の活用のため、という建前のほうが、世間体はもちろん、女性の活用推進に深くコミットする安倍以下、官邸の受けもはるかによい。そこで2週間の突貫工事でスマートワークから作り替えたのが、冒頭のAタイプというわけだ。
 聞こえのよさを獲得した一方、失われたのがわかりやすさと、これを積極的に導入する意義である。
 「育児・介護の事情がある世帯のニーズは、労働者の方々にも非常に満足度が高いフレックスタイム制の活用で実現できる」
 そもそも無理筋の建前である女性の活用推進という点を、強調すればするほど、厚労相田村憲久のこのある種至極まっとうな批判に、対応できなくなってしまう。
(同、pp.54-55)

うーん、しかし、ホワイトカラー・エグゼンプションワークライフバランスにつながるという(おかしな)議論は以前もあり、第1次安倍政権の舛添厚労省(現都知事)が家族だんらん法案とか能天気なことを言ったりもしたわけで(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070912#p2)、今になって経産省がひねり出したものではないはずです。記事は経産省が(経産省寄りの)安倍政権をサポートするために投資家受けする労働時間政策を推進しようとしていてけしからんというストーリーのようですが、まあどんなもんなんでしょうか。いささか信憑性に欠ける、というか本当にけしからんのですかこれは。
というのも、記事はこのあとブラック企業の話などを持ち出して「労働時間規制の適用除外、中でも新人までその対象にできるスマートワークが導入されたら、こうしたブラック企業の手法にお墨付きを与えることになりかねない」などと議論を展開しているのですが、現実には記事の中にもあった規制改革会議の公開ディスカッションでも、経団連の川本専務理事は規制改革会議の提案について、安定した労使自治が成立している過半数労組のある企業に限定してことを高く評価して賛意を表しています。ブラック企業御用組合を作ってという心配をする人もいるでしょうが、たとえば十年以上過半数組織を継続しているとかいう条件をつけるとか、やりようがあると思います。本来なら地域や産別の労働組合組織に期待したいところではあるのですが…。
また、記事は最後の方では解雇の金銭解決についても触れ、「生活者の日々の営みそのものである雇用の制度改革に当たっては、ひときわ慎重な制度設計が欠かせない」と述べていて、まったくそのとおりと思います。長谷川主査ペーパーもその叩き台として、というものだろうと思うのですが、それにしても不出来でかえって議論を混乱させてしまうのではないか心配ですという話は繰り返し書いてきたとおりです。
実は竹中平蔵先生のインタビュー記事もあって、

――「新たな労働時間制度」ですが、Aタイプの対象者は無限定に広がりませんか。
 決して対象者が広がるとは思っていない。制度設計にはまだ全然至っていないが、ようやく話が進もうとしているので、制度設計は慎重に、非常に限られた範囲で行うこともありうる。
 ただ本当に柔軟な働き方をしたいと思っている人はたくさんいる。「残業代ゼロ」になるとあおる議論もあるが、今でもアーティストは残業代ゼロなんですよ。現実にはそういう働き方のほうが高い付加価値を生み出す時代になっている。

 ――ホワイトカラー・エグゼンプションのときのような過労死を助長するといった批判はどう受け止めますか。
 それは労働基準監督署の機能強化が必要な問題で別の話。それこそ厚生労働省が頑張れと言いたい。異なる話を結び付けるのは改革を阻むための意図的な議論だ。あおる議論は必ず出ます。そこは政治の説明責任の問題。規制改革担当相や厚労相がしっかり責任を果たしてほしい。
(同、p.57)

珍しく(失礼)同感できるご意見を述べられており、まあアーティストとか「残業代ゼロ」とか言ってしまっているのは余計なツッコミどころを与えている感もありますが、いっぽうで付加価値の高い(?)アーティストは基本的には寝ても覚めてもアート漬けの生活を送っているだろうと思われ(そりゃたまには銀座のクラブで呑んだりもするでしょうが、ってそれこそ超時代遅れな昔の発想?)、そんな中だからこそふとした気分転換のときにインスピレーションが訪れるのではないか…という話は以前玄田有史先生の「創造的安息」をご紹介したときにしたと思います。で、民間企業のホワイトカラーにも多かれ少なかれ(個人差は大きい)そういう部分はあり、やはり新技術や新商品というのはそういう中から生まれてくるのではないかと思います。うーんしかしことこの話で稲田大臣や田村大臣にどこまで期待できるものやらこらこらこら。
なおこのあと米国の記事があり、見出しは「米国では残業代ゼロ見直しへ 日本の動きとは正反対!」と扇情的なのですが、事実関係としては米国でホワイトカラー・エグゼンプションの適用要件となっている週給($455)が2004年以降据え置かれているので、それを引き上げるべきとの意見がある(決まったわけではない)という話なので、この見出しってどうなのよと思わなくもありません。