一律初任給を見直せ

今朝の日経新聞の連載インタビュー「領空侵犯」に、慶応義塾長の安西祐一郎先生が登場され、「一律初任給を見直せ」という主張を展開しておられます。

 ――大学新卒者の初任給が同一企業では一律という現状に疑問があるそうですね。
 「大卒に限らず、正社員になる新卒には能力を高め社会人になる準備をしてきた若者と、そうでない人がいます。それなのに会社で同じ賃金でスタートさせるのは変です。極端な格差には反対ですが、月に五千円や一万円の差をつけることは許されるのでは。賃金差はその後の業績次第で逆転、高い役職にも早く就けるようにします。若者に『能力を発揮し業績をあげれば報われる』と認識させるのです」
 ――どうやって初任給を決めるのか難しいですね。
 「分かりやすい尺度は業績に直結する資格や特技の有無でしょう。それぞれの新卒者が各企業の採用基準にどれだけ適合しているかも面接や小論文で判明します。どの学校を出たという『学校歴』は考慮すべきではありません」
(平成21年1月26日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

まず、「大学新卒者の初任給が同一企業では一律という現状に疑問がある」とのご意見には私もまったく同感で、それが日本を代表する私学の学長の意見だというのですから非常に期待して読み始めたのですが、やはり「領空侵犯」の限界というかつらいところ、企業の人事管理に関する理解が不十分で、議論があらぬ方を向いています。
いきなり、初任給で差をつけることで「若者に『能力を発揮し業績をあげれば報われる』と認識させるのです」というのですが、まだ仕事をしていない新入社員が能力を発揮したり業績をあげたりしているわけもありません。長期雇用の正社員の場合は、最初の1年〜数年はどちらかというと仕事を覚える勉強期間という性格も強く、本格的に「能力を発揮し業績をあげ」るのはそれ以降です。だから、多くの企業では入社時の初任給だけではなく、入社後数年くらいはほとんど差をつけないような賃金制度の運用をしているのです。
そこで「業績に直結する資格や特技」という発想が出てくるのかもしれません。これがどういうものを指しているのかよくわかりませんが、企業が特定の資格や特技を持つ人を必要としているのであれば、それを持つ人に高給をオファーして優遇、歓迎することは自然であり、中途採用では普通に行われていることでもあるでしょう。ただ、新卒についてどうかというと、たとえば不動産会社や住宅会社で宅地建物取引主任者の資格が役立つから、それを取得済の人は初任給を五千円とか一万円とか高くするかというと、大学新卒者を多数採用するような大企業だと、たぶんそれは違うのではないかと思います。司法試験のような希少な難関資格なら格別、大学4年間で大きな困難なく取得できるような一般的な資格であれば入社後に業務のかたわら取得させるのが普通だろうと思われるからです。もちろん、企業はそのための研修などを行うことも多く、もともとその資格を持っている人はそれだけ低コストということになりますから、その分初任給が高くてもいいという理屈はあるかもしれませんが、それが五千円とか一万円とか、意味のある差をつけるほど大きいかというと、それはそうでもないのではないかと思います。「特技」についても同様で、スポーツ選手のような特殊な分野の、しかも普遍的(野球のルールが業界や企業で異なるわけではない)な特技であれば格別、通常は企業の業績に直結する「特技」は各企業の特殊的な技術・ノウハウなどに深くかかわっていて、これまた大学4年間で「業績に直結」までいけるのは限られた範囲(IT技術や金融ノウハウなどであれば可能性はありそうな気がします)でしょう。修士、博士とまでいくとどうなのか、私にはよくわかりませんが…。
まあ、初任給ですでに差があるということが「能力を発揮し業績をあげれば報われる」というメッセージになる、ということかもしれませんが、むしろ「人材育成に熱心でない」「短期的な成果を重視している」「入社後すぐに結果を出すことを求められる」といった誤ったメッセージになってしまうデメリットのほうが大きいかもしれません。
また、「どの学校を出たという『学校歴』は考慮すべきではありません」という発言も、私にはかなり意外なものでした。慶応義塾が他の私学(に限らず国公立も)に較べて優れた人材、社会に有為な人材を輩出しようとしている(のだと思うのですが)のであれば、初任給に差をつけろと主張する以上、慶応義塾の卒業生は初任給が五千円、一万円高くなる、そのような学校・教育をめざすというのが筋ではないかと思うからです。また、学校歴で初任給に差をつけることは、能力重視のメッセージとしてもかなりあからさまで強烈でしょう。実際、大学入試、とりわけ上位校の入試は自由競争の度合が高く(帰国子女枠とかスポーツ推薦とかあるので完全な自由競争とはいかないでしょうが)、その合格は少なくとも受験勉強における達成度をかなり正しく示していると考えられます。慶応義塾の卒業生は、ばらつきやあたりはずれは大きい(失礼)にしても、他校の卒業生より企業において業績により大きく貢献する傾向があると塾長先生もお考えではないかと思うのですがいかがなものでしょうか。
もちろん、現実には学校歴で差をつけるというのは日本社会では多分に禁忌とされているわけで、そのようなPolitically Incorrectなことは塾長先生としてはおよそいえないでしょうし、企業も当然そんなことはできないわけですが、だからといってわざわざ「考慮すべきではない」とまで言わなくてもよかったのではないかと…まあ、「面接や小論文で」きちんと判定してくれれば、おのずと塾生は残るだろう…という自負がおありなのでしょうか。
ということで、私は安西先生がいわれるような資格や特技、あるいは先生の否定される学校歴で初任給に差をつけることについては、一般論としてはいずれもあまり賛成ではありません。もちろん、業種や企業によっては新卒者でも特定資格の保有者を優遇するニーズがあるケースもあるでしょうから、そういう企業はしかるべく優遇すればよいわけです。
いっぽう私は、「文系」「理系」に関しては、これまた企業のニーズ次第ではあるのですが、初任給段階でも「理系」が優遇されてもいいのではないかと思っています。おそらく、労働市場では文系に較べて理系のほうが需要に対し供給が少ない傾向があるでしょうし、「学生の理工系離れ」はかなり以前から問題視されてもいます。また、学生時代に勉強に投下した時間や金銭も、平均すれば理系のほうが文系よりかなり多いのではないでしょうか。理系離れの一因として文系に較べて役員・幹部への昇進が不利であるという説もあり、企業が理系を優遇していることへのメッセージとして初任給格差を活用するという考え方もあるのではないでしょうか。文系・理系のそれぞれの中では差をつけなければ、人材育成等に関する誤解は与えずにすむはずです。
さて、その後は初任給の話を離れて若手活用の一般的な話になっていきますが、せっかくですから(?)簡単にご紹介しておきましょう。

 「年功序列などの企業システムは人口も国内総生産(GDP)も伸びていく社会であれば成り立ちます。しかし人口減で国内市場は縮小、高い成長率も望めません。多くの企業では従業員の年齢構成がもはや逆ピラミッド型。能力や意欲を持つ若い社員に、多数派の中高年が退場する遠い将来まで活躍の場が与えられなければ、組織は停滞します」
 ――若者が能力を発揮しやすい社会をつくるのですね。
 「イノベーション(革新)が生まれる社会には、自由に発言できる雰囲気と、高レベルの手本が身近にいることという二点が必要です。二十歳代を中心とする若い世代の発想や能力には大きな可能性があります。それを実現するには若者が臆せずに発言できる環境を企業や社会が整えなければなりません。自由な空気が社会に満ちれば、海外からもさらに多くの優秀な人材が日本を目指すでしょう。こうした人々は日本の若者の良いモデルになれるはずです」

まあ一般論としてはそのとおりでしょう。ただ、「高レベルの手本」といえる人材の多くは長期雇用のもとで時間をかけて育成されてきた人が多く、それが若年のキャリアのロールモデルになるわけです。となると、あまり中高年をないがしろにするようだと、若年も「明日は我が身」ということでかえって意欲減退するかもしれません。「うまくいけばああなれるかもしれない」という手本よりは、「頑張れば自分もああなれる」という手本のあるしくみを考える必要があるでしょう。

 ――中高年の居場所はなくなるのでしょうか。
 「そんなことはありません。成果を求めて若手と競わせるべきですが、中高年を賃金やポストの差だけで活性化させるのは困難でしょう。能力開発のため外部で訓練を受けることが容易になる環境づくりが重要です。若手と中高年が競えば企業は停滞せず、社会もさらににぎわいます」
 「企業間の人材の流動化も大切です。新たな働き場を求める中高年のためには中途採用の年齢制限を撤廃すべきです。新卒についても、例えば商社に入社した後で『やはりメーカーの方が合っている』と気づくかもしれません。その際に転職を妨げるハードルはなるべく低めるのです」

少子化・若年人口減少の中、社会人教育、リカレント教育を売りたい大学としてはどうしてもこういう発想になるというのはよくわかります。本来の?お客様である若年も優遇してもらわなければいけないし、なかなか大変なようです。
それはそれとして、自発的な転職をなるべく容易にしていくことは大切だろうと思います(「企業間の人材の流動化」のために解雇規制を撤廃せよといった本末転倒な議論でなければ)。採用の年齢制限撤廃も、それで中高年の転職が増えたり、採用されやすくなったりする効果は大きくないとは思いますが、悪くもないでしょう。ただ、「若手と中高年が競えば」といいますが、現実にはこうした競争は往々にして不毛なものとなりがちです。もちろん、年齢に関係なく競争すればいいわけなのですが、実際問題として能力も経験も大きく異なる中高年と若手とでは条件が違いすぎて競争になりにくいでしょう。切磋琢磨して能力を伸ばすという観点では、能力や経験の似ている同年代との競争のほうがより効果的で、そういう意味では日本企業の年次別人事管理というのもなかなか合理的にできていると申せましょう(もちろん欠点もそれなりにあるのではありますが)。