「今春闘を契機に」

 先週水曜日、金属労協の主要労組が一斉に要求書を提出し、今次春季労使交渉・労使協議がスタートしました。すでに序盤戦の協議が進んでいることと思われますが、今年も経営サイドは賃上げに積極的とのことでもあり、協議を尽くして誤りのない解決に至ってほしいと思います。個人的には物価上昇をカバーしてさらに余りあるベースアップを期待したいところです。
 ということで、今日は連合総研の機関誌『DIO』に掲載された市川正樹同所長の巻頭言「低迷する日本から成長する日本への転換」をご紹介したいと思います。

 今春闘は、低迷する日本から成長する日本へといった大転換の絶好の機会とよく言われる。
 具体的にどのようなことなのかを、賃下げ・賃上げを起点に追ってみることにする。…
 「低迷する日本」では、まず「賃下げ」が続いた。…これが低迷の出発点だった。経営側はコスト削減という後ろ向きの「係長」的な発想で業務に注力する。なお、現在、原材料価格などを転嫁する必要性が言われるが、コストという後ろの側から考えている点で実はコスト削減と発想は同じである。設備・研究開発・人的資本への投資も抑制され…余剰資金はどんどん積み上がっていく。…消費や住宅投資は減少し、更に企業の設備投資も抑制されれば、国内の需要全体は減退し、GDPは増えない。…
 一方、成長する日本はどうであろうか。まず、一般労働者の数が拡大するとともに、賃金が上昇する。…経営者はコスト削減のように後ろを向くのではなく、新しい高品質・高価格の製品・サービス開発を目指し前を向く。結果として高価格で販売でき売上も増加する。コスト増を反映させた単なる値上げとは異なる。要するに質が高いので価格も高くできるのである。また、コスト増の転嫁とは逆の発想で、経営者は取引先などに対し、自分は新しい製品・サービス開発に取り組みたいので協力して欲しいと要請する。こうした連鎖がどんどん続いていく。いわば、開発のトリクルダウンである。また、このためには、設備・研究開発・人的資本への投資拡大は必須である。資金需要も旺盛となり、お金をためておくこともなくなる。以上により、需要は拡大し、名目GDPや一人当たり名目GDPも拡大する。
 今春闘を契機に、このような転換が是非とも実現してほしいところである。
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio393.pdf

 上記リンク先で全文がお読みになれます。
 基本的にはたいへんもっともなご所論と思いますし、連合総研の所長さんの論説ですから「賃下げ・賃上げを起点に」すればこういう話になるというというのもたいへんよくわかります。
 ただまあこう要約してみると基本的にレッドオーシャンブルーオーシャンの話であり、たしかにごもっともですが賃上げとかあまり関係なくねえかこれ。いや当然ながらレッドオーシャンではコスト削減に迫られて賃金は上がりにくい、ブルーオーシャンなら比較的賃金は上げやすいというのはそのとおりと思うのですが、じゃあ賃金上げればレッドオーシャンブルーオーシャンになるわけではないよねえと、思わなくもない。
 もちろん市川氏としては経営者たるもの「コスト削減という後ろ向きの「係長」的な発想で業務に注力する」ばかりでなく、ブルーオーシャンを目指せとおっしゃりたいのだろうと理解しますが、それはそれとして資本主義社会においては経営者こそ緊縮的なのであり、「係長」以下の労働者は「企業業績など俺たちの知ったことか、賃金上げろ」というのがスタンダードなんじゃなかったっけ。hamachan先生が指摘されるとおり係長も経営視線でコスト削減に取り組むのはわが国にかなり特有のものだろうと思います。このあたり手厳しくやりこめたおつもりかも知れませんがけっこう空振っているような。ときに市川氏は(省略部分ですが)この「係長」の代表例としてカルロス・ゴーン氏を上げておられ、いや私もゴーン氏がいいたあ思いませんし彼が逃亡中の刑事被告人であることも事実ですが、グランゼコールを2つ出たフランス財界の大立者が「係長」というのもどうかねえとは思いました。まあ官庁エコノミストの最高峰であるESRI次長から見ればそんなものなのかもしれませんが。
 また、市川氏は経営者に「取引先などに対し、自分は新しい製品・サービス開発に取り組みたいので協力して欲しいと要請する」べきだとのご所論でありもちろんそのとおりなのですが、この間経営者がそれをやってこなかったかというとそうでもないとも思います。実際、この間も官民で頑張って研究開発投資は伸ばしているわけであり、その結果として、パソコンの処理速度、掃除機の重量、自動車の燃費などなども大いに改善しました。
 ところが、残念ながら「結果として高価格で販売でき売上も増加」「質が高いので価格も高くできる」とはならなかったのが、この時期の日本経済の最大の問題点だったのではないかと私は思います。この時期の消費者の値上げに対する抵抗感は甚だしく、政権与党の閣僚経験者までもが「値上げするなら賃下げせよ」と真剣に主張していた(https://roumuya.hatenablog.com/entry/20120502/p1 。「連合は本気で怒れ」と書いているな(笑))くらいですし、元日銀総裁が渡辺努先生の調査結果をもとに「家計の値上げ許容度の改善につながっている可能性がある」と発言したら大炎上したりしたわけで、値上げが懲罰的な買い控えにつながるリスクも高く、市川氏が言うように簡単に値上げができるような状況ではなかったわけですね。さすがに、業界でカルテルを組んで横並びで価格転嫁するのが経営者の仕事だとは言えないでしょう。ニンテンドースイッチはかなり画期的な新商品だったのではないかと思いますし、あれだけ品薄だったわけなのでもっと高い価格で売っても良かったのではないかと私などは思うのですが、消費者の意識は「一定の利益が確保できるのであれば価格は消費者にとってアフォーダブルであるべきだ」というものだったのであの程度の価格にとどまったのでしょう(結果として転売屋を潤すことになってしまったわけですが)。
 ということで、結果として企業が努力して研究開発投資を続けた成果のかなりの部分は価格の維持低下という形で消費者に分配されてしまい、労働者はその働き(高品質)に見合った賃金の伸びを享受できなかったという状況ではなかったかと思います。そう考えると、わが国においては概ね消費者≒労働者であることを考えれば、まあ労働者も(言葉は良くないですが)共犯だったよねえと、思わなくはない。 もちろん、賃金の伸び悩みがその一因であることは否定しませんが、労働組合サイドも(リーマンショックの経験もあり)非常時の雇用確保につながるなら内部留保の強化もベアゼロも受け入れるという判断をしてきたわけですね。これはその後のコロナショックの際に現実化したことを考えると、あながち誤った判断であったともいえないだろうと思います。
 とはいえ、最近では価格改定が企業業績の改善につながる例も増えているようであり、国民のデフレマインドもかなり緩和してきて、これまでのように値上げするととたんに販売数量が落ちるという状況は脱しているようでもありますので、いよいよ市川氏の述べられる「結果として高価格で販売でき売上も増加」「質が高いので価格も高くできる」といった環境が整ってきたようにも思われます。であれば、私も市川氏同様に「今春闘を契機に、このような転換が是非とも実現してほしいところ」だと思います。いや本当にがんばれ労使