城繁幸氏の消費税増税論

20日のエントリのコメント欄(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/comment?date=20100520#c)でも書きましたが、エントリの内容に関連して「あなたが間違いを指摘していた城繁幸氏があなたと同様に消費税率の引き上げを提案していますよ」というような意味のことをあまり紳士的でない表現でお知らせいただきました。いやあれとそれとは話が別でしょということなのですが、別に城氏がブログでたまに間違ったことを書いたのを指摘したからといって、彼の主張のすべてが間違っているといっているのではないわけでして。
実際、ご教示いただいた城氏のブログの「消費税は30%引き上げが望ましい」(http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/5792cad078ec4ec748d34d550530f2b5)というエントリ(4月29日)を読ませていただきましたが、私も以下の点については賛成です。

  • 財政再建のために増税は不可避である。
  • 増税する場合には、課税ベースの広い消費税によることが望ましい。
  • 増税はなるべく早期に、かつ漸進的に行うことが望ましい。
  • 現行の社会保障制度は維持困難であり、給付の削減か負担の増加、またはその双方を行う必要がある。

要するに大筋では賛成だということなのですが、税率は「30%引き上げ」ということですから35%にするということでしょうか。スウェーデンデンマークでも付加価値税は25%ですから、これはなかなかインパクトのある数字です。これについては、城氏はこう説明しています。

…我々が提案している消費税の引き上げ幅は、30%だ。
 内訳はこうだ。
 2010年度予算の財政赤字44兆円。新幹線や東名高速のように、将来にわたって有益なモノを作る投資ならともかく、ただ赤字垂れ流してるだけなので、ツケは我々みんなが払うべきだ。
(そもそも、既に郵貯限度額を引き上げねばならないほど発行余力は限定的)
 というわけで、消費税1%で2.5兆円として、約18%。
 次に、これから確実に増える社会保障分についても、今から手をうっておかなくてはならない。
 (年金や医療といった)社会保険料だけでは賄いきれない公費負担は、現在約40兆円。
 これは高齢化のピークに近い2055年度にはおよそ70兆円にまで増加すると予想される。
 増加分をとりあえず消費税でまかなうとすれば、当面6%、最大12%ということになる。
財政赤字分と合わせて30%の引き上げが必要というわけだ。
 ただし、手を打つのが早ければ早いほど数字は低くなる。
社会保障分については、最初から9%程度に引き上げておけば、運用益とあわせて増加分をまかなえる。

 「景気が悪くなったらどうなるんだ」という声もあるかとは思うが、財政の持続可能性という重大問題を前に、そんなみみっちいことを気にする必要はない。

 道は二つしかない。これだけの負担をするか。
 それとも、医療、年金といった 社会保障自体にも大きくメスを入れるか。
 まずはこの現実を直視することが議論の第一歩となるだろう。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/5792cad078ec4ec748d34d550530f2b5

城氏は「みみっちい」とおっしゃいますが、景気が悪くなれば必然的に税収が低下しますので、財政再建を考える上では景気への配慮はきわめて重要です。実際、平成21年度は景気悪化で平成20年度に較べて10兆円以上の(数字はうろ覚えなので自信なし)税収減になったわけですし(平成21年度は景気が極端に落ち込んだので例外的な年ではありますが)。城氏は負担の抑制の観点から「手を打つのが早ければ早いほど」「最初から9%程度に引き上げておけば」と書いておられますが、こうした早期からの漸進的な増税は景気への配慮という面でも必要でしょう。まあ今すぐには難しいとしても、増税が増収につながるくらいの経済情勢になったらすぐに上げられるようにしておくことは大切だろうと思います。
税率の数字については、平成22年度予算の赤字額をもとに計算しているようですが、この方法を使うのなら、おそらく編成されるであろう補正予算で増える赤字を考慮に入れなければなりません。平成21年度は新旧政権がそれぞれ補正予算を組んだ結果、当初33億円の赤字が53億円までふくらみました(数字はうろ覚えなので自信なし)。まあ、昨年度は例外でしょうが、しかし現政権の様子を見ていると今年度も補正予算が編成される可能性はかなり高そうです。
いっぽう、いきなり単年度で収支を均衡させる必要もないわけで、景気への配慮も考慮すれば、まずはプライマリーバランスをなるべく早期に達成してその後は利払いを上回る経済成長を実現することで債務残高を少しずつ減少させる、少なくとも増やさない、という小泉政権の方針が妥当ではないかと思われます。まあ、現実をみると平成22年度は当初予算ですでにプライマリーバランスから24兆円近い赤字で、平成21年度は2度の補正で30兆円を超える赤字だった(これまたうろ覚えで自信なし。平成21年は例外であろうことも同様)わけで、歳出が縮小しないとプライマリーバランスを均衡させるだけでもかなりの増税が必要になりますが…。
ということで、実際には増税だけで対処することは不可能に近く、社会保障も含めて歳出の削減を行うことが必須といえます。城氏の主張する「道は二つしかない。これだけの負担をするか。それとも、医療、年金といった 社会保障自体にも大きくメスを入れるか」というのはまったくの正論と申せましょう(これは20日のエントリで紹介した鈴木亘先生の結論とまったく同じですね)。もちろん、現実はおそらく増税と歳出減の双方を行わざるを得ないわけで、そのバランスが議論になるわけですが…。そういう意味では、城氏の提言は「歳出がいまのままなら消費税は35%だよ」という警鐘として意味がありそうです。
そう考えると、民主党事業仕分けで(歳出規模に較べたら)チマチマした削減に血道をあげてばかりいないで、早急に最大の歳出項目のひとつである社会保障制度の改革に取り組むべきだと思います。まあ、事業仕分けは、あれはあれで増税前の手続きとして必要なのかもしれませんが。
なお、引用はしていませんが、城氏が社会保険財源としての消費税増税を「貯蓄とみなす」と書いているのはやや強弁という感があります。消費税を年金財源にすると負担と給付の関係がかなり不明確になりますので、年金制度が国家による強制貯蓄だといえるのは社会保険方式(さらに厳格にいえば個人勘定・積立方式)までではないでしょうか。

年次有給休暇の取得促進策は

ついでに城氏のブログの前後のエントリも読んでみたところ、労働政策について言及したエントリがいくつかありましたので、リスクはありますが(笑)、期待しておられる向きもあるようなので(笑)、これらを材料に少しコメントを試みたいと思います。
まずは上のエントリのひとつ前、4月26日のエントリです。タイトルは「有給取得率の引き上げという政策自体がおかしい」。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/0f7526440c3671e6abf6b4109a2c3510

…このたび政府が新成長戦略の一環として、この有給取得率の引き上げを目指すらしい。

 ただ、残念ながら、目標の達成は困難だろう。
 問題の本質ははっきりしていて、業務の切り分けが曖昧な職能給制度が原因だ。
 このシステムだと、個人レベルで「効率的にちゃっちゃっと終わらせよう」というインセンティブが絶望的に弱い。
 下手をすると「バカ野郎、やる気あるのか!」と言われてしまう(実際、僕は言われたことがある)。

 対策は言うまでもない。「業務の仕分け」を行い、担当業務を明確化して裁量も与えればよい。
 当然、賃金は横並びや時給ではなく、それぞれの結果に対して賃金を支払うのがのぞましい。
 日本以外の国では普通にやっている話だ。

 とはいえ、とりあえず的な対症療法もあるにはある。
 上場企業については、何らかの形での取得率の公表を義務付けたらいい。
 こういう横並びデータでの落第を人事部は何より嫌うので、相当本気になって取得率を引き上げにかかると思われる。何より、「全社平均の取得率5日!」なんて公表されたらメチャクチャかっこ悪いし、学生もこなくなるはず。大手が率先して休ませるようになれば、中小にも多少の影響はあるだろう。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/0f7526440c3671e6abf6b4109a2c3510

まず、私が城氏の見解に賛同する点をあげますと、「目標の達成は困難」「業務の切り分けが曖昧な職能給制度が原因のひとつ」「取得率の公表を義務付けることで多少は取得が進む可能性がある」…といった点にはまずまず同意見です。
厚生労働省が2007年に実施した「労働時間等の設定の改善の促進を通じた仕事と生活の調和に関する意識調査」という長い名称の調査結果をみると、年次有給休暇を取得しない理由として(複数回答)約3分の2の人が「みんなに迷惑がかかる」を選択しています。次いで「後で多忙になる」は約半数が、「職場の雰囲気で取りづらい」は約3分の1が選択しています。「みんなに迷惑がかかる」とか「職場の雰囲気で」とかいうのは、日本企業がチームワーク重視で、職務分担に強くこだわらず「忙しい人を手伝う」組織運営を行う傾向があることの反映でしょう。職能給もそれに適合した賃金制度として採用されているわけですから、それも年次有給休暇の取得が進まない一因であるとは言えると思います。
ただ、それが「効率的に働こう」というインセンティブを阻害しているかどうかは別問題で、むしろ出来高払のウェイトの高い外勤営業職などの職場のほうが「営業成績が悪いと、付随する仕事も少なくて休める、早く帰れるはずなのに、休みにくい、帰りにくい雰囲気がある」という話も聞きます。本来、チームワークはうまく機能すれば休みは取りやすくなるはずなので、制度というよりは職場運営の問題なのでしょう。実際、休んだときに誰かが代わりにその日の仕事を片付けてくれる職場であれば「後で多忙になる」ことはないわけですし。「バカ野郎、やる気あるのか!」という乱暴な表現が使われている職場ではマネジメントがうまくいっているとは思えませんから、城氏はたまたま悪い職場にあたってしまったのでしょう*1。また、「みんなに迷惑がかかる」というのには、制度や雰囲気の問題もさることながら、単に仕事が多いとか人手がギリギリとかいう問題によるものも多いと思われます(この調査には仕事が多いとか人手が足りないとかいった選択肢がありませんので)。「後で多忙になる」の回答も多いことから推測すると、こちらの事情のほうが大きいのではないでしょうか。
ということで、城氏の提案する対策には私はあまり賛成ではありません。私は日本で年次有給休暇の取得が進まない最大の理由のひとつは、取得するかしないかが労働者の判断に任されていることにあるのではないかと思います。実際、本当に休みたいのに人員不足で休めないのであれば、団体交渉でも労使協議でもなんでも、「今年は定昇はなしでいいから、もう少し休めるように人を増やしてください」と要求・要望すればいい話で、そういうことにならないのは、働く人の大勢は「定昇がなくなるくらいなら休めなくても仕方がない」と考えているということでしょう。
ですから、年次有給休暇の取得率を上げるには、時季指定権を使用者に移した上で完全取得を使用者に(事実上労働者にも)義務付けるのが有効ではないかと思います。取得率の高い大陸欧州では普通に行われていることです。
あるいは、年次有給休暇の買い上げを認めて、買い上げた分も取得したとして取得率の計算に入れるという方法も効果的でしょう。米国では普通に行われていることです。もっとも、これは「休養する」という年次有給休暇制度の趣旨には反するわけですが…。
城氏の提案する「上場企業については、何らかの形での取得率の公表を義務付け」というのも一定の効果がありそうです。というか、そもそも組合のほうでは業界内で情報交換して、「ライバルの○○社に有給休暇の取得率で負けている」といった団体交渉や労使協議は普通に行われているわけで。ただ、これは気にしない使用者は気にしないでしょうから、労働サイドがしっかり頑張って経営サイドをその気にさせる必要がありそうですが。また、城氏も指摘しているように、労組のある企業、大きな企業ほど年次有給休暇の取得は進んでいるわけなので、効き目のあるのは本当に「全社平均の取得率5日!」(??取得率5%?取得日数5日?どっちだろう?)というような新興の上場企業に限られそうです。まあ、それでも非上場企業への波及も含めて多少の効果はありそうです。総会屋もとい株主オンブズマン株主総会で利用するかもしれませんし。
なお、城氏の提言は「「業務の仕分け」を行い、担当業務を明確化して裁量も与えればよい。当然、賃金は横並びや時給ではなく、それぞれの結果に対して賃金を支払うのがのぞましい。日本以外の国では普通にやっている話だ。」というものですが、年次有給休暇の進んでいる欧米ではたしかにジョブ・ディスクリプションが普及していて職務給になっていることが多いのですが、賃金は中央団体交渉で横並びで決まる*2ことが多く、時給労働者の割合も日本よりはかなり高い(現業労働者まで月給というのは日本の特徴です)はずなので、「日本以外の国では普通にやっている話」かどうかは疑問が残ります。

*1:ただ、違う表現の発言を城氏がそのように受け止めたということであれば、これは城氏としては「効率的に働いた」と思っていたのに対して、上司などの目からみれば「もっとじっくり、ていねいに時間をかけてやらないと成長しないよ」という指導をした、というコミュニケーションギャップだったという可能性もありますが。

*2:ローカル単位で交渉して差が出ることはあるようですが、ローカル内部では横並びであるには違いありません。

テレワークは普及するか

次は5月13日のエントリを取り上げます。タイトルは「テレワーク普及のためには、人事制度も進化しないと」です。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/2baeae78551322d5ea0e0fed8d46644d

…確かに、インフラという点では、テレワークはとっくに実現可能な環境になっている。
 ただし、それだけでは不十分だ。合わせて日本企業の人事制度も進化する必要がある。
 簡単に言えば、日本企業のそれはタコ部屋でばりばり働かせるためのもので、
個人の自主性に任せる風には設計されていないのだ。
 学生の課題レポートを想像すると分かりやすい。学生に課題を持って帰らせて後で提出させるには、「あなたの課題は○○ですよ」とテーマ・範囲を明確に切り分けることと、「提出されたレポートを評価する」という評価システムの両方が必須である。
 言うまでもないが、一般的日本企業は属人的な職能給だから、担当業務の明確な基準なんて誰にもわからない。
 評価システムにしても、年齢給なんてわけのわからない積立式のものなので成果評価はほぼ不可能だ。
 というわけで、普通に考えれば、“テレワーク”の普及は、あるとしても職務給(役割給といってもいい)が浸透し、年俸制などの出来高払いのシステムが一般化してからだろう。

このエントリで賛成なのは、一般論として「テレワークの普及には人事制度も進化する必要がある」という意見です。ただ、進化の方向性は異なります。
実は、テレワークの普及を阻んでいるのは労働法制だというのは実務家の共通認識になっていると思います。実際、雇用契約でのテレワークには労働時間の計上・把握とか労働災害の取り扱いとかいった問題が大きく、これを回避するために業務委託・請負などにした場合にも、労働者性の問題が立ちはだかります。ここをなんとかしないと、テレワークの大きな拡大は難しいだろうと思います。
もちろん、企業の人事管理においても、適切なコミュニケーションの確保など、取り組むべき課題はあります。城氏は評価と賃金のことを気にしておられますが、たしかにテレワークだと仕事のプロセスがみえませんので、職能給だと能力の評価が難しくなる可能性があります。成功確率の低い仕事を与えると、いいところまで行ったけれど結局ダメだったのか、そもそも何もしてなくてダメだったのかの区別がつかないとかいうことが起き得るでしょう。こういう仕事はテレワーク向きではないわけで、逆に言えば仕事の結果をみればそれなりに能力も評価ができるような仕事がテレワーク向きということになります。このあたりの層別は人事管理の課題でしょう。たしかに職務給のほうがテレワーク向きかなという感じはしますが、しかし必ずしも職務給にしなければテレワークが普及しないということではなさそうです。なお、これは冗談ですが、極論をいえばむしろ一部の労組が理想としているような人事考課のない完全年功制ならテレワークでも評価や賃金決定に困ることはなくなります(笑)。
なお、城氏は「評価システムにしても、年齢給なんてわけのわからない積立式のものなので成果評価はほぼ不可能だ。」と書いておられますが、賃金項目として年齢給を持っている企業(これも少なくなりつつあると思いますが)でも大半は別の賃金項目、たとえば職能給や役割給(役職手当など)を持っていますし、賞与は業績評価に応じて決めていますから、成果評価や成果を通じた能力評価は可能ですし、行われてもいます。また、年齢給というのは一般的には年齢にインデックスした賃金テーブルで決まる賃金項目を指しますので、「積立*1」が行われる性質のものではありません。
また、城氏は「“テレワーク”の普及は、あるとしても職務給(役割給といってもいい)が浸透し、年俸制などの出来高払いのシステムが一般化してから」という見解を示しておられますが、用語が混乱しています。出来高払いというのは典型的な成果給であり、職務給とは異なる概念です(純粋な職務給であれば、出来高がどうあれ職務が変わらなければ賃金も変わらないということになります)。まあ、職務によって出来高払いの単価が決まるようにすれば職務給だ、と強弁できなくもないでしょうが、一般的な用法とは違うと思います。同じように、年俸制は年間の賃金を事前に一括して決める制度なので、職務給であれ職能給であれ年俸制にすることはできますが、出来高が確定しないと賃金も確定できない「出来高払い」のシステムには理屈上はなりえません。まあ、前年の出来高で年俸を決めれば出来高払いだ、という強弁は不可能ではないかもしれませんが、しかし典型的な年俸制であるプロ野球選手の例などをみても「年俸**万円+出来高**万円」と区別されているわけで…。

*1:そもそも賃金制度には「積立」という概念はなかなかなじみません。勤続によって増額する退職金制度などは「積立」と言えなくもありませんが。あるいは、積み上げ式の昇給を行っている企業では、現在の賃金水準は過去の昇給を「積立」た結果だ、と言って言えないこともないかもしれませんが、かなり無理があるとは思いますが…。いずれにしても年齢給とは無関係ですし…。

ドリーム・マッチプロジェクト

サクサク書けるのでもうひとつ行こうかな(笑)。次に取り上げるのは5月17日のエントリ、タイトルは「内定率と基礎学力を同時に向上させる方法」です。これはなかなか興味深い内容を含んでいます。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/69f8869bcdd1d16c6b536b4bc4addba9

 国が学生と企業のマッチングサイトを立ち上げるらしい。
 民間企業にやらせればいいじゃないかという意見もあるとは思うが、国の看板の下、低コストで利用できる全国一律の仕組みを作ることには大きな意義があると思う(実態としてはリクルートに丸投げと思われるが)。
…いわゆる「採用におけるミスマッチ」というものの最大の原因は、…ネームバリューの無い企業の求人なんて誰も見にこない。…
 学生の側にしても、みんながみんな「絶対に大手限定」なんて考えているわけではなくて、草の根をかき分けて探すよりも、どーんと高く伸びている木に群がる方が楽だからそうしているにすぎない。
 こうして、…巨艦企業にはますます人が集まり、隠れてはいても優良な中小には誰も人が来ないなんてことになる。
 実際には後者の方が高待遇なんてことは結構あるのだけど。
 「求人出しても誰もこないじゃないか。若いもんはなっとらん」というのは、…まあ自分で探し出して応募する力が無いという点はおっしゃる通りだが、そもそも草の根に求人が埋もれているという事実すら知らないのではないか。
 そこで、公共マッチングサイトの登場だ。国の看板で大々的にやり、全国の大学に積極的に利用させればそれなりに強力な“出会い系サイト”になると思われる。
 ついでにいうと、ハロワレベルの求人情報照会だけではなく、一次選考機能までやらせればいい。
 たとえば筆記試験+SPIくらいまでを受けて登録し、「あなたの希望職種で合格可能性90%以上の企業は、北海道3社、広島2社〜」なんて具合にマッチングできるようにすれば、より効率的な市場になる。
 センター試験の就職版というわけだ。
 実際、自分の高校時代を振り返ると、二年生の時に全国共通模試を受けて、その結果をもとに「自分が進学できる大学」をみんなで探していたものだ。
 「うーん、医学部なら広島、長崎、頑張って東北か」的なノリである。
 全国共通テストという土台を通じて、全国大学マップとその中での自分の位置づけが把握できたからこそそういった選択が可能だったわけだ。
 大学入試というのは、日本でもっとも効率的な市場だと思う。
 余談だが、試験内容をある程度大学の専攻内容とリンクさせれば、一種の卒業検定試験的なものとなり学生の基礎学力向上にも貢献するだろう。

このあとはなぜか就活から外れて転職の話になってしまうので割愛しますが、ここまでの間で私が同感できるのは「低コストで利用できる全国一律の仕組みを作ることには大きな意義がある」ということと「学生に優良な中小企業の求人情報を提供することは有意義」そして「大学入試は効率的な市場」という意見です。
城氏がリンクしている読売の記事(http://www.yomiuri.co.jp/feature/20091120-054987/news/20100515-OYT1T00491.htm。これによるとこのサイトは「ドリーム・マッチプロジェクト」というらしい)には「交通費いらず?」という見出しがついていますが、実際、就活に要する交通費はかなりの負担になるようで、それが就活の制約になるということもあるようです。経済力の格差が就職機会の大きな格差につながることは好ましくないわけで、国がこうした低コストで(というか、無料で)利用できるサービスを提供することはまことに有意義といえましょう。
また、学生さんの情報収集能力に限界があるのは当然かつやむを得ないことなので、それを補強するサービスを提供することもマッチングの改善に有意義でありましょう。あまりに過大な期待をかけることもできないと思いますが、全国の大学で活用してほしいものです。余談ですが、城氏は若者の味方のはずなのに、ここでは学生さんに対してずいぶん辛辣な表現を使っておられますね?
なお、城氏がどういう意味で言っているのかはともかく、少なくとも上位〜中位校に限れば大学入試は基本的に自由競争で(帰国子女枠とかの例外はありますが)参入者も多く、就職市場などと較べれば完全情報にも近いわけで、たしかに「効率的な市場」という言い方もできると思います(だから、学校名が就職時の潜在能力の有力な代理指標になりうるわけです)。
「ついでにいうと」以下はたぶんネタでしょうが、あまり愉快な話とも思えません。ただ、これが実は「官能的な採用試験」を批判する社民主義の論者の主張に非常に近いものがあるというのは興味深いところです。なるほど、考えても見れば、若者の味方を自任して日本的雇用慣行を批判する城氏と、「教育の職業的レリバンス」とかを主張する人たちとの論調が近くなるのは当然といえるかもしれません。「企業は募集の際に求める具体的職業能力とその評価基準を明確化し、それのみで採否を決定すべきである、潜在能力だのコミュニケーション能力だの社会人基礎力だのいった曖昧な能力を「官能的」で明確化不能な基準で採否を決めるべきではない」という主張の理想の行き着く先は、実は大学入試の世界になるんですね。