民間における政策形成

2月7日、2月8日のエントリについて、Bewaad Institute@Kasumigasekiさんからコメントとトラックバックをいただきました。。
http://bewaad.com/20050214.html#p03
私の感想とあわせてご紹介したいと思います。なお、以下の引用は私が勝手に一部省略、フォーマット変更していますので、ぜひ元サイトで原文におあたりください。

 官のサイドにも言い分はあるわけで、そのひとつがまさに竹中氏のいう「永田町や霞が関で仕事したことがない人はそこが分かっていない」という点にあるようですというご指摘ですが、わかっていないこと自体は当然だと思います。問題視したいのは、むしろ規制改革の実現そのものよりも、論破することが目的になっているのではないかという点です。
(中略)
様々な議会プロセス等をどうするかはそれこそ官僚の領分であって、官僚をその気にさせればそこは官僚がベストを尽くすべきなのですから。
(中略)
「一度政府に入った専門家が外に出て活躍」に該当するわけですから、それは十分にご承知のうえなのではないかと思いますというご指摘ですが、そうした人の多く(そして福井さんも八代さんもそうではないかと察するのですが)は、この手の手続を批判するのではなく否定する傾向があるように思います。現に存在するものを否定してもしかたがないとwebmasterは思うのですが。

このご意見は私にはよくわかるもので、なぜならば実は労働条件とか人事制度とかいうものも似たところがあるからです。一般的に、これらは団体交渉や労使協議という手続きを踏んで決めるので、「しょせんは交渉と妥協の産物」という一面が常にあり、理屈の正しさより納得が得られることが重視される傾向があります。それが実態に合わなくなって変えなければならないときには、やはり理屈で論破するだけではなく、それなりに新たな納得を得るためのプロセスが必要になるわけで、それをやるのが企業なら労務担当者であり、ナショナルセンターレベルでは例えば経団連の「民僚」とかになるのかと。
もっとも、さはさりながら福井氏や八代氏の発言がときおりいらだちを含むのは、すでに構造改革特区の枠組みがあり、地方から具体的な提案もあって、こと特区に関するかぎりは(いささか語弊はありますが)「官僚がやる気になりさえすれば」通常の政策決定の政治的プロセスを経なくてもできるはずだ、という背景があるからではないでしょうか。
もっとも、行政の現場の感覚としては、いかに特区制度があるにしても事実上政治的プロセスへの配慮が必要であるのであれば、建前はともかく現実的には同じことなのかもしれません。となると、官僚にその気になってしまうためには理屈の正しさではなく適切なインセンティブが必要であり、それをやっても官僚の身が守られ、適正な見返りが準備されるしくみが必要だということになるのでしょうか。となると、竹中氏がいう「民間が厚遇する」というのは案外いいところをついているのでしょうか?

上記の「官僚の領分」に属する密教的スキルは、霞が関・永田町でしか存在価値がないので金にならなくても仕方がないと思います(例えば産業再生機構については、そこに外資系金融機関等から転じた人には、その後のキャリアアップを視野に入れているのだ、という指摘もありますから、それが正しいとすれば、金になるスキルはやっぱり金になるようです)。

ところが、いっぽうでこういう現実もあるわけで、ベッカーの人的資本理論が高級官僚の世界でも成立しているというのは面白いところですが、「民間で厚遇」はいまのままでは難しいということのようです。ただ、これは官僚の人事制度が強烈な後払い賃金、(官庁人事の世界での)長期勤続奨励的制度になっていることの問題も大きいはずで、要するに今の制度だとキャリア官僚が課長前後で転職すると基本的に大損しますから、思い切ったことをやって後は民間に転進、という選択肢が選びにくくなっているのではないでしょうか。
であれば、若手キャリアにはもっと高い給料を払うかわりに、役所を退職したら仕事に見合って賃金も下がるような制度にすれば、民間としても受け入れやすくなるはずですし、官僚にもキャリアの選択肢が増えるのではないでしょうか。それが官僚組織にとっていいことなのかどうかは私にはわかりませんが…。