「人財」ではなく「人材」です。

年度はじめということで、昨日は多くの企業で入社式が行われたようです。日経新聞は2日付の社説で新入社員を取り上げています。

…間近に迫る団塊世代の大量退職に景気回復が重なり、産業界は新卒採用に力を入れている。社員はコストではなく、技術やノウハウを継ぐべき「人財」であり、競争力の源であるという正常な発想が再び広がってきた。日本企業の強みは、マニュアル化が困難な「暗黙知」を日常の中で共有していくところにある。新人ももちろんその重要な担い手だ。
…人はなぜ働くのか。壁にぶつかり、疑問に悩む日が遠からず来るかもしれない。豊かさの中で生まれ育った世代には、親たちと異なり「郊外・庭付き一戸建ての購入」のような自明な答えはない。目の前の仕事に思い切って浸り、まず人間として成長してほしい。広がった視界の先に、自分なりの働く意味が、きっと姿を現すはずだ。
(平成18年4月2日付日本経済新聞朝刊から)

ホリエモンを礼賛した昨年に較べるとたいへんマトモ(もっとも、引用してませんが途中で出てくる『三太郎の日記』の紹介は意味不明ですが)ですが、「社員はコストではなく、技術やノウハウを継ぐべき「人財」であり、競争力の源であるという正常な発想が再び広がってきた。」とおっしゃいますがね。社員は人材であるとともにコストでもあるというのが当たり前ですよ。それに、多くの企業はずっと社員が人材であり、競争力の源であるという正常な発想を常に忘れていませんよ。「社員はコストであり、人材ではない」という「異常な発想」は日経新聞さんのお得意だったのをお忘れですか。
それはそれとして、どうも私はこの「人財」という書き方が好きではありません。「材」という字がなんとなく「人をモノ扱いする」イメージがあるからとか、人は財産だとかいう理屈でしょうが、材は素材の材、材料の材で、それがさまざまなものに変わるのが「材」でしょう。育てようという意図は「材」でこそ伝わるのではないかと思います。いっぽう、(経済学の)「財」というのは生産や消費、取引の対象となるもの、人間に効用を与えるものというような意味だろうと思いますが、だとすれば育てて「財(産)にする」という発想のほうが、よほど人をモノ扱いしていることになるでしょう。たいへん立派な企業がわざわざ好んで「人財」と書いているのをみると、考え方は立派だけど表現方法を間違ってませんか、と言いたくなります。まあ、好み、趣味の問題かもしれませんが。