ホワイトカラー・エグゼンプションは先送りの方向

昨年末、ようやく労働契約法・労働基準法に関する労働政策審議会の建議がまとまりましたが、はやくもその先行きが怪しくなってきています。発端は、太田昭宏公明党委員長のこの発言でしょうか。

公明党の太田代表は2日、都内のJR新宿駅前で街頭演説し、一部のホワイトカラー(事務職)を法定労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」導入を政府が検討していることについて、「慎重の中にも慎重を期せと言いたい。重大な問題であり、与党の中で協議するシステムを作らなくてはならない」と述べた。
(平成19年1月3日付読売新聞朝刊から)

連立パートナーの自民党も、丹羽雄哉総務会長がこれに呼応しました。

 自民党の丹羽総務会長は4日、茨城県石岡市で講演し、政府が検討している高収入のサラリーマンらを1日8時間の法定労働時間規制から外す「自由度の高い労働時間制」(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)導入について、「賃金の抑制や、長時間労働を正当化する危険性をはらんでいると指摘されている」と述べ、導入に向けた労働基準法改正案の通常国会提出に慎重な姿勢を示した。
(平成19年1月5日付読売新聞朝刊から)

もちろん、政府としては審議会の建議が出ているわけですから、法案提出・成立を目指すことになります。

 柳沢厚生労働相は5日の閣議後の記者会見で、一定年収以上の会社員を労働時間規制から外し、残業代をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入に与党内から慎重論が出ていることについて、「次期通常国会に法案を提出する方針を変えるつもりはない」と改めて強調した。
 柳沢厚労相は「与党内で十分な理解がいただけていない」と認めつつ、「企画・立案を担当するホワイトカラーの生産性を上げるためにも、労働時間ではなく、どんないいアイデアを出し、制度化したかで成果をはかるべきだ」と述べた。
(平成19年1月5日付朝日新聞夕刊から)

ちなみに安倍首相は中立的な立場を取っているようです。

 安倍首相は5日、一定条件下で会社員の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入について「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」と述べ、労働時間短縮につながるとの見方を示した。さらに「(労働時間短縮の結果で増えることになる)家で過ごす時間は、例えば少子化(対策)にとっても必要。ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を見直していくべきだ」とも述べ、出生率増加にも役立つという考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
(平成19年1月5日付日本経済新聞朝刊から)

 安倍晋三首相は五日夕、「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」制度に関して「経営者の立場、働く側の立場、あるいはどういう層を対象とするかについてもう少し議論を深めていく必要がある」と述べ、導入に慎重な考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。次期通常国会への関連法案提出についても「色々な観点から党とも議論を深める必要がある」と指摘した。…首相は政府・与党間の足並みをそろえる必要を強調したものとみられる。
(平成19年1月5日付朝日新聞朝刊から)

政府と与党の意見が合わないのは今に始まったことではありませんが、マスコミ的には揉め事には違いないですから面白いのでしょう。ただ、ホワイトカラー・エグゼンプション制の対象となるのは一定以上の年収(800〜1,000万円といわれている)があるホワイトカラーで管理職でない人ということですから、自民党公明党の支持層とそれほど大きく重なるとは思えません(なんとなく)。経済財政会議の改革路線に対して既得権を侵害される族議員が反発、という図式とは違うわけで、連合を支持母体とする民主党が抵抗するならともかく、自民党公明党がなぜ抵抗するのかが不審だったのですが、要するに選挙対策ということのようです。

 政府が検討を進めている労働時間規制の見直しに関して、与党内で慎重論が台頭してきた。七月の参院選をにらみ「企業論理に偏る案では一般有権者の反発を招く」との懸念が強まっているためだ。労働市場改革を巡っては、パートの処遇改善など課題が山積しているが、二十五日召集の通常国会への関連法案提出に向けた政府・与党の調整は難航必至だ。

 自民党は党主導の改革を目指して十二月中旬に「雇用・生活調査会」を新設。川崎二郎会長は「労組加入者も含め、日本人の働き方についての方向性を自民党が提案していく」と訴える。
 同調査会の「仮想敵」は、政府の経済財政諮問会議だ。八代尚宏氏ら民間議員は「経済全体の生産性を上げるには、労働市場を包括的に見直す『労働ビッグバン』が必要だ」と提唱。労働者派遣の期間延長など規制緩和を進める構えだ。これが与党側には「企業論理に偏った路線」と映る。
 自民党はこれまで景気低迷を背景に経済界が求める派遣労働法などの規制緩和を容認してきた。だが「景気が回復してもサラリーマンの所得は増えず、働く人の格差は広がった。企業寄りの規制緩和策では参院選を戦えない」(ベテランの参院議員)との危機感が強まっている。

 与党内の慎重論の背後には、野党の対案をつぶす狙いも見え隠れする。
 「法改正には極めて慎重に対応しなければいけない」。自民党丹羽雄哉総務会長は四日、茨城県石岡市内での会合で、一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入に慎重姿勢を示した。
 公明党太田昭宏代表も二日、都内での街頭演説で「慎重のうえにも慎重を期すべきだ」と指摘。「賃金抑制、長時間労働を正当化する危険性をはらむ」(丹羽氏)との懸念は一致している。
 民主党は既に同制度導入に反対する対案をまとめる方向で動いている。与党が導入を先送りすれば、争点が消え、野党に攻撃材料を与えずに済むとの思惑が働く。
(平成19年1月5日付日本経済新聞朝刊から)

しかも、やはり仮想敵は経済財政諮問会議だということですから、政策決定の主導権争いというかねてからの図式も温存されているわけで。
それはそれとして、「賃金抑制、長時間労働を正当化する危険性をはらむ」という丹羽氏の見解や、次の記事のような太田氏の見解をみると、今回の建議に対する理解、認識が誤っているのではないかと思われます。

 公明党の太田代表は6日のNHK番組の収録で、…「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」制を導入する法案の通常国会提出について、「基本的には賛成できない」と語った。一部の事務職らを法定労働時間規制から外す同制度について、太田氏は「残業代が生活に組み込まれる現実があったり、職種によって残業の形態が違ったりしている」と述べ、慎重な検討が必要だと指摘した。
(平成19年1月7日付読売新聞朝刊から)

なにしろ、今回の建議では「相当の年収」(建議に明記されてはいませんが、800〜1,000万円という数字が出ていることは周知です)を要件にしているわけで、これで「賃金抑制」と言われたら、年収800万円未満の人は怒るでしょう(年収800万円以上稼ぐ人は全雇用者の十数%程度ではないでしょうか)。また、長時間労働についても「週休2日程度の休日確保」を罰則付きで担保しようとしているわけですし、週40時間超の在社時間が月80時間を超えたら医師による面接指導というのも織り込まれているわけで、「正当化」どころか長時間労働抑制が前面に出た制度になっています。社民党の福島党首はこれを「残業代不払い法案、過労死促進法案」と言ったそうですが(平成19年1月6日付読売新聞朝刊)、こういう政治的デマゴーグアジテーションを真に受けているのだとしたら困ったものです。
また、「残業代が生活に組み込まれる現実」についても、たしかに残業込みで年収500万円の人がいきなり残業代がゼロになって年収400万円になったら困るでしょうが、今回の議論は年収800〜1,000万円以上という世界の話です。しかも、実際には企業は制度導入にあたって、年収水準をクリアすべく、なんらかの残業代見合い的性格を持つ「エグゼンプト手当」のようなものを設定して、最低年収800〜1,000万円を保証(!)することになるでしょうから、ほとんどの場合は残業代が全部取り上げられて大幅減収、という心配はしなくていいはずです。これまた、朝日新聞が精力的に展開している「残業代ゼロ」のプロパガンダに乗せられてしまっているのだとすれは困りものです。

  • そもそも、「残業代が生活に組み込まれる」という言い分は、カネのためにビジネス上は不急不要の残業をして残業代を稼がせろ、という言い分にも通じるもので、少なくとも長時間労働を促進・奨励する主張でもあります。逆にいえば、これはカネのために残業する「生活残業」を多くの人が望んでいるという現実をたくまずして追認したわけで、「語るに落ちる」という感があります。まあ、残業代がなくても結構な暮らしができるような賃金を払え、ということなのかもしれませんが、それで産業・経済が成り立つとはとても思えませんが…。

「職種によって残業の形態が違ったりしている」に至ってはそもそも意味不明ですが(これは記者の責任でしょうが)、とりあえず今回の建議では管理職手前くらいのホワイトカラーという「職種」が想定されており、その「残業の形態が違う」というのが「慎重な検討が必要」な理由になるというのは理解不能です。
まあ、野党や朝日のアジテーションに対する政府の反論が不十分ということはあるのかもしれません。

 自民党中川秀直幹事長は七日のNHK番組で、一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」制度について「名目経済成長率が実質成長率を上回る局面でやっていくのが一番ふさわしい。政府や経営者側も説明責任が十分でない」と述べ、デフレ脱却前の導入に慎重な考えを示した。
(平成19年1月8日付日本経済新聞朝刊から)

説明責任が十分ではない、ということで、ではきちんと説明すればいいのか、というと、これがまたそうでもないようです。

 政府・与党は九日、一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入を当面見送る方針を固めた。野党が「残業代ゼロ制度」などと批判しており、四月の統一地方選、七月の参院選を控え、政策の是非を冷静に議論する環境にないと判断した。
(平成19年1月10日付日本経済新聞朝刊から)

「四月の統一地方選、七月の参院選を控え、政策の是非を冷静に議論する環境にないと判断した。」選挙民は理屈のわからないバカ揃いですかそうですか。国家経済よりもわが身と党勢が大切ですかそうですか。正論がデマに屈しても致し方なしですかそうですか。
ま、正論がデマに屈するのはとりたてて珍しい話ではないかもしれません。「政治家は選挙に落ちればただの人」というのも、細川政権で野党の悲哀はもうこりごりというのも、情においてはよくわかります。背に腹は変えられぬから「当面見送る」=選挙後に先送り、というのは現実的な対処なのかもしれません。選挙が終われば2年間は大きな選挙もないとのことなので、選挙後にしっかりと成立させてほしいものです。