“中流危機”を越えて第2回(2)

 昨日の続きで、日曜日に放送されたNHKスペシャルの感想です。大事な話は最後のほうにありますのでそのようにお願いします(笑)。
 オランダのパートタイム勤務について、番組では警察官のシングルマザーとIT企業およびそこに勤務する夫と教員の妻の家庭の事例が紹介されていました。警察官については週3日勤務で賃金が月2,500ユーロ、約36万円で「母1人子1人が生活するには十分」との紹介、IT企業では過半の人が短時間勤務を選択しており、そこに勤務する夫は子どもが生まれると労働時間を9割、同じく妻は6割に短縮して、夫フルタイムの1.4倍相当の世帯収入を確保しつつ子どもとの時間も確保した、という事例です。
 ということでけっこうづくめのように見えるわけですが(いやもちろんけっこうな話ではありますが)気を付けないといけないなと思ったところもあり、まず警察官の事例について週3日で月36万とはフルタイム換算で60万円という非常に良好な水準であり、シングルマザーの生活困窮が社会問題になっているわが国からみれば楽園のように見えるわけです。
 ただまあそういう社会問題はとりあえずおいてこの数字を見てみますと、まず月36万円以外のボーナスはほぼゼロであり、その点かなり高額のボーナスが支給される日本の正社員とは異なるわけです。もちろん日本のパートタイマーも(最近では例の同一労働同一賃金騒ぎで大企業を中心に金一封程度は出る企業が増えてはいるものの)ボーナスはあっても少額なのではありますが、番組では「オランダのパートタイマーは正規雇用」と繰り返しているわけでしてな…?
 なおボーナスなしでもフルタイム換算で年収720万円にはなるわけで高いねえとは思いましたが、これはいろいろ調べてみると(https://www.salaryexpert.com/salary/job/police-officer/netherlands とか https://www.erieri.com/salary/job/police-officer/netherlands とか)現実にオランダの警察官の年収は平均6万ユーロ強(約880万円)であるらしく、古いデータですがOECDの統計(https://www.oecd-ilibrary.org/docserver/gov_glance-2013-38-en.pdf?expires=1664258235&id=id&accname=guest&checksum=0E8347476AE3E4D5FC5C4A0332FD7023)でも同程度になっています。総務省の「令和3年地方公務員給与実態調査結果」によれば日本の警察官の基本給は平均364,541円となっており(https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/kyuuyo/pdf/R3_kyuyo_1_03.pdf)、これにボーナスと手当(まあ残業代はかなりわずからしいのですが)が加わってもまあ600万円台の前半というところでしょうからだいぶ高いようには見えます。
 とはいえこの数字も注意が必要であり、まずは当然ながら為替レートの問題があります。番組では介入前のレート(1ユーロ=145円)を使っていますが(まあ当然ですが)、しかし10年前には1ユーロ=100円前後という時期もあったわけで、それだと日本とオランダが同等程度になります。まあ過去10年間を見ると平均で120円台の前半かなという感じですが。さらにもう一つ気を付けなければいけないのが税制で、財務省の資料(https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/238.pdf)をみるとオランダの国民負担率が54.4%なのに対して日本は44.4%とちょうど10%ポイントの差があり、その分オランダの方が可処分所得が小さくなるということになります。こういった点を考慮せずに「月36万円」という数字だけを提示するのはややミスリーディングと感じました。
 あとは番組を見ての感覚的なものなのですが、週4日勤務を選択している人に「休日はなにをしているのか」訊ねたところ「ゲーム、ニンテンドー」との即答で、まあ人によりさまざまでしょうがNHK的においしい「専門学校で資格取得にチャレンジ」とかいう回答は得られなかったのだろうなとは思いました。短時間勤務のご夫婦についても、一家たいへんに幸福そうでご同慶なのですが、放映された食事の場面をみるとワンボウルで見るからに質素な食事に見えるわけです。服装などもこぎれいではあるのですがやはり質素な感じでかなりつましい生活をされているのではないかなあ。ニンテンドーというのもおそらくはさほどおカネのかからない安上りな娯楽なのではないかと思うわけで、暮らし向きそのものが日本と異なる部分がありそうでやはり注意がいるかなとは思いました。どちらがいいとかいう話ではもちろんありませんが。
 …と、あれこれと注意点を書き並べましたが、正規職員が短時間勤務を選択できて賃金は時間割というオランダのしくみ自体はたしかに優れたものだろうと思います。でまあわが国でも正社員の育児時間(育児短時間勤務)なんかは時間割で賃金減額というのがむしろ当たり前になっているわけで、これを理由不問かつより長期間可能にしていけばいいのだろうと思います(佐藤博樹先生が強く推奨されていたと記憶します)。ただそれでは非正規雇用の待遇UPにはならないわけで、これで日本の非正規の待遇UPをはかろうとしたらまずは日本にもオランダのような(本来の意味での)ジョブ型の雇用をまず増やし、それとの均等待遇でやっていくという手順になるはずです(すべてをジョブ型にする必要まではないことに注意)。職種によっては可能なものもかなりありそうな気はしますがかなり大変かなあ。本当にやるなら政府が相当強力に介入する必要があるかもしれません。
 ということで「リスキリング」と「非正規雇用の待遇UP」という「賃金アップの処方せん」が示されて、もちろんどちらも大切な取り組みとは思いますが、ではそれで世帯所得の中間値が505万円を回復するのかとか、(現代の利便性も享受しつつ)子どもの人数分の個室のある一戸建に住んで親世代より豊かな暮らしができるようになるのかと言うと、まあなるかもしれませんが強気にはなれないかなあと。いまひとつそのあたりの説得力は不足しているように感じました。
 そこで最後にご出演の公労使三者からの提言があったのですが、「公」の諸富先生は「成長戦略の民主化」、「労」の松岡会長代行も「政労使で未来づくり」ということで、ビジョンや政策の検討・策定に労組など大衆が関与することが必要だとのことでした。これはこれで大事な観点だと思いますし、企業単位でみれば多くの労組がすでに取り組んでいるところではあるでしょう。繰り返し書いていますがそういう労組が増えるように誘導して組織率を上げていくことが大事だと思うわけです。
 これらに対して私がおおいに注目したのが諏訪社長の「企業の意識改革」という提言で、日本企業の従来の意識である良いものを安くという意識を改革して、利益が上がり賃金が上がる経営に転換すべきと述べられたことです。「良いものを安く」ではなく「良いものを適正価格で」ということでしょうか。諏訪社長としてはカメラの先に取引先の購買担当者が見えていたことでしょうが、私はそれを聞きながら「やはり雇用システムに期待されすぎてもねえ」と思っていたことでした。もちろんそれには賃上げとともに適正価格への変更を容認する社会というのが必要になるわけですが、そこが難しいよねといういつもの話を書いて終わります。相変わらず締まらんな。