労使の自治に委ねよ

きょう(12月12日)の日経「経済教室」に、安藤至大日大助教授の「労使の自治に委ねよ」という論考が掲載されています。「労働契約を考える」というシリーズのようです。「ホワイトカラー・エグゼンプション制」(WE)に関する内容が中心となっています。
安藤先生は「WEが即座に低賃金・長時間労働につながることはない」としており、その理由として「労働者の待遇は労使交渉で決まり、使用者が一方的に切り下げられるとは限らない」「低賃金・長時間労働の企業は労働市場において人材確保が困難」をあげています。前者は最近の労組の組織率低下をみるとやや疑わしいのですが、後者は間違いなくそのとおりでしょう。ただ、雇用失業情勢が厳しくなったときに労働者にとって過酷とならないような一定の配慮は必要だろうと思います。
また、「健康管理に関しては、週40時間といった医学的に根拠のない規制ではなく、裏付けのある基準で規制すべき」というのもそのとおりと思います。後段で「残業代があるからこそ労働者が望んで残業をする可能性がある」と、割増賃金支払い義務は労働時間をコントロールする方法として適切かどうか疑問を呈しているのもまことに同感です。「昇進や実績作りのために働きたい人」は残業代を自発的に請求せず、「優秀であると評価されて昇進できる」ことを求めている可能性について言及しているのもきわめて実務実感に合います。
いっぽう、「労働者を守るためには高成長を維持することが最も効果的」というのはまことにごもっともですが、解雇規制の緩和については実務家からみるとやや安易に考えすぎの感はあります。「正社員の採用が容易になる」と言われても、解雇の容易な正社員は現状の正社員に較べると雇用機会としての良好さはかなり低下してしまうことは見逃せません。これは雇用の安定に限らず、技能の蓄積、向上という面でも、安藤氏などが想定する以上に大きな影響がおそらくあるでしょう。また、解雇により「企業の経営状態の回復が早まる」としても、ジョブレス・リカバリーになってしまわないかどうか、失業増やそれにともなうコストとの比較衡量が必要だろうと思います(まあ、最初はジョブレスでもいずれジョブもついてくるというのが経済学的な考え方なのでしょうが)。ここのところはいささか違和感が残ります。
労働時間や労働契約に対する規制を設けて正社員への保護を強めれば、企業はますます非正規を利用するし、非正規を禁止すれば労働力を海外に求めるようになるという指摘も基本的にはそのとおりなのだろうと思います。一律に解雇規制を緩和するのではなく、労働契約の多様化、たとえば勤務地や職種を限定して、期間の定めは設けないものの当該勤務地や職種がなくなれば当然に退職する、といった雇用契約を可能にしていくことや、繰り返し反復更新された有期契約であっても「期間の定めのない雇用に転化する」ことはなく、期間満了で当然に終了することを明確化するといったことを通じて、労使双方にメリットのある形での雇用の柔軟化が可能になるのではないと思います(もちろん、労働者保護に欠けないように技術的な配慮が必要になることは言うまでもないわけですが)。