大内伸哉先生の受難

今朝の日経新聞が1ページ使って働き方改革の大々的特集を掲載しております。コンテンツは企業経営者3人と研究者1人のインタビューと記者による簡単な解題で、研究者枠では神戸大の大内伸哉先生が登場しておられます。ここでも先生のいつも持論を展開されている…のかと思いきや、かなり踏み込んだ記事になっているのでご紹介したいと思います。
まず引用しましょう。

■成長分野へ人材を移す 神戸大学教授 大内伸哉

 仕事の生産性を高めるためには、人工知能(AI)など今後の技術革新を見据えた労働政策が欠かせない。
 これまで日本企業はある業務がなくなっても社内の配置転換で対応してきたが、ICT(情報通信技術)はかつてないスピードで進歩し、潜在的な余剰人員が増えていく。企業が雇用を保障したいと思っていたとしても放っておけば会社そのものが倒産してしまうかもしれない。そこで必要なのが解雇規制の緩和だ。
 日本はどういうときに解雇できるのか基準がはっきりしていない。企業が必要だと思った解雇でも裁判所で不当と見なされれば無効になる。企業が余剰人員をずっと抱えることにならないように、解雇をお金で解決できる制度が必要だ。今は労働者が裁判で勝っても、なかなかもとの会社に戻れないのが現実だ。だったら金銭補償を明確にするメリットはある。人材を衰退分野から成長分野へと移していくという意味もある。
 ここで重要なのが労働者が新しい会社に移るための職業訓練だ。…時代の先を見据えたものが要る。…
 長時間労働は規制強化した方がいい。…併せて労働時間と賃金を分離するホワイトカラー・エグゼンプション(「脱時間給」制度)の導入も必要だ…
 労働者が目の前の生活を守りたいのはわかる。でもいま変えなければ、もっと厳しい未来が待っているかもしれない。それを実行するのは政治の力だ。安倍晋三首相は国民に聞こえの良いことだけでなく、20年先を見据えた働き方改革を進めてほしい。
平成28年10月21日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

いや正直なところ本当にこのとおり発言されたのかという疑念を持たざるを得ません。多分に記事化した記者の問題があるのではないかというのが率直な印象です。
たしかに解雇規制の一定の緩和は大内先生のご持論であり、『解雇改革』という著書も出されているわけですが、その具体的な内容は政府の定めるガイドラインのもとでの労使による事前のルール化、不当解雇の金銭解決の導入、小規模事業所における解雇の規制緩和というものです。これは先生ご自身が内閣府のヒヤリングに応えられた資料があります(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_y/ouchi.pdf)。このブログでも過去簡単にまとめてコメントしたものがありますのでご参照ください(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130411#p1)。
もちろんこれはすでに2-3年前の話であり、その後もインタビューで触れられているようなAI技術の進展といったものもあったので先生の見解も変わったということはあるかもしれません(が、ざっと探した範囲ではこれ以上のものは見当たりませんでしたが…)。実際、先生はAIなどICT技術によって既存雇用が大量に置き換えられる可能性に大きな問題意識をお持ちのようです。その規模が大きくなると社内の配置転換だけでは対応できないだろう、ということですね。これは非常によくわかる問題提起です。
ただ、そこでこの記事は続けて

…そこで必要なのが解雇規制の緩和だ。
 日本はどういうときに解雇できるのか基準がはっきりしていない。企業が必要だと思った解雇でも裁判所で不当と見なされれば無効になる。企業が余剰人員をずっと抱えることにならないように、解雇をお金で解決できる制度が必要だ。…

と書いているわけですね。こう書かれると、大内先生が「配置転換で吸収できない余剰人員の解雇をお金で解決できる制度が必要だ」と言ったように読めますが、しかし本当にそう言われたのか。
私はきわめて疑わしいと思います。まず、「企業が余剰人員をずっと抱えることにならないように、解雇」することは、一定の条件を満たし手順を踏めばなにも「お金で解決」するまでもなく可能です。もちろん現実には割増退職金を積んで希望退職を募るなど「お金で解決」するわけですが、法律上はそれこそ「余剰人員をずっと抱えること」ができない事情があり、配置転換など解雇回避措置をとり、合理的な人選基準のもとに労働組合との協議など十分な手続を踏めば、「お金で解決」するまでもなく解雇しうるわけです。これはいうまでもなく人事部の初任研修で学ぶくらいの初歩であり(まあそのくらい解雇はたいへんだという文脈になることもあるわけだが)、一流の労働法学者が「企業が余剰人員をずっと抱えることにならないように、解雇をお金で解決できる制度が必要」などという雑な発言をするとはとても思えません。
大内先生が一貫して主張しておられるのは、このような「AIによる雇用代替が大規模で配置転換だけでは対応できない」という状況にも対処できるよう、労働者保護に欠けたものとならないよう政府がガイドラインを設定した上で、企業にたとえば「自動化などの技術革新によって当該職種が機械化され、雇用の維持が困難となった場合には、労働組合と協議(割増退職金に関する事項、解雇者人選の基準に関する事項を含む。)のうえ解雇する。」と言ったことを就業規則で事前に定めることを義務付け、それが現実になった場合にはその定めのとおりに解雇するが、当然ながら裁判所のチェックが入る、ということでしょう。それこそが大内説の核心部分であるにもかかわらず、それを「解雇の規制緩和が必要だ」で片付けてしまって金銭解決の話につなげるというのは、どうにもミスリーディングが過ぎるように思われます。
さらに金銭解決についても「企業が必要だと思った解雇でも裁判所で不当と見なされれば無効になる。企業が余剰人員をずっと抱えることにならないように、解雇をお金で解決できる制度が必要だ」という書きぶりで、普通に読めば「お金で解決」=「お金を払えば解雇有効」という意味に読めてしまうと思うのですが、実際には大内先生は内閣府のヒヤリング資料では「いわゆる事前型(補償金を支払うと解雇できるという方式)は不可」と明記されており、まあそこは意見が変わったのかもしれませんが、しかし私としては記者の理解不足のほうに賭けますね。
「人材を衰退分野から成長分野へと移していくという意味もある」は、あるいは言われたのかもしれませんが。「意味もある」ということですから、「人材が衰退分野から成長分野に移ることになりますね」と聞かれて「そうですね」とか答えたのでしょう、とこれは私の完全な邪推ですが(笑)、だとしたらこれを見出しに使うのはどうかと思うな。
後半の省略だらけにしたところは前半ほどの違和感はありませんので、おそらくは記者の方に理解不足と思い込みとがあって、日経の論調に近いものとして記事構成してしまったという推測でいいのではないかと思います。意図的にやったのであれば悪質ですがアタマいいなとも思いますが、たぶんそうではなさそうな。いずれにしても大内先生にはご災難であって同情を禁じえません。
ということで、たぶんこれ掲載前に本人の確認とか取ってないよねえと思うので他の方々の記事にあれこれ言うのもやや気がさすのですが、お一方だけ簡単に感想を書きますと、SOMPOホールディングス社長の桜田謙悟氏がこう発言しておられるのですが、

…SOMPOホールディングスでは(役職ごとの仕事や役割を明確にする)ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)の導入を検討している。これにより、処遇について透明性が高まり、評価基準も明確になる。残業を前提にした働き方ではなくなり、仕事の成果を重視するようになる。…
 こうした変化は、いずれ労働市場流動性の向上にもつながる。新卒一辺倒ではなくなる。…労働市場流動性が高まれば、リストラという形ではなく自分の意思で会社を移っていく環境も生まれるだろう。

まあキャリア、特に内部昇進をどうするのかをどうお考えなのかなあとは思いました。もちろん人事部では検討されているのでしょう。一般論としては、欧米ではむしろ一般的な「転職しないかぎりずっと同じ職務記述書の仕事をする」という働き方であればたしかに「透明性が高まり、評価基準も明確になる。残業を前提にした働き方ではなくなり、仕事の成果を重視する」ことになるでしょうし、逆にローテーションや内部昇進で随時職務記述書が変わり、社内でキャリア形成するということになると、その程度が強くなるほどに透明性は失われ、評価基準も必ずしも明確ではなく、残業も…ということになっていくわけですが。