転勤とキャリア

 野球と出張に明け暮れた7月、8月が終わり、とりあえず一応の平静が戻ったか…ということで本日はtwitterを再開し、今からブログも書きたいと思います。かなりご無沙汰してしまったので、たまには書かないと忘れられそうなので…。
 さて本日の題材は今朝の日経新聞に掲載された出口治明立命館アジア太平洋大学学長の連載エッセイ「ダイバーシティ進化論」です。本日のお題は「日本の転勤問題 世界に倣い希望者のみに」。短いものなので以下引用しましょう。

 転勤は日本特有の制度だ。海外では経営層を除き、希望した人だけが転勤する。ではなぜ、日本は会社都合で転勤させるのか。
 戦後の人口増加や高度成長を前提にした一括採用、終身雇用、年功序列という労働慣行が背景にある。一生雇用するならいろいろな職場を経験させた方が使いやすいというわけだ。その延長線上で、いつでも転勤可能な総合職が出世コースになった。だがこれは2つの点でゆがんでいる。
 ひとつは、会社が「社員は地域社会と関係がない」と考えている点だ。でも実は週末はサッカーチームで子どもに慕われている名コーチかもしれない。人は地域とつながって生きている。
 もう一つはパートナーだ。どうせ相方は専業主婦(夫)で黙ってついてくるしかないと思っている。このゆがんだ考え方の上に転勤という制度が成り立ってきた。
 家族の絆を断ち切る単身赴任も日本独特だ。こんな非人間的な制度を続けていれば、若い優秀な人がどんどん流出して企業は衰退していく。最近は転勤をなくした企業もあるが、当たり前のこと。転勤は希望者だけというグローバルな労働慣行を打ち立てよう。希望しない人に転勤させるのは制度によるパワハラだ。
 次のような反論を述べる人がいる。「札幌や福岡は希望者が殺到するだろうが、過疎地に行きたい人がいますか」。では過疎地は何で困っているのか。仕事がなくて困っているのだ。社内に希望者がいなければ、地元で採用すればいいではないか。その企業は地元で大歓迎されよう。地元の社員は地域のことをよく知っているので企業にもメリットがある。
 だから希望者のみ転勤で全く問題はない。ジョブローテーションは終身雇用が前提だ。しかし今年の新入社員に今の会社で何年働くかを尋ねたら5年以内と答えた人が37%。そもそも自分のいる会社が一生つぶれない保証はどこにもない。希望しない人を強制的に転勤させるのは人権侵害だ。
 世界に目を向けると、有能な人は転勤がなくても出世していく。自分のそばにいる社員しか評価できない経営者は無能だ。地方にいる人が優秀ならトップに据えればいい。実績を重視すればどこにいようと優秀者は数字で分かる。まずは、転勤可能な総合職が一番上だという悪習をとっぱらわないといけない。
(令和元年9月2日付日本経済新聞朝刊から)

 世間でありがちな議論を要領よく組み合わせた感じの文章ではあるのですが、まず「転勤は希望者だけというグローバルな労働慣行」について確認しておきましょう。
 海外では労働契約の一部として勤務地が定められていることが一般的であり、それも「東京都」とか「町田市」とかいった大雑把なものではなく、たとえば「仙台支店泉営業所」くらいのかなりピンポイントに特定されています。これは契約の一部なので変更するためには当然に両当事者の合意が必要であり、たとえば広島支社の営業エリアを分割して高松支社を新設するから支社長が必要だとなれば、一方的に転勤を命じるというわけにはいかず、まあそれなりに適任そうな人が多数いるのであればまずは社内公募するでしょうし、適任者が限られていれば個別に「行ってくれないか」と声をかける、いずれにしても会社のほうからオファーすることになるわけですね。
 そこで公募に応募するかどうか、個別オファーを受けるかどうかは本人次第であり、転勤に応じて得られる利益と、それにともなうさまざまなコストと比較勘案して決めればいいということになっているわけです。たとえば、新規支社の立ち上げ経験が将来のキャリアに大いに有利だろうという実益が転勤の負担を上回ると思えば、応募したりオファーを受けたりすればいいわけです。
 もちろん転勤大変だからしたくありませんというなら応募しない、あるいはオファーを断るのもご自由であり、誰も受け手がいないとなれば企業としてはそれなりに昇格とか昇給とかのインセンティブを乗せてもう一度公募なり個別オファーをするなりすることになるでしょう。本社との関係性とか企業独自のノウハウとかいったものがあまり必要でないのであれば、内部登用はあきらめて外部労働市場から手ごろな人を採用するのが合理的という場面もありそうです。でまあ欧米ではそこそこのインセンティブでは転勤にともなうコストのほうが大きいということで難色を示すケースも間々見られるというのが正味のところのようです。
 つまり、転勤を「希望する」(転勤のオファーを受ける)かどうかはキャリアと密接に結びついているわけです。もちろん「世界に目を向けると、有能な人は転勤がなくても出世していく」というのはそのとおりで、日本企業でも同じことではないかと思いますが、他の条件が同じであれば転勤に柔軟に応じられる人のほうがそうでない人より「出世していく」可能性が高いというのも国を問わないのではないかと思います。つまり「いつでも転勤可能な総合職が出世コースになった」のはそれなりに自然なのであり、「転勤可能な総合職が一番上だという悪習をとっぱらわないといけない」というのも、まあ程度問題でしょうねえということになろうかと思います。
 それでは日本はなぜ現状のような労働慣行になっているかというと、少なくともこうした慣行が成立した時期には、要するに労働者にとって転勤にともなう利益がコストを上回ることが一般的だったから、ということになるでしょう。もちろんそれは企業の側に拠点新設などの転勤ニーズが多かったことの裏返しであり、その背景に高度成長があったことも間違いないと思います。ありていに言えば、転勤も含めて企業の言うとおりのキャリアを歩んでいけばそれなりに昇進して賃金も上がり(これが外から見れば年功賃金に見えるわけだ)、夫婦子二人(程度)の生計費が保障され、まあ郊外のマイホームとマイカーが手に入るということで、それならまあ地縁が切れても単身赴任になっても割のいい取引だったという打算的な話にすぎません。
 だから、昇進や昇給といった果実を割と潤沢に分配できた高度成長期とは異なり、低成長とデフレが続いて昇進も昇給も稀少な資源になっている今日にあっては、転勤に応じることが割の合わない取引になりつつあることも間違いないのだろうと思います。であれば、昇進も昇給もいらない、あるいはほどほどでいいから転勤はしたくありませんという人が出てきても不思議ではありませんし、そういう働き方の選択肢が増えることはたいへん結構なことだと思います(ちなみに勤務地ではなく職種については限定的な新卒採用が増えているという話は最近何度か書いたと思います)。
 あとはそういう人がどのくらい出てくるかという話で、まあ転勤すれば昇進のチャンスが多少なりとも上がるのであれば転勤したいですという人はそれなりに多数ではないかという気がしますし、一方でどんどん確率が低下しているチャンスをインセンティブにして転勤に応じさせるという人事管理が本当にフェアなのかという議論は大いにあるだろうと思います。だからと言って、あなたは転勤しようがしまいが昇進のチャンスはないのだからそれで満足してくださいと言われることを本音ベースでどれだけの人が望んでいるのかという問題でもあって、でもまああれかな職務限定を望む新卒というのも増えているらしいので、転勤についても本音ベースでもスローキャリアでいいからしたくないという人が増えてはいるのかな。まあいずれにしても選択肢が多様化することは非常にいいことだと思いますし、現状では正規・非正規の二極化を緩和するという意味でも重要なことのように思えます。とはいえ意識というのも急には変わらないわけで、制度をいじって無理やりに変えようとしてもうまくいかないだろうというのは企業としても成果主義騒ぎの貴重な教訓であるわけで、例によって「やってもいいけどやるならゆっくりやれ」という最近いつもの結論を繰り返して終わります。