朝日社説

朝日のお題は「春闘スタート−働く人すべてが当事者だ」となっています。働く人すべて、というのは当然非正規を念頭においているわけで、各社とも現下の情勢をふまえて非正規に目配りしており、この点でもそれの少ない日経は異色を放っていると申せましょう。
朝日の社説の全文はこちらです。
http://www.asahi.com/paper/editorial20100127.html#Edit2
こちらはさすがに朝日というべきか、

 深刻なデフレ不況のもと、組合側はベースアップの統一要求を封印し、定期昇給の維持を最優先している。対する経営側は「賃金より雇用」を繰り返し、定昇の凍結もにおわせるなど、人件費の抑制に躍起だ。

などなど、はしばしに経営サイドへの敵意を示していておもむき深いものがありますが、それはそれとして、

 時間外労働の減少やボーナス削減で労働者の手取りの所得は減っている。定昇まで抑え込んでは賃金総額がさらに減り、消費者心理が冷えてデフレを悪化させかねない。経営側はこうした経済全体への影響にも十分に配慮しながら交渉に臨むべきである。

これは連合の受け売りという感じですが、たしかに所得不足も需給ギャップの要因のひとつではあるかもしれません。ただ、「経営側はこうした経済全体への影響にも十分に配慮」となると、所得増がどれほど需要増につながるのかとか、とりわけ所得増を価格転嫁した場合においての需要増はどれほどなのかとか、価格転嫁した場合、現実に日本経済に大きな位置づけを占める外需はどうなるのかとかいったことも考えなければいけないわけで、それほど一筋縄ではいきません。

 労使とも重視すべきは、正社員だけの利害ではない。さまざまな形で働く人々の雇用を確保し、賃金や条件を守り、改善することだ。その意味で連合が今年、「すべての労働者の労働条件の改善に取り組む」という旗を掲げたことを高く評価したい。
…ところが、経営側の姿勢は全く物足りない。家計を支える非正規労働者の増加という社会情勢の変化に適合しなくなってきた従来型の雇用システムをどう変革すれば新たな労使協調と社会の安定につながるのか、という問題意識が薄いようだ。
 日本の雇用システムや賃金制度は、労使が現場で編み出した知恵が普及したという面が大きい。たとえ「痛み」を伴う改革でも、労使の一致した決断こそが突破口を作るはずだ。昨年、非正規の契約社員の正社員化に踏み切った広島電鉄でも、労使の一体感がバネになった。
 賃金の格差是正は詰まるところ、「同じ労働には同じ賃金が払われる」という原則の導入によって果たされるべきだ。それを一挙に実現するのは難しいが、非正規の人たちを本気で仲間として処遇しようとするなら、手立てはあるはずだ。
 当面は、企業内の最低賃金を引き上げたり、勤務実績をもとに正社員の賃金や処遇と釣り合わせたりする方法で格差是正を図ってはどうか。

このあたりはなかなか興味深いものがあり、たとえば「新たな労使協調」なんて言葉が出てくると、そうか、朝日が労使協調を推奨する時代になったか…という若干の感慨もなくはありません。まあ、これは私の偏見なのでしょうが。
それはそれとして、「家計を支える非正規労働者の増加という社会情勢の変化に適合しなくなってきた従来型の雇用システム」というのは、非正規労働だと家族生計費の稼得が難しいことがあることを問題視しているのでしょうか。だとすると、それが「賃金の格差是正は詰まるところ、「同じ労働には同じ賃金が払われる」という原則の導入によって果たされるべきだ」という理屈にどうしてつながるのか、はなはだ理解に苦しみます。つまり、家計を支える非正規労働者と、家計補助的非正規労働者ジェンダー的に問題ありですが、いわゆる主婦パートなど)、家計と無関係な小遣い稼ぎ的非正規労働者(いわゆる学生アルバイトなど)とが同じ労働をしていた場合には、当然同じ賃金が支払われているでしょう。これがまさに「「同じ労働には同じ賃金が払われる」という原則」であって、それは「家計を支える非正規労働者の生計費確保」とは正反対の方向になってしまいます。わが国の多くの企業の賃金制度が多分に生計費を意識していることはおそらく事実(おおっぴらには言わないまでも)でしょうが、それは「同じ労働には同じ賃金」とは相反するものです。
まあ、朝日のことですから、「同じ労働には同じ賃金」というのは非正規労働といわゆる正社員の比較を念頭においているのでしょう。とはいえ、短期的・外形的に同じような労働をしているにしても、残業や転勤があり、他の仕事の経験も有する正社員と、これらのない非正規労働とが同じ賃金を受けるべき同じ労働かというと、これはかなり疑問があるでしょう。もちろん、「家計を支える非正規労働者の生計費確保」は政策的対応が必要な課題であり、労使がともに取り組むことが望ましい問題でもありましょうが、その理論武装として「同じ労働には同じ賃金」は適切ではありません。
実際、朝日の社説も具体論はけっこう現実的で、企業内最賃にせよ、「勤務実績をもとに正社員の賃金や処遇と釣り合わせたりする方法」にせよ、個別労使における協議を通じた取り組みを主張しているらしいところは注目されます。広島電鉄の事例は非常に先進的なもので、事情が特殊すぎて全般を一般化することは難しいにしても、労使が自社の実態を踏まえて協議して取り組んだという点はおおいに参考とすべきでしょう。「同じ労働には同じ賃金」という機械的な発想をふりかざすかたわらで、こうした現実的な発想も示すというのがなかなか複雑な構造ですが、まあ「同じ労働」にしても、さまざまな労働がある中で、すべての労働について「これとこれは同じ労働で、これとこれはここが違う」などと疑問の余地なく決めることなどできるわけがないわけで、だからこそ現場をよく知る個別労使が協議を通じて適切な着地点を見つけていくしかないわけです。となると、「同じ労働には同じ賃金」ではなく、「釣り合わせ」ていく、たとえば、まあたしかに2/3を占める正社員と1/3の非正規とではいろいろと違うんだけれど、似たようなところもある、これで賃金の差が方や2,000円、方や1,000円ではお互いちょっと納得いかないだろう、これを総額は変えずに1,900円と1,200円に配分を変えればお互いそれなりに納得がいって今より気持ちよく働けるのなら、そうしようじゃないか、それで生産性が上がるならその分原資を少し増やしてもいいし…といった協議を個別労使で積み上げていくことが大切なのではないでしょうか。
ということで、変なこともいろいろ言っているけれど、読みようによってはいいことを言っているところもあるという、不思議な社説という感じです。